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プラッソン指揮 「エロディアード」 とてもフランス的なオーケストラの音!

 2019428日、オーチャードホールで東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ、マスネ作曲「エロディアード」(セミ・ステージ形式)を聴いた。

 プラソン指揮のCDを持っているし、もちろん何度か聴いたことがあるが、実演は初めて。とてもきれいな曲だと思ったが、同時に、確かにシュトラウスの「サロメ」に比べると魅力不足だとも思った。うっとりするほど美しい音響はあるのだが、ドラマ的な盛り上がりに欠ける。ストーリー的にも、エロディアードにもサロメにも屈折したところがなく、音楽によって屈折が描かれるわけでもなく、少々物足りない。やはり、これでは上演機会があまりないのも原因あってのことだと納得できる。

 ミシェル・プラッソン指揮の東京フィルハーモニー交響楽団はとてもよかった。東フィルからこんな精妙な音が出るのか!と改めて驚くほど、まさにフランス的な音。しなやかでとてもよかった。さすがプラッソン。1933年生まれというから、85歳を超えている。若いと思っていたプラソンもそんな歳になっていた!足取りは危なっかしいが、音楽は生き生きとしている。

 歌手陣もそろっていた。エロディアードの池田香織はその役にふさわしい迫力ある歌唱、サロメの國光ともこもまた、その役にふさわしい可憐で清純な歌唱。そのほか、エロデの桝貴志、ファニュエルの北川辰彦、ヴィテリウスの藪内俊弥、大祭司の水島正樹もとてもしっかりした声。

 ただ、そうは言いながら、実はフランス語らしくないのを感じないわけにはいかなかった。日本人の歌うフランスもののオペラを聴くといつも思うのだが、どうしてもフランス語らしく聞こえない。二期会合唱団も、きれいな合唱なのだが、何を言っているのか全く聞き取れなかった。そのために、ニュアンスが伝わらない。

 その点、ジャンを歌った渡邉公威は私にはとてもきれいなフランス語に聞こえた。音程もしっかりしているし、芯の強い美声。とてもいい歌手だと思う。最後の、サロメとの二重唱は見事だった。

 平成最後の連休とあって、オーチャードホール周辺は大混雑だった。10連休だが、私自身はというと、原稿などの仕事があるので、普段と変わらない。

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松島理沙のルルにほれぼれ! 河原忠之の音楽は楽しい!

 2019426日、トリフォニーホールの小ホールで「In KAPPA al lupo~河原忠之と愉快な仲間たち~」を聴いた。河原さんの誕生祝のコンサート! とても楽しかった。この上なく豪華な出演者、盛りだくさんなプログラム、楽しい音楽の連続だった! 河原さんの素晴らしい音楽は今まで何度も聴いてきたが、今日は愛すべきお人柄も伝わって、とてもよかった。

 第一部は、河原忠之指揮、石井里乃、岩上恵理加、髙田絢子のピアノによる「ルル」第一幕からの抜粋。素晴らしかった! 

 若手歌手たちによる舞台だったが、全員が素晴らしかった。とりわけ、主役のルルを歌った松島理沙が圧倒的な歌を聴かせてくれた。音程のいいきれいな声。ドイツ語の発音も、私にわかる限りでは素晴らしい気がする。松島さんには、かつて多摩大学のゼミでコンサート企画をしていた時に演奏をお願いしたことがある。松島さんはまだ学生だったが、プロを超す歌を披露してくれた。そして、今回聴いたら、もはや押しも押されもしないルル歌いになっていた! 自分のことのようにうれしい!

 そのほか、シェーン博士とジゴルヒを歌った山田大智、アルヴァの伊藤達人も素晴らしい。「ルル」という難しいオペラをこれほどまでに高いレベルで歌える若手歌手を頼もしく思った。

 第二部は河原がピアノ伴奏をしてのガラコンサート。一部に石野真穂がピアノに加わった。それはそれは豪華な顔ぶれ。河原さんとかかわりのある歌手たちが登場し、見事な歌とちょっとした話を披露してくれた。とりわけ清野友香莉、高橋薫子、林美智子、佐野成宏、佐藤美枝子の歌が素晴らしかった。そして、スペシャルゲストとして、イル・デーヴの方々、すなわち望月哲也、大槻孝志、青山貴、山下浩司の4人。この4人についてはもちろん私は個々には随分と聴かせていただいているが、イル・デーヴとして聞いたのは初めてだった。確かに見た目の重々しさは圧倒的。そして、「マイ・ウェイ」の迫力もすごい! パロディ元のイル・ディーヴォにきっと負けないと思う。

 楽しい時間を過ごすことができた。満足。河原さんは音楽っていいなあ!と心から思わせてくれる音楽家だ!

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キアロスクーロ・カルテット 心の秘めやかな声

 2019423日、王子ホールでキアロスクーロ・カルテットのコンサートを聴いた。キアロスクーロ・カルテットはアリーナ・イブラギモヴァを中心としたメンバーで、ヨーロッパで話題になっているという。曲目は前半にハイドンの弦楽四重奏曲第38番「冗談」とベートーヴェンの弦楽四重奏曲第2番、後半にメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第1番。

 昔、私はヴァレリー・ラルボーというフランスの作家に関心を持っていた。彼を中心にした修士論文を書いた。ラルボーに「心の秘めやかな声」(Mon plus secret Conseil)という小説がある(直訳すると、「私の最も秘められた心の声」ということになるだろう)。演奏を聴きながら、このタイトルを思い出した。

 四人が親密に心の声を通わせあってささやき声で打ち明け話をしているかのような演奏。大きく外に向かって表現するような演奏が流行している現在、それと正反対の方向を行く演奏だ。完璧なアンサンブルと美しい音色によって静かに、小さく音楽を作っていく。そして、抑制しながら心の奥を爆発させる。古楽的な奏法を取り入れているのだと思うが、それがハイドンとベートーヴェンとメンデルスゾーンの肉声を蘇らせる。

 心憎いまでに考え抜かれたプログラムだと思う。最初にハイドンの「冗談」。まさしくおしゃべりの様子が描かれるような音楽。次にベートーヴェンの若い時期の弦楽四重奏曲。あえてベートーヴェンの若々しいエネルギーの音楽をこのようなささやきの音楽にして聞かせる。なるほど、ベートーヴェンの心の奥はこのように初々しく、傷つきやすく、感受性豊かなものだったのだと納得させられる。

 そして後半にメンデルスゾーン。これも若書きの弦楽四重奏曲だ。しかも、メンデルスゾーンの曲はしばしば明るく抒情的に演奏される。ところが、キアロスクーロ・カルテットの手にかかると、メンデルスゾーンの悲しみに満ちた心の声が聞こえてくる。メンデルスゾーンはお金持ちのボンボンなどではなかった。ユダヤ人だというだけで手ひどい差別を受けた。目に見えない形での嫌がらせもされた。姉のファニーと心を寄せ合ってそれに耐えながら高潔で均整の取れた音楽を作った。そうした音楽の中にキアロスクーロ・カルテットはかすかに聞き取れる悲しみやため息をえぐりだす。しかも、それが極めて知的に行われる。

 見事な演奏だった。・・・とはいえ、すべての曲が同じような表現なので、手の内が見えてしまう気がした。もう少し多様な表現をしてくれるほうが、私はもっと感動できると思う。大変面白い演奏だと思ったし、とても刺激を受けたが、感動したかといわれると、それほどでもなかった。

 ところで、一昨日からスリランカのテロが報道されている。

 昨年、スリランカを訪れた。数日間訪れただけだったが、大好きな国になった。平和が訪れているように見えた。イスラム教徒が仏教社会の中で差別されている状況は見えたが、イスラムとキリスト教の対立などまったく感じられなかった。

 スリランカで知り合いになった人も何人かいたので安否が気になった。その方たちは無事だったようだが、日本人を含めて多くの方が亡くなった。痛ましいことだ。これから、スリランカまでがまたも混乱に巻き込まれるのかもしれない。国と国の戦いという戦争の形ではなく、国民の中に紛れ込んだテロリストとの戦いになる。厄介なことになりそうだ。

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どうも私はインキネンが苦手

 2019420日、日本フィルハーモニー交響楽団の定期公演を聴いた。指揮はピエタリ・インキネン。曲目は前半に武満徹の「弦楽のためのレクイエム」と、ジョン・リルのピアノが加わってベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番、後半にシベリウス作曲の交響曲第2番。

 何度かインキネンの演奏を聴いてきたが、これまで感動したことがなかった。いや、それ以上に退屈だった。もう少し聴いてみたいと思って足を運んだのだったが、やはり退屈だった! 大喝采している人がいるのだから、これは私の好みの問題なのだろう。

 まず「弦楽のためのレクイエム」が退屈だった。この曲は昔、小澤征爾指揮、トロント交響楽団のレコードでずいぶん聴いたものだ。好きな曲のつもりでいた。だが、インキネンで聴くと、なぜか退屈。音は美しく、オーケストラを掌握していると思うのだが、出てくる音楽があまりに平板でべったりしていて、そこに追悼の哀しみも伝わってこない。

  その後のピアノ協奏曲は、ピアノのジョン・リルに原因があるのかもしれないが、これまた驚くべきつまらなさだった。あまりに平板。合わせているだけとしか思えない。

 そして、シベリウス。さすがに第4楽章は盛り上がったが。そこに至るまでの筋道に私はあまり説得力を感じない。なぜなのかはよくわからないのだが、フレーズが無機的でバラバラな気がする。有機的に音楽と音楽つながっていかず、内的緊張をもって盛り上がらない。シベリウスの音楽は長いメロディがなく、切れ切れのモティーフの組み合わせでからなっている。だが、その切れ切れのモティーフがだんだんと一つの統一をなして盛り上がっていくのが醍醐味だ。ところが、そうならない。音楽を推進していく内的エンジンが欠けているような気がする。確かに音は美しい。日フィルは見事な音を出している。そこにインキネンの功績があるのかもしれない。だが、私は少しも音楽に興奮しない。以前にインキネンの指揮するブルックナーの交響曲第9番を聴いた時も同じような感覚を持ったことを思い出した。

 ここにはあえて書かないが、私には苦手な指揮者が何人かいる。間違いなく、インキネンは苦手な指揮者の一人だと確信した。

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クァルテット・ヴァン・カイック 本当は恐ろしいラヴェル、ブラームス

 2019419日、鶴見のサルビアホールでクァルテット・ヴァン・カイックの演奏を聴いた。曲目は前半にモーツァルトの弦楽四重奏曲第15番ニ短調とラヴェルの弦楽四重奏曲、後半にブラームスの弦楽四重奏曲第2番。いずれも素晴らしかった。

 クァルテット・ヴァン・カイックは2012年結成の若いフランスのグループ。ヴァイオリンのヴァン・カイックがリーダーということなのだろう。

 かなり凄みのある弦楽四重奏団だと思う。単に完璧なアンサンブルできれいに演奏する団体ではない。切れ味鋭く、しかも腹の底をえぐるような演奏。まずモーツァルトの短調の弦楽四重奏曲の底知れぬ苦しみのような表現に驚いた。とりわけ第3楽章は何ともいえぬ恐ろしさのようなものを感じる。

 ラヴェルにも同じようなものを感じた。表面的にはさりげないが、心の奥深くで様々な感情が渦巻いているかのような音楽。「本当は恐ろしいラヴェル」。そんな言葉が浮かんできた。

 完璧なアンサンブルだが、精密すぎる感じがしない。透明な音楽ではなく、良い意味での濁りのようなものがある。ある種、心の手触りとでもいうか。それがとても魅力的だ。

 後半のブラームスはとりわけ圧巻だった。静かに始まるが、抑制した情念がうごめいていることがよくわかる。二人のヴァイオリンもキレがよく、美しい。しかも、劇的。ヴィオラも実に潤いがある。チェロの音も独特。深みがあってしなやか。四つの楽器がまさに生き物のように重なり、動き、律動していく。そして、第四楽章にうねり、重なり合う。凄い!

 アンコールは、プーランクの「愛の小径」。実にエスプリの利いた演奏。プーランクらしく、フランスらしく。ヴァン・カイックという名前からするとオランダ系なのだろうが、とてもフランス的な演奏だった。

 16日、パリのノートルダム寺院の尖塔が消失。心が痛む。パリには留学したわけではないが、「遊学」はしていた。サン・ミシェル大通りを毎日歩き、パリの人の心の中心であるノートルダムを毎日見ていた。パリを訪れるごとに、サン・ミシェル大通りを歩き、シテ島を見る。パリの人とともに手を合わせたくなる。そんなことを思いながら、弦楽四重奏に編曲されたプーランクのシャンソンを聴いたのだった。

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関西弦楽四重奏団のベートーヴェン 物事の存在感を一つ一つ手に取って確かめるような音楽

 2019415日、横浜市鶴見区のサルビアホールで関西弦楽四重奏団のコンサートを聴いた。曲目は、前半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番、後半に第14番。とてもよかった。

 この団体の演奏は初めて聴いた。いや、それどころか存在も知らなかった。関西で活躍しているトップクラスの演奏家たちの団体だという。サルビアホールという客が100人の狭いホールで演奏されるので聴いてみたのだったが、予想以上に感銘を受けた。

 遅めのテンポでじっくりと演奏。じっくりじっくりと、聴き手を納得させるように進んでいく。全員が音楽をしっかりととらえ、納得していることがよくわかる。とても理にかなって音楽が展開する。第16番の第2楽章の盛り上がりは素晴らしかった。物事の存在感を一つ一つ手に取って確かめるような音楽とでもいうか。機能的に展開されるのではない。かといって人間臭すぎるのでもない。なるほど、これがベートーヴェンの世界かと思わせる力がある。ただ、緩徐楽章になるとちょっと緊張感が薄れる感じがした。

 第14番も、同じように進んでいった。とても納得できる音楽。この難解な曲をしっかりと自分のものにし、多くの人にわかるように提示してくれている。ただこの曲も、(もしかしたら、私自身に原因があるのかもしれないが)私は途中、少し緊張感が薄れるのを感じた。

 とはいえ大満足。日本人の四重奏団でこれほどのベートーヴェンの演奏が聴けるようになったことは、30年ほど前には考えられなかったことだ。素晴らしいことだと思った。

 明日は朝の6時半ころに家を出て関西に行く。今もって朝が苦手が私としては、結構つらい。

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フルシャ+N響の「ツァラトゥストラ」「シンフォニエッタ」 苦手な曲はやはり苦手だった

 2019414日、NHKホールでNHK交響楽団の演奏会を聴いた。指揮はヤクブ・フルシャ。曲目は、前半にシュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」と、ソプラノの ヴェロニク・ジャンスが加わって、ベルリオーズの叙情的情景「クレオパトラの死」、そして、後半にヤナーチェクの「シンフォニエッタ」。

 実は私はシュトラウスもベルリオーズも、そしてヤナーチェクも大好きだ(一時期、日本リヒャルト・シュトラウス協会にも、ヤナーチェク友の会にも入会していた)。ところが、ここに選ばれた3曲は実はいずれもあまり聴かない曲。というか、はっきり言って、いわゆる「好きな作曲家の苦手な曲」。3曲すべてが私にとって同じような曲なので、これを機会に聴いてみたいと思った。で、結論から言うと、やはりあまり面白いと思わなかった。

「ツァラトゥストラ」の冒頭はもちろん圧倒的な音楽だ。が、その後が退屈。今日聴いてもやはり退屈だった。フルシャの指揮はしっかりと音楽をまとめているのだが、それ以上ではない。空虚な音楽が続くだけで終わった。この曲では致し方ないだろうと思う。昔、カラヤン指揮、ベルリン・フィルの来日公演でこの曲を聴いたが、それでも感動には至らなかった記憶がある。

「クレオパトラの死」はとてもよかった。ジャンスはかなり明晰な語り口で、しかもとてもドラマティック。だが、これについて、私としてはどうということなく終わった。

 フルシャはチェコのブルノ出身だという。ヤナーチェクの故郷フクバルディからすぐの土地で、ヤナーチェクは長くブルノで暮らした(ついでに言うと、私は10年ほど前、ブルノを訪れ、フクバルディまで足を延ばした!)。だから、もっと地方色豊かな音楽を作り出してくれると思っていたのだが、私の耳には意外とインターナショナルに聞こえた。明るめの音で、ヤナーチェク特有の屈折したもの思い、そして肉体の内側から湧き上がってくるかのような名付けようのない生命の力のようなものが聞こえてこない。これもどうということなく終わった。

 きっととても良い演奏だと思うのだが、やはりこれらの曲は私とは性が合わないと再認識したのだった。

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高関+森麻季+シティフィルの「四つの最後の歌」 人工美の極致としての彼岸の音楽!

 2019413日、東京オペラシティ・コンサートホールで東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団定期演奏会を聴いた。指揮は高関健、曲目は前半に、モーツァルトの「魔笛」序曲と、ソプラノの森麻季が加わってシュトラウスの「四つの最後の歌」、後半にブルックナーの交響曲第1番(1868年リンツ稿、新全集による日本初演)。

 マエストロ高関の評判はもちろん知っていたが、恥ずかしながら今回初めて聴かせていただいた。噂にたがわぬ見事な演奏だった。「魔笛」の後半のしっかりした盛り上がりに、まずびっくり。オーケストラから厚みのあるしっかりした音が聞こえてくる。構成感もあり、メロディの表情もしなやか。

「四つの最後の歌」も素晴らしかった。森さんは音程の正確な透明な声でしっとりと歌う。オーケストラとともに声の色彩も刻々と変わる曲なのでとても難しいと思うのだが、そうしたニュアンスの違いを見事に歌い分けていく。オーケストラを圧するのでなく、そのなかに入って静かに歌う。私はこの曲を聴くと、「浄土」を思い浮かべる。この世のものではない色とりどりの「イデア」にあふれた人工美の極致としての彼岸。第3曲「眠りにつくとき」のヴァイオリン・ソロから最後まで魂の震える美しさの極致だった。森さんも抑えられたきれいな声、オーケストラもニュアンスにあふれている。

 後半の交響曲第1番については、恥ずかしながら、私は少々退屈だった。もちろんブルックナーは大好きな作曲家だが、第1番はそれほど聴いているわけではない。それを別ヴァージョンで聴くと、素人の私としては、分析的に聴くこともできず、ただ聞き覚えのある音楽と少し違う雰囲気の楽想に戸惑うばかりだった。結局、よくわからないまま終わってしまった。ただ、オーケストラはしっかりと鳴り、マエストロは確信を持って音楽を作り出していることはよくわかった。

 マエストロ高関の音楽をまた聴きたいと思ったが、ともあれ、今日は「眠りにつくとき」のあの美しい楽想を聴けただけで幸せだ。

 コンサートの後、多摩大学でかつて教えた中国人留学生4名、元多摩大学の同僚の中国人教授1名とマレーシア料理の店で会食をした。私以外は全員が中国人なのだが、日本語で会話をしてくれた。楽しい時間だった。二人は現在、日本企業で仕事をし、二人は大学院の進学準備をしている。まだ20代の若者だが、意欲にあふれ、日本語を使って社会に貢献したいと思っている。教え子という以上に、素晴らしい友人たちだと思った。

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ハーガー+新日フィルの「スコットランド」はちょっと退屈だった

 レオポルド・ハーガー。実に懐かしい名前だ。30年以上前、CDを何枚か聴いていた記憶がある。特に好きな指揮者というわけではなかったが、久しぶりにその名前を新日フィルの定期演奏会のチラシに見つけて、聴きたくなった。そして、今日(2019411日)、サントリーホールで聴いたのだった。曲目は前半にメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」、後半にドヴォルザークの交響曲第8番。

 前半のメンデルスゾーンは少々退屈だった。「スコットランド」は私の大好きな曲だ。1970年代だったかドホナーニ指揮、ウィーンフィルのCDを聴いてから、この曲の魅力に取りつかれ、それ以降、この曲のCDが発売されるたびに購入して聴いていた。が、ハーガーの指揮は、誠実でしっかりした音楽づくりなのだが、形式感が希薄で、行き当たりばったりな感じがして、私には受け入れがたかった。緊密に構成され、その中に生き生きとした感性や悲しみ、喜びが息づいているこの曲が、しまりのない、部分部分が妙に強調された音楽になっていた。ハーガーという人、形式を重視する人ではなく、かなりロマンティックな盛り上がりを作るタイプの人のようだ。私の好きなメンデルスゾーンではない。

 後半のドヴォルザークはそれに比べればずっと良かった。ドヴォルザーク特有の美しいメロディが浮かび上がるし、木管楽器の美しさが際立つ。自然に盛り上がる。終楽章はとても情熱的になった。新日フィルも本領発揮。

 ただ、この曲についても、私はやはり形式感の弱さを感じた。もともとこの曲は構成が弱い気がするのだが、ハーガーの指揮は部分と部分が緊密に構成されない気がしてしまう。素人なので説明はできないのだが、なんだかしっくりこない。びしりびしりと決まらない。そんなわけで、心から感動するというわけにはいかなかった。

 昨日は冬の寒さだったが、今日はかなり暖かくなった。そのつもりで薄着していったら、帰りは寒くなった。

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新国立劇場「フィレンツェの悲劇」と「ジャンニ・スキッキ」を楽しんだ

 2019410日、新国立劇場で、ツェムリンスキー作曲のオペラ「フィレンツェの悲劇」とプッチーニ作曲の「ジャンニ・スキッキ」の2本をみた。とてもおもしろかった。

「フィレンツェの悲劇」は、音楽を聴くのも初めて。そもそもツェムリンスキーの曲自体、これまで実演で聴いたのは2、3曲程度。CDも数枚しか聴いていない。で、初めて聴いてみて、シュトラウスにとても似ているのを感じた。出だしなど、「エレクトラ」を思い出す。

 原作はシュトラウスの「サロメ」と同じオスカー・ワイルド。倒錯的な愛の物語という点でも共通する。ただ、やはりツェムリンスキーの音楽はシュトラウスに比べると物足りない。もっともっと強烈にできると思うのだが、あまり起伏なく音楽が進む。が、最後はなかなかの迫力。シュトラウスとだったら、初めからもっと不気味に、もっと蠱惑的に、もっと戦慄的に音楽を作っていくだろうと思った。

 歌手陣は充実していた。シモーネのセルゲイ・レイフェルクスがやはり圧倒的。グイードのヴゼヴォロド・グリヴノフもまったく文句なし。二人の掛け合いの迫力は素晴らしかった。ビアンカの齊藤純子も日本人離れした歌唱と容姿。二人にまったく引けを取らなかった。この歌手をまったく知らなかったが、世界に通用する日本人歌手だと思う。

 演出は粟國淳。傾きかけ、まるでアンコールワットのように植物に浸食された館のうらぶれた中庭が舞台になっており、世紀末的雰囲気が濃厚に出ていた。指揮は沼尻竜典。これまた世紀末的で雰囲気のある演奏。

「ジャンニ・スキッキ」も楽しめた。このブログにも何度か書いた通り、私はプッチーニ嫌いなのだが、このオペラはまったく不愉快さを感じない。どうやら私がプッチーニを聴いて不愉快に思うのはメロドラマ的な部分らしい。

 ジャンニ・スキッキを歌うカルロス・アルバレスがやはり圧倒的な歌唱と芝居。自在に歌いまくる。リヌッチョの村上敏明も素晴らしい。ラウレッタの砂川涼子も可憐でなかなかいい。そのほか、すべての歌手に満足。芝居も実にうまい。日本人歌手たちのオペラの演技も板についてきたのをつくづく感じる。一昔前まで、目をそむけたくなるような下手な演技がなされたものだが、このごろ、まったくそんなことはなくなった。ブオーゾの死体役の俳優さんの見事な演技にも脱帽!

 拡大されたブオーゾの書斎が舞台になっており、巨大な万年筆や手紙などが配置されている。そこに卑小な人間たちが遺書を探し手右往左往する。一人一人の動きが滑稽で、しかも不自然でなく気が利いている。粟國淳のこなれた演出に驚嘆。東京フィルハーモニー交響楽団の演奏ものびのびとしていてよかった。

 4月だというのに真冬のような冷たい雨。しかも、あれこれとめっぽう忙しい。チケットを購入した時にはぜひみたいと思ったものの、なじみのないオペラと嫌いなプッチーニのオペラ。でかけるのをちょっと億劫に思ったのだったが、実際にみた後はとても幸せな気分で帰途に就いた。

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望月哲也+松尾俊介のシューベルト歌曲集リハーサル もっと聴きたかった!

 20194月6日、HAKUJUHALLでの望月哲也(テノール)+松尾俊介(ギター)の「白鳥の歌」を中心としたシューベルト歌曲のリサイタル。聴くのを楽しみにして、私が「水先案内人」の一人として担当しているWEB版「ぴあ」のコーナーでも取り上げていた。ところが、突然、仕事上のトラブルが起こって、ちょうどコンサートの時間帯にほかの場所で人と会わなければならなくなった。無理を言ってリハーサルをのぞかせていただいた。望月さん、松尾さん、そして関係者の皆様、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

 望月哲也の実演はかなり聴かせてもらっている。常に安定した素晴らしい歌。松尾俊介についても驚くべきテクニックと繊細な音を何度も聴いてきた。望月さんのシューベルトをギター演奏で歌うという企画にはずっと惹かれていたが、今回松尾さんが伴奏とあってはぜひ聴かないわけにはいかないと思ったのだった。

 まだリハーサルの段階だったので、本番では一層全開されるのだろう。が、リハーサルを聴いても素晴らしかった。望月さんのシューベルトはとても丁寧。声を張り上げるのではなく、静かに語るように歌い上げる。それを支える松尾さんのギターもとても繊細でしなやか。

 ギター伴奏は、シューベルトの世界にぴったりだと思う。親密な空間で作曲を続け、小さな場所で演奏された本来のシューベルトの味わいが伝わる。仲間が集まって、心の内を音楽に託して打ち明ける、そんな味わいがある。

 とりわけ「白鳥の歌」はシューベルトが歌曲集として編んだわけではなく、死後に遺稿が集められたもの。しかも、今回のコンサートはそのほかにも有名なシューベルトの歌曲が歌われる。だからこそギター伴奏が生きる。ピアノで取り澄まして演奏すると、脈絡がなくなるが、ギター伴奏によると親密感が出て、音楽の連なりも自然になる。

  二人の演奏は実にしみじみとしていてよかった。ただ実をいうと、「魔王」については、これをギターで弾くと迫力不足になると思った。三連符の迫力はやはりピアノのものだと思った。それ以外は、「野ばら」も、「白鳥の歌」の中のいくつもの曲も素晴らしかった。ロマンティックにしすぎず、悲劇的にもしすぎず、さらりと語るように歌いながら、そこにシューベルトの哀しみと孤独が浮かび上がる。そのような演奏だった。

 もっと聴きたかった。いや、本番を聴きたかった! が、時間切れになって電車であわてて次の待ち合わせの場所に向かった。ぎりぎりで間に合った。

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東京・春・音楽祭、「さまよえるオランダ人」 素晴らしい演奏に魂が震えた!

 201945日、東京文化会館で東京・春・音楽祭、「さまよえるオランダ人」の演奏会形式による演奏を聴いた。背景に海や部屋の映像が映る。余計な演出がないだけに音楽に集中できた。素晴らしい演奏だった。魂が震えた。

 なんといってもオランダ人を歌うブリン・ターフェルが凄まじい。声の威力、声の演技力、存在感、すべてにおいて圧倒的。まさしく呪われたオランダ人の魔力を持っている。エリックのペーター・ザイフェルトもさすがの歌。自在に歌い、声が伸びる。世界の超一流が演奏会形式で歌うとこれほどまでにすごいのかと改めて思う。私はこの二人の実演を聴いたことがあるはずだが、これほど感銘を受けたのは初めてだった。

 ゼンタを歌うのはリカルダ・メルベート。私はこれの歌手は何度か聴いているが、さすがの歌唱。第二幕のバラードはちょっと抑え気味に思えたが、第三幕の最後は素晴らしかった。声が美しくて張りがある。マリーのアウラ・ ツワロフスカもしっかりと歌っているし、舵手のコスミン・イフリムも、ちょっと低音がかすれることがあったが、全体的にはとてもよかった。

 ダーラントはアイン・アンガーが予定されていたが、イェンス=エリック・オースボーに変更。若い歌手のようだ。ちょっと不安定なところがあったが、これほど歌ってくれれば十分。第一幕はとりわけ見事だった。トーマス・ラングと宮松重紀の合唱指揮による東京オペラシンガーズも素晴らしかった。

 管弦楽はNHK交響楽団、コンサート・マスターはキュッヒル。指揮はダーヴィト・アフカム。インド系の若手指揮者ということで話題になっているらしい。初めのうちは硬い感じだったが、だんだんとしなやかさが増していった。第二幕の糸紡ぎの合唱はとても美しかった。このあたりから徐々にドラマティックになって、ワーグナーらしい音楽になっていった。第3幕はオーケストラも最高に鳴り響き、素晴らしい音楽世界が展開された。

 ワーグナーの音楽を満喫。「さまよえるオランダ人」はちょっと物足りないと思っていたが、実演を聴くと、やはり感動する。

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戸田弥生の室内楽「浄夜」 心をえぐる音楽

 201942日、東京文化会館小ホールで「戸田弥生の室内楽」を聴いた。曲目は前半にストラヴィンスキーの弦楽四重奏のためのコンチェルティーノとチャイコフスキーの弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」、後半にシェーンベルクの「浄夜」。演奏は、第一ヴァイオリンが戸田弥生。そのほかは第二ヴァイオリンは伊藤亮太郎、ヴィオラは店村眞積と村松龍、チェロは横坂源と上森祥平。素晴らしい演奏だった。

 ストラヴィンスキーのこの曲は初めて聴いた。鮮烈さに驚いた。次の「フィレンツェの思い出」は、まったく甘ったるさのないチャイコフスキー。確かにチャイコフスキーらしい甘美なメロディが聞こえるが、あくまでも厳しく緊張感にあふれている。すべての楽器が絶妙に絡み合い、強く心の奥深くにしみいる。戸田さんの個性なのか、とりわけ第一ヴァイオリンの音の芯が強く、そして美しい。自己主張の強い音だ。名手ぞろいなだけに、弦の重なりに素晴らしい雰囲気がある。単に美しいだけでなく、深みを感じる。

 後半の「浄夜」はもっと素晴らしかった。この曲はしばしば官能的でエロティックで甘美になるが、戸田さんが第一ヴァイオリンを務めると、そのようには聞こえない。もっと表現主義的になり、厳しくなり、スリリングになり、感動的になる。そして、最後、デーメルの詩によると、男が他人の子供をはらんだ女性を受け入れ、自分の子として育てようと決意する場面。その部分の清澄さは素晴らしい。前半がスリリングで必死感があるだけに、最後にカタルシスが訪れる。まさに目の前に宿命を前にした男女の真剣なやり取り、そして最後のカタルシスが描かれる。

 アンコールはブラームスの弦楽六重奏曲第1番の第2楽章。ロマティックで甘美な音楽としてしばしば演奏される。が、ここでももっと切実な音楽になる。この深くて心をえぐる音を聴くと、私は「宿命」という言葉を思い出さずにはいられない。

 私は戸田さんのヴァイオリンを聴くと、昔の巨匠シゲティを思い出す。シゲティはあまり美しい音ではなかった。だが、聴衆の心をわしづかみにした。戸田さんのヴァイオリンにも同じようなところがある。もちろん、戸田さんのヴァイオリンの音はシゲティよりもずっと美しいしく、しかも素晴らしいテクニックだが、それでも美音やテクニックよりも心をえぐる表現に真骨頂があるのは間違いないだろう。戸田さんのヴァイオリンを聴くごとに心をえぐられ、感動する。華麗なテクニックでさらりと演奏するヴァイオリニストが増えている中、戸田さんのような心の奥をえぐってくれるヴァイオリニストは実に貴重だと思う。大好きなヴァイオリニストだ。心から満足。

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