« 2019年11月 | トップページ | 2020年1月 »

ノット+東響の第九 とりわけ第2楽章にしびれた!

 20191228日、サントリーホールで東京交響楽団の第九特別演奏会を聴いた。赤坂見附で乗り換えようとしたら銀座線が運休しているので焦った。そういえば、渋谷駅工事のために運休というニュースは聞いていたが、サントリーホールにいくために銀座線溜池山王で降りることを忘れていた。

 指揮はジョナサン・ノット。久しぶりにノットを聴いたが、やはり素晴らしい。前のめりの推進力のある演奏。速いテンポでぐいぐいと推し進めていく。切れ味が良い。悪く言うと、ちょっとカッコつけすぎのところも多々あるが、それがぴたりと決まるので、納得してしまう。第1楽章はデモーニッシュに音を重ねて大きな世界を作っていく。ティンパニが大活躍。タメの作り方もとても現代的で、私は大いに感動した。東響の響きもとてもいい。木管楽器の美しさにほれぼれした。

第2楽章はそれ以上に素晴らしかった。スピーディーな列車というか、あるいはジェットコースターに乗っているとでもいうか。見える風景がスリリングに変化し、カーブの切れ味も見事。そうしておいて、全体の流れが完璧に構築されている。あっという間に突き抜けたが、心にぐいと迫る音楽だった。私はただただ感動して聴いていた。

 ただ、第3楽章は、私はほんの少し不満だった。いや、もちろん素晴らしい。だが、私なりのストーリーが築けなかった。ノットがどのような構造として捉えているのかよく理解できなかった。

 第4楽章もまた素晴らしかった。きりりと引き締まり、しかもニュアンス豊かでぐいぐいと音楽を推し進めていく。恐怖のファンファーレも恐ろしく響き渡り、それが歓喜へと進んでいく。バリトンのシェンヤンはスケールの大きな歌。テノールのサイモン・オニールは独特の音色だが、軽快な歌いまわしがとてもいい。ソプラノのルイーズ・オルダー、メゾソプラノのステファニー・イラーニ、そして東響コーラスも素晴らしい。そして、最後の祝祭的な盛り上がりも素晴らしかった。魂が震えた。

 今年のシーズン3本目の第九だった。ボルトン+読響もよかったが、今日もそれに劣らないほどに感動した。これもまた私の好きなタイプの演奏だった。今日もまた第九という曲のすばらしさを改めて感じた。

 アンコールに「蛍の光」。しみじみとしてよかったが、私としては、第九の後にはアンコールは必要ないとは思った。

| | コメント (0)

ヤング+N響の第九 あまりに見事な、そして穏やかな第九!

 

 

 

20191226日、サントリーホールで、N響第九Special Concertを聴いた。曲目は、第九の前に、勝山雅世のオルガンによりヘンデ、アルビノーニ、バッハの作品が演奏された。流麗なオルガンでとてもおもしろかった。

 

そして、いよいよシモーネ・ヤングの指揮による第九。

 

とても論理的で繊細な演奏。音が透明でメリハリがあり、しっかりと一歩一歩進んでいく。しなやかな音が見事にうねっていく。ただ、あまりに穏やか。もちろん、激しい音楽の動きはあり、それはそれでとても魅力的なのだが、それでも穏やかで予定調和的。デモーニッシュなところがない。第1楽章冒頭からして、あの得体のしれないあいまいさがなく、明晰になってしまう。明晰なのは私は大好きなのだが、ベートーヴェンの第九の第1楽章と第2楽章は明快すぎると魅力を感じない。デモーニッシュであってほしい。

 

第3楽章はあまりに美しい。ゆっくりしたテンポで音と音が見事に重なり合い、精妙に展開されていく。N響の音も素晴らしい。ただ、第1・2楽章がデモーニッシュでなかったために、私としてはどうしてもこの第3楽章も天上の音楽に聞こえてこない。晩年のベートーヴェンの並外れたスケールを感じない。きわめて女性的で繊細で穏やかな、つまりは人間的な音楽になってしまっている。

 

4楽章についても、もちろん素晴らしい演奏だった。ソリストたち(マリア・ベングトソン、清水華澄、ニコライ・シュコフ、ルカ・ピサローニ)はいずれも音程はいいし、声はきれいだし、指揮者の要求を十分に表現していると思う。とりわけ、テノールのシュコフの自由な歌いまわしがこの曲にふさわしいと思った。ただ、ここも熱狂的な祝祭感が不足する気がする。

 

私のこの曲に対する思い入れが、ヤングの演奏と重ならないだけのことではあるのだが、最後まで、見事な演奏だと思いつつ、心から感動することはできなかった。

 

| | コメント (0)

関西弦楽四重奏団と豊嶋泰嗣によるブラームス弦楽五重奏曲全曲演奏会 ブラームスの声が聞こえるような演奏!

 20191224日、HAKUJUホールで関西弦楽四重奏団と豊嶋泰嗣によるブラームス弦楽五重奏曲全曲演奏会を聴いた。素晴らしかった。

 初めにハイドンの弦楽四重奏曲ニ短調「五度」が演奏された。初めて聴いた。とても面白い曲だと思う。魅力的な曲想にあふれている。演奏も明快でしなやか。

 とはいえ、やはりブラームスは別格に素晴らしい。豊嶋のヴィオラが増えただけでがぜん深みが増し、厚みが増す。しかも、ブラームス特有の煮えたぎる思いをぐっと抑制したような音が聞こえてきた。最近流行の緻密なアンサンブルのきりりとした室内楽ではない。もっと人間味にあふれ、情念がこぼれるような音楽。やはりブラームスはこのような音のほうがふさわしい。第1番の終楽章の勢いのある情念のほとばしりは素晴らしかった。

 後半の第2番は渋みの増した曲だが、これも関西四重奏団の手にかかると、決して地味なだけの音楽ではなくなる。堅固な構築性のなかに勢いがあり、人間味がある。何とも言えぬ安定感がある。これこそブラームスの魅力だと思う。

 ヴァイオリン二人が女性だが、女性っぽい音楽ではない。この頃、とりわけ日本の室内楽団は女性が多く、時に繊細で優美な音楽が奏でられることが多い。それはそれでもちろん悪くないのだが、ブラームスに関しては、私はそのような演奏は好まない。その点、今回の演奏は、豊嶋さんが加わったことも影響しているのかもしれないが、ブラームスらしい、まさに男の声が聞こえてくる。

 久しぶりにブラームスの声の聞こえてくるような室内楽を聴いた。クリスマス・イブを豊かな音楽で過ごせたことにとても満足した。

| | コメント (0)

和光の「ナブッコ」 「行け、わが想いよ」の合唱に涙した!

 20191222日、和光市民文化センターでオペラ彩定期公演「ナブッコ」をみた。オペラ彩は、埼玉県和光市に本拠を置いて活動する特定非営利活動法人で、今回で定期公演は36回目にあたる。近年、日本のあちこちで市民オペラが催されているが、これはそのもっとも成果を上げている例といえるだろう。

 前半は少しぎこちなかった。歌手たちの音程が定まらなかったり、声が伸びなかったり、合唱のタイミングにずれがあったり。だが、だんだんと実力を発揮してきた。

 まずオーケストラがしっかりしている。管弦楽はアンサンブル彩。臨時編成のオーケストラだと思うが、ヴィート・クレメンテの指揮にしっかりと応えて、たっぷりの音をしばしば聴かせる。指揮もゆっくりとしたテンポでじっくりと鳴らしていく。

 舞台もとても本格的で、直井研二の演出はわかりやすく、みごとに紀元前の世界を作り上げている。色彩も美しい。衣装もみごと。地方のオペラにありがちなチープさはみじんもない。ひとりひとりの動きがすべて様になっている。

 歌手陣も充実。私はアビガイッレ役の石上朋美に特に惹かれた。迫力のある声で、声量もたっぷり。他を圧するだけの存在感があり、この役にぴったり。フェネーナの杣友恵子も可憐な美声がとてもよかった。ナブッコを歌う原田勇雅も、狂気に陥ったり、正気に戻ったりと、表現の難しいこの役を見事に歌いこなしていた。イズマエーレの大澤一彰も安定した美声、ザッカリーアの佐藤泰弘は最初のうち声が安定しなかったが、徐々に声が伸びてきた。ベルの大祭司の福井克明、アブダッロのパク・ドンイルもしっかりした声。

 第四幕の合唱はとりわけ素晴らしかった。最後まで静かに美しく声が続いた。涙が出てきた。合唱の一人一人がヘブライ人になりきって故国への思いを歌っているかのようだった。合唱も混成部隊のようだが、見事。

 私は、WEB版ぴあの「水先案内」でこの公演を紹介した。この団体の理事長であり、今回の公演の総合プロデューサーであるる和田タカ子さんと知り合い、話を聞いて、間違いなく素晴らしい公演になると確信したからだった。だが、まだ私は紹介を書いた時点では、この団体の実力を知らなかった。東京二期会や藤原歌劇団の公演に比べて、不安定であったりチープであったりするのではないかと思っていた。だが、まったくそんなことはない。これらの団体に比べてまったく遜色がない。

 特定非営利活動法人がこれだけの公演をこれまで何度も成功させてきたことに改めて驚嘆した。このような公演がなされている限り、厳しい環境にあるといいながら、日本のオペラの未来は明るいと確信した。

| | コメント (0)

ボルトン+読響の第九 人間の精神の偉大さ

 20191217日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団の第九演奏会を聴いた。

 第九の前に福本茉莉というオルガニストによってバッハのコラール「目覚めよ、と呼ぶ声あり」とブルーンスの前奏曲ト長調が演奏された。ブルーンスについてはまったく知らない曲なので、何ともいえないが、バッハについては、どうも峻厳なバッハではなく、もっと楽しく自由なバッハを提示しようとしているように思えた。ただ、私には残念ながら、そのようなバッハはあまり楽しくもなかったし、魅力的にも聞こえなかった。結局、私にはオルガン独奏にどのような意味があるのかわからなかった。

 第九が始まってからは、私はずっと感動していた。素晴らしい演奏だった。

 古楽器的な奏法を指揮のアイヴァー・ボルトンが指示したのだろう。古楽特特有の速めのテンポによる激しくドラマティックな音で音が積み重なっていく。時に第一ヴァイオリンが激しくかき鳴らしたり、ピッコロが強く響いたりする。緊張感にあふれ、大きく盛り上がる。それがまったく恣意的ではなく、理にかなっている。徒に盛り上げようとするのではなく、それがきちんと次の音に引き継がれて爆発力を強める。

 第一楽章では胸を引き裂くような悲劇的な音がする。しかも人間の心の奥底の苦しみが抉り出されるかのよう。第二楽章では悲劇が躍動し、そこに生きるエネルギーが高まってくる。そして第三楽章で、もやもやした中を人間の力によって少しずつ上昇し、雲を突き抜け、新たな境地に達する。そして第四楽章で祝祭が爆発する。

 バリトンのトーマス・オリーマンスはしっかりした声で朗々と歌い、まさに歓喜を告げる。テノールの小堀勇介はイタリア・オペラ風の声だが、それが不自然には聞こえない。ソプラノのシルヴィア・シュヴァルツ、メゾ・ソプラノの池田香織ともに、見事に歌う。三澤洋史の合唱指揮による新国立劇場合唱団もいつものことながら素晴らしい。

 第一楽章から第四楽章まで、一つの流れがあり、それが徐々に高まり、広がり、深まり、そして最後に歓喜の中で躁状態になっていく。

 ボルトンは庶民的なおじさんといった風貌なのだが、聞こえてくる音楽は知的で論理的で、しかも緊張感にあふれ、力感にあふれ、激しく躍動している。本当に素晴らしい。苦しみを昇華する人間の精神の偉大さを天に向かって大声で叫んでいるかのようだ。

 ボルトンをこれまで何度か聞いて、素晴らしい指揮者だとは十分に認識していたが、改めて、これからの時代を担うとてつもない巨匠のひとりだと思った。

| | コメント (0)

都響メンバー+ギルバートのモーツァルトとドヴォルザークの弦楽五重奏曲を楽しんだ

 2019年1215日、浜離宮朝日ホールで、アラン・ギルバートと都響メンバーによる弦楽五重奏を聴いた。メンバーは、矢部達哉、四方恭子(ヴァイオリン)、アラン・ギルバート、鈴木学(ヴィオラ)、古川展生(チェロ)。曲目は前半にモーツァルトの弦楽五重奏曲第3番ハ長調、後半にドヴォルザークの弦楽五重奏曲第3番。

 前半を聴いた時点では、あまりおもしろくないと思った。アンサンブルはとても美しいし、音楽がきれいに流れているのだが、ただそれだけに聞こえた。音楽の表情があいまいで、それがどのように有機的に音楽を作り出していくのかがよくわからない。そのため楽章ごとの性格の違いもよくわからず、結局この音楽でモーツァルトが何を描こうとしているのか、演奏家が何をしようとしているのかが私には伝わらなかった。私には少々退屈だった。誰かがもっと強いリーダーシップをとって音楽を作るべきではないかと思った。

 このハ長調の弦楽五重奏曲は、ト短調の曲とともに、私は若いころからかなり親しんできたとても好きな曲であるだけに少々残念だった。

 後半は前半よりはずっとよかった。郷愁があり、躍動があった。前半のような曖昧さは薄れ、もっと明確になり、楽章ごとの性格も明確になり、徐々に盛り上がっていった。相変わらずアンサンブルは美しい。演奏者たちが心を合わせて一つの動きになっていく。見事な演奏だと思った。

 

| | コメント (0)

ヤンソンス死去 オペラ映像「スペードの女王」「エフゲニー・オネーギン」「サロメ」

 ヤンソンス死去のニュースに絶句。76歳。

 20年以上前、タクシーに乗っていたら、「幻想交響曲」が聞こえた。運転手さんがクラシック好きだった。最寄駅から自宅までの10分間くらい話した。「ヤンソンスという指揮者、いいですねえ。次にカラヤンみたいになるのはヤンソンスですよ」とその運転手さんは話していた。もちろん、私もヤンソンスの名前は知っていたが、演奏を聴いたことはなかった。その数日後、すぐにCDを購入して聴いてみた。繊細で生き生きとした音楽に驚嘆。それ以来、ヤンソンスは現代最高の指揮者と考えてきた。ウィーン・フィルやコンセルトヘボウやバイエルン放送交響楽団との来日公演の多くを聴き、ザルツブルクでもウィーン・フィルのコンサートを聴いた。ほとんどのコンサートが最高に素晴らしかった。合掌。

 この数日間に聴いたオペラ映像についての感想を簡単に書く。たまたまだが、ヤンソンスの指揮の「スペードの女王」が含まれる。

 

チャイコフスキー 「スペードの女王」2018年 ザルツブルク祝祭大劇場

 ヤンソンスがウィーン・フィルを指揮している。顔を見た時、やつれた感じでヤンソンスとわからなかった。体調がよくなかったのかもしれない。ただ、音楽的には素晴らしい。精妙で緻密。しかもドラマとしての盛り上がりがある。

 ゲルマンを歌うブランドン・ジョヴァノヴィチが圧倒的な存在感。リーザ役のエフゲニア・ムラヴィエワも清楚な声と地味な美しさがこの役にふさわしい。エレツキー公爵のイゴール・ゴロヴァテンコも堂々たる歌唱。ちょっと堂々としすぎているとは思うが、もちろん素晴らしい。伯爵夫人を歌うのは、なんとハンナ・シュヴァルツ! 70歳をかなり超えているはず。声が出ていないが、この役どころではこれでよいだろう。ウィーン国立歌劇場合唱団ももちろん最高。

 演出はハンス・ノイエンフェルス。最初の場面で、少年たちが檻に入れられていたり、エカテリーナ女帝が骸骨だったり、合唱団がコウモリ?のような恰好(バイロイトの「ローエングリン」では合唱団はネズミの格好をしていた!)をしていたりする。私にはどういう意図があるのかよくわからなかった。

 

 

チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」2008年 パリ、ガルニエ宮(ライヴ)

 ボリショイ劇場によるパリ公演。まず、ドミトリー・チェルニャコフの演出に目を引かれる。まるで映画のようにリアルな舞台。一つ一つの顔の表情や動きが音楽とぴたりと合って、手に取るように心情が伝わる。ラーリナの家の客間で始まり、最後まで同じ構図の室内で展開される。決闘の場も雪の中ではなく、室内で行われ、グレーミン公爵の屋敷も同じ造り。決闘の場面も、心の行き違いによる事故として捉える。驚くのは、トリケは登場するものの黙役で、その歌はレンスキーが代わって歌うこと。レンスキーも実はタチアーナを愛しているという設定らしい。オネーギンもタチアーナもレンスキーも孤独の中で葛藤している。チェルニャコフはこのような物語として、このオペラをとらえているのだろう。

 歌手陣はみんな圧倒的な演技力だと思う。とりわけ、私はタチアーナを歌うタチアーナ・モノガローワにびっくり。あまりに美しく、歌も素晴らしい。まさに引っ込み思案で夢見がちな少女。マリウス・クヴィエチェンも、その孤独と傲慢さをうまく演じて、まさしくオネーギン。ただ、レンスキー役のアンドレイ・ドゥナーエフの歌はかなり弱い。

 アレクサンドル・ヴェデルニコフの指揮は低音が強く、ドラマティックな雰囲気を強めたもの。私個人的趣味としては、もっと物憂げであってほしいが、これはこれでおもしろい。

 

リヒャルト・シュトラウス 「サロメ」 2017年 アムステルダム、オランダ国立歌劇場

 最高の上演だと思う。歌手たちも素晴らしいが、やはり何といってもダニエーレ・ガッティ指揮のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の豊穣で色彩的で官能的で蠱惑的な音響に驚く。このような音響でドラマを作り、そこに一分の隙もない。凄惨でエロティックな物語が音楽によって見事に展開される。

 歌手陣の中では、やはりサロメを歌うマリン・ビストレムに驚嘆。可愛らしい十代の少女にしか見えない。しかも圧倒的な演技力。わがままで我が強くて残酷な少女を見事に演じている。歌唱も素晴らしい。声が伸び、迫力があり、音程もよい。そのうえ、7つのヴェールの踊りでは自分で踊り、その踊りが、少なくとも素人目には見事。サロメを演じるために生まれたように思えるほど。凄い歌手が出てきたものだ。

 ヨカナーンを歌うエフゲニー・ニキーチンも圧倒的な歌唱というべきだろう。自信にあふれた肉体派のヨカナーンを演じている。ヘロデ王役はランス・ライアン。私はこの人の歌うジークフリートは我慢できないほど嫌いだったが、ヘロデ王にはぴったり。演技を含めて見事。ドリス・ゾッフェルのヘロディアスも妖艶で気位が高いが自堕落な女性を見事に演じている。

 演出はイヴォ・ヴァン・ホーヴェ。ホテルのような現代的な場所に、現代の服装の人物が登場する。女性はドレス、男性はきちんとしたスーツ。ヨカナーンだけが入れ墨だらけのTシャツ姿。だが、演劇としてみて、まったく違和感がない。しぐさや顔の表情などが音楽にぴたりと合い、リアルな心情が伝わる。銀の皿の上に載せられて登場するのは、ヨカナーンの生首ではなく、ヨカナーンの全身だが、なるほど、サロメの意識としてはヨカナーンの全身を欲しているのだろう。形而上学的な要素はないが、少女の心理を鋭く描いている。

 これまで「サロメ」には多くの名演があったが、これが最高かもしれない。

| | コメント (6)

マリインスキーの「スペードの女王」 とてもよかったが、驚異的ではなかった

 2019121日、東京文化会館でマリインスキー・オペラの来日公演、チャイコフスキーの「スペードの女王」をみた。指揮はワレリー・ゲルギエフ。ものすごい上演が見られると思っていたのだが、それほどではなかった。

 このオペラの実演を見るのは、たぶん3回目か4回目だと思う。あまりなじんだオペラではない。実を言うと、納得のいかないところも多い。第2幕の牧歌劇をなぜあれほど長々と続ける必要があるのか、第1幕の公園の場面で子どもたちを出す必要がなぜあるのか…などなど作劇的にも音楽的にも疑問に思う。アレクセイ・ステパニュクの演出が私の疑問について何らかの答えを示してくれるのかと思っていたが、それはなかった。いっそう疑問をわきあがった。あまり個性的な会社拡販されていないように思う。

 歌手陣についても、ゲルマンを歌う大歌手ウラディーミル・ガルージンに期待していたのだが、ヴィブラートが強いのが気になった。声が出なくなってテクニックで補っているのだろうか。リーザ役のイリーナ・チュリロワはしっかりした声と演技。ただ、立派すぎてリーザの悩みが伝わらない。トムスキー伯爵 のウラディスラフ・スリムスキー、エレツキー公爵のロマン・ブルデンコは悪くないのだが、感動するほどではなかった。

 しかし、ゲルギエフ指揮のマリインスキーの音はさすがというべきか。金管が実に素晴らしい。ただ、オーケストラについてもゲルギエフの魔法のような音楽を期待していたのだが、意外と普通の演奏だった。

 全体的に、もちろんとても良い演奏だったのだが、マリインスキー劇場のチャイコフスキー・オペラということで、とてつもないものが見られるのではないかという期待には答えてもらえなかったといえそうだ。

| | コメント (0)

« 2019年11月 | トップページ | 2020年1月 »