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マイアベーアのオペラ映像「ユグノー教徒」「悪魔のロベール」

 テレビでニュースを見るごとに、新型コロナウイルス感染者の数が増えている。実は、報道されているよりはずっと多くの感染者がいて、すでに危機的状況になっているのではないかと恐怖を覚える。私の周囲には妊婦がいて、90歳を過ぎた高齢者がいる。間違っても、私が媒介になって病気をうつすわけにはいかない。

 そんなわけで、予定していたコンサートにも映画にもいかず、できるだけ自宅で過ごしている。だいぶ前に購入してみないままになっていたマイアベーアのオペラ映像を取り出してみはじめた。

 マイアベーアには、もちろんあまりなじみはない。アリア集などで数曲知っている程度。オペラ全曲のCDは何枚か持っているが、最後まで聴いたという自信がない。実演には一度も接したことがない。ものの本には、きまって「マイアベーアは熱狂的人気を博したが、芸術的価値がない」と書かれていた。ともあれ、自分の耳で確かめてみようと思って見始めたのだったが、これがなかなかおもしろい。簡単な感想を記す。

 

マイアベーア 「ユグノー教徒」(ドイツ語版)1991年 ベルリン・ドイツ・オペラ

 この映像をみるのは初めてのつもりだったが、途中から既視感(既聴感!)を覚えた。とりわけ、マルセルの不安定な声を聴くうち、これとそっくりのマルセルを聴いた気がしてきた。たぶん、昔LDで発売されていたのと同じ映像だろう。

 この映像はかなりカットされているようだが、ストーリーはありきたりとはいえ、聖バルテルミーの戦いを題材にとって、とても現代的だし、魅力的な旋律も多い。

 ジョン・デューの演出は、現代の宗教的不寛容と重ね合わせられるようになっている。登場人物は現代の服を着ている。イスラエルとパレスチナの壁を思わせる。

 ラウルのリチャード・リーチ、マルグリット王妃のアンジェラ・デニング、ヴァランティーヌのルーシー・ピーコックは、突出はしていないが、しっかりとしたアンサンブルで歌って、とてもいい。ウルバンのカミュ・カパッソは少し弱い。もう少し、声の輝きが欲しい。マルセルを歌うマルティン・ブラシウスが不調なのか、あまりに不安定。

 ステファン・ゾルテスの指揮については、このオペラになじんでいない私としては何もコメントすることはない。特に不満は感じなかった。ただ、ぐいぐい引き込まれることもない。

 なお、私の購入したDVDは、時々画像が乱れ、1時間8分のころから10数分、視聴できなかった。別のプレーヤーで試してみたが、そこでも同じ結果だった。数年前に購入してみないままでいたので、今更交換してもらうことはできないと思うが、少々残念。

 

マイアベーア 「ユグノー教徒」(仏語) 1990年 シドニー・オペラ・ハウス

 以前、サザーランドの6枚組DVDを購入したものの、画質・音質ともにあまりよくなく、字幕も英語しかついておらず(私は、日本語字幕がない時にはフランス語字幕でみる。英語字幕はかなり苦手)、しかもなぜか画面が横に広がって見える(つまり、実際以上に歌手たちが太目に見える!)ので、そのままみないでいたのだが、「ユグノー教徒」が含まれているのを思い出して、引っ張り出してかけてみた。ベルリン・ドイツ・オペラのものよりは、こちらのほうがずっとドラマティックでよかった。

 マルグリットをサザーランドが歌っている。最盛期を過ぎており、声のコントロールが十分ではないが、高音の美しさは圧倒的。世界のプリマの声の威力は格別だ。そのほかの歌手たちはずぬけた人はいないが皆がそろっている。ヴァランティーヌのアマンダ・セインは可憐、ラウルのアンソン・オースティンは実直な雰囲気でなかなかいい。そしてそれにも増して、ヌヴェール伯爵のジョン・プリングル、サン・ブリ伯爵のジョン・ヴェーグナー、マルセルのクリフォード・グラント、ウルバンのスザンヌ・ジョンストンの四人がしっかり脇を固めて、堅固な世界を作り出している。

 リチャード・ボニングの名前は、サザーランドの夫として認識していたが、改めて聴くと、とてもいい指揮者だと思う。ドラマティックで躍動感があり、ぐいぐいとドラマを進めていく。ロトフィ・マンスリの演出も、豪華で、いかにもグランド・オペラ。ヴァランティーヌの動きなど、まさに可憐でか弱い女性の動きとして、1980年代によく見かけたものだった。それはそれでなかなか説得力がある。とても楽しめた。

 

マイアベーア 「悪魔のロベール」 2012年 ロンドン、ロイヤル・オペラ・ハウス

 これをみると、マイアベーアが大作曲家だと納得する。もちろん、ワーグナーとは比べるべくもないが、フランス・グランド・オペラの魅力が存分に味わえる。ぞくぞくするような蠱惑的な音楽、ドラマティックな音楽が全体を貫き、ストーリーもおもしろい。悪魔ベルトランも魅力たっぷり。

 上演も素晴らしい。私はとりわけベルトランを歌うジョン・レリエに驚嘆した。豊かな声量で、凄味がある。ロベールのブライアン・イーメルは芯の強い美声で、二つの心の間で揺れ動く姿をリアルに歌う。イザベルのパトリツィア・チオーフィはさすがの歌唱。大写しになると恋する乙女に見えないのが残念だが、致し方ないだろう。アリスのマリーナ・ポプラフスカヤは可憐な声でとてもいい。ランボーのジャン=フランソワ・ボラも純朴な青年らしくて好感が持てる。フランス語の発音も私にわかる限りとても正確で美しい。

 ダニエル・オーレンの指揮も、観客をドラマの世界に巻き込んで、見事。修道女たちのバレーも場面など、蠱惑的で不気味。こんなにいい指揮者だったとは。

 そして、何よりもロラン・ペリの演出に圧倒される。舞台全体に動きがあり、それがまったく無駄がなく、しかも邪魔ではない。そうして、わかりやすく舞台が進行する。修道女たちの踊りも出色。マイアベーアってすごい作曲家ではないか!

 

・サザーランド・パヴァロッティ・ボニング コンサート 1983年 シドニー・オペラ・ハウス

 サザーランドの6枚組DVDのなかに、1983年のシドニー・オペラ・ハウスでのガラ・コンサートが含まれていたので、聴いてみた。イタリア・オペラ、フランス・オペラのアリアや二重唱が含まれている。まさしく圧巻。サザーランドはトマの「ハムレット」の有名なアリアあたりから全開になっていく。「ルチア」の二重唱も素晴らしい。そして、それ以上にパヴァロッティがすごい。「衣装を着けろ」や「人知れぬ涙」は言葉をなくす。パヴァロッティの濁りのない軽やかな声を聴くと、まさに稀代のテノールだったと痛感する。

 

 それにしても、早く新型コロナウイルスが終息してほしい。大ごとにならないでほしい。政府の対応に期待したい。

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オペラ映像「トリスタンとイゾルデ」「ルサルカ」「見棄てられたディドーネ」「追い出された亭主」

 新型コロナウイルスが騒ぎになっており(中国の友人は大勢いるので他人ごとではない。日本国内で実はすでに蔓延しているのではないかと心配だ!)、ミレッラ・フレーニ(彼女が活躍していたころ、私はイタリアオペラをほとんどみなかったので、実演には接していないが、その後、CDなどで聴いてその声に驚嘆した)と野村克也氏(一度だけ、紹介されて言葉を交わしたことがある)が亡くなったことが報道されて、心がざわついている。

 何本かオペラ映像をみたので、簡単な感想を記す。

 

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 2016年 ローマ歌劇場

 不思議な演奏だと思った。ダニエーレ・ガッティがイタリアのオーケストラを振るとこのような音になるということなのだろう。ドイツ系のオーケストラの音とかなり異なる。重心が少し上のほうにある感じがする。じっくり、しっとり、厳かというのではなく、官能的で生命的で蠱惑的。まるで万華鏡で美しい音響を見ている(聴いている)かのよう。そういう意味では素晴らしい。うっとりし、時にぞくぞくするほどに感動し、時に躁状態になる。もちろん私は純ドイツ的なワーグナーのほうが好きだが、これはこれで素晴らしいと思う。

 歌手陣も充実している。トリスタンのアンドレアス・シャーガーはのびやかな声で歌いきる。今や随一のヘルデンテノールだろう。イゾルデのレイチェル・ニコルズは、私の好みからすると少し線が細いが、とてもしなやかで魅力的な声だ。クルヴェナールのブレット・ポレガート、ブランゲーネのミシェル・ブリートもしっかりとした声。そして、圧倒的に豊かな声を聞かせてくれるのがマルケ王のジョン・レリエ。ものすごい声の持ち主だ。まだ若いと思うが、これからが楽しみ。

 演出はピエール・オーディ。メロートが杖をついて、まるで障碍があるかのように、ひざを曲げて歩いたり、ブランゲーネも第三幕で殺されるなど、意図のよくわからない読み替えはあるが、さほど突飛ではない。夜へのあこがれと昼への憎悪を遮光の衝立を用いて描き出す。最後、イゾルデ自身は暗く見える逆光の中で「愛の死」を歌う。これぞ光と闇の二項対立の解消だ!と思ったのだったが、私の考えすぎだろうか。

 あまりドイツっぽくない「トリスタンとイゾルデ」だが、魂を震わせる名演であることはまちがいない。

 

ドヴォルザーク 「ルサルカ」2015年 ポーランド、ブィドゴシュチュ、オペラ・ノヴァ

 私はふだん、旧式のアンプを通してテレビとスピーカー(それほど高級なものではないが、1本数十万円はした記憶がある)につないでオペラを楽しんでいるが、なぜかこのBDはスピーカーから音が出ない。仕方なしに、テレビ受像機で音を聞いた。そのせいかもしれない、音が薄っぺらで、まるでミュージカルのように聞こえる。

 歌手全員がきれいな声で歌う。だが、あまりにあっさりと歌うので、感銘を受けない。マチエイ・フィガスの指揮するブィドゴシュチュ・オペラ・ノヴァ管弦楽団も、さくさくと進んでいく。まさにミュージカル。しかも、ルサルカのマグダレーナ・ポルコフスカは映画女優のように美しく、魔女のダリナ・ガピッツも魅力的。王子役のタデウシュ・シュレンキェルも好感の持てる容姿。

 演出もミュージカル風。市内の橋の下で物語は展開される。非日常の形而上学的な世界ではなく、まさに日常的な風景の中のおとぎ話となっている。

 これはこれで親しみやすくて楽しいと思うが、私の趣味ではなかった。ただ、繰り返しておくが、もしかすると、いつも聴いているスピーカーを通して聴いていれば、印象は違ったかもしれない。

 

メルカダンテ 「見棄てられたディドーネ」2018年 インスブルック、チロル州立劇場

 メルカダンテのオペラをみるのは2本目だ。昨年「フランチェスカ・ダ・リミニ」の藤原歌劇団公演をみた。この「見棄てられたディドーネ」のほうがおもしろいと思った。

 要するに、ディドとエネアスの物語。ドラマティックで親しみやすいメロディもふんだんにある。とてもいいオペラだと思う。ただ、「フランチェスカ・ダ・リミニ」をみた時も思ったが、台本に緊迫感がなく、ドラマティックに盛り上がらない。並列的に物語が継起していく印象を抱いてしまう。台本さえもっとよくできていれば、きっともっと魅力あるオペラになっているだろうにと残念に思う。

 突出した歌手はいないが、全員の歌のレベルがそろい、視覚的にも満足できる舞台を作り上げている。

 それにしても、この上演の女性陣の容姿の美しさに驚嘆する。ディドーネのヴィクトリア・ミシュクーナイテは絶世の美女といってもいいほど。歌もみごとだが、誇り高い女性を見事に演じる。セレーネのエミリ・ルナールも美しい。エネアスを歌うのは女性のカトリン・ヴントサムだが、この人も整った顔立ち。オペラというのは視覚芸術でもあるので、やはり美男美女が演じるのは大事なことだ。敵役のジャルバを歌うカルロ・ヴィンチェンツォ・アッレマーノも存在感のある歌と演技。

 これはこれでとてもありがたいことだが、オペラまでもがこれほど容姿が重視されるようになってしまったら、容姿の良くない人間の居場所はどこにあるのだろうかと、容姿に自信のない人間の一人として暗い気持にもなる。

 アレッサンドロ・デ・マルキの指揮するアカデミア・モンティス・レガリス管弦楽団は独特の雰囲気を作り出している。ドラマティックでありながら、古風でひなびており、音楽にリアリティを感じる。

 演出はユルゲン・フリム。登場人物は19世紀の服を着ているが、特に違和感はない。平板な台本をドラマティックにする工夫をしているのが見える。先日みた「フランチェスカ・ダ・リミニ」よりも楽しめたのにはこの演出のおかげもあるのかもしれない。

 

オッフェンバック オペレッタ「追い出された亭主」(ルカ・G・ロージによる管弦楽版)

2019年 フィレンツェ、テアトロ・デル・マッジョ・ムジカーレ・フィオレンティーノ

 45分に満たないオペレッタ。オッフェンバックのオペレッタ好きとしては、このような映像が発売されたとなれば、みないわけにはいかない。

 女性が二人でいた部屋の煙突から若い男性が転がり落ちてきたために起こるドタバタを描く。亭主は、妻の部屋に男がいるらしいと気づくが、中に入れもらえない。最後はめでたしめでたしになる。

「追い出された亭主」という邦題になっているが、「un mari  à la porte」というフランス語題名なので、むしろ「扉で立ち尽くす亭主」という意味にとらえるべきだろう。

 アンリ・マルテル役のパトリーツィオ・ラ・プラーカ、シュザンヌ役のマリーナ・オッジ、ロジータ役のフランチェスカ・ベニテス、フロレスタン・デュクロケ役のマッテオ・メッツァーロともにとても芸達者で歌も安定している。ヴァレリオ・ガッリ指揮のフィレンツェ五月祭管弦楽団も不足はない。ルイージ・ディ・ガンジとウーゴ・ジャコマッツィによる演出も、十分に分かりやすく、楽しく作られている。

 ただ、とてもおもしろいかというと、それほどでもなかった。私はオッフェンバックのオペレッタが大好きなのだが、ストーリー的にも音楽的にも、このオペレッタ自体、あまり面白みがわからなかった。オッフェンバックにはもっとたくさん楽しいオペレッタがある。是非とも映像化してほしいものだ。

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ピノック&紀尾井のレクイエム 端正で深みのある演奏

 202029日、紀尾井ホールでトレヴァー・ピノック指揮、紀尾井ホール室内管弦楽団の演奏を聴いた。曲目は、前半にモーツァルトの交響曲第40番と「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、後半に「レクイエム」(ジュスマイヤー補訂版)。

 ピノックの実演を聴いたのは初めて。ハイドンの交響曲のCDはかつて何度か聴いて、とてもいい指揮者だと思っていたが、実演を聴いて、まさにその通りの印象を抱いた。テンポをいじったり、どこかのパートに思い入れをしたりしない。端正で高貴でまとまりの良い正統派の演奏。しかし、さっそうとしており、音楽が深く流れていく。ただ、ちょっと当たり前すぎる気がするが、聴いているうちに納得していく。紀尾井ホール室内管弦楽団は現代楽器を使ったオーケストラだが、古楽的な奏法を取り入れているのだろう、古楽の響きがする。

 とりわけ、レクイエムはよかった。無理やり厳かさを際立たせるわけではない。音楽がおのずと語るように演奏していく。そうであるがゆえに、しみじみと深い音楽があふれてくる。

 ソリストは大いに健闘していると思う。望月万里亜やボーイソプラノのような清純な声でとても魅力的だし、アルトの青木洋也は特有のきれいな音色、テノールの中島克彦もバスの山本悠尋もしっかりした声。紀伊おいホール合唱団も見事だと思った。

 ただ、心の底から感動したかというと、実はそうでもなかった。オーケストラとソロについては、ピノックの理想通りに行っていないのではないかと思う部分が時々あった。健闘はしているが、ぴたりと決まって魂が震える…という場面は、私にはなかった。きっとあと少しの精度が不足したのではないかと思う。

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新国立劇場「セビリアの理髪師」を楽しんだ

 20202月8日、新国立劇場で「セビリアの理髪師」をみた。とても楽しめた。

 歌手陣は突出した人はいないが、全体的に充実している。もっともよかったのは、フィガロのフローリアン・センペイだろう。声量も豊かで、たくましくて元気なフィガロを見事に演じている。ロジーナの脇園彩もそれにまったく引けを取らない。堂々たる歌いっぷり。声も強く、躍動感もある。アルマヴィーヴァ伯爵のルネ・バルベラはきれいな声だが、初めのうち抑え気味で物足りなかった。徐々に声が出るようになった。バルトロのパオロ・ボルドーニャもはじめのうちは弱さを感じたが、徐々に芸達者さを際立たせていった。ドン・バジリオのマルコ・スポッティは、時々声がかすれたのが気になったが、スケールの大きなこの役らしい歌いっぷり。ベルタの加納悦子は独特の味を出して、とてもよかった。

 ただ実を言うと、アントネッロ・アッレマンディの指揮には少し不満を覚えた。とても丁寧で抒情的な指揮ぶりだと思った。オーケストラもしっかりと演奏。きれいな音を出していた。アルマヴィーヴァ伯爵のアリアなどとても美しい。しかし、歌と歌が並列的に演奏されるだけで、盛り上がっていかない。ロッシーニらしい躍動感がなく、そもそもテンポが遅め。やはり、ロッシーニはクレシェンドをきかせて、躍動させてほしい。

 演出はヨーゼフ・E.ケップリンガー。フランコ独裁時代のスペインを舞台にしているのだろうか。1960年前後の雰囲気の舞台(ただ、音楽教師や神学生はもっと古い時代の服装だと思う。複数の時代が入り混じっているのかもしれない)。娼家がバルトロの家の目の前にあって娼婦たちが舞台上を動きまわる。そして、何とベルタはその娼家の支配人でもあるようだ。独裁時代を強く生きようとしたフィガロやロジーナやベルタや娼婦たちをたたえているともいえそうだ。

 ただ、そのような舞台にしたために、全体的に少々下品になっているのを感じざるを得ない。育ちの良いロジーナが箱入り娘として半ば監禁され、そこから抜け出そうとしているというテーマが薄れている。そもそも、ロジーナは強い女であって、あちこち自由に動き回る。

 細かいところでは不満に思うところ、疑問に思うところもあったが、全体的には大いに満足。やはり、このオペラはおもしろい。高校生がたくさん来ていたが、喜んでくれたのだったら、オペラファンの一人としてとてもうれしい。

 

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「パラサイト 半地下の家族」 寓話でありながら強烈なリアリティ

 韓国映画「パラサイト 半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)をみた。評判は聴いていたが、言われている通り、とてもおもしろかった。

 いわゆる「ネタバレ」になるので、詳しくは書かないが、前半は、半地下に暮らす貧しい一家の息子が富裕な家庭に家庭教師として入り込み、無防備な夫人をだまして、妹、父、母を次々とその家庭に呼び込む様子が描かれる。そして、富裕家族が留守にした日、豪邸に入り込んで貧しい家族全員が酒盛りを始めた時から、怒涛の後半が始まる。その家の地下に隠れて住んでいた男の存在が明らかになり、富裕層と半地下の層と地下の層という階層の違いがあらわになり、みつどもえになって対立し、血なまぐさい殺人事件が起こる。

 三つの階層のありようを寓話として描いているのだと思う。一般的に、寓話として描くと、図式的になり、おとぎ話のようになる。ところが、この監督の手にかかると、寓話でありながら、強烈な生命力を持ち、画面が躍動する。この、ありそうもない出来事が、俳優たちの演技やら巧妙にできた台本やらのために、リアルに息づいていく。富裕層の人間に「くさい」と表現されたことによって沸き起こる憎しみにもリアリティがある。そう、画面から激しい臭気が発せられる。みる者は、あれよあれよという展開に驚きながら、そのリアリティに納得し、不思議な感動を覚える。

 是枝監督の「万引き家族」を思わせる設定なのだが、さすが韓国映画は日本映画のようには情緒的にはならず、もっと波乱万丈でもっとダイナミック。日本と韓国の国民性の違いが感じられた。

 好きな映画かといわれると、決してそうではない。臭気にあふれすぎている。だが、このリアリティには屈服せざるを得ない。

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ネマニャのハチャトゥリアン 研ぎ澄まされた音による躍動の音楽

 202021日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団土曜マチネーシリーズを聴いた。指揮は山田和樹、曲目は、前半にマーラーの「花の章」と、ネマニャ・ラドゥロヴィチが加わってハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲。後半に「巨人」(ただし、私は後半は聴かなかった)。

 私はマーラー嫌いだ。よって、「花の章」(当初、「巨人」に加わるはずだった楽章だとのこと)を聴いても、いったい何のことやら?としか思えない。他愛のないだらしのないメロディがトランペットで演奏され、妙に思い入れたっぷりの音が続いて、なんだかわからない展開をなされる…としか私には思えないのだが、これに感動する人がいるのだろうか。

 その後のハチャトゥリアンは、なかなか面白かった。私はネマニャ・ラドゥロヴィチのファンだ。細身で透明で研ぎ澄まされたヴァイオリンの音。切れの良い刻みによってスケールの大きな音楽が躍動する。まさに鮮烈。クラリネットとの掛け合いがある。まさにオーケストラとの間で対話がなされ、観客との間でも対話がなされる。

 ただ、実をいうと、私はハチャトゥリアンの音楽にそれほどなじんでいない。このヴァイオリン協奏曲も、数えるほどしか聴いたことがない。そして、聴くたびに、不完全燃焼を覚える。音楽が私の心の上を通り抜けていく。私の心の奥を揺り動かさないし、私の心を爆発させない。三つの楽章が有機的につながっているとは思えない。もしかしたら、第二楽章はアルメニアの音楽にふさわしくもっと悲痛に演奏するべきではないのか、そうすれば全体がもっと有機的に結びつくのではないかなどと考えてみる。山田和樹の指揮については、ともあれ、とても明快でメリハリがあって、しっかりとネマニャのヴァイオリンをサポートしているといえるだろう。

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