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映画「判決、ふたつの希望」 何度か涙を流した!

レバノン出身のジアド・ドゥエイリ監督の映画「判決、ふたつの希望」をみた。とても良い映画だった。深く感動した。

 舞台はベイルート。パレスチナ難民排斥を訴える党(日本の「在特会」のようなものだろうか?)の支持者でキリスト教徒のレバノン人であるトニーは、パレスチナ難民のヤーセルとちょっとしたことでいざこざを起こす。しぶしぶヤーセルが謝罪にやってくるが、トニーはパレスチナ難民を侮辱する言葉を口にして、ヤーセルにひどく殴られる。そして、それが遠因で妻が流産しそうになる。トニーはヤーセルを訴え、裁判が始まるが、トニーの差別的な言動のためにレバノン全体で大きな問題になり、キリスト教徒とイスラム教徒の衝突が起こる。だが、トニーはかつてのイスラム教徒による大量虐殺の生き残りであることがわかり、被告と原告の間に相互理解が成り立ち始める。

「ネタバレ」になるので、これ以上は書かないが、そうした状況がとてもわかりやすく、しかもリアルに描かれている。原告と被告の二人の言い分はそれなりよくわかり、それぞれに自分たちの正義を貫こうとしていることもよく理解できる。本人たちも、すぐに片付くつもりだったことが自分の手を離れてあれよあれよという間にことが大きくなっていく様子、そして、それぞれについた弁護士が当人たちの意思からはずれて法廷闘争を繰り広げ、それぞれの側についたやり手弁護士(のちに、実は対立する親と娘であることがわかる)の代理戦争のようになっていく様子も実にリアル。弁護士たちが親と娘であるのも、実はレバノンのキリスト教徒もイスラム教徒も同じような痛手を受けた「似た者同士」であることを象徴するだろう。

 いずれの人物もそれぞれ癖があり、根っからの善人ではなく、だからといってもちろん悪人であるわけでもなく、みんなが傷を抱えながら懸命に生きている。そのような様子が一人一人の人物から伝わってくる。すべての役者さんたちが素晴らしい。私は何度か涙を流した。きっと多くの人が同じような思いをしただろう。

 息をつかせないほどの迫力で最後までぐいぐいと引っ張る監督の手腕はみごと。レバノンの過酷な状況をみて、行ってみたくなった。でも、ちょっと危険かな・・・。

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映画「顔たち、ところどころ」 生き方が刻まれた顔!

 アニエス・ヴァルダとJR(33歳の若いフランスの写真家。本名を明かしていないらしい)の共作によるドキュメンタリー映画「顔たち、ところどころ」をみた。

 ゴダール、レネ、トリュフォー、ヴァルダ、そしてその当時ヴァルダの夫だったジャック・ドゥミは私が学生時代に夢中で追いかけたフランスの映画監督だった。ヴァルダの1964年の映画「幸福(しあわせ)」は、ドゥミの「シェルブールの雨傘」とともに大好きな映画だった。この映画を見るために、何度映画館に足を運んだことか。美しい色彩とモーツァルトのクラリネット五重奏曲が効果的に用いられ、心をかき乱されずにはいられなかった。そのヴァルダも88歳。若き写真家とドキュメンタリー映画を作ったという。みないわけにはいかない。

 ヴァルダも元々は写真家だった。ヴァルダとJRが出会う。JRは町の人々の写真を撮ったり、村の人の所有している昔の写真を手に入れたりして、それを巨大に引き伸ばして町の壁面全体に張りつけるパフォーマンスを行う写真家らしい。二人は車であちこちの村(この映画の原題は「VISAGES VILLAGES」(韻を踏んでいるが、意味的には「顔たち、村たち」)に出かけ、そこで生きる人の写真を建物に貼り付けていく。その様子がロードムービー風に、軽快な音楽に乗って描かれる。

いってみればそれだけの映画だ。だが、年の差54歳の道中が面白い。リスペクトしあい、時に反発し合う二人が自由に語り、楽しみ、村の人々と交流し、自分たちの芸術観をさりげなく披露する。被写体になる町の人々もその様々な価値観、様々な生き方を見せてくれる。多種多様というか、人様々というか。様々な生き方、その生き方が刻まれた顔。この映画の中には様々に生きる人への限りない愛情が注がれていて、それだけでも感動する。

そして、建物に貼り付けた写真の見事なこと。被写体のポーズ、写真の選び方、貼り付け方によるのかもしれないが、町全体が見事な芸術になる。そこで生きている人々を巻き込み、その人たちの生きる顔を描き出す芸術になる。なんでもないことに見えて、実はすごいパフォーマンスだと思った。

JRはかつてのゴダールと同じように常にサングラスをかけ、素顔を見せようとしない。かつてゴダールは友人であるヴァルダには素顔をさらしたことがあった。ヴァルダはJRにもサングラスを取るように促す。だが、JRはかたくなに拒否する。そこで、ヴァルダはJRをノルマンディに住むゴダールに紹介しようと考え、二人でゴダールの家に出かける。だが、ゴダールは約束をたがえて書置きを残して家を出ていた。ヴァルダは怒り、心を痛める。そんなヴァルダに対して、JRはサングラスを取って素顔を見せる。生き方が刻まれた顔がヴァルダにだけ明かされる。

人々の生きる姿、自分の生を肯定する姿、自由に生きる姿に何度も涙が出そうになった。

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アトミヴォーカルアンサンブル第1回演奏会 とてもよかった!

 2018925日、日本福音ルーテル東京教会で、アトミヴォーカルアンサンブル第1回演奏会を聴いた。アトミヴォーカルアンサンブルというのは、跡見学園女子大学マネジメント学部マネジメント学科イシカワゼミの学生中心の女声合唱団。この合唱団を指導するイシカワカズ氏とは40年来の知己であり、氏の息子さんである石川星太郎氏が指揮の道に入ったころから噂には聞いていた。ぜひ、この若き指揮者の演奏を聴きたいと思っていた。今回、その演奏が聴けるとあって、雨の中、アマチュアのコンサートに足を運んだのだった。

 この合唱グループの最初の曲、フォーレの「アヴェ・マリア」でびっくり。正直言って、合唱に関してはあまり期待していなかったのだが、なかなかどうしてきれいな声ではないか! それどころか、ちゃんとフォーレになっている! フォーレの音楽は実は難しい。元気よく歌いすぎると壊れてしまう。繊細にやさしくしっかりと演奏しなければならない。指揮がよいためだと思うが、それがしっかりとできている。最後の曲、フォーレの小ミサ曲もとてもよかった。もちろん、時々音程が怪しくなるし、自信なげなところもある。だが、アマチュアでこれだけできれば大したもの。見事な頑張りだと思う。

 音大でもなく、芸術学部でもない学部の学生たちがここまでの仕上がりを見せるのは、本人たちの努力もあっただろうが、指導のたまものといえるだろう。そして、指揮の見事さによるだろう。もちろん、技術的な未熟さが目立たない曲をうまく選んでいるが、なかなかこれほどできるものではない。

 そして、もう一人素晴らしかったのはソプラノの岡田愛だ。バッハの「マニフィカト」の第3曲とフォーレの「レクイエム」の「慈悲深いイエスよ」を透明で抜けのよい美声で歌ってくれた。宗教音楽にぴったりの清澄な声。久しぶりに日本人のこのような美しい声を聴いた! アンコールの木下牧子の歌曲も素晴らしかった。日本語の発音もきれい。石川のピアノ伴奏も味わいがあってよかった。

 石川星太郎。この指揮者の演奏をまた是非聴きたいものだ。

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鈴木優人+BCJのモーツァルトのレクイエム 素晴らしかった!

2018924日、東京オペラシティ コンサートホールで、バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会を聴いた。指揮は今回、首席指揮者に就任した鈴木優人、曲目は前半にモーツァルトの交響曲第25番と、ソプラノのモイツァ・エルトマンが加わっての演奏会用アリア「私があなたを忘れるだって?…おそれないで、恋人よ」KV505、後半に「レクイエム」と「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。

前半を聴いた時点では、実は少し不満を覚えた。いくら鈴木優人でもバロック音楽のようにはいかないな、と思ったのだった。私の不満を一言で言えば、「モーツァルトらしく歌わない」ということに尽きる。もちろん、ト短調の交響曲なので、悲劇的でドラマティックな表現が強くなるのはわかるが、それでも第2、3楽章は歌ってほしい。が、古楽器であるせいなのか、奏でられない。とりわけ第2楽章はぶつ切れのようになって、私は退屈に感じたのだった。

エルトマンについては、清楚で美しく、しかも強い声。ロマンティックになりすぎずに、抑制をもって、しかし的確に表現している。モーツァルトにぴったり。先日、リサイタルでその力量を知ったのだったが、改めて素晴らしい歌手だと思い知った。

後半の「レクイエム」は冒頭から陰影が深くて悲劇的、しかもこの上なく美しい。最初から最後まで、前半とは打って変わって、彫りの深い最高に美しい音楽が繰り広げられた。やはり、バッハ・コレギウム・ジャパンは合唱が素晴らしい。一つ一つの音が豊かでありながらも決して過剰ではない表情を持っている。オーケストラだけの交響曲では不満を感じたのだったが、合唱が加わった途端に最高の音楽になった。エルトマン(ソプラノ)のほか、マリアンネ・ベアーテ=キーラント(アルト)、櫻田亮(テノール)、クリスティアン・イムラー(バス)も全員が素晴らしい。

決して過激な表現ではない。少し前、NHKBSで放送されたクルレンツィス指揮、ムジカエテルナのような先鋭的で個性的な演奏を聴いたが、それとはまったく異なるずっと正統的な音楽。小細工はしないで真正面からモーツァルトの最期を表現しようとしているかのよう。「ラクリモザ」の部分など、何度も涙が出そうになった。

「レクイエム」が終わった後、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。これも素晴らしかった。

 鈴木優人が首席指揮者に就任して、ますますこの団体の演奏が楽しみになった。

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東京オペラプロデュース「ルイーズ」を楽しんだ

 2018922日、新国立劇場中劇場で東京オペラプロデュース公演、ギュスターヴ・シャルパンティエ作曲「ルイーズ」をみた。指揮は飯坂純、演出は馬場紀雄。

 実演はもちろん映像もこれまで見たことがなかったと思う。有名なアリアだけは何度か聴いたことがあった。初めてみて、とても興味深いオペラだと思ったが、同時に作品としての限界も感じた。

 両親にがんじがらめにされて愛する人との交際も禁じられたパリの娘ルイーズが束縛から自ら逃れる物語。それをパリの市井の人々の生活と絡めて描く。作曲者ギュスターヴ・シャルパンティエ(ドビュッシーやシュトラウスと同時代のフランス人)の意図はよくわかる。まさしく自然主義文学のオペラ版だ。だが、この台本だったら、ヤナーチェクのような、もっと鋭利な音楽にすべきではないか。台本のわりには、かなり平凡で、時に甘ったるい音楽が歌われる。市井の人の生活感も音楽によってはさほど伝わらない。もちろん、しばしばきれいな音楽が聞こえてくるが、描かれている世界とそぐわない。

 いや、台本自体、市井の人々と主役四人の描き方が中途半端だと思う。さほど刺激的でもなく、かといってさわやかなわけでもなく、現実をえぐりだすわけでもない。また、シュトラウスの「インテルメッツォ」のように徹頭徹尾、下世話な形而下的夫婦話を描こうとするわけでもない。もう少し徹底してくれないと、インパクトを感じない。

 歌手陣はとてもよかった。とりわけ、ルイーズの菊地美奈は声も伸び、音程もよく、素晴らしかった。ジュリアンの高田正人、父の米谷毅彦、母の河野めぐみもしっかりした声で見事に歌っていた。そのほかの歌手たちもとてもレベルが高かった。これまでこの団体のフランス・オペラを見ると、どうしてもフランス語の発音の不正確さが気になったが、今回はかなりこの面に気をつかったと見えて、私はまったく気にならなかった。

 指揮については知らない曲なので何とも言えない。ただ、オーケストラ(東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団)については、しばしば精妙さを欠いたが、おそらく練習時間をあまりとれなかったのだろう。

 演出の馬場はシャルパンティエの時代と現代の日本の状況と重ね合わせたかったのだろう。台本からすると、ルイーズの一家も、そしてお針子たちももっと貧しく描くべきだろうが、そうなると現代の日本とかけ離れてしまう。そのため、少し階層を上げて描いたのだと思う。だが、そのためにルイーズの父の絶望的な気持ちが伝わらないし、閉塞状況とそこからの解放の願望が弱まってしまった。熟慮の結果、このような形を選択したのだと思うが、私としては、もっと貧しく描くべきだったと思う。

 とはいいつつ、ともあれ前から一度見たいと思っていた「ルイーズ」を見ることができて、とてもうれしかった。これからもこのような珍しいオペラを上演してくれることを切に願う。

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カンブルラン+読響のブルックナー4番に興奮

 2018921日、サントリーホールで読売日本交響楽団のコンサートを聴いた。曲目は前半にモーツァルトの「後宮からの逃走」序曲とピアノのピョートル・アンデルシェフスキが加わって、ピアノ協奏曲第24番。後半にブルックナーの交響曲第4番(2004年版コーストヴェット校訂版)。素晴らしい演奏。

 まず、「後宮からの逃走」の最初の音にびっくり。なんとしなやかで柔らかくて美しい音! 読響はこれほど素晴らしいオーケストラになっていたのかと改めて驚いたのだった。序曲は本当に見事な演奏。疾走感があり、しなやか。

 ピアノ協奏曲もよかった。アンデルシェフスキの演奏を初めて聴いたと思うが、実に繊細。外面的な効果を狙わずに、内省的に音楽を進めていく。美しい音を連ね、しみじみと演奏。短調のこの曲の悲劇性を誇張するわけでもなく、まさしく音そのものを浮かびあげるような演奏。大変好感を持ったが、ただもう少しドラマがないと、深い感動をしないとも思ったのだった。

 後半のブルックナーは圧倒的だった。まずオーケストラの見事さに感服。とりわけホルンが素晴らしい。日本のオーケストラでホルンに感服することなどないのだが、今回はホルンの音の美しさに何度もほれぼれした。そのほかの管楽器も、そして弦楽器も素晴らしかった。

 カンブルランの指揮については、何と形容してよいのかわからない。これまで私が聴いてきたブルックナーとあまりに違う。これまでの指揮者たちは、ブルックナーの魅力的な様々な面をあえて無視して一つの面だけを強調して演奏してきたのだとつくづく思った。クナッパーツブッシュはもちろん、ヨッフムにしてもヴァントにしても、崇高でスケールの大きなブルックナーを表に出し、それ以外のブルックナーは陰に隠れていた。カラヤンだって、バレンボイムだって、ヤングだって、崇高さは強調しないにしても、何らかの一つのトーンを前面に押し出すことで力任せに統一を取っているきたように思える。ところが、カンブルランはこれまで多くの指揮者が顧みなかった様々な魅力をブルックナーの音楽から引き出してくれる。一つ一つの部分があまりに美しい。万華鏡を見るように、ブルックナーの音楽が持つ様々な表情を聴かせてくれる。だが、カンブルランがすごいと思うのは、様々な表情をブルックナーの音楽の中から引き出しながら、完璧に統一が取れており、最後には納得させてしまうことだ。

 第2楽章はゆっくりと繊細に管楽器の美しさを描き出し、ブルックナーのしなやかな面を聴かせてくれた。第3楽章はもっとダイナミックな世界を展開してくれた。そして、第4楽章で、これまでの楽章を踏まえながら、曲折を経て高みに上っていく。その構築感も見事。

 私はカンブルランの魔法にかけられたように、ブルックナーの世界を生きた。まさに魔法だと思った。何度か感動の涙を流した。カンブルランの演奏を聴くと毎回思うが、本当にすごい指揮者だ!

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ネパールについて気付いたこと

 ネパール旅行といっても、たかだか45日なので、深く知ることはできなかった。表面を見ただけだが、旅の途中で気づいたことを挙げてみる。

・インフラが整備されていないことが何よりも目についた。これまで私が訪れたことのある国の中で最も整備の遅れた国といえそうだ。大都市であるカトマンズ(正確には、カトマンドゥと発音するべきだろう)でもこの状態なのだから、ほかの地域はもっとひどいのだと思う。

・昨日も書いたが、何よりも道路の慢性的な渋滞に驚いた。途上国の多くで渋滞は見られるが、カトマンズは別格。時速20キロ以上のスピードを出せるのはほんの一部の道ではないか。カトマンズ市内では平均時速5キロ前後で車は走っているだろう。

・狭い盆地に多くの人々が押しかけ、急速に人口が増えたためにインフラが追い付かないのだろう。カトマンズ市の人口は140万人程度、周辺地域を加えて200万人程度だという。人の多さの印象からは1000万人都市の雰囲気がある。あちこちに見られる電線の束もインフラが追い付いていない証拠だろう。

・路地が迷路のようにつながっているのがカトマンズだ。そこにバイクや車が入り込んで、警笛を鳴らして、その横を人が歩いている。人々が狭い土地に入り込んで、次々と家を建てていった結果、こうなったのだろう。

・このように書くと、まるで殺気立った街のように思えるだろうが、そうでないのもまたカトマンズの特徴ともいえるだろう。これほどの渋滞なのに、人々は辛抱強く待っている。警笛を鳴らすが、それは「どけどけ!」という警笛というよりも「危ないよ」という警笛のようだ。狭い路地の交差点で車と車がすれ違えなくために何台もの行列ができていても、多くの運転手がおとなしく待っている。

・いろいろな人種を見る。ネパール人といっても様々な顔がある。色の黒さもまちまち、西洋的だったり東洋的だったり。ときに日本人と同じような顔の人もいる。ネパールには100を超す民族・言語があるという。まさに多民族国家。しかも、宗教もヒンドゥー教と仏教、イスラム教などがある。ヒンドゥー教はカーストがあるために、一体感をもちづらい。これでは国家の連帯意識が生まれないのも無理がないと思う。

・ネパール人はおっとりしている。歩くのも遅い。せかせか歩いているのは観光客。

・掃き掃除をしているネパール人をやたら見かける。店の前を小さな箒で履いている。あつらでもこちらでも。だから、ミャンマーやパキスタンのようにあちこちにごみがたまっているといったことがないのだろう。

・物価は安くない。平均月収は2万円程度だというが、日本で1000円程度で食べられそうな食事が600円くらいした。ネパール人の知人と一緒に食事した(昨日、このブログで写真を示した)時に1人分の料金が1500円程度だった。300ミリリットルの現地産のウィスキーが800円なのには驚いた(かなりまずかった!)。大まかに言って日本の三分の二くらいの値段だと思った。観光客相手の地域だということもあるのかもしれないが、それにしても高い。現地の人はどうやって生活しているのだろう!

・女子高校生が男子と同じ制服を着ていた。すなわちシャツにネクタイを締めてズボンをはいている。男装の麗人かと思ったら、そうではなかった。多くの高校がこのような制服らしい。スカートをはく女性はゼロに等しい。3日目に少し意識してスカートを探してみたが、二人を見かけただけだった。その二人はおそらく外国人観光客だと思う。スカート風の民族衣装はまれに見かけるが、いわゆるスカート姿はほぼみない。

・唾を吐く人が多い。女性であっても大きな音を立てて唾を吐く。埃と煤煙の道路を歩いていると、確かに唾を吐きたくなる。

・空港の搭乗手続きの始まりを待って窓口近くの椅子に座っていたら、隣の椅子に掃除係の若い空港職員が座ってスマホでゲームをし始めた。もう一人はその隣に座って電話で話をしていた。搭乗手続きが始まって窓口に行ったら、係員の1人はガムを噛みながら対応していた。まったく悪気がなく、しかもやる気がないわけではないのだと思うが、ふつうにこのような態度をとる。

・男としてはとても残念なことだが、あまり美人を見かけなかったような気がする。インドに行ったときには、美人があまりに多いのにワクワクしたが、ここではあまりそのような思いがしなかった。

・ヒンドゥーの寺院と仏教寺院が並列的に存在する。そもそも、私のような門外漢にはその違いすらよくわからない。仏教寺院にはチベット仏教に特徴的なマニ車があるので、それとわかるが、それを除けば私にはヒンドゥー寺院との区別がつかない。仏教徒ヒンドゥー教が互いに排斥し合っている様子はない。反目や衝突もそれほどないという。現地の人も、日本における神社とお寺くらいの区別しかしていないのではないかという気がする。

・世界遺産はとても美しかった。ただ、私が感じたのは建築物としての美しさだった。レンガ造りの装飾などがとても美しい。ただ、そこにあまり宗教的な厳かさやありがたみはあまり感じなかった。

・またネパールを訪れたい。おそらくカトマンズだけがネパールの中で特殊なのだろう。次回はもっと田舎の静かなところを訪れたい。

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ネパール旅行

 ネパール5日間の旅行に出かけていた。2018910日の午前中、ソウル経由でカトマンズに到着、今日(15日)、帰ってきた。エクスペディアを使って飛行機とホテルを予約し、ネパール人の知人を頼って観光をする予定だったが、知人の事情でそれが不可能になり、現地の旅行会社に空港への送迎と初日の夕食の案内、そして日本語ガイド付きの2日目の市内観光と4日目の郊外観光を依頼した。

 一言で言えば、思った以上に貧しくてインフラの整備されていない都市だった。ともあれ、 日を追って出来事を書く。

 

2018年9月10日カトマンズ

 世界一危険な空港というような話を聞いていたが、それを少しも実感せずにカトマンズのトリブバン国際空港に着陸。危険な空港とは別だったのだろう。

 空港はこじんまりとした少々古めかしい建物。すでにヴィザは取っておいたのですぐに外に出た。紙に名前を書いた出迎え者が並んでいる。途上国の例にもれず、怪しげなタクシー勧誘者もいる。しばらく待たなければならなかったが、ともあれ出迎えの人(日本語は解さない。英語を少々)が現れて、タメル地区にあるホテルまで車で連れて行ってもらった。夕方になっていた。外は雨模様だった。

 そこでまずカトマンズの洗礼を受けた。ものすごい渋滞! 地図を見たらホテルまで4キロ弱。ところが50分かかった! 歩くより遅い! 空港からしばらく片側一車線程度の狭い道を通った。両側に5メートル程度の間口に商品を並べた様々なお店が並んでいる。そこに買い物客でごった返し、その前の道路にぎっしり車が歩く程度の速さで動いている。そこにわき道から車が割込み、バイクが割り込む。信号はほとんどない。交差点では警官が交通整理をしているが。大混乱。雨が降っているので、合羽を着てバイクを運転している人が多い。暗くなったところを次々とバイクが車を追い抜いていく。警笛音があちこちでなっている。

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まだ雨季のようで地面は泥だらけになっている。一応は舗装されているようだが、その上に泥がいっぱいにたまっている。煤煙がひどくて、黒いマスクをしている歩行者も多い。白いマスクだとすぐに汚れてしまいそう。バスも通っているが、信じられないようなおんぼろバス。若い男がバスから体を乗り出して何やら叫んでいる。変な奴がいるものだと思っていたら、ほかのバスでも同じようなことが起こっている。どうやら男は車掌のようで、バスの運行を邪魔するドライバーや歩行者の注意を呼び掛けているようだ。制服を着ているわけではないので、すぐにはわからなかった。

しばらくしてやっと渋滞を抜けたと思ったら、また渋滞。片側二車線の道路や一方通行の道も通ったが、いずれも大混乱。あちこちから割込みがあって収拾がつかない。途上国のどこでも渋滞が発生しているが、このようなまったく秩序のない混乱は初めて。かつてマニラから空港に向かう途中、数キロの区間でこのようなところがあったが、こちらは町を通る間中ずっとこのような調子のようだ。

やっと渋滞を抜け、車が一台が何とか通れるような狭い路地を何度もくねくね曲がってやっとホテルに到着。周囲にはたくさんの小さなホテルがある。外国人向けのレストランも多い。ホテル・マルベリーというのが私が予約しておいたホテルだ。かなり新しいなかなかいいホテル。部屋の設備もいい。それが救いだ。

ロビーでガイドさんが待ってくれていた。ホテル近くのお店で夕食。ただ、私は機内食を次々出されて満腹状態。ほとんど食べられなかった。民族楽器に合わせての踊りが披露されて、大勢の観光客が食事をしていた。西洋人のグループ(英語をしゃべっていた)と中国人のグループがいた。出し物はもちろんかなり素人っぽい踊りと音楽。レストランでの音楽としてはもちろんこれでとても楽しい。食事は悪くなかった。インド料理からインパクトをなくしたような味。

その後、ウィスキーと水をホテル近くで買った。が、なんという迷路! 狭い道が入り組んでおり、しかも地面はあちこちでぬかるみになっている。

今の時期には雨期が終わると聞いていたのだが、まだ雨が続いているようだ。10月になったら心地よくなるというが、私の都合と合わないので、この時期にしたが、ちょっと早まったか!

ともあれ、そのまま寝た。日本との時差は3時間45分とのこと。計算しづらい!

 

・9月11日

 朝の4時半頃だった。突然、ドカンという大きな音がしたので目を覚ました。爆発音だろうか。一度や二度ではない。何度も大きな音がする。もしかすると砲弾の音? テロでも起こったか? 気になって、ホテルの外を見てみたら、500メートルくらい先で黒煙が上がっていた。とりあえず、近くまで見に行ってみようかと思ったが、カトマンズに着いたばかりでまったく勝手がわからず、ほんの少しの距離でも迷子になってしまう恐れがある。それに何やら危険なものが爆発しなかったとも限らない。その一件で眠れなくなった(後でガイドさんに聞いてもらったら、近くの工場で火事があり、ガスが爆発したとのことだった。6名が死亡したとのこと。亡くなった人には申し訳ないが、私としてはテロでなくてほっとした!)。

 9時にガイドさん(おそらく30代の女性。仏教徒だとのこと。日本語はあまりじょうずではない)に来てもらってカトマンズ付近の世界遺産巡り。運転手さんが別にいて、移動は乗用車。ルノー。

 狭い道をくねくね曲がって車が走る。とりわけ、ホテルのあるタメル地区はまさしく迷路。二台の車がやっとすれ違えるような狭い道が縦横に巡らされており、しかも、ときどき行きどまりにぶつかる。よくぞこんなところを車で入れるもんだというような道が多い。しかも、盆地のせいだと思うが、雨が降ると下は泥だらけになり、晴れると埃になる。土埃で大気がどんよりしている。バイクが多くて煤煙もひどい。どこも渋滞している。道に穴が多く、しかも曲がりくねるため、後ろの座席に乗る私は少々乗り物酔い気味になった。

 雨が降ったりやんだり。温度は25度前後だろう。晴れてくると暑くなる。

  道を歩いている時に感じる衝撃の一つはカトマンズの電線だった。まるでもつれた髪のように電線が数十本と束ねられて電柱から垂れ下がっている。不法なのか合法なのか知らないが、次から次へと新たに電線をひいてこのようになっているのだろう。電線ひとつ見ても、いかにインフラが整っていないかがわかろうというものだ。ときどき、中の金属がはみ出しているものもある。道路のぬかるみに電線が浸かっているところもある。危険この上ないと思うのだが、こんな場所がカトマンズじゅうにいくらでもある。それどころか、カトマンズではあたりまえの光景だ。私が電線に驚いているのを見て、ガイドさんは不思議に思っている様子だった。

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 最初にボダナートを訪れた。ネパール最大のストゥーパで知られる仏教の聖地だ。昔からこの地に寺院があったというが、現在の建物は15世紀のものらしい。ネパール人の25パーセントほどが仏教徒だという。白い巨大なストゥーパで、そこには黄色い模様が描かれている。そのストゥーパを中心に門前町のようなものを形成し、周囲にたくさんの祠があり、それをホテルやレストランや土産物屋が囲んでいる。チベット仏教の聖地で、チベット系の顔をした人たちが巡礼に訪れていた。そのほか中国人、ヨーロッパ人の観光客も大勢いる。

 これまでタイやスリランカやミャンマーでストゥーパはたくさん見てきたが、ここのストゥーパが特徴的なのは、ドームの上の尖塔を支える部分にまるで世界を見回すような大きく目が四方の壁のそれぞれに描かれていることだ。目の下の鼻に当たる部分には「?」を思わせるような形が描かれている。日本人には漫画のように見えるが、これが慈悲などを示すありがたいもののようだ。

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 ただ、実はあちこちに現世利益的なものを感じる。なんだか、あまりありがたみを感じない。スリランカのほうがずっと日本人には荘厳な感じがした。

 次にネパール最大のヒンドゥー教の寺院パシュパティナートに行った。ここも世界遺産。ただし、ヒンドゥー教徒以外は寺院に入れないということで周囲を散策。対岸の裏山から寺院とその前にある川を眺めた。あちこちに野生のサルがいる。目にしただけで数十匹がいる。日本のサルよりは小さいようだ。悪さをしているのは見かけなかったが、もちろん、そんなことがあるらしい。

ガンジス川の支流ということで聖なる川とされ、その岸辺には火葬場がある。実際に葬儀が執り行われ、遺体が川に向かって張り出した石の上に置かれた棺で焼かれている。炎が見え煙が立っている。それを親族や友人らしい人が背後で見守っている。それどころか、川の反対側では、散策に来た人たちが、野生の猿に周囲をウロウロされながら、タバコを吸ったり、おしゃべりしたりしてベンチに座って見物している。不思議な光景だ。

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次にパタンに行った。パタンはマッラ王朝の王宮のあった場所で、その中心にあるダルバール広場は王宮と寺院が実に美しい。ただ、2015年の大地震でかなり壊れたとのことで、現在あちこちで修復中。

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たくさんの彫刻があり、建物にも装飾が施され、文化的な高さを感じる。博物館を見学。仏像などを見る。

しかし、妙になまめかしい釈迦像や仏教にそんな神が伝えられていたっけ?と思われるような女神像、そして、女性と交接する仏像もあった! 見れば見るほどヒンドゥー教徒仏教の境がわからなくなる。ユダヤ教とキリスト教のように連続しているのだろう。チベット仏教では、この種の教えがあり、仏像もあるというが、いずれにせよ、もう少し仏教を勉強してみなければ!

そのあと、カトマンズの街を見下ろす丘の上にあるスワナンブナートを訪れた。かつてカトマンズ盆地は巨大な湖だったという。そのころからこの寺院はあったとされる。ただし、建物はそれほど古くはない。ボダナートに似た感じのストゥーパ(ここにも目が四方に描かれている)があり、その周囲にいくつものお堂がある。たくさんの人が詣でており、お祭りが近づいているらしくて行列を作ってお囃子の練習をしている。日本の祭りとよく似た笛と太鼓とシンバルによるメロディ。そのほかトランペットとクラリネットを中心にした行列にも出会った。

ただ、ここもあまりに現世利益。金色の仏像がいくつもあるが、そのいくつかは手に紙幣を握らされている。一つの仏像は丸めた紙幣をつなぎ合わせたネックレスを垂らしていた!

最後の観光は、カトマンズ市街地のダルバール広場。パタンにもダルバール広場があったが、要するに「ダルバール」というのは王宮ということらしい。12世紀ころの建築から17世紀の建築までいくつもの寺院がある。だが、地震で多くが崩壊し、現在、あちこちで修復が行われている。日本のジャイカもかかわっているようだが、中国の存在感が大きい。中国人観光客も多いが、ダルバール広場のあちこちに「中国 援助CHINA AID」の文字が見られる。多くの観光客、現地の人に交じって見物した。クマリの館ではクマリ(生き神様)が顔を出すのを見た。クマリというのは女神クワリの化身として選ばれた少女であり、ある特定の日に生まれた少女のうち最も美しい子どもが選ばれ、初潮を迎えるまで生き神として人々の信仰の対象になるという。生理が始まると普通の人間に戻るというが、その子の人生を考えると難儀なことだと思う。

そのままホテルに戻った。昼にサンドイッチを食べたが、食欲がない。パンを少し食べただけで早く寝た。

 

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 この日は、一日中ガイドさんには来てもらわずに一人で自由に歩き回った。この頃、初めての、しかも勝手のわからない都市を訪れる時にはこのようなスタイルの旅をすることにしている。つまり、初日にはガイドさんに来てもらって大まかな名所を巡り、その後、自分で自由に歩く。時間があって言語がもっと達者ならずっと自由な旅をしたいが、残念ながらそうはいかない。

 9時過ぎにホテルを出て、近くにある「夢の庭園」を目指した。路地を曲がりくねって車でにぎわう道に出た。道端に座り込んでビニールシートを敷いて、エプロンにのるくらいのほんの少しの雑貨や果物、お菓子類を売っている人がいる。その横を歩き、車の隙間を割って入って道路を渡る。もちろん横断歩道はない。信号もないので、道路に車が途切れることもあまりない。ただ、幸い、道はいつも渋滞気味なので、車にスピードが出ていないため、人が道を渡ろうとすると、車のほうでよけてくれる。

「夢の庭園」の入場料は200ルピー(200円程度)。結構高い。静かな庭園だと聞いていたが、残念ながらまったく静かではなかった。確かに壁に囲まれ多庭園の中は芝生や石畳があり、あずまやがあり、ベンチが据えられていて落ち着いた雰囲気なのだが、車やバイクの騒音は響いている。ベンチに座って少しだけくつろいだが、30分もしないうちにダルバール広場まで歩くことにした。広い道を歩くと、ずっと煤煙と土埃にまみれることになる。歩行者にはなかなか過酷だ。

 信号はほとんどない。大きな交差点では警官が交通整理をしている。信号はあっても電気が通っていないようで、そこでも警官が手信号を行っている。警官の技術がよくないのか、それとも道路に比べて車が多すぎるのか、そんなところも大混乱している。

 途中、砂埃と煤煙と騒音に耐えられなくなって、またラトナ公園で一休み。池があり、きれいな橋があり、緑豊かな場所だ。こちらは入場料500ルピー取られたのでびっくり。外国人料金なのだろう。

 ここでも30分くらいゆっくりしたが、ここも静かなわけではない。車の音が鳴り響いている。気を取り直してまた歩いた。昼前にダルバール広場に到着。今日は「ティージ」と呼ばれるヒンドゥー教の女性の祭りだという。奥まった広場には着飾った女性が大勢集まっていた。ほとんどの女性が朱色のサリーを着ている。老いも若きも、女性たちが集い、スピーカーから大音量の歌が流され、それに合わせて踊ったり、買い物をしたり、長い行列を作って神聖な場でお祈りをしたり。お腹を出している女性も多いが、そのほとんどが中年以上の女性。若い女性の腹を見たいというわけではないが、なぜ中年の女性ばかりがお腹を出しているのか、実に不思議。

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 しばらく見物していたが、そこからまたホテルまで歩くことにした。どうもホテルの自分の部屋以外には、この都市には静かな場所がなさそう。静かなところで一休みしたくなった。

 いったんホテルで休憩。しばらく休憩して、再び散策。ナラヤンヒティ王宮博物館まで歩いたが、今日は休館だった。そのままホテルのあるタメル地区をぶらぶらした。昼食にはモモスープを頼んだ。モモというのはネパール式餃子だ。水餃子のようなものを思い浮かべていたら、出されたのはカレースープに入った餃子だった! 味は悪くないのだが、胃の調子があまりよくない私としてはカレーは避けたかった。

 タメル地区はまさしく迷路。細い路地が入り組んでいる。同じような店(お土産物、食料品、レストラン、カシミア、アパレル、履物、鞄)が並んでいるので、歩いていると迷子になる。その狭い道に車やバイクが入り込み、あちこちで苦労しながら離合している。スマホの地図に案内してもらって、やっとホテルに帰り着く。ヴェネツィアでも道に迷いっぱなしだったが、カトマンズはそれ以上。

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 マッサージを受けたいと思って店を探した。が、どうにも入る勇気が出ない。何となく店構えを見て怪しい感じがする。つまり、コリや疲れをいやすためというよりも、別のサービスをする店のような雰囲気がある。ネットで調べてみると、案の定、そのようなことが書かれている。安全なところを探してみたが、確信が持てないので、やめた。

 夕方、また散歩に出た。暗くなってからのタメル地区を見たかった。ちょっと怪しい雰囲気の区画がある。歩いていると、若い男に声をかけられた。「マッサージ?」といわれたような気がした。おそらく、その種のお誘いだろう。さすがに振り切ってホテルに戻った。

 どこもかしこも大混乱だが、不思議と殺伐としていない。車やバイクがごった返しており、あちこちで警笛が鳴っているが、荒っぽい運転ではない。歩き方も、みんなおっとりしている。人が多いので混乱しているだけであって、一人一人はいたって穏やかで物静か。ただ、きちんと規則を守る人たちではなさそう。悪気はないのだが、ちょっといい加減。そのために、あちこちで混乱が起こっている。

 ミャンマーやパキスタンのようにごみの散乱はない。店の前を掃除している人を多く見かける。もちろん、ところどころにごみは見えるが、ほかのアジア地域とは雲泥の差だ。ただ、インフラが追い付いていないので、あちこちが薄汚く、埃だらけになっている。

 野良犬が多い。ブータンやスリランカでも野良犬の多さに驚いたが、それと大差ないかもしれない。観光地でも商店街でも野良犬を見かける。

 

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 朝の4時にガイドさんがやってきて、ホテルを出発することになっていたので、早めに寝た。

 ところが、真夜中、突然、ドアが開いた。私が目を覚ますと、女性の声。日本語ではない言葉で何かを叫んでいたが、慌てて何かを言って出ていった。「エクスキューズ・ミー」という言葉だけ聞き取れた。どうやら、ほかの客が私の部屋に間違えて入ってきたらしい。

そのまま寝たが、翌朝、気になってフロントに状況を話して、どういうことなのかを聞いてみた。だが、要領を得ない。ガイドさんが来たので、改めて聞いてもらったが、「603号室の客が間違って入ったようだ」との返事。私の部屋は503号室。だが、ほかの部屋のキーで私の部屋に入れるはずがないと思うのだが、いったいどういうことだろう? きっとホテル側が誤って別の人にも私と同じ部屋を当てたのだと思う。どうもこの国の人はすべてが緻密ではないようだ。

 ともあれ、4時にガイドさんがやってきて、無事出発。ヤンゴンから車で1時間ほどのナガルコットに出かけた。標高2100メートルあり、天気が良ければエヴェレストを見ることができる。エヴェレストは無理でもヒマラヤの美しい山々を背景に日の出を見ることのできる日は多いとのこと。大いに期待して出かけた。

 道中が大変だった。車に乗っているだけなのだが、ものすごいガタガタ道。舗装されていないところも多い。簡易舗装されただけで補修されていないため、穴だらけになっているところがほとんど。しかも曲がりくねっている。いわゆるヘアピンカーブの連続。右や左が崖になっているところもある。それがでこぼこ道なのだからかなわない。車が揺れて、頭が天井にぶつかり、体がドアにぶつかる。吐き気もしてきた。

 夜明けよりもかなり前に到着。車の中で待って鉄パイプで編んだ矢倉に上った。雲の向こうに山々が見え、空が明るくなっていた。あと五分くらいで日の出が見られると思った瞬間、急に霧が立ち込めてきた。あっという間に太陽も遠くの山も見えなくなった。残念!

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 クラブヒマラヤというホテルで朝食をとった。テラスから日の出が見られるようになっていた。雲の向こうに太陽が見えた。鳥のさえずりが聞こえて、まさに静寂。ちょっと不便だけど、次に来る時にはここに泊まってゆっくりしたいと思った。

 その後、車でネパール最古のヒンドゥー寺院チャング・ナラヤンに向かった。ナガルコットから遠くないらしいが、道路の関係で遠回りするので、またまた揺れの激しいカーブだらけの道を走った。チャング・ナラヤンには観光客はほとんどいなかった。丘の上にある古びた寺院はとても趣がある。ただ、地震のためにかなり破壊されたようで、ここでもあちこちが修復中だった。

 その後、バクタプルに向かった。昔の面影がそのまま残るような古い町だった。ベルトルッチ監督の「リトル・ブッダ」の撮影地として知られているらしい(ブータンのパロにも撮影地があった!)。多くの建物がレンガで作られており、時代を経て黒ずんだレンガに風格がある。ヒンドゥー寺院がいくつもあり、王宮がある。ここもあちこちで修復中だ。昔の建築物だけでなく、ふつうの民家もほとんどすべてがレンガ造り。どうやらこの辺りはレンガの産地らしい。趣のあるレンガではあるが、それだけに地震の被害が大きかったということだろう。寺院も修復中のところが多く、一般の家屋も破壊跡や修理中のところが多かった。地面もレンガ造りのため、少々歩きにくい。そのため、腰が痛みだした。

 もう少し寺院を見たかったが、少し休みたくなってホテルに直行した。部屋に戻ったのは15時前だった。疲れ切って、その後は夕食に近くのレストランに出かけた以外はずっと部屋でごろごろしていた。

 

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 最終日。チェックアウトは13時とのことなので、ゆっくりできる。午前中は近くを歩き回った。このような旅が私は大好きだ。別に何を見るわけでもない。ほっつき歩くだけ。

 タメル地区以外のところにも足を延ばした。広い通りを歩くと、車の騒音と煤煙、そして土埃のために息苦しくなる。車はどこでも渋滞している。カトマンズの車は時速40キロ以上で走ることはほとんどないのではないか。歩くのと同じくらいの速度で車が走る。路地に入り込むと、どこもかしこも迷路のようになっている。迷路なのはタメル地区だけではない。

観光客とみられると、土産物屋やタクシー運転手に声を掛けられるが、しつこくない。人懐こそうに寄ってきて、断るとすぐに諦める。

 乞食が多い。あちこちに座っている。小さな子どもを連れた女性や老人もいる。しつこく寄ってくる乞食もいる。

 午前中にホテルに戻ってシャワーを浴びて、昼過ぎに知人のネパール人と食事。ネパールの状況についてあれこれと尋ねた。ネパール料理の店に連れて行ってもらった。ご飯ではなく、大麦を練ったという団子のようなものにカレーを混ぜて食べた。とてもおいしかった。

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 午後、旅行会社のガイドさん(初日に来てくれた日本語を解さない男性)がやってきて、車で空港まで行った。カトマンズに到着してホテルに向かった時とは別の道のようなので別の空港に連れていかれるのではないかと心配になったが、着いてみると同じ空港だった。またノロノロ運転を繰り返して1時間近くかけての到着だった。

 空港でチケットを眺めているうちに、カトマンズからの飛行機がソウルのインチョン行き、羽田行きの飛行機の出発地がキンポになっていることに気付いた。つまり、ソウル到着後、仁川から金浦まで移動しなければならない! チケットをネットで購入した時、不覚にも気にかけかった。搭乗手続きをした時、「空港がチェンジするけれども、わかっているか」と聞かれて、私は出発は成田なのに到着は羽田だということを指していると考えて「アイ・シー」と答えたのだったが、どうも係官はソウルのことを言っていたようだ。そりゃそうだ。私が成田で飛行機で乗ったことなんて知っているわけがない。

 あわててネットで仁川から金浦への行き方を調べた。時間的に余裕はありそうだったが、移動するには現金がないと不安だ。到着は朝の5時半ころなので、両替できるかどうか大いに不安だった。不安に思いながら、機内で夜を過ごした。

 時間通りに仁川に到着。幸い、両替所が一箇所開いていた。難なくリムジンバスに乗って40分ほどで無事金浦空港に到着。当たり前のことだが、ネパールと違って高速道路が整備され、高性能の乗り心地のよいバスはすいすいと動く。時間的な余裕をもって羽田行きの飛行機に乗って、無事に午後に自宅に帰れたのだった。

 そのほか、ネパールについて気づいたことは明日以降に書く。

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さらば、長年使用した机よ

 この数日間、猛烈に忙しかった。来週に予定している海外旅行の準備(ビザを取ろうとして、先日、本籍地を変更したためにパスポートも取り直さなければならないことに気付き、あわて手続きをした)をしたり、大阪に仕事に行ったり(強烈な台風の翌日だったため、私の仕事にも少々支障があった)、あるいは予定通りにオペラやコンサートに出かけていたり、そのうえ、予定していなかった仕事が入ってゆっくりしていられなくなったりという事情もあるのだが、忙しさの最大の原因は机の買い替えだった!

 10日ほど前のこと、40年以上使ってきたスチール製の机の中央にある大きな引き出しの開け閉めがスムーズでなくなった。ガタピシやったが、うまくいかない。全部を引き出して、中を見てみたら、左側のスライドレールが折れ曲がり、しかも半分ほどスチールのレールが割れていた。折れているのを元に戻して何とかもう一度、引き出しを差し込んだが、歪んでいるし、ぐらついている。あと少しの寿命なのは目に見えている。

 大学院生だったころ、「ドクターコースに行かないので、もう机は必要ない」と宣言した後輩に無料でもらった机だった。屈強な男だったその後輩が私の住む部屋まで車で運んでくれたのを覚えている。頑丈で重くて大きな机だ。それまでも、たしか私は友人にもらった机を使っていた。考えてみると、これまで一度も自分で机を買ったことがない!

それから40年以上、私はこの机に向かって仕事をしてきた。本を読むときには私は基本的に寝転がるので、机は使わないが、文章を書くときには必ずこの机を使う。30代のころまでは手書きだった。その後、3、4台のワープロ専用機を使った。そのあとはパソコンをおそらく7、8台、この机で使った。私の最初の小論文の参考書である「ぶっつけ小論文」も、かなりのベストセラーになった「読むだけ小論文」シリーズも、そして、250万部のベストセラーになった一般書「頭がいい人、悪い人の話し方」も、そして何冊かの翻訳も、小論文の課題も模範解答もこの机を使って書いた。メールもこのブログももちろんこの机を使っている。

 買い替えなければいつ引き出しが脱落するかわからないと気づいた翌日、さっそく近くの家具店に行った。木製の、これまでのスチール製のものよりは少し上品で少し高級なものを購入した。その搬入予定日が今日の午前中だった。

 この数日間、仕事やコンサートから帰っては、足の踏み場もないように散らかっている私の部屋を少しずつ片づけていた。まず、業者の方が入れる場所を作った。次に、その人たちが作業をできるように部屋の空間を広げた。そして、昨日からは本丸である机の中の整理にかかった。机の奥の方から、10数年ぶりに目にする書類が出てきた。なぜ大事そうにしまっていたのか今となってはわからない不思議な手紙やノートも出てきた。この際だから、かなり大量に書類を捨てた。机にはべったりと40年の汚れがこびりついていた。

 そして、なんとか整理を終わった時、机が届いた。まず、これまで使っていたスチール製の机を運び出してもらった。机は大きすぎてそのままでは部屋から出せないので、私の部屋で無残に分解された。薄汚れた引き出し、台座、枠になって運ばれていった。ちょっとだけ感慨にふけった。

 新しい机はきれいで軽くて引き出しの滑りがよくて使いやすい。ともあれ、仕事を再開できるまでには片付いた。

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オラモ+ロイヤル・ストックホルム・フィルの第九 全体的にとても良かった

 201894日、サントリーホールでロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニーのコンサートを聴いた。スウェーデン皇太子夫妻と高円宮妃殿下が列席なさっての特別演奏会。曲目は前半に「ノーベル賞組曲」(ノーベル賞の授賞式に演奏されるビョルリン、モーツァルト、ドヴォルザーク、シベリウス、ラーション、アルヴェーンらの作曲した曲)、後半にベートーヴェンの交響曲第9番。指揮はサカリ・オラモ。この指揮者もこのオーケストラも実演を聴くのは初めて。

 全体的にはとてもよい演奏だと思った。オーケストラの精度もなかなか。全体的にバランスがよいし、弦の音も美しい。よくコントロールされている。指揮もメリハリがあり、高揚するところは実に見事。第九の第1楽章と第4楽章は素晴らしかった。何度か魂が震えた。オーケストラを畳みかけて盛り上げていく。ただ、第2楽章と第3楽章には少し不満を抱いた。緻密さを欠く部分が散見される気がした。少なくとも、今日の演奏を聴く限り、この指揮者はドラマティックで盛り上がる表現を得意にしているが、繊細な表現には少し難がありそう。とはいえ、終わった時には私は大いに感動したのだった。

 独唱は素晴らしかった。ソプラノのカミラ・ティリング(ザルツブルクでこの人の「四つの最後の歌」を聴いて感動した覚えがある!)、メゾ・ソプラノのカティヤ・ドラゴイェヴィッチ、テノールのミカエル・ヴェイニウスもよかったが、とりわけバスのヘイング・フォン・シュルマンにびっくり。若い歌手だが、深くて美しい声で声量も豊か。合唱は新国立劇場合唱団。これも実に見事。声楽面では最高レベルの演奏だった。

 関西は台風の直撃を受けているようだ。関東は被害は出ていないと思うが、風が強い。空席が目立ったのは台風の影響もあるのかもしれない。列車があちこちで遅延していたり、運休していたりで、いつもとは違うコースで自宅に帰った。

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クオーレ・ド・オペラ公演「道化師」を楽しんだ

201892日、イタリア文化会館でクオーレ・ド・オペラ公演、レオンカヴァッロの「道化師」をみた。この団体が若手中心にレベルの高いオペラ上演をしていることは耳にしていた。「道化師」は私の好きなオペラなので足を運んでみたのだった。期待以上にレベルの高い上演だった。

歌手たちは大健闘。カニオの安保克則はとてもしっかりした声。トニオの小林昭裕も癖のある役を太い声で歌っている。ネッダの今状華乃子もきれいな声。ただ、三人とも演技も歌い回しもあまりに優等生的で育ちがよさそうなのが気になった。演出意図によるのかもしれないが、カニオはもっと荒くれであり、トニオはもっと屈折しており、ネッダは蓮っ葉なのだと思う。そうでないとストーリーや音楽がいきてこない。私は最前列だったので歌手たちの顔の表情までよく見えたが、目の演技も含めて、もう少し演じることを考えてほしいと思った。シルヴィオの上田隆晴、ペッペの江頭隼は歌唱的には少し弱さを感じたが、演技面では主役三人よりも真に迫っていたかもしれない。

特筆するべきは、村人たちを歌った合唱の面々だ。歌も演技も見事だと思った。そして、澤村杏太朗の指揮、山口佳代(ピアノ)、清岡優子(ヴァイオリン)、平田昌平(チェロ)の演奏もとてもよかった。小編成ながらドラマティックで明快な音楽を創り出していた。私はとりわけ清岡のヴァイオリンのクリアな音に惹かれた。

飯塚励生の演出は簡素な舞台装置ながら十分にドラマティックな世界を創り出していた。無駄なくドラマをわからせ、ほとんど何もない舞台上にイタリアの村を感じさせる手腕は見事だと思った。ただ、特に強い自己主張は感じられなかった。

ともあれ、全体として90分ほどの舞台の間、息を飲み、時折感動しながらオペラを楽しむことができた。このような団体がこれほど高いレベルのオペラ上演をしているのはとてもうれしいことだ。

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オレグ・クリサ 枯れた味わいのヴァイオリン

201891日。四谷区民ホールでオレグ・クリサ ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。

 オレグ・クリサの名前は知らなかった。たまたまネットで告知を見つけた。オイストラフの高弟だという。ウクライナ出身だという。現代作曲家の多くが曲を献呈しているという。世界の巨匠として知られているという。かつてオイストラフの録音に熱狂し、このところ旧ソ連に大いに関心を惹かれている私としては聴かないわけにはいかない。

 ヴァイオリンが始まる前に、客席にいた人たち4、50人のア・カペラによる合唱でウクライナの古い歌が歌われた。アマチュアの方たちらしいが、素晴らしかった。

 ヴァイオリンの曲目は前半にブラームスのF.A.E.ソナタの第3楽章とブラームスおヴァイオリン・ソナタ第3番。後半にシューマンのソナタ第1番と、スタンコーヴィチという現代作曲家がクリサのために書いた「Almost Serenade」の世界初演、そしてヴィエニャフスキの小曲。

 オイストラフのようなダイナミックでロマンティックで厚い音のヴァイオリンを期待していたのだが、まったく正反対。悪く言えば、メリハリがなく、一本調子で元気のない音楽。見かけもかなりの高齢者(76歳だとのこと)だが、音楽は見た目以上に若さがない。音も美しくない。しばしば音が濁り、音程もよくない。初めは「なんてひどい演奏だ!」と思った。かつてのテクニックを失ってしまったのだろうと思った。

 が、聴き進めるうち、枯淡の境地に心地よさを感じてきた。これはこれで一つの芸だと思った。肩の力を抜いた脱力系の音楽。あまり美しくない音でメリハリなく弾くのだが、ちゃんと音楽になっている。しみじみとブラームスの、そしてシューマンの音楽が形作られていく。もしかしたら、ふだん私たちが聴いている音楽こそが、厚化粧の、大げさに表現した音楽なのではないか。クリサの音楽のほうが、ブラームスやシューマンの作りだそうとした世界に近いのではないかとさえ思った。

 ただ、そうは思いながらも、ずっとこれだと少々退屈するとは思ったのだった。

 ピアノはバリー・スナイダー。とてもきれいな音でうまくヴァイオリンに合わせている。スタンコーヴィチの曲ではもうひとり、クリサのお弟子さんだという澤田智恵が加わった。とてもきれいな音だった。

 リサイタルが終わった後、また最初と同じメンバーによる合唱で、またウクライナの曲。これもしみじみと味わいのある歌。

 クリサはほとんど毎年のように来日してヴァイオリンを披露しているという。固定客が多いようで、親密な空間ができている。これはこれでとてもいいコンサートだと思った。

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