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古いイタリア映画「にがい米」「オリーヴの下に平和はない」「ローマ11時」「無法者の掟」

 小池都知事が今週末の外出自粛要請を行った。このままだと東京都は新型コロナウイルスの感染爆発が起こり、東京都のロックダウンを招いてしまうとのこと。私自身はなるべく外に出ないようにしているが、仕事がらみの外出やコンサートはやはりできれば参加したい。できるだけ社会活動をしないと、まさに日本の文化は壊れてしまう。今週末、今のところ私は最大限の注意を払いながら外出するつもりでいるが、やはり外出そのものをやめるべきなのかと迷わざるを得ない。悩ましいところだ。

 相変わらず、時間を見つけて古いイタリア映画をみている。簡単な感想を書く。

 

「にがい米」 1948年 ジュゼッペ・デ・サンティス監督

 昔、深夜枠のテレビでみた覚えがある。パゾリーニの「アポロンの地獄」や「テオレマ」で知ったシルヴァーナ・マンガーノの若き頃のあまりのグラマラスな肢体に圧倒されたのだけはよく覚えている。改めて、みたわけだが、名作といわれているわりに、私はまったくおもしろいと思わなかった。

 北イタリアの米作地帯に女たちが40日間集まって米の取入れをする(たぶん、このこと自体は事実に基づくのだろう)。そこに紛れ込んだギャング(ヴィットリオ・ガスマン)とその女(ドリス・ダウリング)、そして女たちのリーダーであるシルヴァーナ(シルヴァーナ・マンガーノ)、そのなじみの軍曹(ラフ・ヴァローネ)が入り乱れる。ギャングの盗んだ宝石に目のくらんだシルヴァーナがギャングと結託して仲間たちを裏切るが、利用されていたのに気付いて自ら命を絶つ。

 まず、出稼ぎ労働としてやってくる女たちがそろいもそろって(もちろん、そうでない人もいるが)グラマラスで魅力的でおしゃれで惜しげもなく魅力的な肢体をさらけ出すことに違和感を覚える。しかも、その女たちが、まるでミュージカルのように声をそろえて歌ったり、だれからも命じられていないのに統制の取れた動きをしたり、みんなが同じような感情を表に出したりといった演出に、私は強い抵抗を感じる。ネオ・レアリスモらしくなくて、あまりに不自然。しかも、私には、女たちの感情の変化にも納得できないし、そもそも女たちの置かれている状況や、近くの倉庫にギャングたちが出没する不自然さが気になる。話もあまりに都合よく起こる。要するに、リアリズムを感じない。シルヴァーナ・マンガーノが始終、心配そうな表情をしているのも納得できない。

 納得できないことだらけの映画だった。

 

「オリーヴの下に平和はない」 1950年 ジュゼッペ・デ・サンティス監督

 まるでオペラのような演出だと思った。心の中に葛藤があると、登場人物はみんなが肩で息をし、全員が喜怒哀楽を顔の表情だけでなく、姿勢で示す。展開される物語も、善悪が明確で型通りの展開をする。しかも、合唱団のような集団がいて、その人たちも一様の動きをする。オペラを意識しているのかもしれないが、映画でこのような演出をされると、白けてしまう。リアリティを感じない。しかも、ストーリーもあまりにありきたりで、しかも話がうまくいきすぎていて、これまたリアリティを感じない。

 チョチャリアという山岳地帯が舞台になっている。フランチェスコ(ラフ・ヴァローネ)が戦争から帰ってみると、羊は村のボスであるポンフィリオに横取りされ、恋人だったルチア(ルチア・ボゼー)も結婚を迫られている。フランチェスコが羊を奪い返そうとすると、逆に強盗として警察に捕らえられて、裁判でも、ルチアを含むみんながポンフィリオに有利な証言をする。フランチェスコは刑務所に入るが、脱獄して、復讐をする。ルチアもそれを助けて、二人は愛情を取り戻す。村人たちもフランチェスコに味方してポンフィリオを追い詰める。ポンフィリオは崖から落ちて死に、フランチェスコも警察から許される。

 チョチャリアの風景は美しい。この風景の中でオペラのように抽象化された世界を描いていれば、それなりの説得力を持つと思うが、やはりリアルさを目指しているようなところもあるので、私としては映画の世界に入れなかった。はっきり言って、つまらない映画だと思った。サンティス監督は私には合わないようだ。

 

「ローマ11時」 1952年 ジュゼッペ・デ・サンティス監督

 実際の事件に基づいているらしい。戦後のイタリアでは、失業率が高く、仕事が見つけられなかった。一名のタイピスト募集に数百人の女性が押しかけ、老朽化したビルの階段で行列を作って混乱が起こり、階段が崩壊して1名の死者と多数のけが人を出した。その事件を題材にしている。

 数人の女性に焦点を当てて、人間模様、そして、世相を描いていく。夫が失業中のめに割り込んでしまい、そのために大根来の原因を作ってしまった女性、妻子ある男性の子供をはらんでしまった女性、小間使いの立場から逃げたがっている娘、親離れできない娘、貧しい職人を恋人にした上層出身の娘、貧しい暮らしをしながら見栄を張る女性などが描かれる。そうしながら、必死に職を求めて必死にならざるを得ないイタリア社会とそこで生きる人々の生きざまを描く。

 私は「にがい米」や「オリーヴの下に平和はない」よりはずっと面白いと思ったが、好きな映画ではない。

 

「無法者の掟」 1949年 ピエトロ・ジェルミ監督

 ピエトロ・ジェルミ監督のデビュー作。ジェルミの監督作品はかなり見ている。芸術作品いうわけではないが、職人の作った映画として素晴らしいと思う。サンティス監督の映画の後にこれをみると、人物の動きにリアリティがあり、画面に無駄がなく、シチリアの雰囲気も見事に描かれて、てきぱきと物語が進んでいくのを感じる。

 ただ、てきぱきし過ぎていて、じっくり描き足りない面がなくもない。男爵とマフィアが牛耳るシチリアの貧しい村に若き裁判官(マッシモ・ジロッティ)が赴任し、正義を貫こうとして男爵もマフィアも村人たちをも敵に回してしまうが、かわいがっていた少年が殺されたのをきっかけに、なんとか理解を得るための光明が見えたところで映画は終わる。

 描き足りないところはあるが、マッシモ・ジロッティの知的でさっそうとした風貌もあって、この裁判官には説得力がある。シチリアの状況もきっと実際にこのようなものだったのだろう。無法者が支配するシチリアを法治国家イタリアの支配下に置こうという意識が強く見える。ともあれ、サンティス監督の映画をみているときのような退屈はまったく感じなかった。

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コメント

今回のコロナは「インフルエンザほど感染力はない」「SARSより毒性が低い」という部分はあるものの、逆に「インフルエンザより毒性がある」「SARSより感染力がある」という部分があります。

なので自分は精神的には前者を念頭に置きながら、行動は後者を軸に慎重に行うというやり方をしています。

ただ出歩く時、無意識のうちにどこを触り、またその手で顔を触っているのかという部分がなかなかたいへんで、そこはかなり気を使っています。

最終的にはインフルエンザ+花粉対策をきっちりやるということしか自分にはできないので、そこだけは飽きず疎かにせずで屋内も屋外もやってます。

それしかできないのでしかたないのですが、ただやはり自分が加害者になるのだはけ極力避けたいという意識は強いです。

311の放射能云々と大きく違うここの部分が今回のいちばん難しい部分だと思います。

ただそのために経済や文化が枯れていいかいというとそれもまた違うだろうということで、このあたりの退く時出る時を、医療関係の人と、文化を担う関係の人との間で、しっかりとディスカッションする場を設けてほしいです。

投稿: かきのたね | 2020年3月25日 (水) 22時58分

かきのたね 様
コメント、ありがとうございます。
おっしゃる通りですね! その後、ますます状況は厳しくなっています。このままでは日本の音楽文化、舞台文化は大変なことになると分かっているのですが、どうにもなりません。私の場合も、聴く予定だった4月前半までのすべてのコンサートが中止になりました。はっきりした基準を設けるのは難しいのでしょうが、難とはしてほしいですね。

投稿: 樋口裕一 | 2020年3月27日 (金) 08時09分

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