広州旅行2019
2019年7月17日から21日まで広州旅行に出ていた。広州を目的に行くのは2度目。一度は桂林に行く途中に立ち寄っているので、今回が三度目の広州ということになる。初回は多摩大学の学生とともに学務として訪れた。二度目はツアーだった。一人でぶらぶらしてみたかった。ついでにちょっと仕事もしようと思った。
マイレージを使えば航空運賃は無料になる。久しぶりに広州にいる友に会いたい。そんな思いで気楽に出かけた。
ANA機で2019年7月18日9時15分に羽田出発。13時前に廣州到着。フライトはきわめて順調。機内でイーストウッドの映画「運び屋」をみた。おもしろかった。
空港の外に出たとたん、猛烈な暑さだった。37度。日本はこのところ低温で22度程度だったので、からだにこたえる。
タクシーで天河地区にあるホテル(広州陽光ホテル Soluxe Hotel)に向かった。50分ほど自動車専用道路を乗り継いで到着。タクシー代は170元ほどだった。約3000円。40階建てほどの立派なホテル。旅行サイト・エクスペディアで「おすすめ」のホテルを何も考えずに予約した(われながら情けないが、確か、レビューの評価が高く、「今予約すると20オパーセントオフ」というようなうたい文句に心を動かされた)のだったが、部屋に入って地図とにらめっこして場所を確認すると、ここはあまりに交通の便が悪い。少々後悔。
一休みして、15時になってから、ホテルの隣の天河公園を歩いてみた。ただ、あまりの暑さに公園の良さを味わえない。石畳の地面は熱を発し、おそらくは45度を超す灼熱地獄。木々が植えられ、池があり、森林の涼し気な絵が壁面に描かれているが、燃えるような暑さのために数人しか人影が見えない。
公園でゆっくりするのをあきらめて、珠江の方向におりてみることにした。10分ほどで到着するかと思ったら、川辺に出るまでに30分くらいかかった。道の両側には、小さな古めの店が並んでいる。古めとはいえ、築30年程度だろう。ところが、地下鉄の工事中のようで、その町並みが壊されているようだ。
珠江に出た。珠江の向こう岸には巨大な摩天楼がいくつも見える。躍進する中国らしい光景だ。河畔はセーヌ河畔もさもありなんと思われるほどに整備された遊歩道だ。暑い中、子どもたちが自転車に乗ったり、ボールを転がしたりして遊んでいる。が、もちろん、この暑さでは人がいるはずもない。
河畔を20分ほど歩いて、珠江にかかる大きな橋付近まで行った。そこから北上して、ぐるっと回ってホテルに戻った(地図上で道路の名前を確認したが、文字が読めないのでここに移しようがない)。ゆっくり歩き、遊歩道でも少し休憩したせいもあるが、2時間かかっていた。羽田で買ったお茶を飲みながらだったが、頭がふらふらして汗だく。改めて、交通の不便なホテルに滞在してしまったことを後悔した。
一休みして食事。外に出る気力は失せていたので、ホテル内で食事をすることにした。5階にレストランがあるとのことで、とりあえず行ってみた。女性店員に導かれるままについていったが、えらく高級そうな中華料理の店だった。メニュを見せてもらったが、なじみの料理がない。見たこともないような料理の写真が並んでいる。よくわからない。またしても、意味なく高級レストランに入ったことを後悔。値段のあまり張らないものを3品選んだ。
食べてびっくり。私のこれまでの人生でもめったにあじわわなかったほどの美味だった。魚のバターソテーのようなものもエビフライのようなものも、ダックのようなものも絶妙の味付けと焼き具合。しかも、あんがかかっているのだが、それが素晴らしい。3品とビールで321元なので少々高かったが、これほどの絶品料理を食べられれば何の文句もない。交通の便が悪かろうとなんのその。暑い中を1時間くらい歩いても食べる価値のある料理だと思った。
その日はそのまま就寝。
夜中に何度も大きな騒音で目が覚めた。明らかに工事の音。窓から外を見たが、どうやらホテルのすぐ下で地下鉄工事が行われているようだ。深夜に工事とはなんとも住民無視。きっと大慌てで工期に間に合わせようとしているのだろう。これも一つの中国の現実なのかもしれない。
7月19日
午前中は、越秀区のあるいくつかの寺院を見ることにした。まず、ホテルからタクシーで光孝禅寺にいった。30分以上かかった。タクシー代金は1000円ほど。小さな店が立て込んでいる。歩道があるが、かなり汚れているし、でこぼこがある。昔ながらの商店街。途端に上半身裸の男の姿が目立つようになる。ガラガラガラと音を立ててペッと唾を吐く男女もかなりいる。30分歩くだけで、そのような音を何度も聞いた。
光孝善寺は広州最古の寺院だという。三国時代にできたといわれる。現在でも10世紀の建物が残っている。現地の人々がやってきて参拝している。観光客らしい姿は見かけない。
迷いながら少し歩いて、六榕寺に行った。537年に創設された寺で1000年ほど前に建てられたという九層の塔が目を引く。菩提樹やガジュマルの木があり、参拝客もちらほらいる。
それより少し南にある懐聖寺まで行った。人気がなかった。ここは中国で最も古いモスクだとのこと。ただ、あまりモスクらしい様子はなく、建物の奥の方に白い塔があるに過ぎない。ただ、白い帽子をかぶった老人(つまり、イスラム教徒ということなのだろう)が一人で歩いていた。
この街に着いてから2時間ほどが経っていた。タクシーを呼び止めてホテルに戻った。車線変更を繰り返し、警笛を鳴らしまくり、パッシングを繰り返す運転手だった。道が渋滞して動きようがないのに、この運転手は前の車に向かってパッシングし警笛を鳴らす。鳴らされる方も困ってしまうだろうと思った。だが、ともあれ何事もなくホテル到着。
一休みして、この日の午後は仕事がらみの行動をとったが、これについてはヒミツ。途中大雨になって、少し涼しくなった。
夕方、親しくさせていただいている広東財形大学の先生やその卒業生たち(多摩大学に留学していたため、私の教え子に当たる)3人と中心街にある高層ビル、広州国際金融センター内の四川料理の店で楽しく会食。店の前に数十人が待つ人気の店だった。広州化された四川料理とのことで、それほど辛くはなかった。その後、同じビルの高層階に行ってお茶を飲んだ。楽しいひと時だった。
教師と教え子という以上に、とても良い友を持ったと改めて思った。
7月20日
午前中、再びホテルのすぐ近くにある天河公園を散歩。朝の内だったので地面は熱せられていないため、2日前ほどの暑さは感じなかった。が、スマホを見ると35度という気温になっている。地元の人が何人も散歩したり、体操したり、音楽をかけて踊ったりという、中国の公園でよく見かける光景。
ホテルに戻って荷物をまとめ、チェックアウト。ロビーに教え子たち3人が再び来てくれた。タクシーで移動して、陶陶居というレストランでみんなで昼食。ここも実においしい。豆腐のフライ、酢豚の氷漬け、イセエビのスープなどもとてもおいしかった。教え子たちとの語らいもとても楽しかった。
お腹いっぱい食べてから南越王旧博物館に行った。この地域の歴史品が陳列されていた。ポンペイ展が特別展として開催されていた。ぐるっと回ってみたが、中国語と英語の解説ではよくわからなかった(イヤフォンガイドがあったが、聞きなれない用語やこなれない日本語のためストレスがたまった)。
雨が降り出した。雨宿りも兼ねて、博物館の椅子で教え子たちと談笑。日本語が達者な若者たちなので、実に頼もしい。彼らはみんな日本語と英語と北京語と広東語ができるとのこと。
教え子二人とはここで別れて、地下鉄で空港に向かった。教え子の一人が空港まで送ってくれ、搭乗手続きまで見届けてくれた。これも実にありがたい。
予定としては、広州を21時発の中国国際航空便で上海浦東空港に23時25分に到着、そこで乗り継いで、午前1時45分出発の羽田行きのANA便で、午前5時40分に帰国することになっていた。マイレージで安く旅行しようとするとこんな不便な便を使わざるを得なくなるが、それもまた旅行の楽しみだと思っていた。
羽田まで荷物を預けることができず、いったん上海で荷物を受け取ってから、再びANAのカウンターで手続きをしなければならないらしいのが面倒だったが、ともあれ、これで一安心、上海でちょっとあわただしいかもしれないが、まあたいしたことではないだろうと思っていた。ところが、実はそれからが大変だった。
いつまでまっても搭乗口に動きがない。しばらくたって表示が出た。約3時間遅れの22時50分発に変更になった。乗り継ぎが心配だが、どうにも仕方がない。
実際に飛行機に乗り込んで離陸したのは23時過ぎ。上海に到着したのは、私が乗るはずだった羽田行きANA便の出発予定時刻を過ぎた1時30分頃だった。荷物を受け取って、大慌てで出発ロビーのANAのカウンターに行って何とかしてもらおうと考えたが、夜中の2時近くなのでカウンターは閉まっていて、誰もいない。そもそもロビーは警備員や掃除係がいるだけで、あとは椅子で寝ている旅行客ばかり。
今度は警備員や飛行機から降りたクルーをつかまえて中国国際航空(CA)のオフィスがどこなのかをきいて探し回ったが、それも見つからない。やっと見つかったが、もちろんすでに閉まっている。
ネットで調べてANAに電話をかけた。事情を話して仮の予約を取った。その日の東京行きの便はすべて席が埋まっており、予約できるのは夜の23時過ぎに成田に到着する便だけだという。朝になってCAのカウンターで交渉するともっと早い便が取れるかもしれないと電話先の女性が教えてくれた。
あきらめて空港で朝まで待つことにした。椅子はほぼ全部埋まっているので、床に寝転がった。20代のころはこのような海外旅行をしていたが、さすがにこのトシになるとつらい! きれいな空港で、しかも寒くないのが救いだった。が、ともあれ、これも旅の醍醐味と思うことにした。
まったく眠れないまま、朝を迎えた。5時半ころになって中国国際航空のカウンターが開き始めた。ところかまわず窓口にいって下手な英語とボディランゲージで事情を説明し、なんとかならないかと尋ねた。あちこちたらいまわしにされながらも、やっとのことで、ある窓口で遅延証明書を書いてもらい、夕方の便しか予約できないときには休息のためのホテル代を出してもらうように交渉し、なんとか確約を取り付けた。
そして、6時半ころになってやっとANAのカウンターが開いた。日本語のできる係員を探して事情を説明し、早い便で帰ることができないかと食い下がった。日本人的な雰囲気の中国女性だった。コンピュータを前にしてあれこれしていたが、しばらくして「一席空いているようです」と教えてくれた。その後もあれこれとコンピュータを操作し、先輩らしいほかの係員を呼んでかなり長い時間をかけていたので、取り消しになるのではないかと心配になった。もしかしたら、通常では販売されない席を用意してくれたのかもしれない。が、ともあれ、予約できた。
すぐに搭乗手続きをし、中国名物ともいえる長い行列を作って厳しい出国審査を受け、厳しい荷物検査を受けて、無事に搭乗。予定よりも6時間近く遅れて帰国。
教訓。中国国際航空が絡んでいるときには、乗り継ぎはなるべく避けるべし! 2時間半の乗り継ぎ時間は危険だ。安いチケット(今回はマイレージの無料優待チケット)にはそれなりの理由がある!
広州は世界遺産もなく、観光の見どころのない大都市だ。しかも蒸し暑い。が、ここでこそ本当の中国がみられる。大躍進を遂げ、その光と影の中の人がいる。私たちがテレビで見る「中国人」とは異なった、今の中国人がいる。日本人が思っているほどマナーが悪いわけではなく、非常識なわけではない。それどころか、礼儀正しく、物静かで知的な人が圧倒的に多い。そんな中国の都会に住む人の日常がみられる。しかも、料理がとびっきりおいしい。脂っこすぎるわけではなく、辛くもない。絶妙の味。とびっきりおいしい。脂っこすぎるわけではなく、辛くもない。絶妙の味。
最後にはちょっとだけひどい目にあったが、とても楽しい旅だった。広州に来るごとに、また訪れたいと思う。また広州にいる友に会いたいと思う。
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コメント
お疲れさまでした。帰りは大変だったですね。さぞストレスが多かったことと思います。ご無事なお帰り、何よりです。中国の方々は「日本人が思っているほどマナーが悪いわけではなく、非常識なわけではない。それどころ、礼儀正しく、物静かで知的な人が圧倒的に多い。」とのこと。そうなんだろうなと納得しました。同じ人間同士、そんなに違っているわけがありませんね。
投稿: Eno | 2019年7月24日 (水) 12時28分
Eno 様
コメント、ありがとうございます。
その通りです。日本における中国人に対する偏見を少し減らすべきだと考えています。以前、書きましたが、日本の電車で席を譲られることはほとんどないのですが、中国ではよく席を譲られます。年寄りと思われているわけですので、少々気持ちは複雑ですが、中国の方のマナーの良さを感じます。
投稿: 樋口裕一 | 2019年7月29日 (月) 08時13分