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ヴァルダの映画「百一夜」「アニエスの浜辺」「幸福」、デュラスの映画「アガタ」

先日、ヴァルダのシネ・エッセイというべき「顔たち、ところどころ」をみてとてもおもしろいと思った。まだみていないヴァルダ映画のDVDを購入。ついでに、マルグリット・デュラスが監督した映画も見た。ヴァルダとデュラス。私の大好きなフランスの女流映画監督だ。簡単に感想を記す。

 

81415uldzll_sy445_ 「アニエス・ヴァルダの百一夜」 アニエス・ヴァルダ 1994

 映画の権化といえるような100歳になる老人ムシュー・シネマ(ミシェル・ピコリ)を中心に、この老人のもとに通って映画の話を百一日続けるというバイトをする女性(ジュリー・ガイエ)や、老人のもとを訪れる映画人との間の様々なエピソードから成る。特に脈絡はないが、往年の映画のパロディがあり、大スターたちも次々登場する。ありものの映像ではなく、この映画のためにセリフを得て登場するスターだけでも、マルチェロ・マストロヤンニ、カトリーヌ・ドヌーヴ、アラン・ドロン、ロバート・デ・ニーロ、ジャン・ポール・ベルモンド、ジェラール・ドパルデュー、アヌーク・エーメ、ジーナ・ロロブリジーダなどがいる。何という豪華さ! このような人々が過去の様々な映画を再現し、友人である大スターたちと映画の思い出話をする。この映画の中で元気な姿を見せてくれたスターたちの多くが今ではこの世にはいないのは残念だ。

私が盛んに映画を見ていた時期のスターたちなので、とても懐かしい。今の若い人にはわからないであろう「ひねり」も私にはかなり理解できる。ニヤリとするところもたくさんある。映画好きたちの他愛のない映画談義として、実におもしろい。自由に飛躍し、想像をはばたかせ、映画の中の様々な人生を追体験できる。私にはとても楽しい映画だった。

 

81zdkjbnnl_sy445_ 「アニエスの浜辺」 アニエス・ヴァルダ 2008

 80歳に近づいたアニエス・ヴァルダのシネ・エッセイ。南フランスの港町セート(フランス文学を学んだことのある人間にはヴァレリーの故郷としてなじみがある!)で子供時代を過ごしたヴァルダが、人生の中で大きな意味をもった浜辺にカメラを据えて、子どものころからのヴァルダ自身の人生を語る。

過去と現在、再現場面と現実の場面、そして映画の中の場面が自由に交錯する。ヴァルダの「5時から7時のクレオ」や「幸福」、ヴァルダと長年連れ添ったジャック・ドゥミの「シェルブールの雨傘」が映し出され、それらが作られた当時の状況が説明される。画面の一つ一つにヴァルダの自由で初々しい精神があふれている。写真を撮ったり映画を作ったりして出会った映画人や文化人、市井の人々へのヴァルダの愛情と関心に共感する。映像の美しさも格別。とびっきりの美的センスを持っていることがよくわかる。当時の映画を見ていない人にも、その楽しさが伝わると思うが、ヴァルダやドゥミの映画が大好きだった私にはことのほかうれしい映画だ。ワクワクしながら見終わった。

 

51a6tgmvwel 「幸福(しあわせ)」 アニエス・ヴァルダ 1964

 今から50年以上前、日本封切時にみて心の底から感動した大好きな映画。自宅にあるDVDを探したが見つからなかったので、新たに購入して、久しぶりにみた。やはり本当にすごい映画。わめくわけでも大騒ぎするわけでもない。美しい色彩で淡々とさりげなく男女の日常を描く。それでいて、この上なく残酷な人間の真実を描き出す。

 パリ近郊の町で妻子とともに幸せに暮らすフランソワ。近くの森(たぶんヴァンセンヌの森)で家族とのピクニックを楽しんでいる。ところが、仕事で家を離れた時、郵便局に勤める女性エミリと知り合い、愛し合うようになる。フランソワは素直に二人の女性を愛し、それを妻に認めてもらおうとする。だが、告白した直後に妻は溺死(おそらく自殺)する。それからしばらくして、エミリがフランソワの妻になり、以前とそっくり同じように幸せな家族のピクニックが続けられる。

 男のわがままが描かれるが、女性問題を扱っているわけではないだろう。人間の心は移り行く。男でも女でも。そのような普遍的な真実を描いているのだと思う。人々は幸せだと考えて日々を生きている。だが、その幸せはすぐに暗転するかもしれない。そして、かけがえのない人間であっても、別の人と交代して何の支障もなく「幸せ」は続いていくかもしれない。そのようなごく当たり前の真実を見せてくれる。

 幸せな場面で金管楽器に編曲されたモーツァルトのクラリネット五重奏曲が流される。そして、悲劇的な場面では「アダージョとフーガ ハ短調」が流される。その効果も素晴らしい。これほど雄弁にモーツァルトの曲が映画に用いられた例を私はほかに知らない。

 

519nafprul_sy445_ 「アガタ」 マルグリット・デュラス 1981

 デュラスは私の大好きな作家だった。大学1年生の時、「モデラート・カンタービレ」を読んで衝撃を受けた。フランス語の勉強を始めた時、原書を買って辞書を引き引き最初に読んだのも、この本だった(ついでにいうと、2冊目が「異邦人」だった)。当時の私の心の中では、デュラスとアニエス・ヴァルダは結びついていた。同じような作風の二人の女流だと思っていた。

デュラスが映画を作り始めたと知って、見たいと思ったが、当時「ラ・ミュジカ」しか見られなかった。その後、デュラスの小説はほとんど読んだが、デュラスが監督した映画のことは忘れていた。最近になって「アガタ」のDVDが発売されていると知って購入した。小説の「アガタ」を読んだ記憶はあるが、内容はまったく覚えていなかった。デュラスの小説を盛んに読んでいたのも、もう30年以上前のことだ。

 映し出されるのは人気のない海辺とがらんとしたホテルの内部。そこに男女の会話の声が重ねられる。過去を共有していそうな、しかし妙に他人行儀な口ぶりが混じる話。まさにデュラス特有の世界! この雰囲気が私は大好きだった。10分くらいしてやっとアガタらしい女性(ビュル・オジエ)が登場する。切れ切れの省略の多い会話によって、男女が実は兄と妹であって、その二人が浜辺のヴィラで男と女として交わった過去があらわになる。そして、永遠の愛、死、人と人のつながりがきれぎれに語られる。避けられない生と死、必死にまさぐり合う愛、人間を包み込む非情な自然、絶対的に静謐な空間、生身のリアリティが消されて音楽の楽譜のように抽象化された登場人物。久しぶりにデュラスの世界を味わった。そして、これは20代から30代にかけての私が夢想していた世界でもあった。

 きっとこの映画を好きだという人は世界中にそれほど多くないだろう。が、私はため息が出るほど、今もこの世界が好きだ。

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コメント

先生の映画評を拝見すると居ても立っても居られずすぐに見てみたくなってしまうので困ります。「幸福」はamazonで近く廉価で再販されるようなので、購入して見てみようと思います。

今日NHKのAI(人工知能)についての番組の話の中で「人間は自分の事について判っているようで本当はあまり判っていない。思考として本人が説明出来ないような多くの部分で、脳そのものが知らないうちに何かを<感じて>独自に判断している」というのを聞きました。

映画も音楽などについても結局個人的に好む、好まざるどちらかに定まるものだと思うのですが、脳が何を汲み取っているのやら興味深く思いました。
若い時に強烈な印象を受けた映画は生涯にわたり忘れられず、影響を受ける事がありますね。
自分は「DIVA」というフランス映画がそんな一本になるのですが、今でも数年に一度見返してみて、新たな発見やら郷愁に浸ってます。
いつも触発される記事を有難うございます。

投稿: 通りすがり | 2018年10月15日 (月) 04時42分

通りすがり様
コメント、ありがとうございます。
「幸福」、ぜひご覧になってください。「DIVA」は封切時にみました。「ワリー」のアリアが印象的に出てくる映画ですよね。ベトナム系のヒロインがとても魅力的だったのをよく覚えています。「女だてらに」歩きたばこをする姿を「かっこいい!」と思いました(当時、まだ私はタバコを吸っていました)。

投稿: 樋口裕一 | 2018年10月16日 (火) 23時10分

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