3回目のホーチミン旅行
2019年6月3日から7日まで、2泊5日の弾丸ツアーで家族の一人(本人が嫌がると思うので、それが誰であるかは明かさない)とホーチミンに行った。6月3日の深夜に羽田で搭乗手続きをし、4日の未明に出発、4日からホーチミンに2泊して、6日をホーチミンですごしたあと、深夜に出発して7日の朝に羽田到着。これで2泊5日ということになる。
ホーチミンを訪れるのは3度目だ。初回は1992年、ベトナム、カンボジアの旅だった。2度目は2012年、ホーチミン、ハノイ、ハロン湾の旅だった。そして、今回はホーチミンのみ。正月の新聞広告でHISのビジネスクラス格安ツアーを見つけた。最初にベトナムを訪れた時、「ベトナム料理は世界一おいしい!」と思ったので、食いしん坊の家族とともにベトナム料理を堪能したいと思った。
簡単に旅での出来事を書く。なお、前回のジョージア・アルメニア旅行の際と同様、今回も写真を挿入する技術を持たないので、言葉による記述だけになる。
6月4日
JAL便で快適に予定通り、早朝の5時15分にホーチミン到着。ベトナム人ガイドさんがホテルまで送ってくれた。が、ホテルに到着したのは朝の7時前。部屋には入れない。夕方以降、市内観光などが予定されているが、それまではツアーには何も予定されていない。荷物を置いて、ともあれ近くを歩き始めた。
ホテルがハイバーチュン通りにあったので、近くのホーチミン随一の繁華街ドンコイ通り、歩行者天国になっているグエンフエ通りなどを歩き回った。
1992年に訪れた時には、まだベトナム戦争の傷跡があった。空港からホテルに向かうとき、自転車に乗った人々が次々の現れるのに驚いた。その中にアオザイ姿の女性たちが大勢いた。バイクも多くて、そこに4人乗り、5人乗りをしているのが見えた。2012年には自転車はほとんどみかけなくなり、バイクの大群に変わっていた。そして、今回、バイクは一層増えていた。車も多い。車は日本車が大半。2人乗りは多く、3人乗りも時々見かけるが、以前のような4人乗り、5人乗りはまったく見かけなくなっていた。
派手な色のヘルメットをかぶり、排ガス予防のための色とりどりのマスクをしたバイクの大群は、まさしくバッタの大群のように見える。ドドドドドドドドドという音を立てながら、バッタの大群が次から次へと湧き出してくるかのようだ。
信号があまりないので、バイクの群れは途切れることがない。前回も大きな道路を渡るのは命懸けだと思ったが、今回は大きな道路だけでなく、もっと細い道に至るまで、バイクが少しだけ途切れるのを待って、必死の思いで渡らなければならなくなっていた。たまに信号があっても、赤信号なのに平気でバイクが走っていく。
現地の人はバイクや車がかなり通っているときにも、それをかき分けるように進んでいくが、日本人としてはそんな度胸はない。現地の人であっても高齢者はそれができないだろう。事実、ホーチミン市の中心街で高齢者をほとんど見かけない。高齢者は外に出ないのか? 地下鉄の工事が行われていた。公共交通が整備されれば、バイクの大群は減るだろう。
ホーチミンの町は、ヤンゴンやコロンボやカラチ、ラホール、カトマンズなどのほかの国の大都市に比べてかなり清潔だ。道路沿いにごみが散らばっていることもない。生ごみのにおいが漂っているわけでもない。東南アジアのどこにも多い野良犬もほとんど見かけない。ただ、道路に座り込んだり、低い椅子に座ったりしてものを売る人、何かを食べている人、おしゃべりしている人が目立つ。道路にものを並べて売っている人も多い。これほどバイクが多くてうるさくてばい煙の多くところ、しかもめっぽう暑いところに座っている人が多いのには不思議だ。
ホーチミンという文字以上に「サイゴン」という文字が目立つ。ホテル名、レストラン名などのサイゴンという名前が見える。初めて訪れたころ、この土地を「サイゴン」と呼ぶのは親米の証とみなされてはばかられているような雰囲気があった。ところが、現在ではサイゴンが当たり前になっている。
ホーチミン像を訪れた。かつては誰よりも敬愛され、崇拝された人物だが、その像は特ににぎわってはいない。今も愛されているとは、あとでガイドさんに聞いたが、崇拝されているとは言えない状態だ。ホーチミン人民委員会庁舎を外から見た。統一会堂、ホーチミン市博物館などを見物。
ペンタイン市場にも行ってみた。市場には肉や魚、果物が売られる生鮮食料品のほか、衣服、時計、バッグなどが売られていた。やっと人がすれ違えるような狭い通路を挟んで、ぎっしりと小さな売り場が並んでいる。これまで見てきた東南アジアの様々な国の市場とさほど変わらないが、ただ、ベトナムの特徴といえそうなのは、売り場の前に必ず売り子が低い椅子に座っていることだ。そのほとんどが若めの女性だ。ずらりと並んで女性たちがおしゃべりしていたり、何かを食べていたりする。不思議な光景だ。
暑くなってきた。午前中なのに30度を超す。歩くのに疲れたので、ちょっとおしゃれな冷房の効いたカフェに入って休憩。ジュースを飲んだ。やっと昼になって、チャン・フン・ダオ像のある広場の近くのガイドブックなどに出てくるレストランで食事。実においしい。ベトナム料理は本当においしい!
その後、ホテルに入れる時間になったので、部屋で一休み。ビジネスクラスとはいえ、十分には眠れなかったので、ひと眠りした。
夕方、ガイドさん(ホテルまで送ってくれたのは別の人)が来て、初めて出会う日本人客数人とともに水上人形劇を見に行った。水上人形劇はハノイで以前見たことがある。とてもおもしろかった記憶があるが、今回は、少々子供だましだと思った。人形の動きもそれほどの工夫が感じられず、あまりリアルではないし、様式美があるわけでもない。しかもワンパターンで退屈になった。客もそれほど面白がっている様子はなかった。
その後、サイゴン川でのディナー・クルーズ。そこでまた新たに日本人客数人と合流して10名ほどで食事。ベトナム料理はどこで食べてもおいしい。が、増幅された大音響の音楽(民族楽器が使われていたが、曲目は現在の曲がほとんどだったようだ)は私には耐えがたかった。
どこに行ってもあれほどものすごい人数の中国人観光客をほとんど見ないことに気づいた。たまたまそのような場所に私たちが出入りしているのかもしれないが、日本人によく出あう。中国人よりも日本人のほうが多い外国など、本当に久しぶり。
ホテルに戻って寝た。
6月5日
ツアーに含まれるミトーのメコン川見物。バスで1時間半ほどかけて、メコン河畔の町ミトーへ。今回のツアーは、ずっと同じガイドさんについて歩くのではなく、行動ごとに別のガイドさんが来て、客もその都度変わる。今回は13人の客だった。
いつまで行っても、バイクの大群が続く。ホーチミン市内から離れて、やっとバイクの数がぐっと減った。
メコン川到着。決して美しい水ではない。だが、チベットから様々な森の栄養を運んでくる大河だ。船で中州に行き、そこで果物を食べた。
そのときに、突然、大スコール。雷が鳴り、豪雨になり、座っている椅子にまで雨が吹き込んできた。が、30分ほどで雨はやみ、晴れ間が見えてきた。それはそれで実に爽快。その後、二人が手漕ぎをするボートで狭い川を下った。突然のスコールを除けば、2012年に訪れた時とまったく同じコース、同じ店だった。既視感に襲われた。
その後、バスでレストランに移動してエレファント・フィッシュなどを食べた。2012年にも同じような料理を食べたが、レストランは異なる。今回のレストランは、池があり、ベトナム風の建物があって、風雅な作りだった。料理はここも実にうまかった。
その後、ホーチミン市に戻って、市内観光。サイゴン中央郵便局、歴史博物館、英簿マリア教会(ただし、改修中につき中は見物できず)などをみた。
いったんホテルに戻って、夕方、別のガイドさんに連れられて、今度は家族の二人だけで夕食。そこもおいしかった。本当にすべてのレストランでおいしいものが食べられる!
それまで泊まっていたホテルは、ビジネスクラスのツアーだということで期待していたものとはかなり異なっていた。しかも、あてがわれた部屋は窓がなく、清潔ではない。そのほかにもいくつも問題を感じた。この日の午後、追加料金を支払って、別のホテルに変えてもらうことにした。食事の後、新しいホテルに移った。
そのホテルはグエンフエ大通り沿いにあった。ところが、この日、ベトナム対タイのサッカーの国際試合が行われており、そのライブビューイング会場がホテルの目の前だった。大画面がいくつか用意され、道は通行止めになり、人があふれ、大騒ぎしている。ホテルの前まで車は入れず、途中から歩いた。全員が大画面のほうを見ている。とはいえ、ベトナム人は礼儀正しいので、大混乱の様子はない。部屋に入っても音が聞こえる。
22時まで営業しているスーパーが近くにあったので、買い物に行った。お土産物もついでに買った。高級スーパーのようで、高級品がそろっており、日本人客が大勢いた。
ドンの価値は日本円の200分の1ほどにあたる。1万ドンが50円、10万ドンが500円。物を買おうとするごとに、桁の大きさに頭が混乱し、イチジュウヒャクセン・・・とゼロの数を数え、それを日本円に計算しなおす。
しかも支払いの段になると、紙幣はすべてホーチミンの図柄で、そこにいくつもの0の並ぶ数字が書かれている。どの紙幣が1000か10000か100000かわかりにくい。わけがわからず、ともあれ店員さんのいうとおりに支払うしかない。
スーパーからホテルに戻っているときもまだライブビューイングのサッカーが続いていた。大画面を見ながらホテルに入ろうとしていた時、ベトナムがゴールを決めた。大歓声。その後もゴールを決めたシーンが何度か再生される。そのたびに、喜びの声が広まる。
大騒ぎの中、部屋に戻った。前日までのホテルに比べれば、格段に快適な部屋だった。
6月6日
この日は20時半にホテルからガイドさんが空港まで送ってくれることになっているが、基本的に終日自由行動。ただし、午前中にホテルのチェックアウトの時間なので、外で過ごすしかない。おいしいもの巡りをすることにした。
朝からチェロン地区にあるビンタイ市場まで歩いて、デザートで有名だという店に行った。テイクアウトの弁当なども扱っている店で、大勢の人が列を作っていた。エアコンのついていない店だった。スイーツを食べた。絶品。3品で日本円で200円程度だった。
いったんホテルに戻ってシャワーを浴び、チェックアウトして、荷物をホテルに預けて、また市内を歩いた。
チェックアウト後、昼食のためにバインセオのおいしいという店に向かって歩きながら、統一会堂や、お店の近くにあるダンディン教会(ピンク色の教会)などを見物するつもりだったが、スマホのナビに従ったのが間違いだったのか、予想以上に遠かった。
それにしても暑い。33度くらい。そして、どこに行ってもバイクのドドドドというエンジン音とクラクションのけたたましい音が響く。静かで涼しいところを探してゆっくりしたい気になるが、そんな場所はほとんどない。
暑い中歩くのに疲れてカフェ(エアコンのないオープンスペースの店だった)で休憩したために、店に到着したのが14時直前で、バインセオで有名な店はすでに閉店だった。意気阻喪。
疲れ切ったので、いったんホテルのロビーで涼もうと思い、ダンディン教会前に停車中のタクシーに乗ったのが失敗のもとだった。
今回のホーチミン旅行で乗る初めてのタクシー。40代に見える運転手。警戒をして、メーターを下すように言った。1時間以上歩いた距離なのに、タクシーだと10分ほどだった。メーターに62という数字が見えたが、メーターが曇っていて、よくわからない。ホテルのドアまでおろしてもらえると思っていたら、道路の反対側で停車。
6万5000ドン(330円くらいにあたる)だと思って、10万ドン札で支払おうとすると、運転手は「ノーノー」といい、私の財布をのぞき込んで、50万ドン札を指さし、「それだ」という。
例によって、ベトナムのドンは桁数が多いので、紙幣の価値がよくわからない。紙幣はすべてホーチミンの図柄で、ゼロの数字が並んでいるので、さっぱりわからない。ちょっと疑問に思ったが、強く「もう一枚」といわれて、根が善良な私は、言われたまま、もう一枚同じ札を渡してしまった。運転手は釣りの紙幣を数枚くれた。
で、タクシーを降りて考えてみると、運転手に渡したのは間違いなく50万ドン紙幣2枚だった。100万ドン。つまり5000円ほどに当たるではないか! 返ってきたお釣りは5000ドンほど。これは間違いなくぼられた!! 旅慣れたはずの私がまんまと騙された!
後で、日本人向けのタクシーの乗る時の注意がガイドブックに書かれているのを見た。そこに「10万ドン以上の紙幣を渡さない」という注意があった。もっと前に読んでいればよかった!
しばらくショックから立ち直れなかった。5000円でよい経験ができたと思うことにしたが、それにしても悔しい。しかも、余裕をもって一日を過ごせると思っていたのに、ドンの手持ちが少なくなってそれだけでは夜までホーチミンで過ごせない。
遅めの昼食を終えた(現金が心配なのでカードで支払い)あと、ベトナム戦争証跡博物館まで歩いて行った。敷地内にベトナム内でとらわれたアメリカ軍の戦闘機などが展示されている。かつての2度のホーチミン旅行ではこの博物館が強く印象に残っている。ベトナム戦争の残虐さ、ベトナム人の必死の戦いの跡が示されていた。地下基地などを見たのもこの場所だったような気がする。
ところが、今回来てみると、ガイドブックにはあまり大きな記載がなく、しかもツアーの市内観光にも含まれていない。客の人数もそれほど多くない。館内の展示も1階はむしろアメリカ兵のベトナム兵の友情、アメリカ人の反省などが目立つ。疲れたので椅子に座ると、その前で映像が流されていた。ベトナム語だったので内容はよくわからなかったが、アメリカ人らしい高齢の西洋人が墓参りをしたり、ベトナム人と握手をして涙を流したりする場面の連続だった。
かつての「残虐な戦争を戦って、アメリカに勝利したベトナム人」を訴える場から、「ベトナム戦争を経て、国際協調を重視するベトナム」を訴える場にこの博物館も方法転換されていることがよくわかる。
いったんホテルに戻ることにした。到着した直後に雨が降り出した。しばらく休憩して、近くで軽い夕食(ここでも仕方なしにカードで支払い)を済ませて、ガイドさんに連れられて空港に向かって帰国。
今回の最大の目的は「ベトナム料理」だったので、ともあれ満足。すべての食事が満足できるものだった。なぜベトナム料理がこれほどおいしいのか、まさに謎。タクシー料金をだまされたのがとても残念だが、このくらいの損害で済んで、まずはよかった。ホーチミン市の中心部はかなり歩き回ることができた。道に迷いつつ、周囲を見て、異国の生活を味わうという旅ができたと思う。
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