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NISSAY OPERA「コジ・ファン・トゥッテ」 充実の歌手陣だが、好みの上演ではなかった

20181111日、日生劇場で「コジ・ファン・トゥッテ」をみた。NISSAY OPERA2018の2日目。

演出は菅尾友。フィオルディリージとドラベッラの姉妹はグリエルモとフェランドの二人の男が従順な自分好みに作った人造人間ということらしい。だが、二人の女性は男性を裏切る。女性たちは従順を強いられる人造人間であることを拒否する。全体的にはそのような読み替えがなされる。このオペラを現代劇、あるいはSFとみなして、ロボットやコンピュータを登場させるオペラに仕立てている。

気持ちはわからないでもないし、このような演出を評価する方が大勢おられることは承知している。そして、事実、第二幕は大いに楽しんだ。だが、これは私好みの演出ではない。私はこのオペラに関しては、もっとあっけらかんとした芝居にするほうを好む。ここに深い意味を加えるとオペラが壊れてしまいそうな気がする。

が、それについては後で少しふれるとして、歌手陣はとても高いレベルだった。とりわけドラベッラの杉山由紀が素晴らしかった。音程がいいし、声に力がある。容姿的にも理想的。ドン・アルフォンソの大沼徹は余裕の歌いっぷり。相変わらず美しい声とおもしろい演技。フィオルディリージの髙橋絵理、グリエルモの岡昭宏も好演。デスピーナの腰越満美はあまりの色気に悩殺された。フェルランドの村上公太は弱音で音程が不安定なところがあったが、素晴らしい歌声に圧倒されるところもたくさんあった。全員が一昔前では考えられなかったほどの高いレベルで歌っている。

 指揮は広上淳一。メリハリのある明確でしっかりとした指揮だが、テンポの遅さが気になった。読売日本交響楽団もいつものこのオーケストラに比べて少々音の香りに欠ける気がしたが、気のせいだったのだろうか。そして、レチタティーヴォの部分のチェンバロと歌唱に溌溂さが不足していると思った。

 私はこのオペラを近代劇として上演するのにとても強い抵抗を感じている。近代劇にしたてて女性蔑視を告発したり、人間心理を描いたり、哲学的な内容を扶養しようとすると、つまらなくなると私は思うのだ。このオペラでは人物が交換可能な木偶の坊のように描かれている。人物たちが心の葛藤を歌ったとしても、それは現代的個人の真に迫った苦悩ではなく、類型的な苦悩だと思う。そして、だからこそ音楽が生き生きとしていると思う。そこに近代的人間の心理などを加えてしまうと、溌溂とした前近代的な面白みがなくなって、ありふれた心理劇になってしまいそうだ。このオペラは、妙な深読みはしないで、コメディア・デッラルテのように描いてこそ面白い。このオペラが長い間無視されてきたのも、これが近代劇全盛の時代には受け入れられなかったからではないのか。

ところが、私のように考える人は少ないと見えて、理想とする上演に出会ったことがない。どの上演もあれこれの意味を付与し、複雑な近代劇にしている。今回の上演も、演出といい演奏と言い、その最たるものに思えた。その意味で不満だった。

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竹澤恭子のバルトーク無伴奏と「クロイツェル」 集中力のある真摯な演奏が素晴らしい

2018118日、紀尾井ホールで竹澤恭子のヴァイオリン・リサイタルを聴いた。ピアノ伴奏はエドアルド・ストラッビオリ。曲目は前半にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第10番とバルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、後半にブロッホの「バール・シェム」とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ 第9番「クロイツェル」。とても良い演奏だった。

意外とふつうの演奏で始まった。が、徐々に盛り上がって、曲が終わってみると、とてもよい演奏。逆に言えば、とても構成感のある演奏というべきか。集中力があり、密度が濃く、すべての音に意味がある。音色で聴かせるのではなく、音楽の緻密な組み立てで聴かせてくれる。とりわけ、バルトークの無伴奏ソナタにそれを感じた。凄まじい集中力。遊びを少しも入れず真摯にバルトークの魂に肉薄するような演奏。しかし、一部の女性演奏家のように神がかり的、巫女的な集中力ではない。もっと客観性を持っている。全体を見渡しながら音楽を作っていることがよくわかる。バルトークの苦悩や孤独が伝わってくる。

ブロッホの「バール・シェム」は初めて聴いた。とても魅力的な曲だと思った。竹澤にふさわしい音楽と言えるのかもしれない。祈りの音楽。だが、情にかられすぎないのがいい。

「クロイツェル」も素晴らしかった。ピアノのストラッビオリがとてもいい。品格のある音。とても清潔で高貴で力強い。強い音がとりわけ美しい。第3楽章は圧巻だった。

 アンコールはマスネ―の「タイスの瞑想曲」とクライスラーの「愛の悲しみ」、そして最後にワーグナーの「アルバムの綴り」という曲。まさかワーグナーとは思わなかった。あとで掲示を見て知った。これらも真摯な演奏。アンコール曲だということで遊びを入れるのでも、「小粋」にするのでもなく、また情緒を強めるのでなく、しっかりと美しく演奏。見事。

 19時に始まって終わったのは2145分くらいになっていた。

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小泉+都響のブラームス 心の奥から盛り上がる!

 2018117日、東京芸術劇場で都響定期演奏会を聴いた。指揮は小泉和裕、曲目は前半にレイ・チェンが加わってブラームスのヴァイオリン協奏曲、後半にブラームスの交響曲第4番。素晴らしかった。

 ともかく小泉の指揮による都響がとてもいい。本当に品格ある音。アンサンブルがとても美しい。

小泉の指揮は本当に久しぶりに聴く。相変わらず、見た目にも美しい指揮ぶり。大袈裟なことは少しもしない。手の動きも派手ではない。身振りと手の動きだけで音楽を作っていく。だが、ちょっとして手の動きで音楽の表情が変わる。それがだんだんと深い音楽を作りだしていく。大向こうをうならせるようなことは少しもない。極端なこともしない。あざといところもまったくない。じっくりと、しっかりと音楽を作っていく。じわじわと盛り上がる。まさに正攻法。しかし、最後になると心の奥から盛り上がっている。

しばらくぶりにこのような演奏を聴くと本当に素晴らしいと思う。私はこのような演奏が大好きなのだ! 長い間、このタイプの指揮に「飽き」を感じて、別の指揮を求めていた自分が少し恥ずかしくなった。

 前半の協奏曲は、このような小泉の指揮にレイ・チェンの情熱的で明確なヴァイオリンが加わる。情熱的だが、形が崩れない。音も明るい。情緒的ではないが、十分にロマンティック。小泉指揮のオーケストラと相性が良いと私は思う。このオーケストラがあるからこそ、いっそうレイ・チェンが生きる。第一楽章のカデンツァはテクニックの凄みを聴かせてくれた。そして、第2楽章の叙情、第3楽章の躍動も素晴らしかった。

 交響曲は、だんだんだんだんと盛り上がって、第3楽章から終楽章にかけていカニもブラームスらしい抑制された情熱が静かに燃えたぎった。

 11月からアプリ版「ぴあ」の首都圏版で「水先案内人」としてお薦めのコンサートを紹介している。「水先案内人」デビューに当たって、最初に書いたのが、このコンサートを紹介する文章だった。あまり良くなかったらどうしようと思っていたが、素晴らしい演奏でよかった。

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ドゥミの映画「ロシュフォールの恋人たち」「王女とロバ」「モン・パリ」「ベルサイユのばら」

 先日みたアニエス・ヴァルダの映画がきっかけになって、ヴァルダ、そしてその伴侶だったジャック・ドゥミのDVDをしばらく見続けた。感想を記す。

 

51dg6eovl_ac_us200_ 「ロシュフォールの恋人たち」 ジャック・ドゥミ監督 1967

 40年以上前、封切されてすぐにみた。が、「シェルブールの雨傘」よりももっと革新的な傑作を期待していた私には少々期待外れに思えた。が、今、改めてみると、いや、なかなかの傑作ではないか。

「シェルブールの雨傘」でアメリカのミュージカル映画とかけ離れたものを作ったジャック・ドゥミとミシェル・ルグランは、今度はアメリカ・ミュージカルのフランス版をめざしたのだろう。アメリカのミュージカル映画の外枠を借りて、フランス・ミュージカルを作り上げようとしたと言い換えてもいいだろう。いや、もっとはっきり言えば、アメリカのミュージカル映画のパロディを作った。そう考えると、すっきりと理解できる。

「シェルブールの雨傘」には、アメリカのミュージカルには不可欠のダンスの場面が皆無だったので、「ロシュフォールの恋人たち」ではそれをふんだんにいれた。そして、「雨に唄えば」のジーン・ケリー、「ウェスト・サイド物語」のジョージ・チャキリスを呼んで、アメリカのミュージカルへのオマージュというべきシーンも加えた。突然踊りだしたり、背後で人々が踊ったりといった、アメリカ・ミュージカルの様式がかなり不自然に、つまり、けれんみたっぷりに映し出される。

 そして、アメリカ・ミュージカル映画様式のフランス・ミュージカルが間違いなく完成している! 繊細で洗練されており、フランス語の美しい響きにあふれ、フランスのエスプリにあふれている。カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワーズ・ドルレアックの実の姉妹、ダニエル・ダリュー、ミシェル・ピコリという大スター、そして若手で売り出し中だったジャック・ペラン。いずれも、フランス・ミュージカルを見事に作り上げている。

 ストーリーは「ローラ」に少し似ている。港町のカフェに常連客が集まり、そこに過去の恋と現在の恋のいくつかが集まり、すれ違い、最後には、ともあれめでたくまとまる(まとまりそうになる)。軽やかな音楽に載せて深刻になりすぎない恋物語がおとぎ話として展開される。美男美女の繰り広げる歌と踊りによるおとぎ話。それにしても、カトリーヌ・ドヌーヴは美しい。実の姉のフランソワーズ・ドルレアックも魅力的。この撮影直後に25歳で事故死したのが実に残念。美人姉妹の映画をもっと見たかった。

 

51lkvvmhtol_ac_us200_ 「ロバと王女」 ジャック・ドゥミ監督 1970

 封切当時は、大ヒット作とのことで期待してみたわりにつまらないと思ったが、今みると、とてもおもしろい。シャルル・ペローの童話「ロバの皮」のミュージカル映画化。作曲はミシェル・ルグラン。

ある国の王様(ジャン・マレー)が妻を亡くし、妻よりも美しい女性としか再婚しないと約束する。ところが、妻よりも美しいのは実の娘である王女(カトリーヌ・ドヌーヴ)だけだった。王は王女と結婚しようとするが、王女は妖精(デルフィーヌ・セイリグ)に相談して、白から逃げ出し、ほかの国に行って、ロバの皮をかぶって醜い人間として生きる。そこに王子(ジャック・ペラン)が現れ、王女の美しさを知って恋をし、最後に結ばれる。

ドゥミがずっと作ろうとしていたのがまさに「おとぎ話」だったことがよくわかる。純粋な心にあふれた美しい夢の物語だ。ドレスや室内、森、動物たちの美しい色彩、おとぎ話を聴いて頭の中で想像する通りの美しい人々。まさにそれが展開される。そして、ルグランの自然な音楽。アメリカのミュージカル映画のような大袈裟なものではなく、自然でやさしくて子どもらしい純粋な童話。

特典映像でも語られるが、確かにコクトーの「美女と野獣」へのオマージュがあることをうかがわせる。

 

71eymatqx2l_sy445_ 「モン・パリ」 1973

 封切時、カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニ共演のドゥミの映画だということで大いに期待してみたのだが、駄作だと思った。今、みなおしても、やはり傑作とはいいがたい。

 男が妊娠しているといわれ、世界で最初の妊娠と騒がれるが、最後に間違いだとわかる・・・というそれだけの話。それを風刺をきかせて辛らつに描くのではなく、ほのぼのとおとぎ話風に描く。「ロバと王女」のようなおとぎ話を現代を舞台にして物語にするには、このような形しかなかったのだろう。非現実的なストーリーによって、男と女の原型を描こうとしたのだと思う。が、やはり現代の話であるなら、もっとリアリティが必要だ。男が妊娠したというのなら、その時点でもっと厳密な検査がなされるだろうし、そもそもどうやって受胎するのか、どうやって産むのかみる者に納得させる必要があるだろう。それがないと、やはり現代の物語としては説得力を持たない。ちょっと老けたけれど圧倒的に美しいドヌーヴと、信じられないことが自分に身に降りかかって右往左往するくたびれた中年男を演じるマストロヤンニの演技と細かい色遣い、そしてミシェル・ルグランの音楽を楽しむだけの映画になっている。

 

71jl7pm8cl_sy445_ 「ベルサイユのばら」 1978

 池田理代子の原作は、40年以上前に一度だけ読んだことがある。「絶対おもしろい」と友人(男性)に薦められたためだったが、私はあまりおもしろいと思わなかった。その少しあとでジャック・ドゥミが監督して映画になると知って、この題材を映画化するにはドゥミが適役だろうと思った。封切されてしばらくしてみたが、これもおもしろいと思わなかった。そんな思いのある映画のDVDを40年ぶりに見てみた。やはり、つまらなかった。

 原作とかなり異なるというが、私は原作にほとんど覚えがないので、それについてはわからない。が、どうにも中途半端な気がする。何を描きたいのかよくわからない。そもそも私にはオスカルの心の機微が伝わらない。民衆の側に身を投じる心の変化も十分に描かれていない。登場人物の誰一人として魅力的ではない。オスカルを演じるカトリオーナ・マッコールはとびっきりの美人だと思うが、女優としての魅力を感じない。駆け足で歴史の表面をなぞっただけで終わっている。ヴェルサイユ宮殿をロケ地として使いながら、あまりにもったいない。

きっとドゥミは気乗りしないまま、あるいは原作の精神を理解できないまま撮ったのだろう。断れなくて、あるいは報酬が魅力的なためについ引き受けてしまって、なんとかなると思って作り始めたが、やはりだめだった・・・というようなことは誰にもあることだ。ドゥミも人の子だったということだろう。

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「ぴあ」水先案内人のこと、そしてオペラ映像「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「サンドリヨン」「ベンヴェヌート・チェッリーニ」「ベアトリスとベネディクト」

 11月から、アプリ版「ぴあ」の首都圏のクラシック音楽担当の「水先案内人」として、月に5本くらいの私の視点からのおすすめのコンサート、オペラを紹介している。出かける際のコンサート選択の参考になるように心がけている。私の視点を守りつつ、独りよがりにならないようにしようと思っている。

 このところ、締め切りのある大きな仕事がなかったので、自分のペースで仕事を進めている。何本かのオペラ映像を見たので、簡単な感想を記す。今回見た映像はいずれも高いレベルだった。

 

2017600 ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」2017年 バイロイト祝祭劇場

 何よりバリー・コスキーの演出に驚く。読み替え演出だが、驚くべき説得力を持つ。よくぞここまで!とただただ感嘆する。ものすごい才能!

 確かに、ワーグナーはザックスに自分を重ね合わせていただろう。そしてポーグナーはリスト、エファはコジマの面影がある。ヴァルターもまたワーグナーの分身だろう。そして、ベックメッサーにユダヤ人を重ね合わせていることは、反ユダヤ主義者だったワーグナー自身が語っている。ワーグナーの弟子だったユダヤ人ヘルマン・レヴィと重なる部分がある。そうしたワーグナーにまつわる人々とこのオペラの登場人物を重ね合わせて、演出家のコスキーはドイツ民族の、そしてワーグナーの心の奥にあるユダヤ人迫害、偏ったドイツの歴史への愛を描いていく。その手際があまりに見事。

第三幕はニュルンベルク裁判の場面になる。ザックス(=ワーグナー)は証人席に立たされてドイツ民族の再興を訴える。まさしく、ワーグナーが第二次大戦の精神を代表したことへの批判に対する弁明を語る。ドイツ文明の偉大さを語る。本人は必死だが、背景には嘘くさいオーケストラが偽の音をかき鳴らすばかり。それは真実として国民に伝わることはない。そう語っているようだ。

 ハンス・ザックスのミヒャエル・フォレはまさに名人芸の域に達している。かつてハンス・ホッターが稀代のザックス歌いと言われたが、フォレも引けを取らない。ヴァルターのクラウス・フローリアン・フォークトの声も相変わらず自然な美しい声。エファのアンネ・シュヴァネヴィルムス、ベックメッサーのヨハネス・マルティン・クレンツル、ポーグナーのギュンター・グロイスベックもこれ以上は考えられないほどに役柄を歌っている。

 指揮はフィリップ・ジョルダン。メリハリのある明確な音でドラマを盛り上げる。演出にぴたりと合った明晰な音楽を作っている。近年にバイロイトの大きな成果の一つだと思った。

 

906 マスネ 「サンドリヨン」 2017年 フライブルク歌劇場

 サンドリヨン役のキム=リリアン・ストレーベルと妖精のカタリナ・メルニコヴァがいい。きれいな声で音程もいいし、共感できる。ド・ラ・アルティエール夫人のアニヤ・ユングも個性的に演じて楽しい。王子のアナト・チャルニーはちょっと不安定。父親役のホアン・オロスコは音程が悪く、フランス語の発音もめちゃくちゃ。不調だったのか、それとも突然の代役か何かで準備ができていなかったのか。ファブリス・ボロンの指揮によるフライブルク・フィルハーモニー管弦楽団(指揮者もオーケストラも初めて名前を聞いた!)は、全体のオケの精度はあまり高くないが、特にミスがあって気になるというほどではなかった。

 バルバラ・ムンデルとオルガ・モッタによる演出については、私はとてもおもしろいと思った。サンドリヨンと王子をともに内向的で人見知りで、外面に惑わされずに内面を見ようと二人として相似的に描かれている。周囲がパーティで騒いでいても、サンドリヨンと王子は離れたところで静かに語り合う。二人の歌手も、(ちょっと顔の大きさは異なるが)よく似た顔立ち。

 

988 ベルリオーズ 「ベンヴェヌート・チェッリーニ」2015年 オランダ国立歌劇場

 素晴らしい上演だと思う。まずテリー・ギリアムの演出が面白い。少々下品ではあるが、猥雑なローマの社会、そしてベルリオーズの音楽を見事に舞台に載せている。実におもしろいオペラだということを改めて知った。

 歌手陣も充実している。やはりベンヴェヌートを歌うジョン・オズボーンが圧倒的。女たらしでだらしのない人間を魅力的に演じているし、声はもちろん最高。バルドゥッチのマウリツィオ・ムラーロもフィエラモスカのローラン・ナウリも芸達者で声も見事。テレーザのマリアンジェラ・シチリアは歌も演技も少々硬いが、声はきれいだし、容姿もとてもよいので、見ている分にはまったく不満はない。マーク・エルダーの指揮も実に溌溂としてドラマティック。

 

886 ベルリオーズ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」2007年 ザルツブルグ祝祭大劇場

 オランダ国立劇場のものもよかったが、その8年前のザルツブルグのこの上演はもっと素晴らしい。すべての歌手がみごと。何よりビックリなのがテレサを歌うマイヤ・コヴァレヴスカ。恥ずかしながら、私はこの歌手の名前を知らなかったが、まず「美しすぎる」容姿に驚いた。ハリウッド映画の主演女優並みの美しさではないか! 声も透明でとてもいい。この上演から10年がたっている。いろいろな役を歌えるようになっていると、とてもうれしい。

そのほか、チェッリーニ役のブルクハルト・フリッツもふてぶてしいチェッリーニをうまく歌っている。フィエラモスカのローラン・ナウリはまさしく適役。バルドッチのブリンドリー・シャラット、教皇のミハイル・ペトレンコも申し分ない。アスカーニオを歌うのはケイト・オルドリッチ。「スター・ウォーズ」のロボットのような扮装なので誰かわからなかった。これも見事。

指揮のワレリー・ゲルギエフはまさにゲルギエフ。躍動的でドラマティックで情熱にあふれる。いかにもベルリオーズ。素晴らしい。演出はフィリップ・シュテルツル。意味なく「スター・ウォーズ」風で、無理やり現代的にしている趣きがあるが、退屈しないで見られるのは間違いない。ただ、特に新しい解釈があるわけではないような気がする。とはいえ、ともあれ終わった途端に「ブラヴォー」を叫びたくなるのは間違いない。

 

313 ベルリオーズ 「トロイアの人々」2012年 ロンドン ロイヤル・オペラハウス

 あまりなじみのあるオペラではないが、これまた素晴らしい上演。すべてがそろっている。まず歌手陣がいい。ディドンのエファ=マリア・ウェストブローク、カサンドルのアンナ・カテリーナ・アントナッチ、主役格の女性の強くて美しい声がドラマを作る。ともに悲痛な状態を歌い上げるが、その力に圧倒される。二人とも容姿も含めて最高の配役だと思う。コレーブのファビオ・カピタヌッチは初めのうちこそ硬かったが、徐々に力を発揮する。エネのブライアン・イーメルも強靭で美しい声。そのほか、すべての役がオペラの登場人物そのものに見える。

 デイヴィッド・マクヴィカーによる演出は、ギリシャ時代というよりはベルリオーズの時代、すなわちほぼナポレオンの時代。近代的な武器によって世界制覇が可能になりつつあった時代の悲劇としてこのギリシャの物語を描いている。木馬が機械仕掛けの不気味なロボットのように見える。まさにそれこそが近代帝国主義の象徴なのだろう。

 アントニオ・パッパーノの指揮も躍動して激しいドラマを作り出す。しかも、自然に音楽が盛り上がるので、わざとらしさがない。

 オペラ作曲家としてのベルリオーズもなかなかのものだと遅ればせながら再認識した。

 

126 ベルリオーズ 「ベアトリスとベネディクト」2016年 グラインドボーン歌劇場

 このオペラの存在は知らなかった。初めて映像をみたが、とてもおもしろい。シェークスピアの「空騒ぎ」に基づく。ベルリオーズにこんな愛すべき喜劇があったなんて!

 ベアトリスとベネディクトは互いに相手を憎からず思いながら、それを口に出せずに意地を張って喧嘩ばかり。周囲の人間が計略を用いて二人を結びつける。ベルリオーズの音楽がなかなか軽妙。大袈裟に描くだけがベルリオーズではないと知った。ローラン・ペリーの演出がまたおもしろい。ベルリオーズの、ちょっと面白みのない部分も演出によってエスプリに富み、ユーモアにあふれた舞台になる。喜劇をシンプルにわかりやすく、しかも軽妙な動きで見せてくれる。ただ、全員がグレーの服装なのが気になる。二人が結婚を決意した時に全体が色彩的になるのかと期待してみていたが、最後まで変わらなかった。最後まで続く人間の意固地な心をグレーに表したのだろうか。

 歌手陣も全員が、歌もさることながら演技が見事。ベアトリスのステファニー・ドゥストラック、ベネディクトのポール・アップルビー、クラウディオのフィリップ・スライ、エローのゾフィー・カルトホイザーが本当に素晴らしい。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するアントネッロ・マナコルダも音が生き生きしていて文句なし。全体的に素晴らしい映像だと思う。

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 ティーレマン+ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 シューマンの交響曲3・4番 しばらく興奮が醒めなかった

 2018111日、サントリーホールでドレスデン国立歌劇場管弦楽団によるシューマン交響曲全曲演奏の2日日を聴いた。昨夜以上の名演。興奮した。

 まず第3番「ライン」。第1楽章から大きなうねりがあり、楽器の軌跡が明確で、しかも楽器の混じり具合が絶妙。一つ一つの音の強弱などにとても納得がいく。とりわけ、第4楽章と第5楽章が素晴らしかった。第4楽章でそれまでとは異なる流れをきっぱりと作って、第5楽章でスケールの大きなフィナーレに突き進む。何という音楽!

 第4番は、「ライン」以上の凄まじい演奏だった。最初から最後まで息をつかせないような緊張感とダイナミズムにあふれた演奏。寸分の隙もなく音が重層的に、しかも論理的になだれ込んでいく。第2楽章、第3楽章と進んで、まさしく一気呵成に終楽章に進んでいく。快刀乱麻というべき棒さばきなのだが、巨匠風のスケールの大きさなので、単にテキパキしているだけでなく、そこに深みが刻み込まれて、聴くものはただただ圧倒される。

私はしばしば感動に身を震わせた。おそらく、私がシューマンの交響曲で感動に身を震わせたのは、生まれて初めてだと思う。私がシューマンにこんなに感動するとは予想もしていなかった。ティーレマンおそるべし!

ある楽器が一瞬ほかの楽器よりも早く出るように感じる場面が何度かあった。ミスなのかと思った。意図的なのか、あるいは事後にティーレマンがつじつま合わせをしているのか。いずれにせよ、しばらく聴き進むうち、それが勢いとしてとても魅力的に感じられた。そうしたテクニックも含めて圧倒的だと思った。

それにしてもオーケストラが素晴らしい。何という美しい音! とりわけ木管楽器に言葉を失う。ニュアンス豊かで、切れがよく、濁りがない。アンサンブルも完璧。もちろんホルンも最高に美しい。弦楽器もしなやかで美しい。

 オーケストラにこんなに興奮したのは、昨年のウィーンフィル以来だった。世界最高峰のオーケストラを聴くと心の底から幸せになる。しばらく興奮がおさまらなかった。

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ティーレマン+ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 シューマンの交響曲1・2番 名演奏!

 20181031日、サントリーホールでドレスデン国立歌劇場管弦楽団によるシューマン交響曲全曲演奏の初日を聴いた。いやはや、とてつもない名演奏。

 予想はしていたが、予想以上にオーケストラが素晴らしい。これほどのオーケストラを聴いてしまうと、やはりふだん聴いている日本のオーケストラはまだまだだと思わざるを得ない。まず、音合わせのオーボエの音からして、まったく別次元。その後、弦が加わると、そこでまた美しさに痺れてしまう。ウィーン・フィル並み、あるいはそれ以上かも。

 シューマンの交響曲を実は私はほとんど聴かない。20歳になるころまで(つまり、1960年代から70年代初め)、名盤とされていたフランツ・コンヴィチュニー指揮、ゲヴァントハウス管弦楽団のレコードを繰り返し聴いていたので、もちろん曲はよく知っているが、その後、実演は数えるほどしか聴いていない。しかも、それはほかの曲(ほとんどがベートーヴェンやブラームス)を目当てに足を運んで、ついでに聴いた場合に限られる。よく言われる通り、オーケストレーションがうまくないし、時々妙にしつこい同じ音形の繰り返しが多くて、聴いていてすっきりしないので、だんだんとシューマンから関心が離れていた。

 そのようなシューマンをティーレマンはどう指揮するか、シュターツカペレ・ドレスデンはどれほどの音を聴かせてくれるか、その興味でサントリーホールに足を運んだのだった。

 まずオーケストラの響きにびっくり。なるほどこれがシューマンの音なのだ! ロマンティックでしなやか。木管の音がニュアンスたっぷり。弦はまさに歌うようでありながら、厚みもあり、律動もある。アンサンブルはまったく乱れず、一つの生き物のように形を成して動いていく。

 ティーレマンの指揮もまたあまりに鮮やか。私はまったくの素人なので、どういう仕掛けがあるのかまったくわからないが、なぜかシューマンのオーケストレーションの不器用さを少しも感じない。しなやかに響くし、確かにブラームスなどに比べるとずっと同じ楽器がメロディを受け持っていて変化がないのは感じるが、それはそれで魅力的に聞こえる。第1番の第4楽章は感動のあまり心が震えた。

 最も苦手な第2番。これこそあまりにしつこい繰り返しに、ふだんはうんざりする曲だ。事実、第1楽章、第2楽章では、同じ音形を繰り返し、いつまでもそこから脱出できないのに少々イライラした。が、最後の楽章になると、まるでベートーヴェンの曲のように、光が見え、かつての苦悩が昇華されていくではないか。ここでも私は深く感動した。いやあ、凄い名曲ではないか!と思ったのだった。

 明日は第3番と第4番。この2曲は実演でも何度か聴いた(カラヤン+ベルリン・フィルの来日公演で第4番を聴いた記憶がある)。シューマンの中では好きな曲に入る。明日もまた楽しみだ。

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