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オペラ映像「トリスタンとイゾルデ」「ルサルカ」「見棄てられたディドーネ」「追い出された亭主」

 新型コロナウイルスが騒ぎになっており(中国の友人は大勢いるので他人ごとではない。日本国内で実はすでに蔓延しているのではないかと心配だ!)、ミレッラ・フレーニ(彼女が活躍していたころ、私はイタリアオペラをほとんどみなかったので、実演には接していないが、その後、CDなどで聴いてその声に驚嘆した)と野村克也氏(一度だけ、紹介されて言葉を交わしたことがある)が亡くなったことが報道されて、心がざわついている。

 何本かオペラ映像をみたので、簡単な感想を記す。

 

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 2016年 ローマ歌劇場

 不思議な演奏だと思った。ダニエーレ・ガッティがイタリアのオーケストラを振るとこのような音になるということなのだろう。ドイツ系のオーケストラの音とかなり異なる。重心が少し上のほうにある感じがする。じっくり、しっとり、厳かというのではなく、官能的で生命的で蠱惑的。まるで万華鏡で美しい音響を見ている(聴いている)かのよう。そういう意味では素晴らしい。うっとりし、時にぞくぞくするほどに感動し、時に躁状態になる。もちろん私は純ドイツ的なワーグナーのほうが好きだが、これはこれで素晴らしいと思う。

 歌手陣も充実している。トリスタンのアンドレアス・シャーガーはのびやかな声で歌いきる。今や随一のヘルデンテノールだろう。イゾルデのレイチェル・ニコルズは、私の好みからすると少し線が細いが、とてもしなやかで魅力的な声だ。クルヴェナールのブレット・ポレガート、ブランゲーネのミシェル・ブリートもしっかりとした声。そして、圧倒的に豊かな声を聞かせてくれるのがマルケ王のジョン・レリエ。ものすごい声の持ち主だ。まだ若いと思うが、これからが楽しみ。

 演出はピエール・オーディ。メロートが杖をついて、まるで障碍があるかのように、ひざを曲げて歩いたり、ブランゲーネも第三幕で殺されるなど、意図のよくわからない読み替えはあるが、さほど突飛ではない。夜へのあこがれと昼への憎悪を遮光の衝立を用いて描き出す。最後、イゾルデ自身は暗く見える逆光の中で「愛の死」を歌う。これぞ光と闇の二項対立の解消だ!と思ったのだったが、私の考えすぎだろうか。

 あまりドイツっぽくない「トリスタンとイゾルデ」だが、魂を震わせる名演であることはまちがいない。

 

ドヴォルザーク 「ルサルカ」2015年 ポーランド、ブィドゴシュチュ、オペラ・ノヴァ

 私はふだん、旧式のアンプを通してテレビとスピーカー(それほど高級なものではないが、1本数十万円はした記憶がある)につないでオペラを楽しんでいるが、なぜかこのBDはスピーカーから音が出ない。仕方なしに、テレビ受像機で音を聞いた。そのせいかもしれない、音が薄っぺらで、まるでミュージカルのように聞こえる。

 歌手全員がきれいな声で歌う。だが、あまりにあっさりと歌うので、感銘を受けない。マチエイ・フィガスの指揮するブィドゴシュチュ・オペラ・ノヴァ管弦楽団も、さくさくと進んでいく。まさにミュージカル。しかも、ルサルカのマグダレーナ・ポルコフスカは映画女優のように美しく、魔女のダリナ・ガピッツも魅力的。王子役のタデウシュ・シュレンキェルも好感の持てる容姿。

 演出もミュージカル風。市内の橋の下で物語は展開される。非日常の形而上学的な世界ではなく、まさに日常的な風景の中のおとぎ話となっている。

 これはこれで親しみやすくて楽しいと思うが、私の趣味ではなかった。ただ、繰り返しておくが、もしかすると、いつも聴いているスピーカーを通して聴いていれば、印象は違ったかもしれない。

 

メルカダンテ 「見棄てられたディドーネ」2018年 インスブルック、チロル州立劇場

 メルカダンテのオペラをみるのは2本目だ。昨年「フランチェスカ・ダ・リミニ」の藤原歌劇団公演をみた。この「見棄てられたディドーネ」のほうがおもしろいと思った。

 要するに、ディドとエネアスの物語。ドラマティックで親しみやすいメロディもふんだんにある。とてもいいオペラだと思う。ただ、「フランチェスカ・ダ・リミニ」をみた時も思ったが、台本に緊迫感がなく、ドラマティックに盛り上がらない。並列的に物語が継起していく印象を抱いてしまう。台本さえもっとよくできていれば、きっともっと魅力あるオペラになっているだろうにと残念に思う。

 突出した歌手はいないが、全員の歌のレベルがそろい、視覚的にも満足できる舞台を作り上げている。

 それにしても、この上演の女性陣の容姿の美しさに驚嘆する。ディドーネのヴィクトリア・ミシュクーナイテは絶世の美女といってもいいほど。歌もみごとだが、誇り高い女性を見事に演じる。セレーネのエミリ・ルナールも美しい。エネアスを歌うのは女性のカトリン・ヴントサムだが、この人も整った顔立ち。オペラというのは視覚芸術でもあるので、やはり美男美女が演じるのは大事なことだ。敵役のジャルバを歌うカルロ・ヴィンチェンツォ・アッレマーノも存在感のある歌と演技。

 これはこれでとてもありがたいことだが、オペラまでもがこれほど容姿が重視されるようになってしまったら、容姿の良くない人間の居場所はどこにあるのだろうかと、容姿に自信のない人間の一人として暗い気持にもなる。

 アレッサンドロ・デ・マルキの指揮するアカデミア・モンティス・レガリス管弦楽団は独特の雰囲気を作り出している。ドラマティックでありながら、古風でひなびており、音楽にリアリティを感じる。

 演出はユルゲン・フリム。登場人物は19世紀の服を着ているが、特に違和感はない。平板な台本をドラマティックにする工夫をしているのが見える。先日みた「フランチェスカ・ダ・リミニ」よりも楽しめたのにはこの演出のおかげもあるのかもしれない。

 

オッフェンバック オペレッタ「追い出された亭主」(ルカ・G・ロージによる管弦楽版)

2019年 フィレンツェ、テアトロ・デル・マッジョ・ムジカーレ・フィオレンティーノ

 45分に満たないオペレッタ。オッフェンバックのオペレッタ好きとしては、このような映像が発売されたとなれば、みないわけにはいかない。

 女性が二人でいた部屋の煙突から若い男性が転がり落ちてきたために起こるドタバタを描く。亭主は、妻の部屋に男がいるらしいと気づくが、中に入れもらえない。最後はめでたしめでたしになる。

「追い出された亭主」という邦題になっているが、「un mari  à la porte」というフランス語題名なので、むしろ「扉で立ち尽くす亭主」という意味にとらえるべきだろう。

 アンリ・マルテル役のパトリーツィオ・ラ・プラーカ、シュザンヌ役のマリーナ・オッジ、ロジータ役のフランチェスカ・ベニテス、フロレスタン・デュクロケ役のマッテオ・メッツァーロともにとても芸達者で歌も安定している。ヴァレリオ・ガッリ指揮のフィレンツェ五月祭管弦楽団も不足はない。ルイージ・ディ・ガンジとウーゴ・ジャコマッツィによる演出も、十分に分かりやすく、楽しく作られている。

 ただ、とてもおもしろいかというと、それほどでもなかった。私はオッフェンバックのオペレッタが大好きなのだが、ストーリー的にも音楽的にも、このオペレッタ自体、あまり面白みがわからなかった。オッフェンバックにはもっとたくさん楽しいオペレッタがある。是非とも映像化してほしいものだ。

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