« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »

映画「ガンジスに還る」 人生に対して素直になってこそ人は本当に死ぬことができる

 岩波ホールでインド映画「ガンジスに還る」をみた。

 先ごろ岩波ホールで開かれたジョージア映画祭で上映された映画を私はほとんどすべてみたのだったが、そのたびにこの「ガンジスに還る」の予告編を見せられたのだった。そこまで見せられると、本編をみないわけにはいかない。

 老人が突然、自分の死を感じ、バラナシの聖地へ行って最期の時を迎えたいと言い出す。それに中年の息子がついていくことになる。老人と息子は最後を迎える人のための安ホテルで過ごす。息子は初めのうちは仕事を気にしながら、父親に付き合っているが、徐々にこれまでの人生を振り返り、ともに相手を誤解していたこと気づき、死を人間に訪れる当然のこととして受け入れるようになる。そうして老人は最期を迎える。

 親は子どもに対してよかれと思ってあれこれ行うが、子どもは必ずしもそれをありがたいと思ってはいない。死という厳粛な、しかしすべての人間にとって当たり前の現象を前にすると、人は素直になれる。いや、人生に対して素直になってこそ人は本当に死ぬことができる。人生に対して素直になることが、すなわち死を迎える時期が来たということなのだ。そうしたことを、この映画は、ユーモアを交え、しかも淡々としみじみと、ガンジスの川や祭りの様子を交えながら語ってくれる。

 この映画のシュバシシュ・ブティヤニ監督は1991年生まれ。20代の若者! 驚くべき才能だ。ただ、私が個人的に少々不満だったのは、バラナシのこの上なく猥雑で混沌としていて貧しく汚く、しかも、いやそうであるからこそ間違いなく聖なるものが息づいている雰囲気を十分に描いていないように思えた。私がバラナシを訪れたのは、1993年だった。あのとき感じた強烈な暑さの中の聖なるものと俗なるものの激しい交錯を映画の中に感じられなかった。もちろん、現在は私が訪れたころと雰囲気が変わったのかもしれない。あるいは監督はそれを描きたくなかったのかもしれない。だが、やはり私としてはバラナシが描かれるのであれば、あの雰囲気を味わいたかった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ダンテ弦楽四重奏団 派手さはないが、とてもよい演奏

20181126日、武蔵野市民文化会館小ホールでダンテ弦楽四重奏団の演奏を聴いた。曲目は前半にハーバート・ハウエルズという20世紀前半に活躍したイギリスの作曲家の「オードリー夫人の組曲」とショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第3番、後半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番(ラズモフスキー第3番)。派手なごことはないが、とても良い演奏だった。

ダンテ弦楽四重奏団は1995年に結成されたロンドンを中心に活動する団体とのこと。ヴィオラを担当するのは日本人の井上祐子さん。この団体についてこの度、初めて知った。

ハウエルズの曲は、いかにもイギリス音楽。ディーリアスやエルガーと同じように、メリハリがなく、どうということなく進んでいく。イギリス音楽を好きな人がいるのは承知しているが、私は少々退屈に思う。が、この団体のアンサンブルはとてもきれいなのはよくわかった。

ショスタコーヴィチの第3番もとてもよかった。あまり激しくない。私はもっと強烈でもっと激情的なショスタコーヴィチを聴きたいと思っていたが、むしろ抑制が効き、バランスがとてもいい。とはいえ、第3楽章は圧巻。アンサンブルがよいので心の奥までショスタコーヴィチの激しい心が伝わってくる。

後半のベートーヴェンも、抑制されており、生のままに感情をたたきつけるような音楽ではない。形は崩れず、明確に音楽が進んでいく。アンサンブルが美しい。かなり現代的な音がするが、それが行き過ぎていない。絶妙のバランスだと思う。素晴らしい。終楽章も派手ではないが、大きく盛り上がった。

アンコールはチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」。これも、情緒に流されない、抑制のきいた、しかし十分にロマンティックな音楽。

第一ヴァイオリンはクリシア・オソストヴィッチという女性だったが、ショスタコーヴィチとチャイコフスキーではオスカー・パークスという若い男性に交代。とてもキレのよい美しい音のヴァイオリンだった。

とても満足した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

METライブビューイング「サムソンとデリラ」 第二幕に陶酔

札幌に初雪が降った日の翌日(20181121日)、札幌駅ビルのシネコン札幌フロンティアでMETライブビューイング「サムソンとデリラ」をみた。遅くなったが、簡単な感想を記す。

サン=サーンスは好きな作曲家の1人だが、残念ながら日本でオペラの実演に接する機会はほとんどない。METがこの演目を上演し、ライブビューイングで取り上げられると知ってみたいと思ったが、東京での上映期間は時間が合わなかった。仕事で立ち寄った札幌で「サムソンでデリラ」(フランス語読みして「サンソンとダリラ」と呼ぶべき時期に来ていると思う。英語でインタビュするスーザン・グラハムも明らかに「サンソン」「ダリラ」と発音している)が見られることに気付いて、出かけたのだった。素晴らしい上演だと思った。

ただ第一幕は少し退屈だった。古代の宗教世界へと観客を巻き込むことが目的の幕であって、山場がないので致し方ないところだろう。だが、第二幕からは息を飲む凄さ。有名なダリラのアリア以降の場面は、「トリスタンとイゾルデ」の第二幕の二重唱に匹敵する濃密な愛の世界が渦巻くと思った。ただし、サンソン(ロベルト・アラーニャ)とダリラ(エリーナ・ガランチャ)は愛し合っているわけではなく、いわばハニートラップでダリラはサンソンを陥れようとしている。そのエロティシズムとサンソンの心の揺れが音楽に微妙に表現されて、男の1人としてはやるせない。

しかし、それにしてもアラーニャとガランチャの声の素晴らしさ! そしてガランチャの美しさと色っぽさ! スーザン・グラハムも案内の中で語っていたが、ガランチャのあの美しさとあの歌での誘惑に負けない男なんていないだろうと心から思う。しばし、私自身が蠱惑されているかのような不思議な時間を過ごした。

第三幕は圧巻。大スペクタクルとなり、異教の都市が崩壊する。その中で悲惨な状況の中で神を求めるサンソン、サンソンへの愛を振り切れず後ろめたく思うダリラの心の交錯も指揮のマーク・エルダーが細かに描いていく。ロラン・ナウリのしっかりとした声による悪役ぶりも素晴らしい。まるでハリウッド映画のようなリアリティと豪華さで幕を閉じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京二期会オペラ劇場「後宮からの逃走」 オペラの魅力を殺す演出だった!

 20181122日、日生劇場で東京二期会オペラ劇場「後宮からの逃走」をみた。大いに期待して出かけた。11月から私はアプリ版ぴあの「水先案内人」としてコンサートやオペラのおすすめの演目を紹介しており、もちろんこのオペラを推薦していた。が、残念ながら期待外れだった。

 つまらなかった最大の原因はギー・ヨーステンの演出だと思う。もちろんこのオペラはトルコにとらわれになったヨーロッパ人が主人公なのだが、この演出では、トルコ、そしてイスラム教という点は強調されない。ベルモンテらは抑圧的な警察国家にとらわれになったという設定になっている。オスミンは抑圧的な警察隊のとりわけ横暴な隊長、太守はそのような世界の権力者ということになっている。イスラム教世界に気をつかってこうしたのか、それとも、イスラム国家のいくつかが警察国家だと暗に告発しているのか。

だが、そうなると、若きモーツァルトの若々しい躍動に満ちた音楽がまったく聴かれなくなってしまう。舞台上に展開されるのは委縮した世界。序曲でも印象的な、そしてモーツァルトが得意にするあのトルコ風のリズムを歌うのが抑圧的な警察国家の、しかも警官の制服を着た人々なので、まったく躍動の音楽にならず、萎縮の音楽になってしまう。このオペラが本来持つ最大の魅力をこの演出は殺してしまっている!

オスミンは愛嬌ある敵役でなく単なる抑圧者になり、その魅力も半減する。しかも、ペドリッロにホモっけがあったり、ブロンデが蓮っ葉だったりするが、そのような要素を加えたためにますますオペラが複雑になり、重くなって、若い生命力がなくなる。

 これではどんなに名演奏でも観客は白けてしまう。ところが、残念ながら、名演奏というわけでもなかった。

 下野竜也の指揮はいつも通り素晴らしいと思った。躍動感があるし、まとまりも感じる。が、東京交響楽団の音が時々貧弱に響く(全体的にはよいところもたくさんあったが)。歌手に関しては、オスミンの加藤宏隆がとてもよかった。ベルモンテの金山京介もきれいな声で見事だったが、ときどきオーケストラと合わないのを私は感じた。ペドリッロの升島唯博は美しい声だが、ちょっと音程が不安定な部分があった。コンスタンツェの松永知史とブロンデの冨平安希子については声そのものがかなり弱いと思った。二重唱、四重唱などもきれいなアンサンブルにならなかった。

 太守セリムを演じるのは大和田伸也。歌わない役なので適役だと思うが、日本語とドイツ語が入り混じったセリフになっていた。しかも、ドイツ語がまったくドイツ語に聞こえなかった。歌の部分やほかの歌手との兼ね合いでドイツ語を残したのだろうが、いっそのこと大和田のセリフはすべて日本語にしてもよかったのではないか。それにしても、大和田があの調子でセリムを演じると、最後の崇高な決定にも裏がありそうに響く。もう少し違う演技のほうがよかったのではないか。

 東京二期会の実力を私はよく知っている。素晴らしい舞台を何度もみてきた。が、今回の上演はいただけない。元のオペラの魅力を殺してしまうような演出ではなく、もっと刺激的でもっとモーツァルトの魅力を味わわせてくれるような演出を見たかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

札幌で映画「ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲」をみた

 このところかなり忙しかった。締め切りの近づいている原稿はないが、私生活的に何かとあちこちに出かけざるを得ないし、大学での授業も週に一日続けている。しかも、この2週間ほど遠くに出かけての講演が続いた。

 1110日には山梨県総合教育センターで小中高の先生方への講演、12日に鹿児島に移動して、13日には鹿児島県立錦江湾高等学校の生徒さん500名余りと教員の方々30名くらいに対して小論文についての講演、そして20日には札幌の札幌市教育文化会館で私が問題作成主幹としてかかわっている学研+白藍塾のクリティカルシンキング指導に関するセミナーでの講演。

 札幌のセミナーは20日に終え、市内のホテルに宿泊。20日のうちも窓から雪が見えていたが、21日の朝、かなり強い雪が舞っていた。ホテルから外を見るとうっすらと雪が積もっている! この日は札幌付近を観光しようと思って、夜の東京行きの飛行機を予約していたのだが、この寒さと雪では観光する気分になれない。

 そんなわけで、朝のうちから札幌駅に行って、駅ビルの映画館で映画のはしごをした。最初はMETライブビューイングの「サムソンとでリラ」、あわてて昼食をとってその後、「ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲」をみた。映画が終わってもまだ時間があったので、駅近くのマッサージ店で1時間身体をほぐしてもらって、新千歳空港に向かった。札幌は雪がほとんど見えなくなっていたが、快速列車から見ると雪が積もっていた。

「サムソンとでリラ」については回を改めて感想を書くとして、ここでは簡単に「ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲」の感想を記す。

 デヴィッド・カー監督、主演はMr.ビーンをかつて演じたローワン・アトキンソン。ヒロインはオルガ・キュリレンコ。Mr.ビーンは大好きだった。今回もおもしろそうなので機会があったら見ようと思っていた。期待通りのおもしろさだった。

 ジョニー・イングリッシュを主人公とするシリーズはこれが3本目らしい。英国の政府関係のコンピュータがハッキングされ、すべての情報が筒抜けになってしまう。そこで情報のないかつての英国諜報局の退役スパイの1人イングリッシュがアナログの武器で敵に挑んで、失敗に次ぐ失敗ののち、ともあれ敵を捕らえる。007シリーズの大ヒットの後にそのパロディがかなり作られたが、その趣向を継ぐもの。とてもよくできている。まさしく抱腹絶倒。客は20人程度しかいなかったが、私を含めて笑い転げている人がかなりいた。満員だったら大爆笑の渦になっていただろう。

 デジタル社会にアナログで立ち向かうところがおもしろい。デジタル社会の危険性を笑いの中でシリアスに示してくれる。イングリッシュがVRのマスクをかぶったまま街に出て行って大混乱を起こす場面は現実と仮想世界の見分けがつかなくなり、本人は何も気づかないまま危険な行為をしてしまう・・・という現象を実におもしろく描く。チャップリンの「モダン・タイムス」の中の目隠しをしたままローラースケートでデパートの見回りをする場面を思い出した。アトキンソンの演技も素晴らしいし、オルガ・キュリレンコも最高に魅力的。満足のスパイ・アクション喜劇だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

レクチャ―コンサート「ロッシーニの魅力再発見」 ロッシーニの世界を満喫した!

20181117日、東京文化会館小ホールで、レクチャ―コンサート「ロッシーニの魅力再発見」を聴いた。水谷彰良氏の解説も大変面白く、演奏もきわめてレベルが高く、まさしく「ロッシーニ再発見」をした。

前半は器楽曲、後半はオペラからのアリアと重唱。ふだん聴き慣れたオペラ・ブッファではない、あまり演奏されることのないロッシーニの音楽を集めたコンサートだ。

器楽曲は、岸本萌乃加、山田香子のヴァイオリン、ピーティ田代櫻のチェロ、白井菜々子のコントラバス、アレッサンドロ・ベヴェラリのクラリネット、西村翔太郎のピアノによる。

 弦楽のための6つの四重奏ソナタ第1番、チェロとコントラバスのための二重奏曲第3楽章、クラリネットとピアノのための幻想曲、パガニーニへの一言。四重奏ソナタはCDではときどき聴いている(通勤中に車の中でかけることが多い)が、もしかしたら実演は初めて聴いたかもしれない。初々しい名曲。水谷さんの話によって、12歳の時の作曲とされていたが、実はロッシーニ自身の嘘であって、16歳の時の作曲だと知った。もちろん私もずっと12歳のころの曲だと信じていた。

クラリネットの曲もおもしろかった。とはいえ、器楽曲もおもしろいが、やはりロッシーニはオペラのほうがいい。器楽曲は物足りない。ウィットに富み、楽しいが、やはりベートーヴェンなどと比べるとコクがないし、手抜きの感じがする。

後半は、天羽明惠による「タンクレディ」の「恭しく崇める正義の神よ」からして素晴らしいロッシーの世界が広がる。ロッシーニ歌いとは言えない大歌手だが、ロッシーニを歌っても叙情豊かで、しかも声の力が強い。

「リッチャルドとゾライデ」を歌った小堀勇介のフアン・ディエゴ・フローレスを思わせるような輝かしい高音に驚嘆。見事な技巧。渡辺康もよかった。そして、メゾ・ソプラノの富岡明子にも驚嘆。「マオメット2世」の歌は圧倒的な技巧と見事な声の力に息を飲んだ。日本のロッシーニ歌いもここまでレベルが上がったことに驚いた。バリトンのヴィタリ・ユシュマノフも若いながらしっかりした声で見事。ピアノ伴奏の藤原藍子も躍動感あるロッシーニを作り出していた。

最後の「チェネレントラ」の六重唱も、アンコールの『ギヨーム・テル』のフィナーレも実に素晴らしい。まさしくロッシーニ再発見。もちろん私はロッシーニのオペラ・セーリアもかなり聴いた(DVDは入手できる限りのすべてをみた!)が、やはりオペラ・ブッファのほうが好きだった。が、こうして聴くと、オペラ・セーリアもドラマティックで深みがあって素晴らしい。

センスのいいオヤジ・ギャグを交え、ロッシーニの生涯、そしてその少々ちゃらんぽらんな生き方を浮かび上がらせ、しかも魅力的な曲を構成する水谷さんに感服。素晴らしいレクチャーコンサートだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

金沢歌劇座「リゴレット」リハーサル、そしてフォスター+新日フィルのブラームス

 20181115日にミューザ川崎でウィーン・フィルを聴いたことはすでにこのブログに書いた。その前のことを少し書く。

 その日の午後、東京芸術劇場のリハーサル室で1125日金沢歌劇座公演「リゴレット」のリハーサルを演出家の三浦安浩さんのご厚意により見学させていただいた。演出の現場を見るのは初めての経験だった。これを「立ち稽古」というのだろうか。歌手陣が集まって、山田ゆかりさんのピアノ、副指揮者の辻博之さんの指揮のもとに、第一幕冒頭から三浦さんが演出しながら動きを決めていく。

 実は私はひそかに「そのうちオペラ演出をしてみたい」という野望を抱いていたのだが、三浦さんのリハーサルを見て、その野望はもろくも崩れ去った。三浦さんはイタリア語で歌いながら、その意味を歌手たちに理解するように促し、それにふさわしい動きを指示し、それぞれの歌手に音楽面にいたるまでアドバイスする。しかも、マントヴァ公爵役のアレクサンドル・バディアに流暢な英語で指示しているではないか。三浦さんの指示の後、全体の動きは見違えるようにリアルになり、ダイナミックになる。

 そして、このリハーサルの音楽的なレベルの高さにも圧倒された。バディアはまだ本気では歌っていないものの実に美しい声。立ち居振る舞いもカッコイイ。女好きの貴公子にぴったり。リゴレット役の青山貴さんの声の威力にも驚いた。扮装をしていない柔和なお顔なのに、まぎれもなくリゴレットの声がするではないか。まだ動きに関して完成していない段階ながら、マッダレーナの藤井麻美さん、モンテローネ伯爵の李宗潤さん、ボルサの近藤洋平さん、マルッロの原田勇雅さんの歌と演技も実に見事。ジルダの森麻季さんはおいでにならなかったが、私はこれまで何度か実演を聴いてその素晴らしさはよく知っている。

 きっと1125日本番は素晴らしい舞台になることを確信した。私はその日、東京で仕事があるために金沢にはいけない! 何とも残念!

 

 20181116日、トリフォニー・ホールで新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートを聴いた。指揮はローレンス・フォスター。曲目は前半にヨーゼフ・モーグのピアノが入ってブラームスのピアノ協奏曲第2番、後半にブラームスの交響曲第2番。

 前日にウィーン・フィルを聴いたばかりだったので、はじめのうちは音の豊かさに欠けるのを感じざるを得なかった。正直言って、ウィーン・フィルまでの距離は大きいと思った。とはいえ、先日聴いた上岡敏之指揮のブルックナーの交響曲第9番の演奏の時よりもずっとアンサンブルがよく、精度が高かった。ウィーン・フィルが凄すぎたということだろう。

 モーグという若いピアニストが、私の大好きな第2番の協奏曲を弾くので期待したのだったが、ピアノがあまりに一本調子。きっと意識的なのだと思うが、フレーズが変化しても音色を変えようとしない。本人はそこに美を感じているのだろう。が、そうされると、メリハリがなく、単調で硬く聞こえる。ピアノに合わせたのか、オーケストラも音色がずっと同じ調子で構成感がなく、のっぺらぼうになった。第3楽章もせかせかした感じ。もっとじっくりと聴きたかった。

 交響曲のほうは協奏曲よりはずっと良かった。フォスターの演奏もあまり音色を変えようとしない。同じような音色を通す。が、音の厚みによって音楽に勢いができ、時に大きく流動するので心に訴えかけてくる。ただ、交響曲もかなり快速で、じっくり聞かせてくれない。もっとオーケストラをコントロールして歌いあげてほしいと思う部分が何か所もあった。とはいえ、最後には十分に盛り上がった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ウィーンフィルの音そのものに陶然とした

 201811月15日、ミューザ川崎シンフォニーホールでフランツ・ウェルザー=メスト指揮、ウィーン・フィルハーモニーの公演を聴いた。曲目は前半にドヴォルジャークの序曲「謝肉祭」とブラームスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲。後半にワーグナーの「神々の黄昏」よりの抜粋。期待通りの素晴らしさ!

 いきなりフルオーケストラのフォルテで始まったが、あまりの美しさにびっくり。それほど親しんでいない曲なので指揮がどうこう言えないが、ともあれ音そのものがあまりに美しい。どの楽器の音も素晴らしいが、ほとんど生まれて初めてコントラバスの音に酔った!私の席(右前方)からコントラバスがよく聞こえたせいもあるのだが、なんという厚みと深みとふくよかさのある音であることか! 

 二重協奏曲もとてもよかった。長い間聴く機会がなかったが、実はかなり好きな曲だ。ずっと昔、携帯電話の呼び出し音をこの曲の冒頭にしていた時期がある。第一楽章の盛り上がりは素晴らしかった。ただ、曲自体のせいもあるのだが、第三楽章はやや盛り上がりに欠けた。だが、フォルクハルト・シュトイデのヴァイオリン、ペーテル・ソモダリのチェロはとても堅実でいかにもブラームス。

 後半、せっかくのウィーンフィルなのに、ウェルザー=メスト編のワーグナーの管弦楽ヴァージョンなのですこしがっかりしていた(もっと本格的な曲を聴きたい。ワーグナーはやはり楽劇としてみるのが一番と思っていた)が、実際に聴いてみると、あまりのすごさにびっくり。オーケストラの音そのものに感動する。「ジークフリートのラインへの旅」で始まり、「ブリュンヒルデの自己犠牲」「ジークフリートの葬送」、そして楽劇の最後の部分が連続して一つながりとして演奏される。楽劇をみる時には舞台に神経を集中させているので、オーケストラをじっくり聴かない。が、こうしてオーケストラを聴くと、音の絡み合い、ワーグナーのテクニック、音の広がりに圧倒される。それにしても、ウィーンフィルはなんという美しい音を出すのだろう。フルオーケストラでも音が濁らない。一つ一つの楽器が鮮明に聞こえて、しかも全体が融け合っている。まさに魔法の音。ホルンがちょっとミスした気がしたが、そのようなことは気にならないほど全体が素晴らしい。音の快楽に恍惚となり陶然となった。

 アンコールはヨハン・シュトラウス2世の「レモンの花咲くところ」と「浮気心」(聴いたことはあるけれども曲名は知らなかった。掲示で知った)。これも音の重なりが最高に美しい。

 ウェルザー=メストは大好きな指揮者だが、今日の演奏では指揮がどうこうという前にオーケストラの音そのものに心を奪われた。今さら言うまでもないことだが、ウィーンフィルは凄い!と思ったのだった。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

NISSAY OPERA「コジ・ファン・トゥッテ」 充実の歌手陣だが、好みの上演ではなかった

20181111日、日生劇場で「コジ・ファン・トゥッテ」をみた。NISSAY OPERA2018の2日目。

演出は菅尾友。フィオルディリージとドラベッラの姉妹はグリエルモとフェランドの二人の男が従順な自分好みに作った人造人間ということらしい。だが、二人の女性は男性を裏切る。女性たちは従順を強いられる人造人間であることを拒否する。全体的にはそのような読み替えがなされる。このオペラを現代劇、あるいはSFとみなして、ロボットやコンピュータを登場させるオペラに仕立てている。

気持ちはわからないでもないし、このような演出を評価する方が大勢おられることは承知している。そして、事実、第二幕は大いに楽しんだ。だが、これは私好みの演出ではない。私はこのオペラに関しては、もっとあっけらかんとした芝居にするほうを好む。ここに深い意味を加えるとオペラが壊れてしまいそうな気がする。

が、それについては後で少しふれるとして、歌手陣はとても高いレベルだった。とりわけドラベッラの杉山由紀が素晴らしかった。音程がいいし、声に力がある。容姿的にも理想的。ドン・アルフォンソの大沼徹は余裕の歌いっぷり。相変わらず美しい声とおもしろい演技。フィオルディリージの髙橋絵理、グリエルモの岡昭宏も好演。デスピーナの腰越満美はあまりの色気に悩殺された。フェルランドの村上公太は弱音で音程が不安定なところがあったが、素晴らしい歌声に圧倒されるところもたくさんあった。全員が一昔前では考えられなかったほどの高いレベルで歌っている。

 指揮は広上淳一。メリハリのある明確でしっかりとした指揮だが、テンポの遅さが気になった。読売日本交響楽団もいつものこのオーケストラに比べて少々音の香りに欠ける気がしたが、気のせいだったのだろうか。そして、レチタティーヴォの部分のチェンバロと歌唱に溌溂さが不足していると思った。

 私はこのオペラを近代劇として上演するのにとても強い抵抗を感じている。近代劇にしたてて女性蔑視を告発したり、人間心理を描いたり、哲学的な内容を扶養しようとすると、つまらなくなると私は思うのだ。このオペラでは人物が交換可能な木偶の坊のように描かれている。人物たちが心の葛藤を歌ったとしても、それは現代的個人の真に迫った苦悩ではなく、類型的な苦悩だと思う。そして、だからこそ音楽が生き生きとしていると思う。そこに近代的人間の心理などを加えてしまうと、溌溂とした前近代的な面白みがなくなって、ありふれた心理劇になってしまいそうだ。このオペラは、妙な深読みはしないで、コメディア・デッラルテのように描いてこそ面白い。このオペラが長い間無視されてきたのも、これが近代劇全盛の時代には受け入れられなかったからではないのか。

ところが、私のように考える人は少ないと見えて、理想とする上演に出会ったことがない。どの上演もあれこれの意味を付与し、複雑な近代劇にしている。今回の上演も、演出といい演奏と言い、その最たるものに思えた。その意味で不満だった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

竹澤恭子のバルトーク無伴奏と「クロイツェル」 集中力のある真摯な演奏が素晴らしい

2018118日、紀尾井ホールで竹澤恭子のヴァイオリン・リサイタルを聴いた。ピアノ伴奏はエドアルド・ストラッビオリ。曲目は前半にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第10番とバルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、後半にブロッホの「バール・シェム」とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ 第9番「クロイツェル」。とても良い演奏だった。

意外とふつうの演奏で始まった。が、徐々に盛り上がって、曲が終わってみると、とてもよい演奏。逆に言えば、とても構成感のある演奏というべきか。集中力があり、密度が濃く、すべての音に意味がある。音色で聴かせるのではなく、音楽の緻密な組み立てで聴かせてくれる。とりわけ、バルトークの無伴奏ソナタにそれを感じた。凄まじい集中力。遊びを少しも入れず真摯にバルトークの魂に肉薄するような演奏。しかし、一部の女性演奏家のように神がかり的、巫女的な集中力ではない。もっと客観性を持っている。全体を見渡しながら音楽を作っていることがよくわかる。バルトークの苦悩や孤独が伝わってくる。

ブロッホの「バール・シェム」は初めて聴いた。とても魅力的な曲だと思った。竹澤にふさわしい音楽と言えるのかもしれない。祈りの音楽。だが、情にかられすぎないのがいい。

「クロイツェル」も素晴らしかった。ピアノのストラッビオリがとてもいい。品格のある音。とても清潔で高貴で力強い。強い音がとりわけ美しい。第3楽章は圧巻だった。

 アンコールはマスネ―の「タイスの瞑想曲」とクライスラーの「愛の悲しみ」、そして最後にワーグナーの「アルバムの綴り」という曲。まさかワーグナーとは思わなかった。あとで掲示を見て知った。これらも真摯な演奏。アンコール曲だということで遊びを入れるのでも、「小粋」にするのでもなく、また情緒を強めるのでなく、しっかりと美しく演奏。見事。

 19時に始まって終わったのは2145分くらいになっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小泉+都響のブラームス 心の奥から盛り上がる!

 2018117日、東京芸術劇場で都響定期演奏会を聴いた。指揮は小泉和裕、曲目は前半にレイ・チェンが加わってブラームスのヴァイオリン協奏曲、後半にブラームスの交響曲第4番。素晴らしかった。

 ともかく小泉の指揮による都響がとてもいい。本当に品格ある音。アンサンブルがとても美しい。

小泉の指揮は本当に久しぶりに聴く。相変わらず、見た目にも美しい指揮ぶり。大袈裟なことは少しもしない。手の動きも派手ではない。身振りと手の動きだけで音楽を作っていく。だが、ちょっとして手の動きで音楽の表情が変わる。それがだんだんと深い音楽を作りだしていく。大向こうをうならせるようなことは少しもない。極端なこともしない。あざといところもまったくない。じっくりと、しっかりと音楽を作っていく。じわじわと盛り上がる。まさに正攻法。しかし、最後になると心の奥から盛り上がっている。

しばらくぶりにこのような演奏を聴くと本当に素晴らしいと思う。私はこのような演奏が大好きなのだ! 長い間、このタイプの指揮に「飽き」を感じて、別の指揮を求めていた自分が少し恥ずかしくなった。

 前半の協奏曲は、このような小泉の指揮にレイ・チェンの情熱的で明確なヴァイオリンが加わる。情熱的だが、形が崩れない。音も明るい。情緒的ではないが、十分にロマンティック。小泉指揮のオーケストラと相性が良いと私は思う。このオーケストラがあるからこそ、いっそうレイ・チェンが生きる。第一楽章のカデンツァはテクニックの凄みを聴かせてくれた。そして、第2楽章の叙情、第3楽章の躍動も素晴らしかった。

 交響曲は、だんだんだんだんと盛り上がって、第3楽章から終楽章にかけていカニもブラームスらしい抑制された情熱が静かに燃えたぎった。

 11月からアプリ版「ぴあ」の首都圏版で「水先案内人」としてお薦めのコンサートを紹介している。「水先案内人」デビューに当たって、最初に書いたのが、このコンサートを紹介する文章だった。あまり良くなかったらどうしようと思っていたが、素晴らしい演奏でよかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドゥミの映画「ロシュフォールの恋人たち」「王女とロバ」「モン・パリ」「ベルサイユのばら」

 先日みたアニエス・ヴァルダの映画がきっかけになって、ヴァルダ、そしてその伴侶だったジャック・ドゥミのDVDをしばらく見続けた。感想を記す。

 

51dg6eovl_ac_us200_ 「ロシュフォールの恋人たち」 ジャック・ドゥミ監督 1967

 40年以上前、封切されてすぐにみた。が、「シェルブールの雨傘」よりももっと革新的な傑作を期待していた私には少々期待外れに思えた。が、今、改めてみると、いや、なかなかの傑作ではないか。

「シェルブールの雨傘」でアメリカのミュージカル映画とかけ離れたものを作ったジャック・ドゥミとミシェル・ルグランは、今度はアメリカ・ミュージカルのフランス版をめざしたのだろう。アメリカのミュージカル映画の外枠を借りて、フランス・ミュージカルを作り上げようとしたと言い換えてもいいだろう。いや、もっとはっきり言えば、アメリカのミュージカル映画のパロディを作った。そう考えると、すっきりと理解できる。

「シェルブールの雨傘」には、アメリカのミュージカルには不可欠のダンスの場面が皆無だったので、「ロシュフォールの恋人たち」ではそれをふんだんにいれた。そして、「雨に唄えば」のジーン・ケリー、「ウェスト・サイド物語」のジョージ・チャキリスを呼んで、アメリカのミュージカルへのオマージュというべきシーンも加えた。突然踊りだしたり、背後で人々が踊ったりといった、アメリカ・ミュージカルの様式がかなり不自然に、つまり、けれんみたっぷりに映し出される。

 そして、アメリカ・ミュージカル映画様式のフランス・ミュージカルが間違いなく完成している! 繊細で洗練されており、フランス語の美しい響きにあふれ、フランスのエスプリにあふれている。カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワーズ・ドルレアックの実の姉妹、ダニエル・ダリュー、ミシェル・ピコリという大スター、そして若手で売り出し中だったジャック・ペラン。いずれも、フランス・ミュージカルを見事に作り上げている。

 ストーリーは「ローラ」に少し似ている。港町のカフェに常連客が集まり、そこに過去の恋と現在の恋のいくつかが集まり、すれ違い、最後には、ともあれめでたくまとまる(まとまりそうになる)。軽やかな音楽に載せて深刻になりすぎない恋物語がおとぎ話として展開される。美男美女の繰り広げる歌と踊りによるおとぎ話。それにしても、カトリーヌ・ドヌーヴは美しい。実の姉のフランソワーズ・ドルレアックも魅力的。この撮影直後に25歳で事故死したのが実に残念。美人姉妹の映画をもっと見たかった。

 

51lkvvmhtol_ac_us200_ 「ロバと王女」 ジャック・ドゥミ監督 1970

 封切当時は、大ヒット作とのことで期待してみたわりにつまらないと思ったが、今みると、とてもおもしろい。シャルル・ペローの童話「ロバの皮」のミュージカル映画化。作曲はミシェル・ルグラン。

ある国の王様(ジャン・マレー)が妻を亡くし、妻よりも美しい女性としか再婚しないと約束する。ところが、妻よりも美しいのは実の娘である王女(カトリーヌ・ドヌーヴ)だけだった。王は王女と結婚しようとするが、王女は妖精(デルフィーヌ・セイリグ)に相談して、白から逃げ出し、ほかの国に行って、ロバの皮をかぶって醜い人間として生きる。そこに王子(ジャック・ペラン)が現れ、王女の美しさを知って恋をし、最後に結ばれる。

ドゥミがずっと作ろうとしていたのがまさに「おとぎ話」だったことがよくわかる。純粋な心にあふれた美しい夢の物語だ。ドレスや室内、森、動物たちの美しい色彩、おとぎ話を聴いて頭の中で想像する通りの美しい人々。まさにそれが展開される。そして、ルグランの自然な音楽。アメリカのミュージカル映画のような大袈裟なものではなく、自然でやさしくて子どもらしい純粋な童話。

特典映像でも語られるが、確かにコクトーの「美女と野獣」へのオマージュがあることをうかがわせる。

 

71eymatqx2l_sy445_ 「モン・パリ」 1973

 封切時、カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニ共演のドゥミの映画だということで大いに期待してみたのだが、駄作だと思った。今、みなおしても、やはり傑作とはいいがたい。

 男が妊娠しているといわれ、世界で最初の妊娠と騒がれるが、最後に間違いだとわかる・・・というそれだけの話。それを風刺をきかせて辛らつに描くのではなく、ほのぼのとおとぎ話風に描く。「ロバと王女」のようなおとぎ話を現代を舞台にして物語にするには、このような形しかなかったのだろう。非現実的なストーリーによって、男と女の原型を描こうとしたのだと思う。が、やはり現代の話であるなら、もっとリアリティが必要だ。男が妊娠したというのなら、その時点でもっと厳密な検査がなされるだろうし、そもそもどうやって受胎するのか、どうやって産むのかみる者に納得させる必要があるだろう。それがないと、やはり現代の物語としては説得力を持たない。ちょっと老けたけれど圧倒的に美しいドヌーヴと、信じられないことが自分に身に降りかかって右往左往するくたびれた中年男を演じるマストロヤンニの演技と細かい色遣い、そしてミシェル・ルグランの音楽を楽しむだけの映画になっている。

 

71jl7pm8cl_sy445_ 「ベルサイユのばら」 1978

 池田理代子の原作は、40年以上前に一度だけ読んだことがある。「絶対おもしろい」と友人(男性)に薦められたためだったが、私はあまりおもしろいと思わなかった。その少しあとでジャック・ドゥミが監督して映画になると知って、この題材を映画化するにはドゥミが適役だろうと思った。封切されてしばらくしてみたが、これもおもしろいと思わなかった。そんな思いのある映画のDVDを40年ぶりに見てみた。やはり、つまらなかった。

 原作とかなり異なるというが、私は原作にほとんど覚えがないので、それについてはわからない。が、どうにも中途半端な気がする。何を描きたいのかよくわからない。そもそも私にはオスカルの心の機微が伝わらない。民衆の側に身を投じる心の変化も十分に描かれていない。登場人物の誰一人として魅力的ではない。オスカルを演じるカトリオーナ・マッコールはとびっきりの美人だと思うが、女優としての魅力を感じない。駆け足で歴史の表面をなぞっただけで終わっている。ヴェルサイユ宮殿をロケ地として使いながら、あまりにもったいない。

きっとドゥミは気乗りしないまま、あるいは原作の精神を理解できないまま撮ったのだろう。断れなくて、あるいは報酬が魅力的なためについ引き受けてしまって、なんとかなると思って作り始めたが、やはりだめだった・・・というようなことは誰にもあることだ。ドゥミも人の子だったということだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ぴあ」水先案内人のこと、そしてオペラ映像「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「サンドリヨン」「ベンヴェヌート・チェッリーニ」「ベアトリスとベネディクト」

 11月から、アプリ版「ぴあ」の首都圏のクラシック音楽担当の「水先案内人」として、月に5本くらいの私の視点からのおすすめのコンサート、オペラを紹介している。出かける際のコンサート選択の参考になるように心がけている。私の視点を守りつつ、独りよがりにならないようにしようと思っている。

 このところ、締め切りのある大きな仕事がなかったので、自分のペースで仕事を進めている。何本かのオペラ映像を見たので、簡単な感想を記す。今回見た映像はいずれも高いレベルだった。

 

2017600 ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」2017年 バイロイト祝祭劇場

 何よりバリー・コスキーの演出に驚く。読み替え演出だが、驚くべき説得力を持つ。よくぞここまで!とただただ感嘆する。ものすごい才能!

 確かに、ワーグナーはザックスに自分を重ね合わせていただろう。そしてポーグナーはリスト、エファはコジマの面影がある。ヴァルターもまたワーグナーの分身だろう。そして、ベックメッサーにユダヤ人を重ね合わせていることは、反ユダヤ主義者だったワーグナー自身が語っている。ワーグナーの弟子だったユダヤ人ヘルマン・レヴィと重なる部分がある。そうしたワーグナーにまつわる人々とこのオペラの登場人物を重ね合わせて、演出家のコスキーはドイツ民族の、そしてワーグナーの心の奥にあるユダヤ人迫害、偏ったドイツの歴史への愛を描いていく。その手際があまりに見事。

第三幕はニュルンベルク裁判の場面になる。ザックス(=ワーグナー)は証人席に立たされてドイツ民族の再興を訴える。まさしく、ワーグナーが第二次大戦の精神を代表したことへの批判に対する弁明を語る。ドイツ文明の偉大さを語る。本人は必死だが、背景には嘘くさいオーケストラが偽の音をかき鳴らすばかり。それは真実として国民に伝わることはない。そう語っているようだ。

 ハンス・ザックスのミヒャエル・フォレはまさに名人芸の域に達している。かつてハンス・ホッターが稀代のザックス歌いと言われたが、フォレも引けを取らない。ヴァルターのクラウス・フローリアン・フォークトの声も相変わらず自然な美しい声。エファのアンネ・シュヴァネヴィルムス、ベックメッサーのヨハネス・マルティン・クレンツル、ポーグナーのギュンター・グロイスベックもこれ以上は考えられないほどに役柄を歌っている。

 指揮はフィリップ・ジョルダン。メリハリのある明確な音でドラマを盛り上げる。演出にぴたりと合った明晰な音楽を作っている。近年にバイロイトの大きな成果の一つだと思った。

 

906 マスネ 「サンドリヨン」 2017年 フライブルク歌劇場

 サンドリヨン役のキム=リリアン・ストレーベルと妖精のカタリナ・メルニコヴァがいい。きれいな声で音程もいいし、共感できる。ド・ラ・アルティエール夫人のアニヤ・ユングも個性的に演じて楽しい。王子のアナト・チャルニーはちょっと不安定。父親役のホアン・オロスコは音程が悪く、フランス語の発音もめちゃくちゃ。不調だったのか、それとも突然の代役か何かで準備ができていなかったのか。ファブリス・ボロンの指揮によるフライブルク・フィルハーモニー管弦楽団(指揮者もオーケストラも初めて名前を聞いた!)は、全体のオケの精度はあまり高くないが、特にミスがあって気になるというほどではなかった。

 バルバラ・ムンデルとオルガ・モッタによる演出については、私はとてもおもしろいと思った。サンドリヨンと王子をともに内向的で人見知りで、外面に惑わされずに内面を見ようと二人として相似的に描かれている。周囲がパーティで騒いでいても、サンドリヨンと王子は離れたところで静かに語り合う。二人の歌手も、(ちょっと顔の大きさは異なるが)よく似た顔立ち。

 

988 ベルリオーズ 「ベンヴェヌート・チェッリーニ」2015年 オランダ国立歌劇場

 素晴らしい上演だと思う。まずテリー・ギリアムの演出が面白い。少々下品ではあるが、猥雑なローマの社会、そしてベルリオーズの音楽を見事に舞台に載せている。実におもしろいオペラだということを改めて知った。

 歌手陣も充実している。やはりベンヴェヌートを歌うジョン・オズボーンが圧倒的。女たらしでだらしのない人間を魅力的に演じているし、声はもちろん最高。バルドゥッチのマウリツィオ・ムラーロもフィエラモスカのローラン・ナウリも芸達者で声も見事。テレーザのマリアンジェラ・シチリアは歌も演技も少々硬いが、声はきれいだし、容姿もとてもよいので、見ている分にはまったく不満はない。マーク・エルダーの指揮も実に溌溂としてドラマティック。

 

886 ベルリオーズ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」2007年 ザルツブルグ祝祭大劇場

 オランダ国立劇場のものもよかったが、その8年前のザルツブルグのこの上演はもっと素晴らしい。すべての歌手がみごと。何よりビックリなのがテレサを歌うマイヤ・コヴァレヴスカ。恥ずかしながら、私はこの歌手の名前を知らなかったが、まず「美しすぎる」容姿に驚いた。ハリウッド映画の主演女優並みの美しさではないか! 声も透明でとてもいい。この上演から10年がたっている。いろいろな役を歌えるようになっていると、とてもうれしい。

そのほか、チェッリーニ役のブルクハルト・フリッツもふてぶてしいチェッリーニをうまく歌っている。フィエラモスカのローラン・ナウリはまさしく適役。バルドッチのブリンドリー・シャラット、教皇のミハイル・ペトレンコも申し分ない。アスカーニオを歌うのはケイト・オルドリッチ。「スター・ウォーズ」のロボットのような扮装なので誰かわからなかった。これも見事。

指揮のワレリー・ゲルギエフはまさにゲルギエフ。躍動的でドラマティックで情熱にあふれる。いかにもベルリオーズ。素晴らしい。演出はフィリップ・シュテルツル。意味なく「スター・ウォーズ」風で、無理やり現代的にしている趣きがあるが、退屈しないで見られるのは間違いない。ただ、特に新しい解釈があるわけではないような気がする。とはいえ、ともあれ終わった途端に「ブラヴォー」を叫びたくなるのは間違いない。

 

313 ベルリオーズ 「トロイアの人々」2012年 ロンドン ロイヤル・オペラハウス

 あまりなじみのあるオペラではないが、これまた素晴らしい上演。すべてがそろっている。まず歌手陣がいい。ディドンのエファ=マリア・ウェストブローク、カサンドルのアンナ・カテリーナ・アントナッチ、主役格の女性の強くて美しい声がドラマを作る。ともに悲痛な状態を歌い上げるが、その力に圧倒される。二人とも容姿も含めて最高の配役だと思う。コレーブのファビオ・カピタヌッチは初めのうちこそ硬かったが、徐々に力を発揮する。エネのブライアン・イーメルも強靭で美しい声。そのほか、すべての役がオペラの登場人物そのものに見える。

 デイヴィッド・マクヴィカーによる演出は、ギリシャ時代というよりはベルリオーズの時代、すなわちほぼナポレオンの時代。近代的な武器によって世界制覇が可能になりつつあった時代の悲劇としてこのギリシャの物語を描いている。木馬が機械仕掛けの不気味なロボットのように見える。まさにそれこそが近代帝国主義の象徴なのだろう。

 アントニオ・パッパーノの指揮も躍動して激しいドラマを作り出す。しかも、自然に音楽が盛り上がるので、わざとらしさがない。

 オペラ作曲家としてのベルリオーズもなかなかのものだと遅ればせながら再認識した。

 

126 ベルリオーズ 「ベアトリスとベネディクト」2016年 グラインドボーン歌劇場

 このオペラの存在は知らなかった。初めて映像をみたが、とてもおもしろい。シェークスピアの「空騒ぎ」に基づく。ベルリオーズにこんな愛すべき喜劇があったなんて!

 ベアトリスとベネディクトは互いに相手を憎からず思いながら、それを口に出せずに意地を張って喧嘩ばかり。周囲の人間が計略を用いて二人を結びつける。ベルリオーズの音楽がなかなか軽妙。大袈裟に描くだけがベルリオーズではないと知った。ローラン・ペリーの演出がまたおもしろい。ベルリオーズの、ちょっと面白みのない部分も演出によってエスプリに富み、ユーモアにあふれた舞台になる。喜劇をシンプルにわかりやすく、しかも軽妙な動きで見せてくれる。ただ、全員がグレーの服装なのが気になる。二人が結婚を決意した時に全体が色彩的になるのかと期待してみていたが、最後まで変わらなかった。最後まで続く人間の意固地な心をグレーに表したのだろうか。

 歌手陣も全員が、歌もさることながら演技が見事。ベアトリスのステファニー・ドゥストラック、ベネディクトのポール・アップルビー、クラウディオのフィリップ・スライ、エローのゾフィー・カルトホイザーが本当に素晴らしい。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するアントネッロ・マナコルダも音が生き生きしていて文句なし。全体的に素晴らしい映像だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

 ティーレマン+ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 シューマンの交響曲3・4番 しばらく興奮が醒めなかった

 2018111日、サントリーホールでドレスデン国立歌劇場管弦楽団によるシューマン交響曲全曲演奏の2日日を聴いた。昨夜以上の名演。興奮した。

 まず第3番「ライン」。第1楽章から大きなうねりがあり、楽器の軌跡が明確で、しかも楽器の混じり具合が絶妙。一つ一つの音の強弱などにとても納得がいく。とりわけ、第4楽章と第5楽章が素晴らしかった。第4楽章でそれまでとは異なる流れをきっぱりと作って、第5楽章でスケールの大きなフィナーレに突き進む。何という音楽!

 第4番は、「ライン」以上の凄まじい演奏だった。最初から最後まで息をつかせないような緊張感とダイナミズムにあふれた演奏。寸分の隙もなく音が重層的に、しかも論理的になだれ込んでいく。第2楽章、第3楽章と進んで、まさしく一気呵成に終楽章に進んでいく。快刀乱麻というべき棒さばきなのだが、巨匠風のスケールの大きさなので、単にテキパキしているだけでなく、そこに深みが刻み込まれて、聴くものはただただ圧倒される。

私はしばしば感動に身を震わせた。おそらく、私がシューマンの交響曲で感動に身を震わせたのは、生まれて初めてだと思う。私がシューマンにこんなに感動するとは予想もしていなかった。ティーレマンおそるべし!

ある楽器が一瞬ほかの楽器よりも早く出るように感じる場面が何度かあった。ミスなのかと思った。意図的なのか、あるいは事後にティーレマンがつじつま合わせをしているのか。いずれにせよ、しばらく聴き進むうち、それが勢いとしてとても魅力的に感じられた。そうしたテクニックも含めて圧倒的だと思った。

それにしてもオーケストラが素晴らしい。何という美しい音! とりわけ木管楽器に言葉を失う。ニュアンス豊かで、切れがよく、濁りがない。アンサンブルも完璧。もちろんホルンも最高に美しい。弦楽器もしなやかで美しい。

 オーケストラにこんなに興奮したのは、昨年のウィーンフィル以来だった。世界最高峰のオーケストラを聴くと心の底から幸せになる。しばらく興奮がおさまらなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ティーレマン+ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 シューマンの交響曲1・2番 名演奏!

 20181031日、サントリーホールでドレスデン国立歌劇場管弦楽団によるシューマン交響曲全曲演奏の初日を聴いた。いやはや、とてつもない名演奏。

 予想はしていたが、予想以上にオーケストラが素晴らしい。これほどのオーケストラを聴いてしまうと、やはりふだん聴いている日本のオーケストラはまだまだだと思わざるを得ない。まず、音合わせのオーボエの音からして、まったく別次元。その後、弦が加わると、そこでまた美しさに痺れてしまう。ウィーン・フィル並み、あるいはそれ以上かも。

 シューマンの交響曲を実は私はほとんど聴かない。20歳になるころまで(つまり、1960年代から70年代初め)、名盤とされていたフランツ・コンヴィチュニー指揮、ゲヴァントハウス管弦楽団のレコードを繰り返し聴いていたので、もちろん曲はよく知っているが、その後、実演は数えるほどしか聴いていない。しかも、それはほかの曲(ほとんどがベートーヴェンやブラームス)を目当てに足を運んで、ついでに聴いた場合に限られる。よく言われる通り、オーケストレーションがうまくないし、時々妙にしつこい同じ音形の繰り返しが多くて、聴いていてすっきりしないので、だんだんとシューマンから関心が離れていた。

 そのようなシューマンをティーレマンはどう指揮するか、シュターツカペレ・ドレスデンはどれほどの音を聴かせてくれるか、その興味でサントリーホールに足を運んだのだった。

 まずオーケストラの響きにびっくり。なるほどこれがシューマンの音なのだ! ロマンティックでしなやか。木管の音がニュアンスたっぷり。弦はまさに歌うようでありながら、厚みもあり、律動もある。アンサンブルはまったく乱れず、一つの生き物のように形を成して動いていく。

 ティーレマンの指揮もまたあまりに鮮やか。私はまったくの素人なので、どういう仕掛けがあるのかまったくわからないが、なぜかシューマンのオーケストレーションの不器用さを少しも感じない。しなやかに響くし、確かにブラームスなどに比べるとずっと同じ楽器がメロディを受け持っていて変化がないのは感じるが、それはそれで魅力的に聞こえる。第1番の第4楽章は感動のあまり心が震えた。

 最も苦手な第2番。これこそあまりにしつこい繰り返しに、ふだんはうんざりする曲だ。事実、第1楽章、第2楽章では、同じ音形を繰り返し、いつまでもそこから脱出できないのに少々イライラした。が、最後の楽章になると、まるでベートーヴェンの曲のように、光が見え、かつての苦悩が昇華されていくではないか。ここでも私は深く感動した。いやあ、凄い名曲ではないか!と思ったのだった。

 明日は第3番と第4番。この2曲は実演でも何度か聴いた(カラヤン+ベルリン・フィルの来日公演で第4番を聴いた記憶がある)。シューマンの中では好きな曲に入る。明日もまた楽しみだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »