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井上+N響 ショスタコーヴィチ11番 素晴らしかったが、ちょっとマーラー風?

 2019106日、NHKホールでNHK交響楽団定期演奏会を聴いた。指揮は井上道義、曲目は前半に植松透と久保昌一のティンパニが加わって、フィリップ・グラスの2人のティンパニストと管弦楽のための競争的幻想曲と、後半にショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」。とてもよかった。

 グラスの曲はもちろん初めて聴く。私は、「現代音楽」にはかなり無理解なのだが、これはそんな私にもとてもおもしろかった。まったく退屈せず、二人のティンパニストの競演をワクワクしながら聴いた。オーケストラ(コンサートマスターはライナー・キュッヒル)も見事。きっとそれを束ねる井上の指揮が的確なのだろう。ただ、最後の音はあれでよかったのだろうか?と少し気になった。ちょっとずれたような気がしたが、そもそもそんな曲なのだろうか。面白かったが、曲についてどうこう言うことはできない。

 ショスタコーヴィチのほうは正真正銘、素晴らしかった。井上の手にかかると、ショスタコーヴィチの音楽がヒステリックで鬱陶しい音楽ならない。それでいて、魂の爆発があり、ドラマがあり、ストーリーができる。実は私はまったくショスタコーヴィチ通ではないので、この曲にどのようなドラマがあるのか詳しくは知らない。引用される革命歌の元歌も知らないし、その引用にどんな意味があるのかもわからない。だが、音響に身をゆだねるだけで、ショスタコーヴィチの苦悩と闘いが伝わり、魂のストーリーらしいものをたどることができる。何度も何度も魂のこもった音に感動した。

 井上道義の指揮を聴くのは久しぶりだ。実をいうと、好んで聴く指揮者ではない。なぜかというと、やはりこのマエストロは間違いなくマーラー指揮者だと思うからだ。ショスタコーヴィチもきっとマーラーの延長線上にとらえているだろう。そして、それはきっと正しい解釈なのだと思う。だが、マーラー嫌いの私にはどうもそれが気持ち悪い。気のせいか、どうしてもマーラー臭さを感じてしまう。

 とはいえ、これほどの見事な演奏を聴くとそれはそれで納得する。もっとショスタコーヴィチを聴きたくなった。この作曲家、わからないことが多すぎる。もっと勉強しなければ、深く聴くことができない。

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