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新国立劇場「ファルスタッフ」 素晴らしい演奏!

2018126日、新国立劇場で「ファルスタッフ」をみた。演奏に関しては素晴らしかった。

カルロ・リッツィが指揮をすると東京フィルハーモニー交響楽団もぐっとしまる。力感にあふれ、精妙な部分も見事に表現されていた。ちょっと粗いところもないではなかったが、初日の演奏としては出色ではないか。とてもまとまりがよく、音色もしっかり出せて、エネルギーのある演奏だった。やはりオーケストラがいいと全体がしまる。

歌手陣も素晴らしかった。やはりアリーチェを歌うエヴァ・メイが声も演技も、そして容姿も素晴らしい。しなやかで色気があって気品がある。ほれぼれするような美しさ。ファルスタッフのロベルト・デ・カンディアも見事なファルスタッフぶり。声もしっかりしている。フォードのマッティア・オリヴィエーリは絵にかいたような二枚目。ちょっと声に一本調子の部分があったが、きっとまだ若いのだろう。これからが楽しみ。クイックリー夫人のエンケレイダ・シュコーザも伸びのある声で深みがあって素晴らしかった。

 日本人歌手も外国人勢にまったく引けを取らなかった。全員がきわめて高レベルだった。本当に素晴らしい。メグの鳥木弥生は伸びのある声でアリーチェに劣らなかった。ナンネッタの幸田浩子もとても美しい声。フェントンの村上公太も若者らしい率直な美声。カイウスの小山陽二郎、バルドルフォの糸賀修平、ピストーラの妻屋秀和はいずれも見事な声と演技。そして、三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団はいつも通りの見事さ。常に高いレベルで舞台を支えている。

 ジョナサン・ミラーの演出はいかにも手慣れた感じ。フェルメールの絵画を思わせる室内。スムーズに、そして的確にストーリーが展開される。ただ、喜劇性は少ない。もっと笑える部分があってもよかったのではないか。そうしてこそ、最後の場面がもっとワクワクしたのではないか。その点、少し物足りなかった。

 とはいえ、本当に素晴らしい舞台だった。新国立劇場のレベルの高さをまたも痛感した。

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「哀しみのモーツァルト」 珠玉の哀しみ!

201812月4日、サントリーホールブルーローズで第1回「哀しみのモーツァルト」を聴いた。モーツァルトの短調の曲を集めたコンサート。モーツァルトの短調の曲をこれほどまとめて聴く機会はめったにないし、演奏は仲道郁代(ピアノ)、小林沙羅(ソプラノ)、崔文洙(ヴァイオリン)、崔文洙弦楽四重(五重)奏団、そして三枝成彰さんの解説付きとあっては悪かろうはずがない。そう思って出かけた。

 曲目は、ピアノ・ソナタ第8番、「フィガロの結婚」のバルバリーナのカヴァティーナ「 失くしてしまって・・・あたし困ったわ!」、「魔笛」のパミーナのアリア「 ああ、私は感じる、愛のしあわせが」、そして、歌曲「希望に」「魔術師」「老婆」「ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき」、そして、「泉のほとりで」の主題による6つの変奏曲、ヴァイオリン・ソナタ第21番、弦楽四重奏曲第15番第一楽章、弦楽五重奏曲第4番第一楽章、アダージョとフーガ ハ短調、ピアノ協奏曲第23番第二楽章など盛りだくさん。

「老婆」はかつてシュヴァルツコップのレコードをずいぶんと聴いたものだ。確か、実演でもシュヴァルツコップの歌を聴いた気がする。とてもおもしろい曲だと改めて思った。

 とりわけ、弦楽四重奏曲第15番と弦楽五重奏曲第4番、アダージョとフーガは私の大好きな曲だ。この3曲は一時期、繰り返し聴いた。悲痛であり、人生の深みが込められており、しかしそうでありながら重くならない。哀しみを珠玉の作品に変えたのはモーツァルトの功績といえるのかもしれない。三枝さんが繰り返し言われていた通り、まさしく「疾走する哀しみ」tristesse allant「トリステス・アラン」! 演奏に関しては、初めのうちは「安全運転」という感じがしたが、徐々にモーツァルトの哀しみが乗り移ったかのようになった。

 短調の曲はモーツァルトの曲全体の5パーセント程度だという。交響曲や協奏曲は時々聴く機会があるが、室内楽を聴く機会は少ない。それをこれほどまとめて聴けて、実にうれしい。短調について、とりわけモーツァルトの短調の特徴について三枝さんのお話もうかがえた。第2回も来年の12月5日に開催されるとのこと(今年はモーツァルトの命日の12月5日言開かれなかったのは、会場が取れなかったためとのこと)。楽しみだ。

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フェルメール展とウィーンピアノ四重奏団、そしてM1グランプリ

 2018123日、午後に少し時間ができたので、上野の森美術館でフェルメール展をみた。

オランダにも何度か行って美術館巡りをしたし、デルフトを訪れたこともあるので、フェルメールの絵はかなり見ている。今回見た絵も、すべてこれまでに見たことがあったはずだ。が、改めて見ても、やはり圧倒的に素晴らしい。ほかの画家の作品も展示されているが、やはりフェルメールの絵の存在感はすさまじい。

「牛乳を注ぐ女」の静謐さ、存在の豊かさには言葉をなくす。そのほか、「ワイングラス」「リュートを調弦する女」「真珠の首飾りの女」「手紙を書く女」「手紙を書く夫人と召使」も素晴らしかった。「赤い帽子の娘」は人気がないようで、ほかの絵の前で人だかりができているのに、この絵の前だけはがらんとしていた。が、よく見てみると、これもとてもいい絵だと思った。娘の顔が緻密に描かれていないのでフェルメールらしくないが、帽子の色彩感はとてもいい。ただ、私は美術には疎いので、それについて語る語彙を持ち合わせていない。よって、くわしくは書かない。

 フェルメール展を見終えた後、銀座である出版社の編集の方と打ち合わせ。その後、日経ホールに場所を移して、ウィーンピアノ四重奏団の演奏を聴いた。

 曲目は、前半にモーツァルトのピアノ四重奏曲 第2番 変ホ長調とドビュッシーのピアノ三重奏曲 第1番、ショパンのバラード第1番(ピアノ四重奏版)、後半にコレッリの合奏協奏曲 第8番 ト短調「クリスマス協奏曲」より「パストラーレ」、そしてブラームスのピアノ四重奏曲 第3番。

 ウィーンピアノ四重奏団はウィーン在住のピアニスト、フォゥグ・浦田陽子さんとウィーンフィルのメンバーによる四重奏団。ただ、私は期待ほど楽しむことができなかった。

ピアノの音にちょっと癖があり、指が少しもつれた感じになるのを感じたが、気のせいだっただろうか。それに、なんだか音楽が一本調子で、初めて音合わせをしているような雰囲気。音楽が構築されていかない。常設のピアノ四重奏団とは思えなかった。私の最も嫌いなタイプの演奏。このブログで私が「けなす」のはだいたいにおいてこのようなタイプの演奏だ。演奏者には申し訳ないが、ずっと退屈だった。

 音楽は楽しめなかったが、その分、フェルメールが素晴らしかったので、今日はこれで満足。

 ところで、ついでに昨日テレビで見た「M1グランプリ」について少し書く。私は小学生のころからの漫才ファン。大学生のころには末広亭に通っていた。三球・照代の地下鉄漫才に何度笑い転げたことか! 今回は和牛とジャルジャルがともに最高におもしろいと思った。優勝した霜降り明星もおもしろかったが、和牛とジャルジャルにはかなわないと思う。テクニックとしては和牛。が、ジャルジャルのシュールなおもしろさはほかの人にはまねできない。どちらかに優勝してほしかった。が、ともあれ、昨日はテレビで彼らの芸を十分に見られたことに満足だった。

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調布市民オペラ「アイーダ」 素晴らしい演奏、衝撃の演出

 2018年12月1日、調布グリーンホールで調布市民オペラ第21回公演「アイーダ」をみた。素晴らしい演奏、そして衝撃の演出だった。

 歌手陣の素晴らしさにまず驚いた。アイーダの江水妙子(旧姓石原)、アムネリスの大賀真理子、ラダメスの小野弘晴、アモナズロの小林大祐の四人の主役格はいずれも音程のよい伸びのある声。エジプト王の狩野賢一、ランフィスの後藤春馬、伝令の工藤翔陽もとてもよい。これまで日本人によって上演された「アイーダ」でも最高レベルの歌唱なのではないかと思う。市民オペラを見くびってはいけないと思いつつ、実はこれほどの高いレベルの歌唱が聞けるとは思っていなかった。市民オペラのレベルの高さに脱帽!

ステーファノ・マストランジェロの指揮による東京ニューシティ管弦楽団もさすが手慣れたもので、しっかりとした音楽を聞かせてくれた。もちろん、ときどき歌とずれるところもあった。だが、だんだんと調子がでてきて、第34幕は見事だった。

谷茂樹指導による調布市民オペラ合唱団もしっかりと歌っていた。かなりの高齢の方々のようだ。もしかしたら、80歳を超す方がかなりおられるのではないか。よくぞここまで歌えると思った。私は、高齢の合唱団の方々が楽しそうに、そして必死に歌っている姿を見て、心から感動した。これこそが音楽の楽しみだと思った。オペラというのは本来このようなものだと思う。近所のおじさんやおばさんが合唱団やオーケストラに所属していて、親しみやすいものとしてみんなで楽しむのがオペラなのだと思う。まさにそれをこの市民オペラは実践している。

そして、特筆するべきは三浦安浩の演出。実は、きわめてオーソドックスなわかりやすい演出だと思う。目立った解釈は少しもない。何度も見てきた「アイーダ」の物語。ただ、1点を除いては。が、その1点があまりに衝撃的だった。

その1点というのは、ミカン箱で作ったかのような粗末で安づくりの山鉾が2台舞台上に置かれ、それが階段になったり、2台が組み合わされてピラミッドのようになったりすることだ。豪華な舞台とは対照的な安っぽい装置! 

これは、「アイーダ」を豪華絢爛な大スペクタクルにすることに対する三浦流のアンチとしての仕掛けなのだと思う。こうすることで、「アイーダ」は王や王女や英雄たちの豪華で壮大な物語ではなく、市井の男と女の物語になる! 戦争に翻弄された男女の普遍的な悲劇になる。私たちの心の中の出来事になる。

実は私は「アイーダ」はあまり好きではない。先日、ムーティ指揮のザルツブルク音楽祭2017年の「アイーダ」の映像をみたが、その思いを強くした。私が「アイーダ」が好きでない理由、それはこれが市井の人間からかけ離れた王や王女や英雄たちのあまりに壮大な物語だということだ。これほど壮大だと私はむしろ空々しさを感じてしまう。こけおどしのようなものを感じてしまって、リアリティを感じない。

ところが、三浦演出は、そのような豪華絢爛な壮大さを、たった一つの仕掛けによって打ち崩す。ほかは何もいじらず、オーソドックスな演出をしながら、安っぽい装置をさりげなく使うだけで、根底から「アイーダ」のあり方を変えてしまう。しかも、このようにすることで、市民オペラが手作りであること、市民がみんなで作っていることを強調することにもつながる。これはすさまじいことだと思った。

三浦さんとは親しくさせていただいているので、終演後、ご本人にこのことについて問いただしたいと思った。が、そうするとここに勝手な私の感想を書けなくなる。それもあって、あえて三浦さんには何も聞かないままここに書きつけることにした。

私が「アイーダ」に心から感動したのはこれが初めてだ。このような市井的な面を強調した「アイーダ」なら私は大好きなのだ。素晴らしいオペラだと改めて納得した。

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