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高関+森麻季+シティフィルの「四つの最後の歌」 人工美の極致としての彼岸の音楽!

 2019413日、東京オペラシティ・コンサートホールで東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団定期演奏会を聴いた。指揮は高関健、曲目は前半に、モーツァルトの「魔笛」序曲と、ソプラノの森麻季が加わってシュトラウスの「四つの最後の歌」、後半にブルックナーの交響曲第1番(1868年リンツ稿、新全集による日本初演)。

 マエストロ高関の評判はもちろん知っていたが、恥ずかしながら今回初めて聴かせていただいた。噂にたがわぬ見事な演奏だった。「魔笛」の後半のしっかりした盛り上がりに、まずびっくり。オーケストラから厚みのあるしっかりした音が聞こえてくる。構成感もあり、メロディの表情もしなやか。

「四つの最後の歌」も素晴らしかった。森さんは音程の正確な透明な声でしっとりと歌う。オーケストラとともに声の色彩も刻々と変わる曲なのでとても難しいと思うのだが、そうしたニュアンスの違いを見事に歌い分けていく。オーケストラを圧するのでなく、そのなかに入って静かに歌う。私はこの曲を聴くと、「浄土」を思い浮かべる。この世のものではない色とりどりの「イデア」にあふれた人工美の極致としての彼岸。第3曲「眠りにつくとき」のヴァイオリン・ソロから最後まで魂の震える美しさの極致だった。森さんも抑えられたきれいな声、オーケストラもニュアンスにあふれている。

 後半の交響曲第1番については、恥ずかしながら、私は少々退屈だった。もちろんブルックナーは大好きな作曲家だが、第1番はそれほど聴いているわけではない。それを別ヴァージョンで聴くと、素人の私としては、分析的に聴くこともできず、ただ聞き覚えのある音楽と少し違う雰囲気の楽想に戸惑うばかりだった。結局、よくわからないまま終わってしまった。ただ、オーケストラはしっかりと鳴り、マエストロは確信を持って音楽を作り出していることはよくわかった。

 マエストロ高関の音楽をまた聴きたいと思ったが、ともあれ、今日は「眠りにつくとき」のあの美しい楽想を聴けただけで幸せだ。

 コンサートの後、多摩大学でかつて教えた中国人留学生4名、元多摩大学の同僚の中国人教授1名とマレーシア料理の店で会食をした。私以外は全員が中国人なのだが、日本語で会話をしてくれた。楽しい時間だった。二人は現在、日本企業で仕事をし、二人は大学院の進学準備をしている。まだ20代の若者だが、意欲にあふれ、日本語を使って社会に貢献したいと思っている。教え子という以上に、素晴らしい友人たちだと思った。

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