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札響の東京公演 派手さなはないが、素晴らしい音楽

 2019130日、サントリーホールで札幌交響楽団東京公演を聴いた。指揮はマティアス・バーメルト。曲目は前半にモーツァルトのセレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」と岡田奏が加わってベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、後半にブラームスの交響曲第2番。

 とても良い演奏だった。とても繊細でアンサンブルの美しいオーケストラだ。とりわけ弦楽器の音がとても美しい。音の重なりがしっかりと聞こえるような透明な音。「セレナータ・ノットゥルナ」の第1楽章の前半こそ少しバランスがよくなかったが、すぐに立て直して、第2楽章以降は素晴らしかった。

 ピアノの岡田奏も透明な音。やや硬質な音といえるかもしれない。一つ一つの音の粒立ちが美しい。第1楽章前半は少し集中力が欠けているように思えたが、カデンツァあたりからぐんぐんと乗ってきて、硬質でありながら、とても繊細に奏でられるようになった。第2楽章も実に繊細で、しかもそこに強い音も交じり、また柔らかい音も加わって、しなやかな音楽が構成されていった。ただ、もう少し第3楽章をダイナミックに弾いてもよいのではないかと思ったが、繊細な音で通し、そこに美を見つけ出そうとするのがこのピアノストの美学なのだろう。ピアノのアンコールにラヴェルの小曲(あれ、曲名を忘れた!)。これも硬質な音による繊細な音楽が構築されていった。素晴らしいピアニストだと思った。。もっと大喝采が起こるかと思ったのだが、客の入りが満員ではなかったこともあって、ちょっとおとなしめだった。

 後半のブラームスの交響曲もよかった。ただ、バーメルトはあまり自分を押し出さないタイプの指揮者のようだ。ところどころで独特のリズムでメロディを鳴らすが、それほど極端ではなく、あくまでも自然な音楽の流れを重視する。強い味付けはしないで、音楽の本質を静かに作りだす。もう少し自己主張してくれてもよいのではないかと思うのだが、これがこの指揮者の考えるブラームスなのだろう。最後まで抑制をきかせ、しなやかで繊細に演奏し、第4楽章の最後の最後で静かに感情が爆発する。なるほど、とても説得力のある音楽づくりだと思う。ただ、実を言うと、あまりに地味なので、第2楽章ではちょっと退屈したのだった。

 アンコールはモーツァルトのディヴェルティメント(何番だったか忘れた)。見事な演奏。弦のアンサンブルが美しい。札響の実力がよくわかるアンコール曲だった。

 札幌交響楽団、マティアス・バーメルト、岡田奏。いずれも派手ではない。だが、とても素晴らしい音楽家たち。本質を見据えた音楽を存分に聴かせてもらった。

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バッハ・コレギウム・ジャパンの「第九」 第1・2楽章に違和感

2019124日、東京オペラシティ・コンサートホールでバッハ・コレギウム・ジャパンによるベートーヴェン「第九」コンサートを聴いた。指揮は鈴木雅明。

もちろん悪い演奏ではない。第4楽章は素晴らしかった。これがマエストロ鈴木雅明の考えるベートーヴェンなのだろう。だが、私は第3楽章まではずっと違和感を覚え続けた。少なくとも私の考えるベートーヴェンとは隔たりがありすぎた。

もちろんピリオド楽器だから音の響きに限界があるということもあるだろう。が、それだけではないと思う。私は素人なので、具体的にどこがどうなのかは言い難いのだが、ベートーヴェン特有の激情的なうねりがない。いや、むしろとってつけたような激情があるというほうが正しいかもしれない。盛り上がっていくのだが、それが機械的で一本調子になってしまうのを感じた。とりわけ、第12楽章はそのように感じた。ベートーヴェンはもっと多様な人間感情や思想が盛り込まれているように思うのだが、それが十分に描かれていないように思えた。

3楽章は第12楽章よりもずっとよかった。音と音の絡みが美しく描かれていた。が、ここでもやはり多様な思いが十分に伝わらなかった。

4楽章になって声楽が入ってからは俄然よくなった。まずソリストたちが素晴らしい。とりわけソプラノのアン=ヘレン・モーエンの美しく芯の強い声に圧倒された。アルトのマリアンネ・ベアーテ・キーラントもテノールのアラン・クレイトンもバスのニール・デイヴィスも見事。そして、もちろんバッハ・コレギウム・ジャパンの合唱も素晴らしい。

声が入ると、さすがBCJというべきか、広がりが生まれ、厚みができ、音楽に深みが出る。ともあれ、最後には感動した。

鈴木雅明はもちろん尊敬する指揮者の一人なのだが、少なくともベートーヴェンの器楽曲については、私は十分に納得できない・・・というのが今日の偽らざる感想だった。

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オペラ映像「後宮からの逃走」「コシ・ファン・トゥッテ」「リゴレット」「椿姫」「アイーダ」

 今日、111日がいわば私の「仕事始め」。実は元日の早朝(530分くらい)から起きだして、ずっと原稿を書くなどの仕事はしており、それはそれで久しぶりに驚くほど捗ったのだが、昨日まではマイペースで自宅にこもって仕事をしていればよかった。今日、多摩大学で今年初めての授業をした。一昨年に定年退職をして、今の私は秋学期に週1日、授業をするだけ。久しぶりに教えて疲れた。

 家にこもって仕事をしている間、疲れた時にはオペラ映像をみたり、DVDで映画をみたりしていた。その間に見たオペラ映像の感想を書く。

 

015 モーツァルト 「後宮からの逃走」2015年 グラインドボーン歌劇場

 衝撃的な上演だと思う。演奏、演出ともに素晴らしい。

 演出はデイヴィッド・マクヴィカー。今回の主役はベルモンテでもコンスタンツェでももちろんオスミンでもなく、太守(フランク・ソレル)! しかも、多くの上演で演じるような高齢者ではなく、壮年のたくましくエネルギッシュな男性でしばしば筋骨たくましい上半身をあらわにする。コンスタンツェを激しく愛し、なんとしてもわがものにしたい必死に迫るが、拒まれ、最後には諦めて紳士として振る舞う。それが中心的な物語になっている。

 そのため、第2幕のコンスタンツェのアリアは、レイプのように激しく迫る太守からやっとのことで逃れての激しい思いのこもった歌になっている。

 これだけでこのオペラの様相が全面的に変化する。確かにこのオペラはそんなオペラかもしれない。あっけらかんとしためでたしめでたしのオペラではなく、粗暴なエネルギーにあふれ、ギリギリのところで理性を守る、それを描いているのがこのオペラかもしれない。少なくとも、ロビン・ティチアーティの指揮するエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団の演奏はそのような激しさ、生々しさをこの上なくリアルに伝える。メリハリがあり、ドラマティックであって、しかも舞台に沿って的確に音の表情を変える。圧倒的な指揮だ。映画のように緻密でリアルな舞台もまたそのような生々しさを強調する。こうして描かれると、太守が歌わないことに少しも違和感はなく、むしろこうであるべきだと感じる。

 このような舞台にするにはコンスタンツェを歌うサリー・マシューズの映画女優としても通用するような美しい容姿と演技力が不可欠だっただろう。「フィガロの結婚」の伯爵夫人ではさほど思わなかったが、これは素晴らしい歌手だと思った。

 そのほかオスミンのトビアス・ケーラーが素晴らしい。太い声で粗雑なトルコ人を歌う。 ベルモンテのエドガラス・モントヴィダス、ペドリッロのブレンデン・ガンネル、ブロンデのマリ・エリクスモーエンも申し分なし。いずれも声だけでなく、歌唱力、そして演技力、容姿まで本当に見事。

 黙役のアフリカ系の女性が登場する。初めはコンスタンツェらに反感を持っているかのようだが、死刑を宣告されても健気でいるコンスタンツェを見て涙を流す。この女性の存在が太守の最後の突然の決断を納得できるものにしている。演出家マクヴィカー、おそるべし!

大変満足し、息を飲んで最後までみた。グラインドボーン音楽祭の演劇としてのレベルの高さに驚嘆。

 

モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」2006年 グラインドボーン歌劇場

「後宮からの逃走」よりも9年前の上演記録。エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団を指揮するのはイヴァン・フィッシャー。ティチアーティよりはオーソドックスでおとなしい音だが、十分に切れがよく、きびきびしてドラマティックで生々しい。要所要所では深く鋭く練り響く。奇をてらわないが、実に生き生きとした音楽になっている。

 歌手は最高レベルでそろっている。フィオルディリージを歌うのはミア・パーション。美人歌手として有名だが、確かに本当に美しいし、歌唱も素晴らしい。ドラベッラのアンケ・フォンドゥング、フェルランドのトピ・レティプー、グリエルモのルカ・ピサローニ、ドン・アルフォンソのニコラ・リヴァンク、デスピーナのアイノア・ガルメンディア。全員が最高にまさしくその約そのものを歌う。いずれも大歌手という歌い方ではないが、アンサンブルが素晴らし、声の質がそろっていて、実に気持ちがいい。

演出はニコラス・ハイトナー。映画的でリアルな演技と舞台。特に目立った解釈はない。きわめて穏当な解釈と言えるだろう。が、これほどきりりと引き締まって、全員の演技が見事だと、舞台世界に引き込まれて、何の不満もない。これとみても、グラインドボーン音楽祭のレベルの高さを改めて痛感する。

 

633 ヴェルディ「リゴレット」2008年 テアトロ・レッジョ(パルマ)

もちろん悪い上演ではないが、期待ほどではなかった。とはいえ、やはりリゴレットを歌うレオ・ヌッチはさすがに圧倒的。かつての声は失われていると思うが、リゴレットを生きていることに驚嘆させられる。ジルダを歌うニーノ・マチャイゼは、もう少し輝きがほしいと思うが、しっかりと歌っている。もちろん容姿的にはとてもいい。ただ、マントヴァ公爵役のフランチェスコ・デムーロについては、私はかなり聴くのがつらくなってくる。輝かしい声だが、あまりに音程が不安定。演技も不自然。

そして、それと同じほどに気になるのが、マッシモ・ザネッティの指揮だ。ドラマティックな場面ではあっというほどに素晴らしい盛り上がりを聴かせてくれるのだが、静かな場面(ただし、ドラマを内に秘めた場面)での音楽の停滞を私は感じた。

ステファノ・ヴィジオーリの演出は特に個性的な解釈はないが、かなりリアルで、リゴレットの怒りと悲しみが伝わってくる。

 

668 ヴェルディ 「椿姫」 2007 テアトロ・レッジョ(パルマ)

とてもドラマティックな「椿姫」。ユーリ・テミルカーノフの指揮もヘルマン夫妻の演出も、抒情をかきたてるのではなく、むごたらしいヴィオレッタの人生を描き出している。第3幕に至っては、演出も含め、あまりにリアル。ヴィオレッタを歌うスヴェトラ・ヴァシレヴァは、やつれ具合を含めて鬼気迫るというにふさわしい演技と歌唱。カーニバルの音が聞こえてヴィオレッタが窓を開けると赤い風船が入ってくる。それだけでヴィオレッタの無念が強調される。あまりのやつれ具合に、アルフレード(マッシモ・ジョルダーノ)は直視できない様子。そのような細かいところも含めて、実にリアル。かなり感動して観た。

ジョルジョ・ジェルモン役のウラディーミル・ストヤノフは、とてもよい雰囲気だが、ちょっと声が出ていない気がした。とはいえ、全体的には素晴らしい上演だと思う。

 

288 ヴェルディ 「アイーダ」 2009年 ブレゲンツ音楽祭

一体何が起こっているのだろうかと呆れるような演奏。ほとんど聴くに堪えない。湖を使って、しかもしばしば歌手たちが水の中に入る演出(グレアム・ヴィック)だが、もしかして、かなりの寒さだったのではないか。歌手の全員の声が出ていない。アイーダのタチアナ・セルジャンとラダメスのルーベンス・ペリッツァーリ、そして、アモナズロのイアン・パターソンはまだしもよいほうだが、それでも、私としては聴くのがつらい。アムネリスのイアノ・タマールほか、多くの歌手はそれに輪をかけて不安定。そろいもそろって音程が悪く、声が伸びない。クラクフポーランド放送合唱団も声がそろわない。それだけでなく、カルロ・リッツィ指揮のウィーン交響楽団もぼやけた音をしか出さない。野外でのオペラの限界なのか、あるいは、これまた寒さのせいなのか。

 青く塗られた自由の女神のようなものを背景にして、エジプトによるエチオピア支配の激しさを強く描く演出だが、そんなことよりも私としてはもっと良い環境で歌手たちに歌わせてあげたくなる。

 まったく楽しめなかった。途中から、BDの場面をときどき飛ばしながらみた。

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ニューイヤー・ワーグナー・ガラ 新春からワーグナーを堪能した

 201918日、紀尾井ホールでニューイヤー・ワーグナー・グランド・ガラコンサートを聴いた。ワーグナーの名場面がまとめて演奏された。新春からワーグナーを堪能できて、大満足。素晴らしい演奏だった。

 オーケストラはThe Opera Band。未知のオーケストラだと思っていたが、メンバーの顔を見ると、見覚えのある人たち。たぶん、N響中心のメンバーだと思う。どうりでうまいはず。ただ、最初の曲「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏ではバランスが最悪だった。指揮のホルヘ・パローディがオーケストラを掌握できていなかったのかもしれない。が、その後、とてもよくなっていった。「タンホイザー」序曲では素晴らしい演奏になった。パローディはかなり堅実にしっかりと土台を築いていくタイプの指揮者だと思う。最終的には見事だった。

 歌手も粒ぞろいだった。後藤春馬のザックス(「迷妄のモノローグ」)も深い声でとてもよかった。矢野敦子のエリーザベト(「歌の殿堂のアリア」)もよく通るしっかりした声が素晴らしい。青戸知のヴォルフラム(「夕星の歌」)も繊細で細かいところまでとてもニュアンス豊かな歌。青戸さんはこれまで何度も聴いてきたが、髪形を変えたせいか雰囲気がまったく違っていて初めは誰なのか識別できなかった。

 田村由貴絵のブランゲーネ(「見張りの歌」)はとりわけ素晴らしかった。ただ、この部分だけでは、ガラコンサートとしては盛り上がりに欠けてしまうのは致し方ないところだろう。ブランゲーネのこの歌はあくまでもトリスタンとイゾルデの愛の二重唱を盛り立てるための影の役割なのだから。

 宮里直樹のローエングリン(「はるか遠い国で」)は今回のガラコンサートの中でも最高の歌声だった。輝かしい芯のある声。やっと本格的な日本人ヘルデンテノールが登場したと言えるのかもしれない。

 最後の曲は「ワルキューレ」第三幕。ワルキューレたちもみんな実に高いレベルでそろっていた。全員がドレスを着ていたが、猛々しいワルキューレたちの姿が目に浮かぶようだった。ブリュンヒルデ(武井涼子)とジークリンデ(岩井理花)も感動的なやり取りを聴かせてくれた。前半に武井涼子はイゾルデ(「愛の死」)をしっとりと、しかも強く歌ったが、オーケストラに埋もれてしまうところがあったし、岩井理花のエルザ(「エルザの夢」)はヴィブラートが強すぎて声が伸びなかった。だが、「ワルキューレ」では、二人ともさすがというべきか実に感動的な歌を聴かせてくれた。ジークフリートの誕生を予告する場面では私は不覚にも涙を流したのだった。

 ともあれ、新春からオーケストラ伴奏で、とても高いレベルの歌唱でワーグナーを聴けてとてもうれしい。これが恒例になって、毎年、ワーグナー・ニューイヤーコンサートが開催されたらこんなうれしいことはない。

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ドゥネーヴ+N響 ラヴェルの音が聞こえなかった

201916日、オーチャードホールでN響オーチャード定期公演を聴いた。指揮はステファヌ・ドゥネーヴ。ドゥネーヴの実演は、かなり前、パリ国立オペラの「アリアーヌと青ひげ」の公演で聴いた記憶がある。今年初めてのコンサートにドゥネーヴが得意とするヴラヴェルを聴きたと思ったのだった。

曲目は、前半にシャブリエの狂詩曲「スペイン」と、韓国出身の若き女性ヴァイオリニスト、イェウン・チェが加わってメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調、後半にラヴェルの「マ・メール・ロワ」組曲、「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ラ・ヴァルス」。

シャブリエの曲はまずは肩慣らしといったところ。しっかりした音を出しているが、もう少し色彩的であってほしいと思った。

メンデルスゾーンについては、あまりにさらさらとした演奏だった。イェウン・チェのキャラクターなのだろうか。タメもなく、流麗に弾こうとするでもなく、勢い良く弾いていく。が、これではあまりに素っ気ない。ロマンティックに歌い上げる必要は必ずしもないが、もう少しフレーズごとの表情の違いを聞かせてくれないとメンデルスゾーンの音楽が伝わってこない。どうということなく終わってしまって、拍子抜け。ヴァイオリンのアンコールはバッハの無伴奏ソナタ第2番アンダンテだが、これも何を弾こうとしているのか、私にはわからなかった。私としては、このヴァイオリニスト大いに期待していたのだったが、期待外れだった。このような音楽を作る人なのだろうか。

後半は前半よりはずっと良かった。が、それでも、私は心から楽しめたわけではなかった。NHK交響楽団から私の期待していたラヴェルの音が聞こえてこない。私がラヴェルを得意にするドゥネーヴに期待していたのは、精妙で知的で軽やかでしなやかな音だった。だが、かなり硬い音が聞こえてくる。これではフランス音楽に聞こえない。「亡き王女のためのパヴァーヌ」で朴訥としながらも優雅で高貴な音が静かに立ちあがると思っていたのだが、私にはきつい音に聞こえた。「ラ・ヴァルス」でワルツのメロディが沸き起こり、それが徐々に情念を増して、うねり、高まり、飛翔し、渦巻いていくのを期待していたのだが、そうした音楽の運動は聞き取れなかった。もっとずっと直線的な硬い音を重ねる演奏だった。もちろんこのようなラヴェルもあってよいと思うが、これが指揮者の求めている音なのかどうか私としては疑問を覚えた。

アンコールは「アルルの女」のファランドール。ここでやっと本領を発揮した。だが、それでもまだ色彩感が不足するように思った。ドゥネーヴの実力はこんなものではないはず。ドゥネーヴの求める音をN響は出せていないのではないかと思った。

久しぶりにラヴェルのオーケストラ曲を聴いた。静かな音に耳を傾ける場面が多かった。だが、どういうわけか今日の客席からは、プログラムをめくったり、飴玉をむいたりする音がずっと聞えていた。すぐ後ろの女性客はコートを下半身にかけて聴いていたが、生地の材質のせいだろう、服のこすれる音がしばしば聞こえた。そうしたことも含めて、今日はかなり不満が残った。

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2019年正月 オペラ映像「フィデリオ」「ヴォツェック」「ノルマ」「微笑みの国」「フィガロの結婚」

 2019年になった。今年もまた何事もなく過ごせることを願う。

 風邪気味だったため、年末年始に予定していた外出は控え、ほとんど家にこもって過ごした。幸い、風邪はこじらせずに済んで、すでに全快。大晦日も元旦もいつもと変わらず、マイペースで仕事をし、疲れたらオペラ映像をみたり、DVDで映画をみたり、昼寝したり。

 年末から今日までに見たオペラ映像の感想を簡単に書く。

 

969 ベートーヴェン 「フィデリオ」2018年 スイス、ザンクト・ガレン劇場

 レオノーレを歌うジャクリーン・ワグナーという歌手を初めて知った。大柄なパワーのある歌手。この役にぴったりの歌手だと思う。演出上の意図があるのかもしれないが、ノルベルト・エルンストはきれいな、悪く言えばパワーのない声。ドン・ピツァロのローマン・トレーケルはさすがにうまく悪役を歌っている。ロッコのヴォチェク・ギールラッハ、マルツェリーネのタチアナ・シュナイダーはとてもいい。総じて歌手陣のレベルは高いが、ただドン・フェルナンド役のマルティン・ゾンマーが不安定。

指揮のオットー・タウスクはかなり細かく工夫しているが、ちょっといじりすぎの気がする。歌手と合わないところ、音楽がドラマに乗っていかない箇所を感じる。オーケストラの性能は悪くはないと思うが、超一流ではなさそう。

演出のヤン・シュミット=ガレは映画監督だとのこと。レオノーレはほとんど男装せず、女性の姿のままで過ごす。四角の枠を移動させて視覚的には美しい。が、フロレスタンが異様にだらしないのをのぞけば、とりわけ新しい解釈があるようには思えない。

 

412 ベルク 「ヴォツェック」2017年 オランダ国立歌劇場

 音楽が始まる前に、5分近く黙劇がある。ヴォツェックとマリーの間の子ども(恐るべき演技力!)が中心人物で子どもたちが社交ダンスを踊る。が、このような演出家(クシシュトフ・ヴァリコフスキ)による改変は私には大変不愉快。このオペラの本質をえぐりだすのならよいが、別の話にすり替えようとしているのがありあり。腹立たしくてあまり熱心に見なかったせいもあるのかもしれないが、付け足したものをすべてカットしても大勢に影響はないのではないか。このオペラを残された子供の視点から見たところで、あまり意味はないように思うのだが。

 ヴォツェックを歌うクリストファー・マルトマンは下層の愚かな人間というよりは現代の狂気に至る知的な人間ヴォツェックをリアルに歌う。マリーのエヴァ=マリア・ウェストブロークは色気のある売春婦を熱演。大尉役のマルセル・ビークマンが演技・歌唱ともに素晴らしい。グロテスクな世界を見事に作り出している。医者を歌っているのはサー・ウィラード・ホワイト。これも見事。ほかの役もとてもいい。

マルク・アルブレヒトの指揮も鋭利でありながら、十分にロマンティックでとてもよいと思った。

 

053 ベッリーニ 「ノルマ」2017年 メトロポリタン歌劇場

 ライブビューイングで上映されたもの(私はみる機会がなかった)のようだ。

 METなので、もちろんすべてがそろっている。とりわけ、ノルマを歌うソンドラ・ラドヴァノフスキーとアダルジーザのジョイス・ディドナートが圧倒的。二人のデュエットはまさしく圧巻。ただ私はポリオーネを歌うジョセフ・カレヤに我慢がならない。この役を得意にしているようで、ほかのヴァージョンでもこの歌手が歌っていたが、どうも私には音程が外れているように聞こえる。なんでこんな歌手が主役を張るのか私には大いに疑問だ。

 カルロ・リッツィの指揮はメリハリがあってとてもいい。デイヴィッド・マクヴィカーの演出はきわめてオーソドックスだが、最終幕の後半、ノルマとポリオーネが愛し合う二人のように抱き合っているのがきわめて異様。台本と矛盾する気がしたが、なるほど最後のノルマの決断を愛情のあかしとして捉えようとしたのだろう。

 

133 レハール オペレッタ「微笑みの国」2017年 チューリッヒ歌劇場

 その昔、シュヴァルツコップの歌うこのオペレッタのCDを聴いたものだ。ルネ・コロの歌うオペラ映画もみた覚えがある。ただ、あまりおもしろいオペラではないと思ってきたし、今回もまた思った。東洋と西洋の文化の溝を描くオペレッタで、ハッピーエンドで終わらないところがある意味でおもしろいが、やはり音楽としてさほど楽しめない。

 ただ上演としてはとても充実している。スー・チョン殿下を歌うピョートル・ベチャワは素晴らしい声。今、世界最高のテノールと言えるのではないか。申し分なし。リーザのユリア・クライターも声も美しく、容姿も見事。ミーのレベッカ・オルヴェラ(まるで東洋人のように見える!)、グスタフのスペンサー・ラングも安定している。

 ファビオ・ルイージ指揮のチューリッヒ歌劇場管弦楽団ももちろん美しい。アンドレアス・ホモキの演出の演出は、東洋と西洋の断絶を象徴するかのように左右に分裂した作りになっている。退屈しない舞台になっている。

 

 

287 モーツァルト 「フィガロの結婚」 2012年 グラインドボーン歌劇場

 素晴らしい上演だと思う。まず何といってもロビン・ティチアーティ指揮のエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団の鮮烈な音に驚嘆する。現代楽器よりもむしろずっと現代的に響き、実に雄弁。スリリングで躍動感があり、ドラマティック。しかも歌心はたっぷり。確かにこれこそがフィガロの世界なのではないかと思わせるだけの説得力がある。

 マイケル・グランデージの演出もおもしろい。1960年代のツイストが流行った時期に舞台設定をしている。このオペラの副題通り、最終幕はツイストで「狂った一日」になる。映画的なリアルな舞台だが、まったく違和感はない。動きの一つ一つが自然だし、舞台も美しい。『フィガロの結婚』がこの演奏と演出でまさしく現代の物語になっている。

 歌手もそろっている。とりわけ素晴らしいのが、スザンナを歌うリディア・トイシャーとケルビーノのイザベル・レナード。二人ともヴィブラートの少ない澄んだ声で表現力も豊か。しかも容姿も申し分ない。まさにスザンナとケルビーノに見える。

伯爵夫人のサリー・マシューズもきれいな容姿と美しくて柔らかい声、伯爵のアウドゥン・イヴェルセンもしっかりした声でとてもいい。フィガロを歌うのはヴィート・プリアンテ。演出によるのかもしれないが、かなり神経質なフィガロになっている。もっとおおらかでもっと余裕があってよいのではないか。歌はよいだけに演技が気になる。マルチェリーナを歌っているのはなんとアン・マレイ。70年代、80年代に活躍していた歌手だ。70歳を超えていると思う。声は失われているが、軽妙な演技といい、この役にぴったり。ほかの脇役や合唱団も含めて、グラインドボーン音楽祭らしく、演劇的にとても充実している。

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