« ベルトルッチの映画「殺し」「1900年」「魅せられて」「シャンドライの恋」「孤独な天使たち」 | トップページ | 映画「金曜日のテレーザ」「子供たちは見ている」「白い酋長」「愛と殺意」 »

「デルス・ウザーラ」「靴みがき」「自転車泥棒」「ミラノの奇蹟」「ウンベルト・D」「終着駅」

 新型コロナウイルスがパンデミック宣言され、経済的な打撃も深刻さを増している。東京オリンピックの中止あるいは延期が公式の場でも話題になるようになった。

 私の知り合いに、クラシック音楽の演奏家、音楽事務所関係者、音楽ジャーナリストが大勢いるが、仕事が激減しているという。観光業者への打撃も伝えられる通り。

 かくいう私も10月開校予定の日本学校の校長の役に就いている。アジア圏を中心に生徒集めをする予定だったのだが、まったくそれができていない。それどころか、生徒が来日できない状況にいる。ウイルスの日本語学校業界への影響は計り知れない。

 私は周囲に妊婦と高齢者を抱えているので、万一を考えて自粛をしていたが、このままではどうにもならない。体を縛り付けられているような息苦しさを感じてきた。来週からはコンサート通いを再開させようと思っている。

 ただ、そうはいっても、コンサートも軒並み中止になっている。必然的に家で過ごす時間が長くなる。そんなわけで、家で古い映画のDVDを数本みた。いずれも、かつてみたことのあるものだが、いま改めてみると、新しい発見がある。簡単な感想を書く。

 

「デルス・ウザーラ」 黒澤明 監督 1975年

 黒澤明がソ連・日本の合作で撮った映画。探検家作家のアニセーニエフの作品に基づく。登場人物の中に日本人は含まれない。当時大きな話題になり、アカデミー外国語映画賞を受賞した。もちろん私は封切り時にみて、とてもいい映画だと思った。ただ、当時はそれほどの名作とは思わなかった。

 アニセーニエフ率いる軍の小隊が地誌調査のためにシベリアに入って、東洋系の猟師デルス・ウザーラと知り合う。デルスはシベリアの土地を知り、過酷な自然の中で生き抜く知恵を知り、自然と共生するすべを知っている。アニセーニエフはデルスに案内してもらうことにする。二人は親友になり、隊はデルスに何度も助けられ、アニセーニエフ自身も命を救われる。だが、デルスは近寄ってくるシベリア虎を傷つけてしまったころから、森の精を怒らせ、そのため視力が弱まったと考えるようになる。森で生きるのをあきらめ、一旦はハバロフスクのアニセーニエフ一家とともに暮らすが、都会になじめずに森に戻る。しかし、アニセーニエフが友情の印に与えた新型銃があだとなって、それを狙うならず者に殺害される。

 私は黒澤映画は嫌いではない。ほとんどすべての映画を見ている。ただ、特に三船敏郎を主役にしたときのヒロイズムや、これも三船が演じる人物の大袈裟な演技が鼻についていた。ところが、「デルス・ウザーラ」はシベリアの広大な自然が舞台のために、過酷な自然そのものが主役になっており、全体的に演技は抑制されている。とてもいい映画だと改めて思った。黒澤らしい激しく盛り上がるドラマがないのも、むしろ私は好きだ。

 シベリアの森の風景を見るうち、一昨年、個人ツアーでイルクーツクを旅し、バイカル湖付近を観光した時に見た農奴たちの村を思い出した。原生林の中の川の近くに木の小屋が並んでいた。確か、その時にも「デルス・ウザーラ」の場面と重なって、日本語ガイドさんに「黒澤の『デルス・ウザーラ』の舞台はこのあたりなのか」と尋ねた記憶がある。日本語も達者、知識も多いガイドさんだったが、黒澤のことも作品のことも知らなかった。

 

「靴みがき」 1946年 ヴィットリオ・デ・シーカ監督

 10枚組DVDが2000円以下で販売されている。買いためておいたのを、見始めた。

 フランスやイタリアの古い映画は、学生のころ(1970年代)、京橋のフィルムセンターでまとめてみた。名画座でも時々かかっていた。大学内で上映会も開かれていた。「靴みがき」をみるのは、3回目か4回目だと思う。とてもいい映画だと思う。ロッセリーニの映画ほどには鮮烈ではないが、もちろんネオレアリスモの傑作の一つだ。

 戦後のローマで靴みがきをする仲良しのジュゼッペとパスクアーレ。お金をためて馬を買うが、その直後に、犯罪にかかわったために少年院に入れられる。パスクアーレがジュゼッペを救おうとして犯罪の主犯の名前を明かしてしまったために、ジュゼッペにスパイと誤解されたころから、二人の間がうまくいかなくなり、ジュゼッペは邪な少年院仲間と親しくなり、その誘いに乗って脱獄。それを止めようとしたパスクアーレは争ううちにジュゼッペを死なせてしまう。

 戦後イタリアの格差の大きな社会の中、必死に生きながら、大人の利害や社会の硬直性によって傷つけられていく子供たち。無二の親友だった無垢な二人の仲互いと悲劇という形で社会を告発している。映画造りの名手デ・シーカらしい作品。子どもたちの心の中がよく理解できるし、だれもが共感できる。

 

「自転車泥棒」 1948年 ヴィットリオ・デ・シーカ監督

 この「自転車泥棒」も3度目くらいだろう。これも、ネオレアリスモの傑作。

 男が仕事に不可欠な自転車を奪われ、子どもと一緒に必死に探すが、見つからない。最後、どうしようもなくなって、子どもを遠ざけて他人の自転車を盗む。すぐにつかまるが、泣いて父親にすがる子どもに免じて許してもらう。それだけのストーリーだが、終戦直後のイタリアの貧富の差、貧しい人々の必死の生活、庶民のたくましく生きる力、人間の心の機微が描かれている。客観的に現実を描くというよりも、子どもの目から父親の犯罪を見る悲しみを描いており、いかにもデ・シーカらしい。改めてみて、とても良い映画だと思った。

 

「ウンベルト・D」 1952年

 40年以上前に、一度だけみた覚えがある。ただ、貧しい老人が主人公の、とてもいい映画だったという記憶があるだけで、詳細はまったく覚えていなかった。

 ウンベルトは身寄りのない年金暮らしの老人。部屋代を値上げされ、未納がかさんで、アパルトマンを追い出されそうになっている。子犬をかわいがり、アパルトマンの女中をしている若い娘とだけ心を通わせながら、何とか部屋代を工面しようとするが、それができない。売るものも底をつき、かつての友人や同僚に借金を申し込み、乞食をしようとまで腹を決めるが、かつての公務員のプライドがそれを邪魔する。外に出るときにはネクタイを締め、それなりの格好をすることを忘れない。犬をかわいがってくれる人に託して自分だけ死のうとするが、それもできずに途方に暮れる。

 貧しい老人の悲しみ、絶望、必死の思いが伝わる。解決は何も見いだされずに映画は終わる。現実はそれほどまで厳しかったのだろう。1952年のイタリアの映画だが、第二次大戦の大混乱を経たイタリアには高齢者が生きていくだけの経済力を持たなかったのだろう。アパルトマンの女中は妊娠するが、父親と思われる兵士も責任を取ろうとしない。明るい未来は示されないまま終わる。

 もしかすると今の私はこのウンベルトよりも年上かもしれない。そして、これからの日本は当時のイタリア以上の深刻な状態になるかもしれない。その意味ではとても現代的な映画といえるかもしれない。

 

「ミラノの奇蹟」 1951年 ヴィットリオ・デ・シーカ監督

 これも以前、一度だけみた。不思議なファンタジー映画だったという記憶があるだけで、よく覚えていなかった。

 ミラノの郊外で、キャベツ畑に捨てられていた男の子がトトと名付けられて、やさしい魔女?に育てられる。魔女の死後は孤児院で暮らして、楽天的で心優しい青年になる。トトは貧民街で暮らすようになり、底抜けの明るさとやさしさで人気者になり、町をもっと快適なものに改めようとする。そんなとき、貧民街から石油が噴き出し、地主がそこに住む人々を追い出そうとする。トトは地主の善意を信じて行動するが、裏切られる。トトは貧民たちとともには警官隊に捕らえられて、ミラノのドゥオーモの前にやってくるが、亡き魔女にもらったすべての願いをかなえる鳩の力で箒に乗って大空を飛び回る。「ちょっとした住むところと食べるもの、そして明日への希望さえあれば十分」という歌声で映画は終わる。

 社会が落ち着くにつれて格差が拡大していた当時の時代を反映しているのだろう。ファンタジーという形でしかユートピアを描けなかったともいえそうだ。だが、あまり面白い映画だとは思わない。「ちょっとした住むところと食べるもの、そして明日への希望さえあれば十分」というメッセージはとても素晴らしいと思うのだが、どうも話そのものがそうしたメッセージに結びつかない。最後、多くの人々が放棄に乗って空を舞うのも、意味がよくわからない。

 私は実はあまりファンタジーというものを理解しない人間だからかもしれないが、デ・シーカ作品としては少し物足りなく思えた。

 

「終着駅」 1953年 ヴィットリオ・デ・シーカ監督

 この映画も二、三度みた記憶がある。この映画が作られてから20年以上たった1970年代、私は初めてローマを訪れ、4、5日間、この映画の舞台になっているローマのテルミニ駅付近の安ホテルに泊まって、周囲をうろうろした。列車を使ってヨーロッパを旅行していたので、もちろんテルミニ駅から何度も列車に乗った。私が訪れたころはすでに蒸気機関車は使われなくなっていたが、それを除けば、この映画そのままの施設とお店だった。今も、鮮明に思い出す。

 アメリカ人の人妻(ジェニファー・ジョーンズ)がローマに住む妹の家に身を寄せて一か月ほどを過ごした後、夫と娘の待つ家に列車を使って帰ろうとしている。イタリアで出会って狂おしいほどの恋に落ちた男性(モンゴメリ・クラフト)ときっぱりと別れようとしているのだが、列車に乗り込んだ後、青年が追いかけて、必死にとどめようとする。いったんは列車を降り、二人は混雑するターミナル駅の中で時間を過ごす。揺れ動く人妻と、恋を成就させようと引き留める青年を、その映画の時間と同じ90分間ほどで描いていく。メロドラマなのだが、両方の心がよく理解できるために、身につまされる。結局は、人妻は列車に乗って恋人と別れを告げる。長い人生の中で、私もこのような体験をしていないでもないので、実に切ない。

 駅はその日、大統領が到着することになっており、ふだん以上に混乱している。人妻の甥、駅で出会う体調を崩した貧しい女性やその子供たち、女性を誘惑しようとしている中年男、田舎から来た人々、外国人、新婚夫婦、新聞記者、カメラマンなど、駅を行きかう集団や個人が描かれる。どのようにして撮ったのかわからないが、まさに現実の駅そのままのように感じられる。駅では、日々、形を変えながらこのような別れと出会いがなされているだろうことを強く感じさせる。

 そして、今、これを見て非常に強く感じるのは、階層の違いが明確に表れていることだ。ほかのデ・シーカの映画とは違って、この映画の主人公たちは上位の階層の人々だが、見るからに貧しい人とは服装が異なり、立ち居振る舞いも異なり、駅や列車の中の出入りする場所も異なる。このような背景があるから「靴みがき」や「自転車泥棒」などの映画が成り立たったのだということも改めて感じる。現在、階層が極端に拡大していると思われるが、服装などの面では、それが見えにくくなっているともいえそうだ。

 

|

« ベルトルッチの映画「殺し」「1900年」「魅せられて」「シャンドライの恋」「孤独な天使たち」 | トップページ | 映画「金曜日のテレーザ」「子供たちは見ている」「白い酋長」「愛と殺意」 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

私も家で鬱々とすごしています。女房がステロイド治療をうけているため、免疫力が落ちているので、私が新型コロナをうつすわけにもいかず、来週23日に予定している演奏会も(今のところ主催者は開催予定ですが)、どうしたものかと煩悶しています。

投稿: Eno | 2020年3月16日 (月) 08時09分

Eno 様
コメント、ありがとうございます。
新型コロナウイルスは大変なことになっていますね。私は基本的に書斎型の人間ですので、ずっと家にいても平気だろうと思っていたのですが、いざこのような状況になると、圧迫感とストレスで気がめいってしまいます。私も23日のコンサートを楽しみにしているのですが、開催されるかどうか・・・。
ブログを読ませていただいています。公演中止になったときにはCDを聴かれているんですね。私はこのところ、ベートーヴェンの交響曲を聴きなおしていました。ラン・シュイ指揮、コペンハーゲン・フィルの演奏には驚嘆しました。それ以外は、このブログに書いたとおり、昔の映画を見ています。

投稿: 樋口裕一 | 2020年3月16日 (月) 21時24分

ラン・シュイ指揮コペンハーゲン・フィルのベートーヴェン、聴いてみました。おもしろいですね。第4番と第8番を聴いただけですが、第4番の第4楽章とか第8番の第1楽章とかは快速テンポで、今まで聴いたことのない演奏でした。ご紹介いただいてありがとうございます。
私の23日の演奏会は、結局中止になってしまいました。マルクス・アイヒェの「マゲローネのロマンス」を聴くつもりだったのですが、残念です。これで3月の演奏会は全滅です。4月の演奏会もどうなることやら‥。

投稿: Eno | 2020年3月18日 (水) 19時28分

Eno 様
コメント、ありがとうございます。
実は、シュイ指揮コペンハーゲンの第1集(第1・2・3・4番)は、注文したのですが、まだ手元に到着しておらず、聞いておりません。
第8番、素晴らしいですね。最近は7番などと変わらないような豪快なスタイルでの演奏が多いように思うのですが、この演奏は間違いなく小規模で繊細で、しかも快速でリズムが良く、奥底に静謐とでも呼べるようなものがある気がします。そのほかの第5・7番なども、快速でキレが良く、轟音の鋭さも見事なのですが、単に勢いだけでない本質的なものを感じました。
そして、私が最も驚嘆したのは第九でした。驚くところだらけで、興奮してしまったのでした。
私が23日に行く予定だったのも、「マゲローネのロマンス」です。この曲はフィッシャー・ディスカウとリヒテルのレコードを愛聴していました。アイヒェで聴けるのを楽しみにしていたのですが、残念です。

投稿: 樋口裕一 | 2020年3月20日 (金) 08時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ベルトルッチの映画「殺し」「1900年」「魅せられて」「シャンドライの恋」「孤独な天使たち」 | トップページ | 映画「金曜日のテレーザ」「子供たちは見ている」「白い酋長」「愛と殺意」 »