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オペラ映像「後宮からの逃走」「コシ・ファン・トゥッテ」「リゴレット」「椿姫」「アイーダ」

 今日、111日がいわば私の「仕事始め」。実は元日の早朝(530分くらい)から起きだして、ずっと原稿を書くなどの仕事はしており、それはそれで久しぶりに驚くほど捗ったのだが、昨日まではマイペースで自宅にこもって仕事をしていればよかった。今日、多摩大学で今年初めての授業をした。一昨年に定年退職をして、今の私は秋学期に週1日、授業をするだけ。久しぶりに教えて疲れた。

 家にこもって仕事をしている間、疲れた時にはオペラ映像をみたり、DVDで映画をみたりしていた。その間に見たオペラ映像の感想を書く。

 

015 モーツァルト 「後宮からの逃走」2015年 グラインドボーン歌劇場

 衝撃的な上演だと思う。演奏、演出ともに素晴らしい。

 演出はデイヴィッド・マクヴィカー。今回の主役はベルモンテでもコンスタンツェでももちろんオスミンでもなく、太守(フランク・ソレル)! しかも、多くの上演で演じるような高齢者ではなく、壮年のたくましくエネルギッシュな男性でしばしば筋骨たくましい上半身をあらわにする。コンスタンツェを激しく愛し、なんとしてもわがものにしたい必死に迫るが、拒まれ、最後には諦めて紳士として振る舞う。それが中心的な物語になっている。

 そのため、第2幕のコンスタンツェのアリアは、レイプのように激しく迫る太守からやっとのことで逃れての激しい思いのこもった歌になっている。

 これだけでこのオペラの様相が全面的に変化する。確かにこのオペラはそんなオペラかもしれない。あっけらかんとしためでたしめでたしのオペラではなく、粗暴なエネルギーにあふれ、ギリギリのところで理性を守る、それを描いているのがこのオペラかもしれない。少なくとも、ロビン・ティチアーティの指揮するエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団の演奏はそのような激しさ、生々しさをこの上なくリアルに伝える。メリハリがあり、ドラマティックであって、しかも舞台に沿って的確に音の表情を変える。圧倒的な指揮だ。映画のように緻密でリアルな舞台もまたそのような生々しさを強調する。こうして描かれると、太守が歌わないことに少しも違和感はなく、むしろこうであるべきだと感じる。

 このような舞台にするにはコンスタンツェを歌うサリー・マシューズの映画女優としても通用するような美しい容姿と演技力が不可欠だっただろう。「フィガロの結婚」の伯爵夫人ではさほど思わなかったが、これは素晴らしい歌手だと思った。

 そのほかオスミンのトビアス・ケーラーが素晴らしい。太い声で粗雑なトルコ人を歌う。 ベルモンテのエドガラス・モントヴィダス、ペドリッロのブレンデン・ガンネル、ブロンデのマリ・エリクスモーエンも申し分なし。いずれも声だけでなく、歌唱力、そして演技力、容姿まで本当に見事。

 黙役のアフリカ系の女性が登場する。初めはコンスタンツェらに反感を持っているかのようだが、死刑を宣告されても健気でいるコンスタンツェを見て涙を流す。この女性の存在が太守の最後の突然の決断を納得できるものにしている。演出家マクヴィカー、おそるべし!

大変満足し、息を飲んで最後までみた。グラインドボーン音楽祭の演劇としてのレベルの高さに驚嘆。

 

モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」2006年 グラインドボーン歌劇場

「後宮からの逃走」よりも9年前の上演記録。エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団を指揮するのはイヴァン・フィッシャー。ティチアーティよりはオーソドックスでおとなしい音だが、十分に切れがよく、きびきびしてドラマティックで生々しい。要所要所では深く鋭く練り響く。奇をてらわないが、実に生き生きとした音楽になっている。

 歌手は最高レベルでそろっている。フィオルディリージを歌うのはミア・パーション。美人歌手として有名だが、確かに本当に美しいし、歌唱も素晴らしい。ドラベッラのアンケ・フォンドゥング、フェルランドのトピ・レティプー、グリエルモのルカ・ピサローニ、ドン・アルフォンソのニコラ・リヴァンク、デスピーナのアイノア・ガルメンディア。全員が最高にまさしくその約そのものを歌う。いずれも大歌手という歌い方ではないが、アンサンブルが素晴らし、声の質がそろっていて、実に気持ちがいい。

演出はニコラス・ハイトナー。映画的でリアルな演技と舞台。特に目立った解釈はない。きわめて穏当な解釈と言えるだろう。が、これほどきりりと引き締まって、全員の演技が見事だと、舞台世界に引き込まれて、何の不満もない。これとみても、グラインドボーン音楽祭のレベルの高さを改めて痛感する。

 

633 ヴェルディ「リゴレット」2008年 テアトロ・レッジョ(パルマ)

もちろん悪い上演ではないが、期待ほどではなかった。とはいえ、やはりリゴレットを歌うレオ・ヌッチはさすがに圧倒的。かつての声は失われていると思うが、リゴレットを生きていることに驚嘆させられる。ジルダを歌うニーノ・マチャイゼは、もう少し輝きがほしいと思うが、しっかりと歌っている。もちろん容姿的にはとてもいい。ただ、マントヴァ公爵役のフランチェスコ・デムーロについては、私はかなり聴くのがつらくなってくる。輝かしい声だが、あまりに音程が不安定。演技も不自然。

そして、それと同じほどに気になるのが、マッシモ・ザネッティの指揮だ。ドラマティックな場面ではあっというほどに素晴らしい盛り上がりを聴かせてくれるのだが、静かな場面(ただし、ドラマを内に秘めた場面)での音楽の停滞を私は感じた。

ステファノ・ヴィジオーリの演出は特に個性的な解釈はないが、かなりリアルで、リゴレットの怒りと悲しみが伝わってくる。

 

668 ヴェルディ 「椿姫」 2007 テアトロ・レッジョ(パルマ)

とてもドラマティックな「椿姫」。ユーリ・テミルカーノフの指揮もヘルマン夫妻の演出も、抒情をかきたてるのではなく、むごたらしいヴィオレッタの人生を描き出している。第3幕に至っては、演出も含め、あまりにリアル。ヴィオレッタを歌うスヴェトラ・ヴァシレヴァは、やつれ具合を含めて鬼気迫るというにふさわしい演技と歌唱。カーニバルの音が聞こえてヴィオレッタが窓を開けると赤い風船が入ってくる。それだけでヴィオレッタの無念が強調される。あまりのやつれ具合に、アルフレード(マッシモ・ジョルダーノ)は直視できない様子。そのような細かいところも含めて、実にリアル。かなり感動して観た。

ジョルジョ・ジェルモン役のウラディーミル・ストヤノフは、とてもよい雰囲気だが、ちょっと声が出ていない気がした。とはいえ、全体的には素晴らしい上演だと思う。

 

288 ヴェルディ 「アイーダ」 2009年 ブレゲンツ音楽祭

一体何が起こっているのだろうかと呆れるような演奏。ほとんど聴くに堪えない。湖を使って、しかもしばしば歌手たちが水の中に入る演出(グレアム・ヴィック)だが、もしかして、かなりの寒さだったのではないか。歌手の全員の声が出ていない。アイーダのタチアナ・セルジャンとラダメスのルーベンス・ペリッツァーリ、そして、アモナズロのイアン・パターソンはまだしもよいほうだが、それでも、私としては聴くのがつらい。アムネリスのイアノ・タマールほか、多くの歌手はそれに輪をかけて不安定。そろいもそろって音程が悪く、声が伸びない。クラクフポーランド放送合唱団も声がそろわない。それだけでなく、カルロ・リッツィ指揮のウィーン交響楽団もぼやけた音をしか出さない。野外でのオペラの限界なのか、あるいは、これまた寒さのせいなのか。

 青く塗られた自由の女神のようなものを背景にして、エジプトによるエチオピア支配の激しさを強く描く演出だが、そんなことよりも私としてはもっと良い環境で歌手たちに歌わせてあげたくなる。

 まったく楽しめなかった。途中から、BDの場面をときどき飛ばしながらみた。

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