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ファルハディ監督の「誰もがそれを知っている」 悲劇そのものの原形

 アスガー・ファルハディ監督の映画「誰もがそれを知っている」をみた。

 私は、「ある過去の行方」をみて以来、このイラン出身の監督のファンだ。「彼女が消えた浜辺」や「別離」、「セールスマン」も素晴らしかった。登場人物のそれぞれの行動に説得力がある。自分がそのような状況にあればきっと同じようにするだろうと、どの人物の行動を見ても思ってしまう。宗教にがんじがらめにされている社会の中で、そうした中で深刻な問題が持ち上がり、のっぴきならない状態になっていく。そのようなドラマをリアルに作り上げていく。

 今回の「誰もがそれを知っている」は、イスラム社会から離れて、もっと普遍的に人間の在り方を根本から描く。

 結婚して南米に暮らすラウラ(ペネロペ・クルス)が妹の結婚式に出席するために子どもたちを連れてスペインの故郷に戻ってくる。親や兄弟、かつての恋人パコ(ハビエル・バルデム)とも再会。ところが、結婚式のバカ騒ぎの中で、娘のイレーネが誘拐される。人々は疑心暗鬼になり、隠されていた家族の過去の出来事がふきだしてくる。最後にはイレーネは救われるが、すべての人が傷ついている。

 ほかのファルハディ監督の映画と同様、ある意味で救いのない内容だが、その中に人間のエゴ、そしてエゴを超えた愛情、いかんともしがたい過去の重みといった人間の真実が感じられて、深い感動を覚える。しかも次々と真実があらわになっていく場面ではハラハラドキドキして息詰まる展開になる。まさしくギリシャ悲劇以来の、悲劇そのものの原形のような映画だといえるだろう。そして、何よりも演出力に驚嘆する。すべての人物が人間の業を背負っている。

 ただ、個人的な好みからすると、私は「ある過去の行方」や「彼女が消えた浜辺」や「別離」のほうが好きだ。「セールスマン」と「誰もがそれを知っている」は娯楽サスペンスの色合いが強まって一層おもしろくなり、映画の作りが上手になった分、がんじがらめになった人間の裸の姿の実像を描くだす力は弱まったように思う。その点のみ不満に思った。

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