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またまたまたリムスキー=コルサコフのオペラ映像「サトコ」「モーツァルトとサリエリ」「皇帝の花嫁」

 この一か月ほどかかりきりだった本の原稿をやっと編集者に送信して、その後、久しぶりに羽を伸ばしている。明後日ころまで、仕事を控えて音楽を聴いたり映画をみたりしたい。

 しばらく自宅でオペラ映像も見る時間が取れなかったが、リムスキー=コルサコフのオペラ映像をみた。簡単な感想を書く。

 

「サトコ」 1994年 マリインスキー劇場

 初めてこのオペラの映像をみた。とても面白いオペラだと思う。なぜもっと上演されないのか、実に不思議。美しいメロディもふんだんにあり、ストーリーもおもしろいし、とても理路整然とした構成。浦島伝説のような話。オーケストレーションがとても色彩的でちょっと「ラインの黄金」風のメロディも現れて、とてもいい。ストーリーと何ら関係のない「インドの歌」がこのオペラの中でもっとも有名な歌だというのが、どうも解せない。

 全体的にはとても良い上演だと思う。ゲルギエフの指揮するオーケストラも実に雄弁。アレクセイ・ステパニウクの演出もわかりやすくて美しい

 ただ残念ながら、サトコを歌うヴラディミール・ガルーシンがあまりに不安定。確かかなり有名な歌手で、私もこれまで録音で何度か聴いたことがあったと思うのだが、ずっと音程が不確かで声が伸びない。そのほかの歌手たちはとても魅力的。妻役のマリアンナ・タラソワ、ヴォルコヴァ役のヴァレンティナ・チディポヴァ(アジア系の顔だった!)は素晴らしい。

 

「サトコ」 1980年 モスクワ、ボリショイ劇場

 モノラル録音で、音質も画質もよくないのが、あまりにもったいない。1980年にはもっと良い環境でオペラを収録できたと思うのだが、ソ連は技術的に劣っていたのだろうか。

 マリインスキ―劇場の上演よりも、演奏は圧倒的にこちらの方がよい。歌手がそろっている。とりわけ、サトコを歌うヴラディーミル・アトラントフが圧倒的。素晴らしい歌手だ。梁のある美声で、演技や容姿もとてもサトコにぴったり。そのほか、リュバーヴァのイリーナ・アルヒーポワ、ヴォルホヴァの、タマーラ・ミラシキナ、海の王のボリス・モロゾフ、ニジェータのニナ・グリゴエワ、すべてがそろっている。

 指揮はユーリ・シモノフ。まるでモーツァルトのような容姿で静かにタクトを振っているが、出てくる音は強くて劇的。このオペラはもっとおとぎ話風なのではないのかと思わないでもないが、それはそれでとても説得力のある音楽だ。

 演出はボリス・ポクロフスキー。さすがというべきか、とてもおもしろい。色彩的で人物の動きが立体的。集団劇としての魅力にあふれている。

 

「モーツァルトとサリエリ」 1981年 モスクワ、ボリショイ劇場(ライヴ)

 登場人物はモーツァルトとサリエリだけの1時間ほどのオペラ。プーシキン原作。初めて聴いたが、モーツァルトの曲が出てきて、とても楽しむことができる。サリエリがモーツァルトの才能に嫉妬して殺人を決意するまでの真理ドラマを音楽で描く。ただ、二人の会話だけでドラマを成り立たせるのはかなり難しい。リムスキー=コルサコフをもってしても、十分に成功しているとは言えない気がする。

 モーツァルトを歌うアレクセイ・マスレンニコフ、サリエリを歌うアルトゥール・エイゼンともにとても力演。指揮はルーベン・ヴァルタニアン。ただ、これも1981年にしてもあまりに音質・画質ともに貧弱。

 

 

「皇帝の花嫁」 1983年 モスクワ、ボリショイ劇場

 これも画質・音質ともにかなりよくない。本当に残念。それを除けば最高の舞台だと思う。

 歌手陣は全員が圧倒的。マルファを歌うリディア・コヴァレーバは、見た目は少しお年を召しているが、声は素晴らしく可憐で清楚。ソバーキンのアレクサンドル・ヴェデルニコフ、グリャズノイのユーリ・グリゴリエフも素晴らしい。そして、何よりも圧倒的な存在感を示すのがリュバーシャを歌うニーナ・テレンチェヴァ。凄味がありながらも美しく、容姿もまたこの役にふさわしく妖艶で美しい。痺れてしまった。

 ユーリ・シモノフの指揮も、切れがあってドラマティックで素晴らしい。オレグ・モラレフも豪華でわかりやすくて説得力がある。繰り返すが、せめて音質がもっと良ければうれしいのだが、実に残念。

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ヤルヴィ+N響 演奏会形式「フィデリオ」 圧倒的な歌手陣

 2019830日、オーチャードホールで、NHK交響楽団の演奏による演奏会形式の「フィデリオ」を聴いた。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。

 全体的にはとても良い演奏だったが、はじめのうちは歌手とオーケストラの音のずれを時々感じた。オーケストラもぴしゃりと決まらないこともがあったと思う。完成度という面では少し不足したと思う。もう少しリハーサルをしてほしかった。とはいえ、第一幕後半からだんだんと精度が増してきた。第二幕冒頭に「レオノーレ」第3番が演奏されたが、それは素晴らしい演奏。このあたりから精度が増したように思う。ドン・ピツァロがフロレスタンを殺そうとし、レオノーレが正体を明かすあたりからは大きくドラマが展開して見事。最後は素晴らしかった。

 歌手陣は世界トップレベルの陣容。私もザルツブルクなどで何度か聴いた人たち。その中でもとりわけレオノーレ役のアドリアンヌ・ピエチョンカが伸びのある強い声で素晴らしかった。マルツェリーネのモイツァ・エルトマンも可憐な姿と清潔な歌で見事。ロッコのフランツ=ヨーゼフ・ゼーリッヒはこの役にふさわしい豊かな深い声。ドン・ピツァロのヴォルフガング・コッホもまたこの役にふさわしい張りのある強い声。そして、第二幕から登場するフロレスタンのミヒャエル・シャーデはしなやかで品位ある声。

 ジャキーノの鈴木准、ドン・フェルナンドの大西宇宙も健闘。そして、冨平恭平合唱指揮による新国立劇場合唱団も素晴らしい。

 パーヴォ・ヤルヴィの指揮も躍動感にあふれ、時にきわめて繊細に音楽を重ねる。ヤルヴィはあまり大袈裟にドラマを盛り上げようとはせず、むしろ内面に寄り添って丁寧に苦しみと喜びを描こうとしているように感じた。その点に大きな説得力を感じた。

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小泉+神奈川フィルの「田園」「運命」 徹底的に理性的な名演

 2019823日、みなとみらい大ホールで神奈川フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴いた。指揮は小泉和裕。曲目は前半にベートーヴェンの交響曲第6番「田園」、後半に交響曲第5番(運命)。とても良い演奏だった。ある方向の演奏としては最高度に完成されているといってよいかもしれない。

「田園」はとてもしなやかな音で始まった。誇張なく、淡々と静かに音楽を奏でる。そして、完璧にコントロールされ、微妙な音の強弱や楽器の重なりで見事な陰影が作られていく。そして、第3楽章から徐々に盛り上がり、スケールが増していく。神奈川フィルの音がとても美しい。大変僭越ながら、とてもいいオーケストラになったことを痛感。それにしても、小泉の指揮の見事さに感服。腕の動きだけで、細かいニュアンスを伝え、それを緻密に構築していく。徹底的に理性的な構築だと思う。すべての音が理にかなっていると思う。ちょっと理にかないすぎているのを感じるが、それがこの指揮者の持ち味だと思う。

 そして、後半の「運命」。これまた徹底的に理にかなった構築だった。なるほど、このように構築されていたのか!と納得させるような演奏。まったく破綻がない。まったく誇張がない。だが、音の一つ一つがしっかりとツボを押さえている。心の奥に響く。

 第3楽章がとりわけ素晴らしかった。第4楽章を予感させ、緊張感をもって音楽が展開される。そして、第4楽章で大きく盛り上がっていく。だが、激しく盛り上がるが、形はまったく崩れず、徹底的に理性的。ちょっとした指揮の腕の動きにオーケストラは反応し、それが見事に音楽を息づかせる。まさに名人技。

 素晴らしいと思いつつ、「狂気」が不足しているのを感じないでもなかった。ベートーヴェンの音楽が間違いなく持っている「狂気」の部分を、小泉は出そうとしない。コンサートマスターの石田泰尚がその部分を出そうと必死になっているように見えた。

 フルトヴェングラーのような「狂気」を含むベートーヴェンが私は大好きだ。だが、徹底的に理性的な、言い換えればきわめてアポロ的なベートーヴェンがあってもいい。私はこの日の小泉のベートーヴェンをその典型、そのもっとも完成された姿だと思ったのだった。ちょっと不満に思いながらも、その見事な音楽に感動したのだった。

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演奏会形式「イェヌーファ」 見事な歌手たち

 2019822日、東京文化会館小ホールで、演奏会形式による「イェヌーファ」を聴いた。ヤナーチェク好きの私としては聴き逃がせない。

 指揮は城谷正博。北村晶子によるピアノ伴奏、それに山崎千晶によるヴァイオリン、竹内美乃莉によるパーカッションが加わる。

 歌手はとてもよかった。やはり、イェヌーファの小林厚子が素晴らしい。凄みのある声で、音程もいいし、歌いまわしも見事。引き込まれた。コステルニチカの森山京子もこの役らしい威厳のある強い声が見事。ラツァの琉子健太郎、シュテヴァの所谷直生もそのほかのすべての歌手、合唱も実のレベルが高い。みんな声がしっかり出ている。チェコ語については私はまったくわからないが、私の耳にはチェコの人たちの発音と同じように聞こえる。

 ただ、実は私は、個々の音楽をとれば十分に満足できるはずなのに、全体的にはあまり感動できなかった。音楽が一本調子であるように感じた。

 歌手たちは見事な声で最初から最後まで歌いまくる。ずっとフォルテで歌っている感じ。どの歌手もその傾向がある。だが、そうなると、むしろメリハリがなくなる。緊張感もなくなる。まるで歌手たちの張り合いのようになる。前半はもっと抑えてよいのではないかと思う。ピアノの部分がもっとあってよいのではないか。とりわけ、第二幕の前半など、運命の時が近づくのを予感させるように、じわじわと緊張感を高めていくべきなのだと思う。ずっと同じように声を張り上げて歌うと、肝心のクライマックスが爆発しない。コステリニチカの罪の告白がほかの部分と大差のないものになってしまう。

 ピアノの伴奏にも同じような雰囲気を感じた。だから、音楽に立体感が生まれない。せっかくの素晴らしい歌手たち、演奏家たちなのに、もったいないと思った。

 とはいえ、久しぶりのヤナーチェクだった。私はヤナーチェク友の会にも所属していた。もちろん、手に入るすべてのオペラのCDDVDBDを所有し、何度も見聞きしている。ヤナーチェクのオペラは大好きだ。それなのに、このところ聴く機会がほとんどなかった。素晴らしいオペラだと思う。もっと上演してほしいものだ。

 なお、近況について少し報告しておく。

 817日から20日まで、北京旅行をしていた。25年ぶり、3度目の北京だった。王府井(ワンフージン)付近のホテルに泊まり、天安門広場、什刹海(シチャーハイ)、天壇公園、盧溝橋を見物した。25年前との違いに目を見張った。上海、広州などよりも成熟した大都市だった。奇抜な高層ビルはなく、けたたましい警笛もならず、市民は近代人のマナーを守る親切な人たちだった。逆に言えば、中国的な猥雑感は失われていた。ともあれ、現在の北京のありようを見ることができたのだった。

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尾高+東響のショスタコーヴィチの交響曲第5番に圧倒された

 2019812日、ミューザ川崎でフェスタサマーミューザ最終日、東京交響楽団のコンサートを聴いた。指揮は尾高忠明。曲目は前半にジャン・チャクムルが加わってシューマンのピアノ協奏曲イ短調、後半にはショスタコーヴィチの交響曲第5番。

 シューマンの協奏曲については、私は少々不満を抱いた。ピアノとオーケストラがかみ合わない気がした。チャクムルのピアノがあまりに個性的で、細かいニュアンスをつけるのだが、オーケストラがそれをフォローしないように思えた。なんだかずっとちぐはぐ。いや、もっとはっきり言えば、どうも私はこのピアニストの独特のニュアンスがどうも理解できない。私はシューマン好きではないし、ましてやピアノ好きでもないので、この協奏曲もめったに聞いたことがない。だから偉そうなことは言えないのだが、私にはむしろこのニュアンスが邪魔になったのだった。そんなわけで、最初から最後まで納得いかずに聴いていた。

 後半のショスタコーヴィチは素晴らしかった。前半のもやもやを吹き飛ばしてくれた。

 第1楽章は静かに始まって、だんだんと盛り上がっていく。オーケストラの音が美しい。しかも、瞬発力がある。第23楽章は研ぐ済まされた音で徐々に精神が鬱積してく。とりわけ第3楽章の緊張感は見事。そして、第4楽章で爆発する。だが、ショスタコーヴィチらしく、あけっぴろげな爆発ではない。これまでぐっと胸の内にため込んでいたものをやっと爆発させながらも、まだ鬱積したものが残り、不安が残り、いら立ちが残っているかのような音。尾高はそうした音を重層的に積み重ねていく。打楽器、弦楽器、管楽器すべてが明確な音で指揮者の指示にこたえているのがよくわかる。そのような音楽の構築が見事だと思った。一つ一つの音の重なりも、音色の変化も素晴らしい。ただただ圧倒されて聴いた。

 2日連続のミューザ川崎だった。今日は東響の実力を思い知った。

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エッティンガー+東フィルの「悲愴」 猛暑の中の「悲愴」は格別

 2019年8月11日、ミューザ川崎でフェスタサマーミューザ、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートに出かけた。20日ぶりくらいのコンサート。このところ、とても忙しくて、コンサートに行く時間も、家でオペラ映像や映画をみる時間もなかった。お盆の時期になってやっと少し余裕ができた。

 指揮はダン・エッティンガー。曲目は前半にワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第一幕の前奏曲と、高木綾子が加わってモーツァルトのフルート協奏曲第1番。後半にチャイコフスキーの「悲愴」。

 「マイスタージンガー」前奏曲は音にまとまりがないのを感じた。席のせいかもしれない。が、モーツァルトになってだんだん耳が慣れてきた。高木さんのフルートは切れが良くて音が美しい。エッティンガーの指揮もツボを心得ている。高木さんの演奏もエッティンガーの指揮も、もっと深みのある音楽を創ろうとしているようだ。私としては、もっとさわやかに鳴らすだけのほうがずっと魅力的なのに・・・と思わないでもなかった。ソリストのアンコールとして、ドビュッシーの「シランクス」。とても美しい音色だった。高木さんのフルートはモーツァルトよりもフランス音楽に向いているのでは?と勝手なことを思った。ふくよかで柔らかみのある音。

 後半の「悲愴」はとても良い演奏だった。エッティンガーは、情緒に流されるのでなく、ドラマティックな音の塊としてこの曲を演奏しているようだ。ドイツ音楽的なアプローチといえるだろう。第一楽章も「慟哭」といえるような音楽にはならない。エッティンガーは音楽に勢いをつけ、構成のしっかりした音楽に仕上げていく。もしかしたらチャイコフスキー・ファンには物足りない演奏かもしれないが、情緒たっぷりのチャイコフスキーが少々苦手な私としては、これは好ましい。ただ、エッティンガーの要求に東フィルは十分についていっていない面もあるのではないかと思った。管楽器を中心にとても良い音を出していたが、全体の爆発力が不足しているような気がした。エッティンガーはもっと爆発的なエネルギーを出したかったのではないか。

 猛烈な暑さの中、川崎まで出かけたが、こんな時の「悲愴」も、それはそれで格別だと思った。暑さを吹き飛ばす気がした。

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