調布市民オペラ「アイーダ」 素晴らしい演奏、衝撃の演出
2018年12月1日、調布グリーンホールで調布市民オペラ第21回公演「アイーダ」をみた。素晴らしい演奏、そして衝撃の演出だった。
歌手陣の素晴らしさにまず驚いた。アイーダの江水妙子(旧姓石原)、アムネリスの大賀真理子、ラダメスの小野弘晴、アモナズロの小林大祐の四人の主役格はいずれも音程のよい伸びのある声。エジプト王の狩野賢一、ランフィスの後藤春馬、伝令の工藤翔陽もとてもよい。これまで日本人によって上演された「アイーダ」でも最高レベルの歌唱なのではないかと思う。市民オペラを見くびってはいけないと思いつつ、実はこれほどの高いレベルの歌唱が聞けるとは思っていなかった。市民オペラのレベルの高さに脱帽!
ステーファノ・マストランジェロの指揮による東京ニューシティ管弦楽団もさすが手慣れたもので、しっかりとした音楽を聞かせてくれた。もちろん、ときどき歌とずれるところもあった。だが、だんだんと調子がでてきて、第3、4幕は見事だった。
谷茂樹指導による調布市民オペラ合唱団もしっかりと歌っていた。かなりの高齢の方々のようだ。もしかしたら、80歳を超す方がかなりおられるのではないか。よくぞここまで歌えると思った。私は、高齢の合唱団の方々が楽しそうに、そして必死に歌っている姿を見て、心から感動した。これこそが音楽の楽しみだと思った。オペラというのは本来このようなものだと思う。近所のおじさんやおばさんが合唱団やオーケストラに所属していて、親しみやすいものとしてみんなで楽しむのがオペラなのだと思う。まさにそれをこの市民オペラは実践している。
そして、特筆するべきは三浦安浩の演出。実は、きわめてオーソドックスなわかりやすい演出だと思う。目立った解釈は少しもない。何度も見てきた「アイーダ」の物語。ただ、1点を除いては。が、その1点があまりに衝撃的だった。
その1点というのは、ミカン箱で作ったかのような粗末で安づくりの山鉾が2台舞台上に置かれ、それが階段になったり、2台が組み合わされてピラミッドのようになったりすることだ。豪華な舞台とは対照的な安っぽい装置!
これは、「アイーダ」を豪華絢爛な大スペクタクルにすることに対する三浦流のアンチとしての仕掛けなのだと思う。こうすることで、「アイーダ」は王や王女や英雄たちの豪華で壮大な物語ではなく、市井の男と女の物語になる! 戦争に翻弄された男女の普遍的な悲劇になる。私たちの心の中の出来事になる。
実は私は「アイーダ」はあまり好きではない。先日、ムーティ指揮のザルツブルク音楽祭2017年の「アイーダ」の映像をみたが、その思いを強くした。私が「アイーダ」が好きでない理由、それはこれが市井の人間からかけ離れた王や王女や英雄たちのあまりに壮大な物語だということだ。これほど壮大だと私はむしろ空々しさを感じてしまう。こけおどしのようなものを感じてしまって、リアリティを感じない。
ところが、三浦演出は、そのような豪華絢爛な壮大さを、たった一つの仕掛けによって打ち崩す。ほかは何もいじらず、オーソドックスな演出をしながら、安っぽい装置をさりげなく使うだけで、根底から「アイーダ」のあり方を変えてしまう。しかも、このようにすることで、市民オペラが手作りであること、市民がみんなで作っていることを強調することにもつながる。これはすさまじいことだと思った。
三浦さんとは親しくさせていただいているので、終演後、ご本人にこのことについて問いただしたいと思った。が、そうするとここに勝手な私の感想を書けなくなる。それもあって、あえて三浦さんには何も聞かないままここに書きつけることにした。
私が「アイーダ」に心から感動したのはこれが初めてだ。このような市井的な面を強調した「アイーダ」なら私は大好きなのだ。素晴らしいオペラだと改めて納得した。
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