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藤原歌劇団「フランチェスカ・ダ・リミニ」 良い上演だったが、少々退屈した

 2019327日、テアトロ・ジーリオ・ショウワで藤原歌劇団公演メルカダンテ作曲のオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」をみた。

 チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は中学生のころにレコードでよく聴いていたので、このタイトルにはなじみがあるが、メルカダンテのこのオペラはもちろん初めてみる。メルカダンテについても、ロッシーニと同時代に活躍していた作曲家としてものの本で読んだくらいの知識しかない。

 歌手陣は充実していた。とりわけフランチェスカを歌うレオノール・ボニッジャとパオロのアンナ・ペンニージは素晴らしかった。ボニッジャは、音程のいいきれいな声。ペンニージも音程がよく、声に深みがある。

 ランチョットのアレッサンドロ・ルチアーノは美声だが、声が弱く、悪役には迫力不足。日本人歌手たちは健闘。グイードの小野寺光、イザウラの楠野麻衣、グエルフォの有本康人、いずれもしっかりした声と演技。合唱は藤原歌劇団合唱団、オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団。とてもよかった。

 ただ、実は私はかなり退屈だった。メルカダンテの曲自体、あまりに平板。きれいな旋律があり、ロッシーニのようなおもしろい展開がある。なかなかいい曲。ドニゼッティ風なところもある。だが、それなのに、盛り上がらない。台本にも難がありそう。夫の弟を愛してしまって、夫に死に追いやられるフランチェスカの悲劇を描く。「ペレアスとメリザンド」によく似たストーリー。だから、ドラマティックなはずなのに、いつまでも同じことを歌ってなかなか話が進まない。ずっと同じ雰囲気。メリハリがない。ドラマ的な展開にならない。もっと端折るところがあってよいのに、話が少しずつ進んでいく。このオペラがあまり上演されないのも理由があってのことだと納得。

 平板になったのには、指揮のセスト・クワトリーニにも責任があるのかもしれない。普通に考えれば盛り上げようとするところなのに、そうしない。意図的にロッシーニ風になるのを避けたのだろうか。あるいは、そのような盛り上げを許さないような楽譜なのだろうか。私としては、退屈にならないようになんとかしてほしかった、

 演出のファビオ・チェレーザは、かなり穏当。歌だけだと退屈になるとわかっていると見えて、歌手たちの周りでダンサーが踊る。踊りに無関心な私としては、これは邪魔だった。もっと演奏面で退屈しないようにしてほしいと思った。

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ウルバンスキとエーベルレ 若い才能に圧倒された

 2019325日、サントリーホールで東京交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮はポーランド出身の若き指揮者クシシュトフ・ウルバンスキ。曲目は前半にヴェロニカ・エーベルレのヴァイオリンが加わってモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、」後半にショスタコーヴィチの交響曲第4番。エーベルレも若い女性。

 前半はウルバンスキはちょっと控えめ。エーベルレの最初の音に驚いた。弱音が素晴らしい。聴くものを引き付ける。音程の良い美しい音で生き生きとした音楽を作っていく。しかも、第2楽章はしっとりと、まるで晩年のモーツァルトのように深みのある音楽を築いた。ところどころにカデンツァ(というか、正確には「アインガング」というらしい)が入る。アメリカのピアニスト、ロバート・レーヴィンの作だという。鮮烈でよかった。ヴァイオリンのアンコールはプロコフィエフの無伴奏ヴァイオリン・ソナタより。これも音程の良い勢いのある演奏。

 後半のショスタコーヴィチはウルバンスキの世界が炸裂した。1982年生まれだというから、まだ30代。切れがよく、バランスも良く、このヒステリックで狂気じみており、しかも知的で抒情的で複雑な音楽を見事に構成していく。音が澄んでいるし、しかも重層的。東響のメンバーも素晴らしい。管楽器の美しさに驚いた。

 ただ、私はマーラー嫌いの私にはこの曲はあまりにマーラー臭くて、素直についていけなかった。ショスタコーヴィチの交響曲の中では最も苦手な部類に属す。そんなわけで、演奏のすごさに圧倒されながら、マーラーを聴くときのような居心地の悪さを感じたのだった。

 が、それにしてもこの指揮者、おそるべし! エーベルレも素晴らしい。若い二人に圧倒された。

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カンブルラン 読響常任指揮者としての最後の「幻想」 感動した!

 2019324日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団の「日曜マチネシリーズを聴いた。指揮はシルヴァン・カンブルラン。カンブルランの常任指揮者としての最後のコンサート。曲目は、前半にベルリオーズの歌劇「ベアトリスとベネディクト」序曲と、ピエール=ロラン・エマールのピアノが加わってベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番、後半にベルリオーズの「幻想交響曲」。素晴らしい演奏。感動した。

 カンブルランらしく緻密で色彩的。しかも、無駄なものがなくきびきびしている。誇張なしに音楽の本質を取り出し、オーケストラの良さを引き出して音楽にしていく。本当にすごい指揮者だと思う。

 エマールのピアノもよかった。とりわけ第2楽章の繊細さは格別。カンブルランと音楽的に近いと思う。ただ逆にいえば、指揮者とソリストの激しいせめぎあいのようなものは感じられなかった。素晴らしい演奏だったが、予想した通りに進んでいった気がする。ピアノのアンコールが演奏されたが、なんだかよくわからない曲だった。後で掲示を見たら、クルターグという作曲家の「遊戯 第6集より」とのこと。

 後半の「幻想」はまさに名演。ただ好き嫌いはあるかもしれない。あまりおどろおどろしくない演奏。スマートで形式感があり、品格のある「幻想」。ドイツ音楽的な感じがする。なりふり構わずに鳴らしまくるのでなく、知的にコントロールされている。オーケストラも素晴らしい。とりわけ、木管楽器が美しかった。私はこのような演奏が大好きだ。

 私は「幻想」を聴くと、第3楽章をどう演奏するかが気になる。誰が演奏しても退屈してしまう楽章だ。さすがカンブルランというべきか、精妙な音で何事かが起こっている雰囲気を高めていく。牧歌的でありながらも、不気味。特に大きな事件(つまり、「幻想」のストーリーからすると殺人?)が描かれているわけではなさそうだが、田園風景の中でただならぬ雰囲気がある。なるほどベルリオーズはこのような意図でこの楽章を作ったのか!と納得させるような演奏だった。そして第4・5楽章も、躍動し、魑魅魍魎の世界でありながらも随所に繊細な美しさにあふれた世界が出現した。

 演奏後、オッフェンバックの「地獄のオルフェウス」のカンカン踊りの部分が、おそらくはオーケストラ団員の発意で演奏され始めた。「ありがとう、マエストロ・シルヴァン・カンブルラン。日本でまた会いましょう」という横断幕がだされ、何人かの団員が踊り、カンブルランも指揮をしながら踊り・・・といった楽しくも感動的な感謝のパフォーマンスが行われた。観客も大喝采。

 私もカンブルランの指揮する読響の演奏を聴くたびに深く感動した。そして、カンブルランが巨匠であることを痛感したのだった。最後のコンサートを聴けて本当に良かったと思った。

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カルテット・アマービレ 若き弦楽四重奏団のベートーヴェンに感銘を受けた

 2019323日、王子ホールでカルテット・アマービレのコンサートを聴いた。曲目は前半にモーツァルトの弦楽四重奏曲第14番「春」とウェーベルンの弦楽四重奏のための5つの楽章作品5。後半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第8番「ラズモフスキー第2番」。「春」にまつわる曲を集めたとのこと。

 カルテット・アマービレは若い日本人演奏家たちによる弦楽四重奏団。2016年に結成され、アルゲリチとも共演して話題になっている。

 最初のモーツァルトを聴いた時点では、前半で帰ろうかと思った。くっきりとしてきれいなアンサンブルなのだが、ずっと一本調子。本人たちは楽しげに、のどかに演奏しているようだが、メリハリがなく、曲想の変化がない。聴いていて退屈だった。第4楽章になって少し活気が出てきたが、燃焼しないまま終わった。が、次のウェーベルンはかなり鮮烈な音。アンサンブルはいいし、音程は確かだし、くっきりとして強い音がびしりと決まる。後半も聴いてみようという気になった。

 そして、後半。初めの音からモーツァルトとは大違い。強い音で激しくベートーヴェンの精神を描き出す。アンサンブルがいいので、緊張感が緩まない。リズム感もよく、かなりダイナミック。音程がいいので、各楽器の重なりが見事に決まる。徐々に盛り上がって、第4楽章は圧巻だった。モーツァルトのような抒情的な音楽よりも、もっと切れの良い現代的な音楽に合うアンサンブルだと思った。

 アンコールはピアソラの「ブエノスアイレスの四季」より「春」。これも素晴らしかった。ピアソラ特有の躍動感があり、現代性があり、しなやかさがある。

 モーツァルトとウェーベルンとベートーヴェンとピアソラ。それぞれ個性の異なる作曲家を選んで、言ってみれば「私たちはこんなにどんな演奏でもできるんですよ」というような主張をする選曲。それよりも、私としてはベートーヴェンをじっくりと聴いてみたかった。いずれにせよ、とてもこれからが楽しみな団体だ。

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新国立「ウェルテル」 藤村実穂子の素晴らしいシャルロット!

 2019年3月21日、新国立劇場で「ウェルテル」をみた。この演出は数年前に見たので、これで二度目だが、今回は演奏が前回以上に素晴らしかった。ウェルテル役のサイミール・ピルグを除いて、歌手陣は全員が日本人だが、世界的レベルといってよいのではないか。
 やはりピルグとシャルロットを歌う藤村実穂子の二人が圧倒的に素晴らしい。最終幕の二人で歌う場面はまさに圧巻。
 藤村さんの歌はこれまでクンドリやフリッカ、オクタヴィアン、そして第九のソロを聴いた記憶がある。私は何となくドイツものを歌う人だとばかり思っていた。が、フランス語のシャルロットを聴いて、ドイツもの以上に素晴らしいと思った。発音は完璧。声も通るし、清楚で美しいシャルロットを見事に歌う。藤村さんのフランス物をもっと見たくなった。
 ピルグもよく通る美声。多感な青年と美しい人妻の心の揺れが見事に伝わる。ちょっとワーグナー的だが、フランス語なのでもっと洗練された響きになり、もっと内向的になる。
 ほかの歌手陣もよかった。ソフィーは幸田浩子。美しい声でまさにチャーミング。ただ少女というよりも色気があって女っぽい。その点で少し違和感を持ったが、もちろんこんなソフィーもいい。アルベールは黒田博。しっかりと歌って見事。大法官の伊藤貴之もとてもしっかりした歌。まったく穴がなかった。
 指揮はポール・ダニエル。初めて聴いたが、とてもいい指揮者だと思った。ドイツ音楽的、イタリア音楽的に盛り上げるのではなく、フランス音楽にふさわしいしなやかで抑制的な盛り上げ方。第一幕はあまりに抑制的で少々眠くなったが、私はこのような始まりのほうが好きだ。だんだんとドラマの世界に観客を入り込ませて、ドラマを作っていく。響きも美しいし、音そのものはとても芯が強い。東京交響楽団もとてもきれいな音だった。このような演奏で聴くと、マスネの良さがよくである。ワーグナーの亜流という感じがしない。この人の指揮で「ペレアスとメリザンド」などのフランスオペラを見てみたい。
 ニコラ・ジョエルの演出はきわめて穏当。ゲーテの時代のヨーロッパの風景なのだろう。じわじわと二人の主人公にドラマを集中していく。
もっと書きたいが、これまでだましだまし使っていたパソコンがついに我慢できないほどいうことを聞かなくなった。あまりに重くなり、しばしは反応せず、しばしば開始するためのパスワードを打ち込む枠(専門用語で何というのか知らない)が出てこない。これでは恐ろしくて使っていられないので新しいものを購入。今のパソコンはかなり便利になったとはいえ、設定にやはりそれなりの時間がかかった。明日は朝7時ころに出かけなければならない。そんなわけで、ブログを書くのはこのくらいにする。

 

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立川市民オペラ「こうもり」 音楽面でも演技面でも素晴らしかった!

 2019年3月17日、立川RISURUホールで立川市民オペラ公演2019 オペレッタ「こうもり」をみた。素晴らしかった。とても楽しんだ。

 市民オペラを見くびってはいけないということはよく知っていたが、ここまで素晴らしいとは予想していなかった。先日、調布市民オペラ公演「アイーダ」を見て、演奏と演出のいずれものあまりの素晴らしさに圧倒されたのだったが、それに匹敵する。調布オペラのほうは、三浦安浩によるあっと驚く演出がなされていたのだったが、立川市民オペラの「こうもり」は、とてもこなれた喜劇として、おもしろく見せてくれた。セリフは日本語、歌はドイツ語。セリフは一般に上演されるものに付け加えたり、カットしたりしている。気の利いたアドリブが入る。これについても見事だと思った。

 音楽面でも極めて充実していた。指揮は古谷誠一、オーケストラはTAMA21交響楽団。アマチュア・オーケストラとのことだが、なかなかどうして! しっかりした音を出している。時々、歌手陣と合わないところがあったり、バランスを崩したりしたが、全体的にはまったく鑑賞の支障はなく、存分に楽しめた。指揮についても見事だと思った。しっかりとまとめているし、躍動感もある。

 歌手陣は全員がとてもよかった。私はとりわけ、ロザリンデの鳥海仁子とアデーレの佐々木麻子の歌唱に惹かれた。まったく異なる声質だが、ともに声に伸びがあり、音程がよく、そもそも声が美しい。オルロフスキー公爵の鳥木弥生ももちろん素晴らしかった。この不思議な役を見事に歌いこなして、観客を引き込んだ。

アイゼンシュタインの青栁素晴もフランクの大川博もしっかりした声で安定している。アルフレードの吉田連もキザな役を見事に歌っている。ファルケ博士の大槻聡之介はほんの少し声がかすれる場面があったような気がしたが、全体的にはとてもよかった。ブリントの持齋寛匡もしっかりした声。

そして、何よりも歌手陣全員の演技に驚嘆した。なぜ、この人たちはこれほど芝居がうまいんだ!?と思ったのだった。セリフ回しも動きも、そして軽妙な歌も本当に見事。全員が実に芸達者。本職の俳優さんたちにまったく劣らないと思う。演出の直井研二のセンスと指導力も素晴らしいのだろうが、それぞれの歌手たちの才能と努力も並外れたものがあると思った。

そして、演技力で言えば、フロッシュの松山いくおの名人芸にただただ驚くばかり。「こうもり」が大好きな私はこれまで坂上二郎や桂ざこばやイッセー尾形がこの役を演じるのをみたことがあるが、それ以上の面白さ、それ以上の演技力だと思う。イーダ役の今野恵理香もイーダはこんな女性なのだろうと思っている通りの見事な演技を披露してくれた。

そして、もう一つ特筆するべきは、立川市民オペラ合唱団。第二幕、パーティの場面で燕尾服にドレス姿の合唱団の人たちが現れる。かなりお年を召した人がおられるのだが、これがサマになっている! いや、それどころか声もしっかり出ているし、合唱団のすべての人がしっかりと演技をしている! 顔の表情だけでなく、手の動きまで、しっかりとオルロフスキー公爵の夜会の客になりきっている! 素晴らしいと思った。大変な努力が必要だったのではないか。

全体的に心の底から満足できる本当に楽しい舞台になっていた。笑える場面もたくさんあり、満員の観客もかなり湧いていた。市民オペラとして大成功だと思う。私がこれまでみた日本の団体による「こうもり」の中ではもっと感銘を受けた(ウィーン国立歌劇場やウィーン・フォルクスオパーの公演もみたが、それらはちょっと別格だった)。関係者の苦労は並大抵ではなかったに違いない。昨日と今日は苦労が報われた思いをしたことだろう。

 40年近く前のこと、私が薦めたため、今は亡き友人が初めて日本の団体による「こうもり」の公演(二期会だったと思う。私はこの時の公演を見ていない)を見に出かけたことがあった。あとで感想を聞いたら、がっかりしたとのことだった。その友人が言うには、「日本人がこんなオペレッタを上演しても、しゃれた感じが出せなくて、まったく面白くなかった。日本人にはこんなオペレッタはムリ」とのことだった。私も同じような感想を抱いたことがあった。

それから40年。市民オペラがこのように楽しくて、おしゃれで気の利いた「こうもり」を上演できるようになった。日本のオペラ界の成熟を感じる。それにしても、若手オペラ歌手たちが力をつけているのは本当に頼もしい。そして、あちこちの市民オペラがレベルの高い上演をしているのは本当にうれしい。

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ハーディング+マーラー・チェンバーのモーツァルト 魂が震えた!

 2019314日、東京オペラシティコンサートホールで、ダニエル・ハーディング指揮、マーラー・チェンバー・オーケストラの演奏を聴いた。曲目はモーツァルトの交響曲第39番、40番、41番「ジュピター」。素晴らしかった! 興奮した。魂が震えた。

 まずオーケストラが素晴らしい。なんと豊かで繊細な音だろう。あまりヴィブラートをかけないピリオド楽器風の奏法。それがきびきびして、本質を描くかのように美しい。そして、弦楽器もさることながら、管楽器に驚嘆。とりわけ、クラリネットとファゴットの美しさに聞き惚れた。アンサンブルも美しく、ハーディングの指揮にぴたりとついて見事。金管楽器もいい。

 そして、ハーディングの指揮ぶりにも驚嘆。ちょっとベートーヴェン的なモーツァルトといえるかもしれない。一気呵成というのではなく、遅めのテンポで一つ一つのフレーズの意味を明確にしながらドラマティックに音楽を構築していく。だが、それぞれの音楽の表情に説得力があるので、少しも不自然ではない。第39番のスケールの大きな演奏に驚いたのだったが、そのまま手を休めずに、第40番に入った。

40番が一番良かった。壮絶といえるような第1楽章だった。哀しみをたたきつける。ドラマティックに心をえぐる。だが、ここでもまったく無駄がなく論理的に音楽が進んでいくので、誇張を感じない。

4楽章にいたっては、まるでベートーヴェンの「運命が扉をたたく」という言葉を思い出した。ただし、ベートーヴェンと違って、「タタタ・ター」ではなく「ドン・ドン」と戸をたたく。それを強烈に響き渡った。壮絶な第4楽章だった。

「ジュピター」もよかった。第39番、40番と同じようにフレーズの表情を克明に描いて構築していく。あれこれいじっているといえばいじっているのだが、むしろ「なるほど、モーツァルトはこのようにこの曲を書いているのか!」と思わせるだけの説得力がある。そして、第4楽章に入って爆発。音の饗宴になり、音楽の世界が宇宙に広まっていく。

 私はモーツァルト・マニアではないので、それほどたくさんのモーツァルトの交響曲の実演を聴いたわけではない。実演は40番でもせいぜい20回くらいしか聴いていないと思う。だから、大きなことは言えないが、今回の演奏は私がこれまで聴いたこの曲の演奏で圧倒的に最高の出来栄えだった。第40番ではとりわけ魂が震えた。第1楽章では涙が出てきた。

 ハーディングは間違いなく世界の巨匠だと思った。

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川久保賜紀&小菅優のブラームス 第3番のソナタに感動

 2019311日、紀尾井ホールで川久保賜紀&小菅優ブラームス ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会を聴いた。

 前半のソナタの第1番と第2番については私は少し不満だった。小菅優のピアノは音の粒立ちも見事、潤いがあり、しなやかさがあり、躍動感があってしっかりとヴァイオリンを支えていた。ヴァイオリンももちろん悪くないと思った。が、美しい響きを聴かせてくれるわけでもなく、ダイナミックな世界を繰り広げるでもなく、抒情を醸し出すわけでもなく、私には何をしようとしているのかよくわからなかった。注目の二人の演奏にしては少々地味だと思ったのだった。

 が、後半の第3番はとてもよかった。第1楽章の出だしから、前半と異なってダイナミックでスケールの大きな演奏になった。川久保は自己主張の強い芯の強い音によってブラームスの心の中をえぐろうとし、小菅はしなやかに、そしてダイナミックにそれを支える。二人の音楽性はかなり異なると思うが、それがぴたりと合って、ブラームスの世界を作り出していった。川久保のヴァイオリンは高揚していくが、小菅のピアノとともにヒステリックにならず、構成感もしっかりしている。第4楽章は素晴らしかった。やはり、第3番は曲自体が素晴らしいということも言えるのだろうが、とてもよい演奏だと思った。

 アンコールはシューマンのロマンス第2番と、FAEソナタのブラームスの作曲になる第3楽章スケルツォ。ただ、私はこの2曲の演奏にあまり感動できなかった。また前半と同じような不満を感じた。第3番のソナタのような深い世界は現れず、中途半端に思えたのだった。スケルツォについてはもっと躍動してほしいと思ったのだった。

 もちろん悪い演奏ではない。が、私はもっともっと感動することを期待していた。ちょっとだけ期待外れの気持ちを抱いて三日月の下を歩いて帰った。

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新国立劇場オペラ研修所修了公演「ドン・ジョヴァンニ」 今年も楽しんだ

 2019310日、新国立劇場中劇場で、新国立劇場オペラ研修所修了公演「ドン・ジョヴァンニ」をみた。

 私は数年前から研修所公演を毎年楽しみにしている。未来のスターたちを見るチャンスだというだけでなく、とても高レベルのオペラを見せてくれるのがうれしい。今回も十分に楽しませてもらった。

 まず、河原忠之の指揮による新国立アカデミーアンサンブルが安定している。新人歌手たちをリードするという大事な役割を果たしながら音楽性を発揮するというとても難しい役割を見事に果たしているのが、私のような素人にもよくわかった。第一幕はかなりぎこちなかったが、第二幕になってからは音楽が自由になり、徐々にドラマが高まった。後半、素晴らしいところがたびたびあった。粟國淳の演出はきわめてオーソドックスで手慣れた感じ。新人たちの講演ではそれがもっとも大事なことだ。

歌手陣の中で私がもっとも心惹かれたのはドンナ・アンナを歌った平野柚香だった。音程の良いきれいな声で、第二幕のアリアはとてもドラマティックだった。ドンナ・エルヴィーラの十合翔子も最初のうちこそ硬かったが、徐々に調子を上げて、第二幕のアリアはとてもよかった。ツェルリーナの斉藤真歩は、魅力的な動きをしていたが、音程の不安定さを感じた。

 男声陣についていえば、ドン・ジョヴァンニの高橋正尚は気品ある声なのだが、この役を歌うにはもっと余裕がほしいと思った。いかにも必死の感じでぎこちなさが最後まで消えなかった。レポレッロの伊良波良真ももう少し余裕がほしいと思った。余裕がないと、笑いが生まれないし、声の美しさも聞こえてこない。マゼットを歌う井上大聞は純朴な感じが出ていてとても好感を持った。ドン・オッターヴィオの水野優は音程が不安定で、かなり苦しい歌いっぷりに思えた。騎士長の松中哲平はとても見事な歌。さすがだと思った。

 ただやはりモーツァルトはむずかしい。ちょっとしたことで音楽の流れが悪くなってしまう。しかも、特にモーツァルト・マニアというわけではない私も、「ドン・ジョヴァンニ」は実演、録画、録音を含めると、きっと100回くらいは聴いている。どうしても、これまでの名演と比べてしまう。新人たちの歌に、しばしば音楽の停滞を感じたのも事実だった。

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デュラス原作の映画「あなたはまだ帰ってこない」 声をあげて泣いた!

 映画「あなたはまだ帰ってこない」をみた。

私は18歳のころに、たまたま購入した田中倫郎訳の「モデラート・カンタービレ」を読んで以来、マルグリット・デュラスを愛し、かなりの本を読んできた。フランス語を勉強し始めた時、最初に原書を買って辞書を引きながら読んだのも「モデラート・カンタービレ」だった。私はデュラスを20世紀後半のフランス最大の作家の一人だと思う。ため息交じりのような省略の多い独特の文体、極度に抽象化された愛と生のもがき、徐々に明らかになっていくあまりに壮絶な人生。そうしたものに惹かれてきた。デュラスが監督した映画も何本か見た。読み始めてかなりたってから、若きデュラスがとても美しい容姿を持っていたことを知った。それからはますます感情を移入して読んだ。

そのデュラスの自伝的小説「苦悩」(ただし、残念ながら、この作品は読んでいない)の映画化だ。初めは、デュラスの文体とかなり異なる映像化に少し違和感を覚えた。デュラスはこのように直接的にリアルには語らない。アルコール交じりにため息をつくように切れ切れに抽象的な言葉を用いて恐ろしい真実を語る。だが、映画であるからには、デュラス流を通せない。「アガタ」や「インディア・ソング」のようなデュラス自身が監督した抽象的な愛の形を模索するような映画ではなく、戦争中のレジスタンス活動とその中での愛の葛藤を描く映画となると、外面からデュラスの世界を描くしかない。デュラスの文章が内面から発する言葉によって成っているのに対して、エマニュエル・フィンケル監督の作り出した映画作品では、かつてのジャン・ジャック・アノー監督の「ラマン(愛人)」と同じように外側から見たマルグリット・デュラスから成っている。引き裂かれたマルグリットを象徴するように、しばしば二人のマルグリットが画面上に現れる。

パリがドイツ軍に占領された時代。夫をゲシュタポに逮捕され、自身もレジスタンス活動にかかわっているマルグリット(メラニー・ティエリー)は、夫の情報を引き出そうとしてドイツ軍協力者ラビエ(ブノワ・マジメル)の誘惑に応じる姿勢を見せる。しかも彼女はレジスタンスの仲間であるディオニス(バンジャマン・ビオレ)と関係を持つ。マルグリットは夫の帰りを必死の思いで待ち続けるが、終戦を迎え、ようやく夫が死の危機の中で帰還するとき、マルグリットは夫と会うのを拒絶しようとする。そして、夫が回復した後、夫に離婚を告げる。

その心の苦悩が痛いほどわかる。そこに、障害のある娘の生還を待ちわびながら、収容所に連行された初日にガス室で殺されたことを知るユダヤ女性の苦悩が重なる。戦後を生き抜くにはやむを得なかっただろう裏切り、男女の愛、諦め。そのようなものが交錯する。

私は声をあげて泣きそうになった。いや、実際に声を上げて泣いた。マルグリット・デュラスの苦悩に満ちた生、そして人間という大きな社会に翻弄されざるを得ない存在に対して泣かずにはいられなかった。

デュラスを読み返したくなって、数冊の本をさっそく注文した。

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映画「ビール・ストリートの恋人たち」 地についたリアリティ

 映画「ビール・ストリートの恋人たち」をみた。

ジェイムズ・ボールドウィンの短編小説「ソニーのブルース」を読んだときの感動を鮮明に覚えている。50年近く前、大学受験で東京に来た帰り、渋谷の三省堂(だったと思う)で購入した黒人作家短編集を寝台特急「富士」の中で読んだ。その中の一編がこの作品だった。貧しい黒人少年ソニーがジャズに出会い、音楽に命を懸けようと決意する様子を黒人たちの必死の生活感とともにリアルに描いていた。その後、何冊かのボールドウィンの小説の翻訳を読んだ。いずれもとても感銘を受けた記憶がある。そのボールドウィンの「ビール・ストリートに口あらば」が映画化されたとあってはみないわけにはいかない(ただし、この小説を私は読んでいない)。

1960年代のニューオリンズ。ティッシュ(キキ・レイン)は未婚のまま、恋人ファニー(ステファン・ジェームズ)の子どもを孕む。しかもファニーは警官の機嫌を損ねたために黒人だというだけの理由でレイプ犯として逮捕されてしまう。ティッシュは子どもを産み、冤罪を晴らそうと家族とともに努力する。ティッシュの母親(レジーナ・キング)はレイプ被害者の女性を説得しようとする。だが、かなわない。

そのような状況をバリー・ジェンキンス監督はリアルに克明に描いていく。ボールドウィンの原作がそうであるように、単に黒人差別を告発する作品ではない。理不尽な社会の中で懸命に生き、神に祈ったり、それに疑問を持ったりする被差別者の生き方そのものが示される。

ボールドウィンもそうだった。難しいことは語らない。ただ、神への祈りと愛の大切さ。それを描くだけ。だが、地についたリアリティがあり、生に対する愛があり、人間に対する根本的な信頼があるために、読むものの心を打つ。翻訳を通してさえも、ボールドウィンの小説の文体から世の中に対する怒りや生に対する愛が伝わってきた。この映画に対しても、まったく同じように感じた。美しい映像や役者たちの一つ一つの表情から、生への思いがつたわってくる。差別が当然だった時代の空気も伝わってくる。とてもよい映画だった。

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ドバイ、アブダビの旅 まさにワンダーランド!

228日から34日(2019年)まで、短期間だが、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ・アブダビ゙の旅行をした。アブダビにはルーヴル・アブダビ美術館が開設されており、ダ・ヴィンチの真作とみなされた「サルバトール・ムンディ」が公開予定だとしばらく前にテレビ番組で知った。これを機会に話題の中東の国を見るのもよかろうと思い立って、クラブツーリズムに申し込んだ。出発の少し前、「サルバトール・ムンディ」の公開が遅れて、見られなくなったという知らせが届いたが、すでに行く気が高まっているので、今さらそういわれても、やめるわけにはいかない。

 228日夕方に出発して香港経由で31日朝8時ごろドバイに到着する便だった。かなり遠回りのビジネスクラスでのツアー。これなら手の届く料金だ。

 空港に降り立つ前、飛行機から下を見ていたら、一面、砂漠だった。そして、突然視界がぼやけてきた。雲かと思ったら、少し茶色っぽい。どうやら砂ほこりのようだ。そうした中を着陸。砂漠地帯には珍しく、雨が降っていた。暑くはない。20度を少し超えた位。飛行機の中で着ていた服をそのまま着ていられる。

ほかのツアー客とはドバイで初めて顔を合わせた。4人だった。最低催行人数はもっと多かったはずなので、もしかしたら何人かがキャンセルしたのかもしれない。幸か不幸かメンバーは全員が高齢者。この時期のビジネスクラスのツアーはこんなものだろう。

ドバイ国際空港は一日平均20万人以上が利用する世界最大の空港だという。が、私たちが降り立ったのは古い建物で、本当に巨大なのは、隣の建物らしい。近日中にもっと巨大な空港ができるとのこと。

ガイドさんは日本語の達者なお腹の出た40前後の男性。こんな体型の人をたくさん見かける。後で聞いたところ、エジプトから8年前にやってきたとのこと。ドバイには外国人が多い。8割以上が外国人という。もともとのドバイ人のほとんどがかなりの高給をもらっている。日本円で1000万を超す人がほとんどらしい。外国人はそれに比べるとかなり安く働いている。ホテルやレストランで出会う人のほぼ百パーセントが外国人ということだろう。この国には所得税はない。法人税もない。だから、様々な企業が進出し、中継地点を作り、多くの人が仕事を求めてやってくる。ただ、外国人参政権はないようだ。割の住人の意見ではなく、割の人間の意見で社会が動いているのに、特に激しい抗議は出されていないというから不思議だ。ガイドさんは、英語やほかの言葉を使って現地の人と交流していた。

 話には聞いていたが、実に清潔で整った近代都市。道路は真新しくて車の乗り心地はよい。片側5車線程度の道が続き、歩道があり、街路樹が植えられている。ゴミはなく、完璧といってよいくらい整備されている。雨はすぐに止んだ。

 すぐに高層ビル群が見えてきた。奇抜なデザインの様々なビルが立ち並んでいる。ねじれたビル、パイナップルを形パイナップルの形をしたビル、T字型のビル、H型のビル、ピラミッド型のビル、先の尖ったビルなどなど。まるで建築家のデザインを競い合っているかのよう。これは気鋭の建築家たちの発表の場だといえるかもしれない。そのどれもが50階建て以上なのだと思う。未来都市といってもいい。しかも、いたるところで建設途中の高層ビルが見える。1000メートルを超すタワーも建設中だという。

Photo

 花壇もあちこちにある。スプリンクラーで水を撒いているようだ。海水を濾過して真水にする工場があって、豊富に水が使われている。だが、飲み水などはほかの地域に比べて高額だという。

 大勢の外国人が建設関係の仕事についているとのこと。ところが、建設中のマンションの部屋を合計すると、ドバイの人口を起こしてしまう。多くの人が、自分で住むためではなく、人に貸して家賃を取るためにマンションを建てている。投資のためのマンション建設ということだろう。

 ドバイは石油成金国家なのだとばかり思っていたら、今ではほとんど石油は出ないと言う。先代の王様が、石油が出なくなる将来を見据えて、砂漠の中に都市を作り始めたらしい。そして次々と世界一のものを作り始めた。世界一高い建物、世界一大きな建物などなど。そして投機を呼び込み、観光客を呼び、労働者を呼んだ。人工的な未来都市。実にドバイは不思議なところだ。まさしくワンダーランド。

ドバイには産業はほとんどないと言う。野菜も機械も国内では作られない。すべて輸入に頼っている。国内には海外からのたくさんの会社が支店を置き、ここ中継点にして販路を広めている。ドバイには税金がないので、企業はこぞってやってくる。このような政策が成功して、世界の注目の的になり、今や世界を代表する大都市になった。

 ドバイの街を見ていると、昔訪れた北朝鮮の平壌思い出した。マンションが立ち並んでいたが、生活の匂いがしなかった。それと同じように、ここも生活の匂いがしない。うす汚れたレストランや果物屋や野菜屋や肉屋が見当たらない。怪しい店も見かけない。高級住宅や超高層ビルが並ぶばかり。きっとこの高級マンションの中にスーパーやおしゃれな店舗がテナントとして入っているのだろう。

強い風が吹き、雨が止むと砂が舞う。砂嵐というほどではないが、茶色の砂が飛んでいるのがよくわかる。車には砂埃がついている。雨が降ると、車に砂がべったりついて、汚れる。ところが雨が降ってから数時間後、車のほとんどがきれいになっている。もちろん中には砂だらけのものがある。しかしかなりの数の車が汚れていない! 屋内のきちんとした駐車場にあったのか、それともすぐに洗車したかのいずれか。いずれにしても、今まで訪れた国では考えられない!

 

早速市内観光に出発。世界最大の面積の人工島パーム・ジュメイラ(ヤシの形の島が形作られている)、世界一大きな金の指輪数国あるゴールドリング、世界最大のねじれた塔カヤンタワー、世界最大の屋内スキー場スキー・ドバイなどなど。どれも物量で圧倒する。

ショッピングモールにほとんど関心なく、ブランド品もよく知らず、スキーを一度もしたことのない私は、これらのものにはまったく興味を持てなかった。よくぞこんなものを作ったものだと呆れながら歩いていただけ。ともかくあらゆるものが巨大でおしゃれ。そこを様々な人種の人たちが行き交っている。やはりアラブ系の人が多い。白人もかなりいる。東アジア人もたくさんいる。しかし、思ったほどイスラム色は強くない。イスラム教徒と思われるのにヒジャブをしていない女性も多い。キリスト教国とさほど変わりがない。ときどき、目だけを出した黒づくめの女性を見かけるが、それはむしろ例外的。ガイドさんによれば、これらの女性はサウジアラビア人だろうとのこと。

観光客らしい人も多い。中国人団体客も時々いる。日本語も時々聞こえてくるが、それは観光客ではなく、日本に住んでいる人たちのようだ。日本人は企業関係者を中心に3000人程度住んでいると言う。

「人工性」が一つのキーワードだと思った。巨大な屋内スキー場は、まさに人工性を象徴している。リフトがあり、ゲレンデがあり、山小屋のある屋内スキー場。そもそも、この都市そのものが砂漠の中に人工的に作られたものだ。

 その後、人間的な雰囲気のある界隈で昼食。高級なところではなく、外国人労働者たちが暮らす場所に近い繁華街のようだった。六本木のような雰囲気がある。インド、中国などのレストランがあった。なんだかよくわからないものを食べた。料理の味は決して良くはなかった。

 

昼食後、ホテル(JWマリオット・マーキス・ドバイ)に入って一休みしてから、砂漠ツアーに出かけた。

4WDの車に乗って40分ほど高速道路を走った。砂漠の中の一本道。右も左も砂漠が広がる。ドバイが砂漠の中に建てられた人工の大都市だということをまさに実感する。かなり強い風が吹いて砂を運んでいる。車がかすかに揺れる。ほとんど砂嵐と言えるほど。路上に砂が溜まっている。いちどタイヤが砂にとられてスリップしかけた。

トイレ休憩でスーパーに停まった。だが、ツアー客4人とも私を含めて車外に出るのを嫌がった。外はまさに砂が流れている。

車のタイヤの空気をかなり抜いてから、舗装された道路を離れて砂漠に進んだ。空気の圧力を減らさなければ砂の上では危険らしい。

舗装された道から外れると、そこはまさに砂漠だった。薄茶色の砂が見渡す限り広がっている。サラサラの細かい粒子の砂だ。砂があちこちで小さな丘陵を作り、谷を作っている。コンクリートの壁が作られて砂のたまっているところもある。砂は風で小さく動いているのがわかる。

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20分ほど進んで、ラクダの飼育場所で一旦休憩。少し外に出てみた。

ここも凄い風。1分ほど車の外にいただけで。口の中に砂が混じった。服全体がざらざらしてきた。すぐに車の中に戻った。砂漠地帯の人が着ている服は、何度かぱたぱたと叩けば砂が落ちるようにできていると初めて気づいた。スーツなどを着ていたら、それこそあちこちに砂がたまって落とすのに一苦労するだろう。ポケットのあるシャツなども苦労しそう。

しばらく砂の中を車で走って待機。8台の車が到着するのを待って、隊列を作って、砂漠を出発した。すべてが日本の4WD車。日本車、とりわけトヨタへの信頼が厚い。このようにして、アクロバット走行を行う。これが観光の一つの呼び物になっているようだ。

私たちのツアー・グループは全員高齢者なので、それを配慮してくれてか、しんがりをゆっくりと走ってくれた。それでも、まるでジェットコースターのように砂の山を転がったり、駆け上ったり。頭を車の天井にぶつけそうになる。車が大きく傾いて今にも横転しそうになる。前を行く車は大きな砂塵を上げて走っている。

ガイドさんによると、若いお客さんたちだったらキャーキャーという叫び声が起こるというが、さすがに高齢者ばかりだから、ちょっとした叫び声しか出さない。20分ぐらいだろうか、そのようにして砂漠の中の丘を登ったり降りたりした。しばらくたつと気分が悪くなってきた。車酔いだ。私だけでなく他の女性客も不調を訴えた。おかげで少し加減して走ってくれた。私もあと5分これがついていたら、きっと嘔吐していただろう。

その後少し離れたキャンプ場に行って、バーベキュー・ディナー。

周囲を小さな木立とテントで囲まれた場所に10メートル四方ほどの小さなステージがあり、その前に絨毯が敷かれテーブルが置かれていた。テーブルには100人以上の観光客が集まった。音楽がかかり、アナウンスがあってから、ステージの上できれいな女性のベリーダンスが始まった。とても魅力的な女性が客をあしらいながら、10分ほど踊った。その後、ディナー開始。バイキング方式で、自分で料理を取りに行く。

おそらく気温は15度くらい。長袖の服の上に薄手のジャンパーを着ていたが、かなり寒い。風も吹いている。強い風ではないが、口に含むと、料理に砂が混じっているのがわかる。口の周りにも砂がつく。味も決しておいしいとは言えない。しかも車酔いの後であるだけに、まったく食欲はなかった。

食事をとりながら、男性の火を使った芸などを見て終了。私は男性なので、きれいな女性のベリーダンスには興味を持ったが、それ以外はまずまず。

車でホテルに戻った。ホテルはJWマリオット・マーキス・ドバイ。72階建ての1600室ある超高層ホテル。42階に宿泊。設備もきわめて現代的。すべてが清潔で機能的。外を見るとまさに未来都市。その先に海が見え、反対側には砂漠が見える。これぞドバイ。

 

2日目。この日は午前中にアブダビ観光が含まれる。

ドバイとアブダビ。同じような都市かと思っていたらかなり違う。

アブダビがアラブ首長国連邦の首都。この国は7つの首長国の連邦として成り立っている。ドバイとアブダビはそれぞれがこの連邦をなす国家であり、隣り合っているため車で2時間以内で行くことができ、多くの人が日常的に交流しているようだが、半ば独立しているという。首都はアブダビだが、ドバイのほうが経済的に成功して大きな発展を遂げ、アブダビがそれを追いかける形になっている。アブダビはドバイと異なって石油が大量に出る。いわば石油成金国家だ。

アブダビに向かって小型バスで高速道路を走った。ドバイにいる間は高速道路は砂漠を貫いている。都市部には建物があるが、それを過ぎると右も左も広がっているのは砂漠。ところがアブダビに入った途端に左右に木々が広がる。もちろん、アブダビも砂漠の中に建てられた都市だが、アブダビはドバイのように急速に高層化を進めるのではなく、植林をして、緑を増やし、投資よりも宗教や文化施設を重視していると言う。高層ビルは多いが、ドバイほどではない。

初めに4万人が入って礼拝できる巨大モスク、シェイク・ザイード・モスクを訪れた。UAEの建国の父であるザイード・ビン・スルタン・アル・ナヒヤンが建てたモスクだ。私費を投入したため、どのくらいの費用が掛かったのか不明だという。タージマハルによく似ているがもっと巨大で、もっと真新しく、美しい。

パキスタンのイスラマバードでもシャー・ファイサル・モスクという巨大モスクを見たが、こちらは贅のレベルが異なる。イスラマバードのほうはコンクリートを白塗りにしただけの体育館のようなモスクだったが、アブダビはまさしく芸術品。最高に美しい大理石が敷き詰められ、草花のみごとな彫刻がなされ、主要な礼拝室にはシャンデリアがあり、手作りのペルシャじゅうたんが敷き詰められている。贅を凝らし、芸術のエッセンスを集めて作っている。

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これほどのものを見せつけられると単に石油成金だなどと揶揄していられなくなる。タージマハルなどの歴史的な文化施設もおそらく同じように富と権力を持つ人間がその力を見せようとして、そしてまた自分の信仰心や思いを示そうとしてこのようなものを作ったのだろう。現代の美のすべてを結集させたかのような建築物だと思う。ただ、すでにある文化の模倣であって、新しい文化を築いているのではなさそうだ。

 

その後、ルーヴル・アブダビ美術館を訪れた。2017年に開設されたばかりの真新しい美術館だ。海岸に白い建物がある。シドニーのオペラハウスを思い出す。木漏れ日を再現したという屋根が美しい。美しいだけでなく、このような工夫によって自然光が取り入れられているという。フランスのルーヴル美術館が別館として認めているらしい。きっと莫大な金額がルーヴル美術館に支払われたのだろう。オイルマネーの威力と言うべきか。

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建物そのものも魅力的だが、展示されている絵も素晴らしかった。常設館にも古代から20世紀までの実用品、装飾品、絵画、彫刻が展示されている。ダ・ヴィンチの「ミラノの貴婦人の肖像」のほか、ティツィアーノ、マネ、モネ、セザンヌ、ピカソなどの絵、ジャコメッティの彫刻などもあった。

特設会場ではオランダ絵画展が開かれていた。レンブラントやその工房の絵画がメインだったが、フェルメールの「ヴァージナルの前に座る女」と「レースを編む女」も展示されていた。前者ははじめてみた。贋作か真作かで意見が分かれている絵画らしいが、現代では真作という説が有力のようだ。「レースを編む女」はフランスのルーヴルで必死に探してみた記憶がある。

ヤン・リーフェンスという画家を初めて知った。レンブラントのライヴァルだったという。その「ペルシャ衣装の少年」が今回の展示会で大きく取り上げられていたが、これは素晴らしい絵だと思った。男の子の表情、肌や服の感触、光の表現などに惹かれた。

 

その後、ドバイに戻って、ホテルに入って一休みした後、噴水を使ったプロジェクトショーを見にいった。それなりの人が見物をしている中で、大音響の音楽がかかり、海辺の入江の近くのビル全体にプロジェクターで海賊もののアニメが映し出される。海の入り江に噴水が仕掛けられていて、そこにもアニメのキャラクターや海賊船などが映る。ただ、風が強くて噴水のきれいな映像が投影されなかった。昨年、桂林に行ってビルの屋上から大量の水が滝のように吹き出してきて、そこに大音響の音楽がかかるパフォーマンスを見たが、それを思い出した。

その後、ナイトクルーズ。遊覧船に乗って夕食を取りながら、運河を2時間ほど回るものだが、見えるのは超高層ビルばかり。電飾が施されていたりしているが、さほどおもしろいものではなかった。遊覧船も音楽がかかり、西洋人の団体が陣取っていて、静かに話もできなかった。

この日は22時30分過ぎにホテルに戻った。この日のホテルはシャングリラ・ホテル・ドバイ。心地よいホテルだった。

 

3日目

 早く目が覚めたので、朝の散歩に出かけた。

 高層ホテル街なので、道路はがらんとしている。日曜日だが、この国では金曜日と土曜日が休日で、日曜日からは平日。出勤している車が多い。日本よりももっと整備された道。片側3車線。車はどれもきれいに洗車されている。日本車が多い。4WDの車が目立つ。時々韓国車が通るが、それを除けば日本の道路とほとんど同じではないか。日本車中心で、ドイツ車が時々走る。交通ルールはきちんと守る。歩行者もきちんと赤信号を守っている。

 近くにスーパーがあった。24時間営業の大スーパー。大倉庫のようなところだった。50メートルくらいありそうな陳列台に商品がずらーっと並べられている。すべての製品の寸法が大きい。ポテトチップのなかには日本で売られている製品の5倍くらいの大きさがありそうなものも混じっている。朝の7時過ぎに行ったので、客はほとんどいなかった。

 少し歩くと高級住宅街らしかった。広い敷地。この国の国籍を持つ人はほとんどがこのような邸宅で暮らしているらしい。マンションで暮らす人もいるらしいが、そこは車ごとエレベーターに載せて上の階まで行けるような高級マンションとのこと。外国人労働者はそれほどではない一般のマンションで暮らしている。治安はよく、警察は必要ないほどだという。確かにパトカーも見かけないし、警官の姿も見ない。高級住宅街は静かで落ち着いている。

 10時半から3日目の観光に出発。この日のメインは世界一高い828メートルのビル、バージュ・カリファの展望台でのドバイ展望。

 バージュ・カリファは映画「ミッション・インポシブル」シリーズの一作でトム・クルーズがガラスの側面を走り回るところをスタントなしで撮影したというので有名な場所だ。私のこの映画をテレビで見た記憶がある。大行列を作って1時間ほどかけて展望台に行き、ドバイを一望。

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 砂漠に囲まれた海辺に超高層ビルが建って、現在のドバイが作られていることがよくわかる。全体的にベージュ色なのは、砂埃のせいであり、また砂による汚れが目立たないように建物自体をそのような色にしているせいでもある。それはそれで壮観。

 一体いつまで、この人工の都市は成り立つのだろうか。

 いってみれば、ドバイはバブル国家だ。今は投機が投機を呼んでどんどんと拡大している。世界最先端の先進国と言えるような状況にある。だが、これはねずみ講に近い。次々と仲間を増やし、みんなが投機熱を抱くから、この都市が成り立っている。だが、投資に参加する人がいなくなったとたんに、すべてがストップし、あとはゴーストタウンになってしまう恐れがある。ねずみ講国家、砂上の楼閣国家といいたくなる。

 だが、考えてみると、資本主義社会の都市そのものが、投資によって人を呼び込み、幻想によって成り立っている面がある。ただここは砂漠の中の何も産業のないところに人工的に、ゼロから先端国家を作ったので、それが目立つだけだ。いわばここは資本主義の最先端のいわば実験場のようなところだ。このような手法を続けて、拡大し、成長を続けていくことも考えられなくもない。

 その後、ショッピングモールの横にあるドバイ・ファウンテンで噴水ショー(音楽とともに噴水がバージュ・カリファをバックにして高く吹き上がる)をみた。それから、しばらく車で移動して、世界最長の無人運転鉄道にのった。ファイナンシャル・センターからワールド・トレード・センターまでの2駅。車両は日本製。とても乗り心地が良かった。乗っているのは、外国人労働者ばかりで、国籍を持った人はいないらしい。電車内には立っている人もいて、それなりに混んでいた。

 電車を降りて、車で空港に向かい、そのまま夕方の出発を待って、香港経由で、3月4日午後に帰国。

 成田空港から空港バスで自宅に向かい、高速道路を通り、マンションやお店を見た。いつもは日本に戻って、「訪れた国と違って、日本はなんて快適できれいな先進国だろう」と思うのだが、今回ばかりは、「ドバイやアブダビと違って、日本はなんて汚いところが多くて整備されていない途上国なんだろう」とひょいと思ったのだった。

 これまで訪れた多くの国とあまりに違っていた。そこに暮らす人々の生のありようを間近に見ることもできず、その土地の芸術や文化を味わうこともできなかった。おいしい料理にもであわなかった。ただただ様々なことに疑問を抱いた。まさにワンダーランド。それだけに、あまりに俗っぽく、あまりに無機質ながら、私は今回の旅行をとても楽しく思った。このような都市が世界に存在することを知ってとても有意義だった。この後、この国がどうなるのかとても気になる。

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