ネパール旅行
ネパール5日間の旅行に出かけていた。2018年9月10日の午前中、ソウル経由でカトマンズに到着、今日(15日)、帰ってきた。エクスペディアを使って飛行機とホテルを予約し、ネパール人の知人を頼って観光をする予定だったが、知人の事情でそれが不可能になり、現地の旅行会社に空港への送迎と初日の夕食の案内、そして日本語ガイド付きの2日目の市内観光と4日目の郊外観光を依頼した。
一言で言えば、思った以上に貧しくてインフラの整備されていない都市だった。ともあれ、 日を追って出来事を書く。
2018年9月10日カトマンズ
世界一危険な空港というような話を聞いていたが、それを少しも実感せずにカトマンズのトリブバン国際空港に着陸。危険な空港とは別だったのだろう。
空港はこじんまりとした少々古めかしい建物。すでにヴィザは取っておいたのですぐに外に出た。紙に名前を書いた出迎え者が並んでいる。途上国の例にもれず、怪しげなタクシー勧誘者もいる。しばらく待たなければならなかったが、ともあれ出迎えの人(日本語は解さない。英語を少々)が現れて、タメル地区にあるホテルまで車で連れて行ってもらった。夕方になっていた。外は雨模様だった。
そこでまずカトマンズの洗礼を受けた。ものすごい渋滞! 地図を見たらホテルまで4キロ弱。ところが50分かかった! 歩くより遅い! 空港からしばらく片側一車線程度の狭い道を通った。両側に5メートル程度の間口に商品を並べた様々なお店が並んでいる。そこに買い物客でごった返し、その前の道路にぎっしり車が歩く程度の速さで動いている。そこにわき道から車が割込み、バイクが割り込む。信号はほとんどない。交差点では警官が交通整理をしているが。大混乱。雨が降っているので、合羽を着てバイクを運転している人が多い。暗くなったところを次々とバイクが車を追い抜いていく。警笛音があちこちでなっている。
まだ雨季のようで地面は泥だらけになっている。一応は舗装されているようだが、その上に泥がいっぱいにたまっている。煤煙がひどくて、黒いマスクをしている歩行者も多い。白いマスクだとすぐに汚れてしまいそう。バスも通っているが、信じられないようなおんぼろバス。若い男がバスから体を乗り出して何やら叫んでいる。変な奴がいるものだと思っていたら、ほかのバスでも同じようなことが起こっている。どうやら男は車掌のようで、バスの運行を邪魔するドライバーや歩行者の注意を呼び掛けているようだ。制服を着ているわけではないので、すぐにはわからなかった。
しばらくしてやっと渋滞を抜けたと思ったら、また渋滞。片側二車線の道路や一方通行の道も通ったが、いずれも大混乱。あちこちから割込みがあって収拾がつかない。途上国のどこでも渋滞が発生しているが、このようなまったく秩序のない混乱は初めて。かつてマニラから空港に向かう途中、数キロの区間でこのようなところがあったが、こちらは町を通る間中ずっとこのような調子のようだ。
やっと渋滞を抜け、車が一台が何とか通れるような狭い路地を何度もくねくね曲がってやっとホテルに到着。周囲にはたくさんの小さなホテルがある。外国人向けのレストランも多い。ホテル・マルベリーというのが私が予約しておいたホテルだ。かなり新しいなかなかいいホテル。部屋の設備もいい。それが救いだ。
ロビーでガイドさんが待ってくれていた。ホテル近くのお店で夕食。ただ、私は機内食を次々出されて満腹状態。ほとんど食べられなかった。民族楽器に合わせての踊りが披露されて、大勢の観光客が食事をしていた。西洋人のグループ(英語をしゃべっていた)と中国人のグループがいた。出し物はもちろんかなり素人っぽい踊りと音楽。レストランでの音楽としてはもちろんこれでとても楽しい。食事は悪くなかった。インド料理からインパクトをなくしたような味。
その後、ウィスキーと水をホテル近くで買った。が、なんという迷路! 狭い道が入り組んでおり、しかも地面はあちこちでぬかるみになっている。
今の時期には雨期が終わると聞いていたのだが、まだ雨が続いているようだ。10月になったら心地よくなるというが、私の都合と合わないので、この時期にしたが、ちょっと早まったか!
ともあれ、そのまま寝た。日本との時差は3時間45分とのこと。計算しづらい!
・9月11日
朝の4時半頃だった。突然、ドカンという大きな音がしたので目を覚ました。爆発音だろうか。一度や二度ではない。何度も大きな音がする。もしかすると砲弾の音? テロでも起こったか? 気になって、ホテルの外を見てみたら、500メートルくらい先で黒煙が上がっていた。とりあえず、近くまで見に行ってみようかと思ったが、カトマンズに着いたばかりでまったく勝手がわからず、ほんの少しの距離でも迷子になってしまう恐れがある。それに何やら危険なものが爆発しなかったとも限らない。その一件で眠れなくなった(後でガイドさんに聞いてもらったら、近くの工場で火事があり、ガスが爆発したとのことだった。6名が死亡したとのこと。亡くなった人には申し訳ないが、私としてはテロでなくてほっとした!)。
9時にガイドさん(おそらく30代の女性。仏教徒だとのこと。日本語はあまりじょうずではない)に来てもらってカトマンズ付近の世界遺産巡り。運転手さんが別にいて、移動は乗用車。ルノー。
狭い道をくねくね曲がって車が走る。とりわけ、ホテルのあるタメル地区はまさしく迷路。二台の車がやっとすれ違えるような狭い道が縦横に巡らされており、しかも、ときどき行きどまりにぶつかる。よくぞこんなところを車で入れるもんだというような道が多い。しかも、盆地のせいだと思うが、雨が降ると下は泥だらけになり、晴れると埃になる。土埃で大気がどんよりしている。バイクが多くて煤煙もひどい。どこも渋滞している。道に穴が多く、しかも曲がりくねるため、後ろの座席に乗る私は少々乗り物酔い気味になった。
雨が降ったりやんだり。温度は25度前後だろう。晴れてくると暑くなる。
道を歩いている時に感じる衝撃の一つはカトマンズの電線だった。まるでもつれた髪のように電線が数十本と束ねられて電柱から垂れ下がっている。不法なのか合法なのか知らないが、次から次へと新たに電線をひいてこのようになっているのだろう。電線ひとつ見ても、いかにインフラが整っていないかがわかろうというものだ。ときどき、中の金属がはみ出しているものもある。道路のぬかるみに電線が浸かっているところもある。危険この上ないと思うのだが、こんな場所がカトマンズじゅうにいくらでもある。それどころか、カトマンズではあたりまえの光景だ。私が電線に驚いているのを見て、ガイドさんは不思議に思っている様子だった。
最初にボダナートを訪れた。ネパール最大のストゥーパで知られる仏教の聖地だ。昔からこの地に寺院があったというが、現在の建物は15世紀のものらしい。ネパール人の25パーセントほどが仏教徒だという。白い巨大なストゥーパで、そこには黄色い模様が描かれている。そのストゥーパを中心に門前町のようなものを形成し、周囲にたくさんの祠があり、それをホテルやレストランや土産物屋が囲んでいる。チベット仏教の聖地で、チベット系の顔をした人たちが巡礼に訪れていた。そのほか中国人、ヨーロッパ人の観光客も大勢いる。
これまでタイやスリランカやミャンマーでストゥーパはたくさん見てきたが、ここのストゥーパが特徴的なのは、ドームの上の尖塔を支える部分にまるで世界を見回すような大きく目が四方の壁のそれぞれに描かれていることだ。目の下の鼻に当たる部分には「?」を思わせるような形が描かれている。日本人には漫画のように見えるが、これが慈悲などを示すありがたいもののようだ。
ただ、実はあちこちに現世利益的なものを感じる。なんだか、あまりありがたみを感じない。スリランカのほうがずっと日本人には荘厳な感じがした。
次にネパール最大のヒンドゥー教の寺院パシュパティナートに行った。ここも世界遺産。ただし、ヒンドゥー教徒以外は寺院に入れないということで周囲を散策。対岸の裏山から寺院とその前にある川を眺めた。あちこちに野生のサルがいる。目にしただけで数十匹がいる。日本のサルよりは小さいようだ。悪さをしているのは見かけなかったが、もちろん、そんなことがあるらしい。
ガンジス川の支流ということで聖なる川とされ、その岸辺には火葬場がある。実際に葬儀が執り行われ、遺体が川に向かって張り出した石の上に置かれた棺で焼かれている。炎が見え煙が立っている。それを親族や友人らしい人が背後で見守っている。それどころか、川の反対側では、散策に来た人たちが、野生の猿に周囲をウロウロされながら、タバコを吸ったり、おしゃべりしたりしてベンチに座って見物している。不思議な光景だ。
次にパタンに行った。パタンはマッラ王朝の王宮のあった場所で、その中心にあるダルバール広場は王宮と寺院が実に美しい。ただ、2015年の大地震でかなり壊れたとのことで、現在あちこちで修復中。
たくさんの彫刻があり、建物にも装飾が施され、文化的な高さを感じる。博物館を見学。仏像などを見る。
しかし、妙になまめかしい釈迦像や仏教にそんな神が伝えられていたっけ?と思われるような女神像、そして、女性と交接する仏像もあった! 見れば見るほどヒンドゥー教徒仏教の境がわからなくなる。ユダヤ教とキリスト教のように連続しているのだろう。チベット仏教では、この種の教えがあり、仏像もあるというが、いずれにせよ、もう少し仏教を勉強してみなければ!
そのあと、カトマンズの街を見下ろす丘の上にあるスワナンブナートを訪れた。かつてカトマンズ盆地は巨大な湖だったという。そのころからこの寺院はあったとされる。ただし、建物はそれほど古くはない。ボダナートに似た感じのストゥーパ(ここにも目が四方に描かれている)があり、その周囲にいくつものお堂がある。たくさんの人が詣でており、お祭りが近づいているらしくて行列を作ってお囃子の練習をしている。日本の祭りとよく似た笛と太鼓とシンバルによるメロディ。そのほかトランペットとクラリネットを中心にした行列にも出会った。
ただ、ここもあまりに現世利益。金色の仏像がいくつもあるが、そのいくつかは手に紙幣を握らされている。一つの仏像は丸めた紙幣をつなぎ合わせたネックレスを垂らしていた!
最後の観光は、カトマンズ市街地のダルバール広場。パタンにもダルバール広場があったが、要するに「ダルバール」というのは王宮ということらしい。12世紀ころの建築から17世紀の建築までいくつもの寺院がある。だが、地震で多くが崩壊し、現在、あちこちで修復が行われている。日本のジャイカもかかわっているようだが、中国の存在感が大きい。中国人観光客も多いが、ダルバール広場のあちこちに「中国 援助CHINA AID」の文字が見られる。多くの観光客、現地の人に交じって見物した。クマリの館ではクマリ(生き神様)が顔を出すのを見た。クマリというのは女神クワリの化身として選ばれた少女であり、ある特定の日に生まれた少女のうち最も美しい子どもが選ばれ、初潮を迎えるまで生き神として人々の信仰の対象になるという。生理が始まると普通の人間に戻るというが、その子の人生を考えると難儀なことだと思う。
そのままホテルに戻った。昼にサンドイッチを食べたが、食欲がない。パンを少し食べただけで早く寝た。
9月12日
この日は、一日中ガイドさんには来てもらわずに一人で自由に歩き回った。この頃、初めての、しかも勝手のわからない都市を訪れる時にはこのようなスタイルの旅をすることにしている。つまり、初日にはガイドさんに来てもらって大まかな名所を巡り、その後、自分で自由に歩く。時間があって言語がもっと達者ならずっと自由な旅をしたいが、残念ながらそうはいかない。
9時過ぎにホテルを出て、近くにある「夢の庭園」を目指した。路地を曲がりくねって車でにぎわう道に出た。道端に座り込んでビニールシートを敷いて、エプロンにのるくらいのほんの少しの雑貨や果物、お菓子類を売っている人がいる。その横を歩き、車の隙間を割って入って道路を渡る。もちろん横断歩道はない。信号もないので、道路に車が途切れることもあまりない。ただ、幸い、道はいつも渋滞気味なので、車にスピードが出ていないため、人が道を渡ろうとすると、車のほうでよけてくれる。
「夢の庭園」の入場料は200ルピー(200円程度)。結構高い。静かな庭園だと聞いていたが、残念ながらまったく静かではなかった。確かに壁に囲まれ多庭園の中は芝生や石畳があり、あずまやがあり、ベンチが据えられていて落ち着いた雰囲気なのだが、車やバイクの騒音は響いている。ベンチに座って少しだけくつろいだが、30分もしないうちにダルバール広場まで歩くことにした。広い道を歩くと、ずっと煤煙と土埃にまみれることになる。歩行者にはなかなか過酷だ。
信号はほとんどない。大きな交差点では警官が交通整理をしている。信号はあっても電気が通っていないようで、そこでも警官が手信号を行っている。警官の技術がよくないのか、それとも道路に比べて車が多すぎるのか、そんなところも大混乱している。
途中、砂埃と煤煙と騒音に耐えられなくなって、またラトナ公園で一休み。池があり、きれいな橋があり、緑豊かな場所だ。こちらは入場料500ルピー取られたのでびっくり。外国人料金なのだろう。
ここでも30分くらいゆっくりしたが、ここも静かなわけではない。車の音が鳴り響いている。気を取り直してまた歩いた。昼前にダルバール広場に到着。今日は「ティージ」と呼ばれるヒンドゥー教の女性の祭りだという。奥まった広場には着飾った女性が大勢集まっていた。ほとんどの女性が朱色のサリーを着ている。老いも若きも、女性たちが集い、スピーカーから大音量の歌が流され、それに合わせて踊ったり、買い物をしたり、長い行列を作って神聖な場でお祈りをしたり。お腹を出している女性も多いが、そのほとんどが中年以上の女性。若い女性の腹を見たいというわけではないが、なぜ中年の女性ばかりがお腹を出しているのか、実に不思議。
しばらく見物していたが、そこからまたホテルまで歩くことにした。どうもホテルの自分の部屋以外には、この都市には静かな場所がなさそう。静かなところで一休みしたくなった。
いったんホテルで休憩。しばらく休憩して、再び散策。ナラヤンヒティ王宮博物館まで歩いたが、今日は休館だった。そのままホテルのあるタメル地区をぶらぶらした。昼食にはモモスープを頼んだ。モモというのはネパール式餃子だ。水餃子のようなものを思い浮かべていたら、出されたのはカレースープに入った餃子だった! 味は悪くないのだが、胃の調子があまりよくない私としてはカレーは避けたかった。
タメル地区はまさしく迷路。細い路地が入り組んでいる。同じような店(お土産物、食料品、レストラン、カシミア、アパレル、履物、鞄)が並んでいるので、歩いていると迷子になる。その狭い道に車やバイクが入り込み、あちこちで苦労しながら離合している。スマホの地図に案内してもらって、やっとホテルに帰り着く。ヴェネツィアでも道に迷いっぱなしだったが、カトマンズはそれ以上。
マッサージを受けたいと思って店を探した。が、どうにも入る勇気が出ない。何となく店構えを見て怪しい感じがする。つまり、コリや疲れをいやすためというよりも、別のサービスをする店のような雰囲気がある。ネットで調べてみると、案の定、そのようなことが書かれている。安全なところを探してみたが、確信が持てないので、やめた。
夕方、また散歩に出た。暗くなってからのタメル地区を見たかった。ちょっと怪しい雰囲気の区画がある。歩いていると、若い男に声をかけられた。「マッサージ?」といわれたような気がした。おそらく、その種のお誘いだろう。さすがに振り切ってホテルに戻った。
どこもかしこも大混乱だが、不思議と殺伐としていない。車やバイクがごった返しており、あちこちで警笛が鳴っているが、荒っぽい運転ではない。歩き方も、みんなおっとりしている。人が多いので混乱しているだけであって、一人一人はいたって穏やかで物静か。ただ、きちんと規則を守る人たちではなさそう。悪気はないのだが、ちょっといい加減。そのために、あちこちで混乱が起こっている。
ミャンマーやパキスタンのようにごみの散乱はない。店の前を掃除している人を多く見かける。もちろん、ところどころにごみは見えるが、ほかのアジア地域とは雲泥の差だ。ただ、インフラが追い付いていないので、あちこちが薄汚く、埃だらけになっている。
野良犬が多い。ブータンやスリランカでも野良犬の多さに驚いたが、それと大差ないかもしれない。観光地でも商店街でも野良犬を見かける。
9月13日
朝の4時にガイドさんがやってきて、ホテルを出発することになっていたので、早めに寝た。
ところが、真夜中、突然、ドアが開いた。私が目を覚ますと、女性の声。日本語ではない言葉で何かを叫んでいたが、慌てて何かを言って出ていった。「エクスキューズ・ミー」という言葉だけ聞き取れた。どうやら、ほかの客が私の部屋に間違えて入ってきたらしい。
そのまま寝たが、翌朝、気になってフロントに状況を話して、どういうことなのかを聞いてみた。だが、要領を得ない。ガイドさんが来たので、改めて聞いてもらったが、「603号室の客が間違って入ったようだ」との返事。私の部屋は503号室。だが、ほかの部屋のキーで私の部屋に入れるはずがないと思うのだが、いったいどういうことだろう? きっとホテル側が誤って別の人にも私と同じ部屋を当てたのだと思う。どうもこの国の人はすべてが緻密ではないようだ。
ともあれ、4時にガイドさんがやってきて、無事出発。ヤンゴンから車で1時間ほどのナガルコットに出かけた。標高2100メートルあり、天気が良ければエヴェレストを見ることができる。エヴェレストは無理でもヒマラヤの美しい山々を背景に日の出を見ることのできる日は多いとのこと。大いに期待して出かけた。
道中が大変だった。車に乗っているだけなのだが、ものすごいガタガタ道。舗装されていないところも多い。簡易舗装されただけで補修されていないため、穴だらけになっているところがほとんど。しかも曲がりくねっている。いわゆるヘアピンカーブの連続。右や左が崖になっているところもある。それがでこぼこ道なのだからかなわない。車が揺れて、頭が天井にぶつかり、体がドアにぶつかる。吐き気もしてきた。
夜明けよりもかなり前に到着。車の中で待って鉄パイプで編んだ矢倉に上った。雲の向こうに山々が見え、空が明るくなっていた。あと五分くらいで日の出が見られると思った瞬間、急に霧が立ち込めてきた。あっという間に太陽も遠くの山も見えなくなった。残念!
クラブヒマラヤというホテルで朝食をとった。テラスから日の出が見られるようになっていた。雲の向こうに太陽が見えた。鳥のさえずりが聞こえて、まさに静寂。ちょっと不便だけど、次に来る時にはここに泊まってゆっくりしたいと思った。
その後、車でネパール最古のヒンドゥー寺院チャング・ナラヤンに向かった。ナガルコットから遠くないらしいが、道路の関係で遠回りするので、またまた揺れの激しいカーブだらけの道を走った。チャング・ナラヤンには観光客はほとんどいなかった。丘の上にある古びた寺院はとても趣がある。ただ、地震のためにかなり破壊されたようで、ここでもあちこちが修復中だった。
その後、バクタプルに向かった。昔の面影がそのまま残るような古い町だった。ベルトルッチ監督の「リトル・ブッダ」の撮影地として知られているらしい(ブータンのパロにも撮影地があった!)。多くの建物がレンガで作られており、時代を経て黒ずんだレンガに風格がある。ヒンドゥー寺院がいくつもあり、王宮がある。ここもあちこちで修復中だ。昔の建築物だけでなく、ふつうの民家もほとんどすべてがレンガ造り。どうやらこの辺りはレンガの産地らしい。趣のあるレンガではあるが、それだけに地震の被害が大きかったということだろう。寺院も修復中のところが多く、一般の家屋も破壊跡や修理中のところが多かった。地面もレンガ造りのため、少々歩きにくい。そのため、腰が痛みだした。
もう少し寺院を見たかったが、少し休みたくなってホテルに直行した。部屋に戻ったのは15時前だった。疲れ切って、その後は夕食に近くのレストランに出かけた以外はずっと部屋でごろごろしていた。
9月14日
最終日。チェックアウトは13時とのことなので、ゆっくりできる。午前中は近くを歩き回った。このような旅が私は大好きだ。別に何を見るわけでもない。ほっつき歩くだけ。
タメル地区以外のところにも足を延ばした。広い通りを歩くと、車の騒音と煤煙、そして土埃のために息苦しくなる。車はどこでも渋滞している。カトマンズの車は時速40キロ以上で走ることはほとんどないのではないか。歩くのと同じくらいの速度で車が走る。路地に入り込むと、どこもかしこも迷路のようになっている。迷路なのはタメル地区だけではない。
観光客とみられると、土産物屋やタクシー運転手に声を掛けられるが、しつこくない。人懐こそうに寄ってきて、断るとすぐに諦める。
乞食が多い。あちこちに座っている。小さな子どもを連れた女性や老人もいる。しつこく寄ってくる乞食もいる。
午前中にホテルに戻ってシャワーを浴びて、昼過ぎに知人のネパール人と食事。ネパールの状況についてあれこれと尋ねた。ネパール料理の店に連れて行ってもらった。ご飯ではなく、大麦を練ったという団子のようなものにカレーを混ぜて食べた。とてもおいしかった。
午後、旅行会社のガイドさん(初日に来てくれた日本語を解さない男性)がやってきて、車で空港まで行った。カトマンズに到着してホテルに向かった時とは別の道のようなので別の空港に連れていかれるのではないかと心配になったが、着いてみると同じ空港だった。またノロノロ運転を繰り返して1時間近くかけての到着だった。
空港でチケットを眺めているうちに、カトマンズからの飛行機がソウルのインチョン行き、羽田行きの飛行機の出発地がキンポになっていることに気付いた。つまり、ソウル到着後、仁川から金浦まで移動しなければならない! チケットをネットで購入した時、不覚にも気にかけかった。搭乗手続きをした時、「空港がチェンジするけれども、わかっているか」と聞かれて、私は出発は成田なのに到着は羽田だということを指していると考えて「アイ・シー」と答えたのだったが、どうも係官はソウルのことを言っていたようだ。そりゃそうだ。私が成田で飛行機で乗ったことなんて知っているわけがない。
あわててネットで仁川から金浦への行き方を調べた。時間的に余裕はありそうだったが、移動するには現金がないと不安だ。到着は朝の5時半ころなので、両替できるかどうか大いに不安だった。不安に思いながら、機内で夜を過ごした。
時間通りに仁川に到着。幸い、両替所が一箇所開いていた。難なくリムジンバスに乗って40分ほどで無事金浦空港に到着。当たり前のことだが、ネパールと違って高速道路が整備され、高性能の乗り心地のよいバスはすいすいと動く。時間的な余裕をもって羽田行きの飛行機に乗って、無事に午後に自宅に帰れたのだった。
そのほか、ネパールについて気づいたことは明日以降に書く。
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