イブラギモヴァ&ティベルギアン 素人の私としてはもう少し娯楽的要素がほしい
2019年2月17日、彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールで、アリーナ・イブラギモヴァとセドリック・ティベルギアンのデュオ・リサルを聴いた。
曲目は、前半にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第3番とヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタ、後半にジョン・ケージの「6つのメロディ」とシューマンのヴァイオリン・ソナタ第2番。かなり鮮烈な演奏。ただ、気にいったかというと、そうでもなかった。
抒情を排した演奏といってよいのではないかと思う。あるいは、「物語性を排した」といってもよいかもしれない。楽譜そのものを大事にし、沈黙の中に音を作りだしていこうとする。とても真摯で見事な演奏。
ヤナーチェクのソナタなど、この音楽だけでは何のことやらさっぱりわからないので、多くの演奏家は、ヤナーチェクのオペラを頼りにそれぞれの曲想に何らかの意味を見つけ出し、特有の音に物語性を加えて演奏しようとするだろう。ところが、おそらくこの二人は、あえてそのようなことをしないで、音そのもので勝負しようとする。そうすると、聴き手にも何だかわからない曲になる。それでよいのだと二人は思っているのだろう。音と沈黙だけが残る。それを二人は提示そうとしているのだと思う。物語性のようなものを不要なものとして遠ざけているようだ。
ケージの音楽は、まさにそもそもがそのような曲なのだろう。無機的で意味性を避ける音が続いていく。シューマンも同じような演奏だった。一般には過度にロマンティックに盛り上げようとするのだが、イブラギモヴァとティベルギアンはそのようなことをしようとしない。過度な思い入れのない音そのものを提示する。清潔で明確でクリアな音。それによって音響世界を作り出す。それはそれで見事だと思った。二人とも音楽性が似通っており、とても説得力がある。
だが、実は私としては、これだとヤナーチェクもシューマンもおもしろくならないと思った。もう少し娯楽的要素がないと、素人の私としては楽しめない。もっと楽しませてほしいと思ったのだった。
ただ、もう少しこの二人の演奏を聴いてみたいとも思った。とても魅力ある演奏家たちであることは間違いない。
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