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映画「かくも長き不在」「愛人」「至福のとき」

 緊急事態宣言が出されてから、ほとんど外に出ていない。自宅でマイペースの仕事をし、時々音楽を聴き、DVDの映画をみる。恐ろしい医療崩壊、感染爆発が近づいているのか、何とか逃れられるのか、いつまでかかるのか・・・。

 そんな中、映画をみたので、その感想を書く。

 

「かくも長き不在」 1961年 アンリ・コルピ監督

 高校生の頃だったと思う。予備知識のないまま、NHKで放映されているのをみた。とても良い映画だと思った。ずっと記憶に残っていた。大学生になってから、台本がデュラスの手になると知って、あらためて劇場でみた。素晴らしい映画だと思った。それから50年近くたって、今度が三度目。稀に見る傑作だと思った。

 まさしくデュラスの世界。テレーズ(アリダ・ヴァリ)はパリ近郊でカフェを営んでいる。ある時、「セヴィリアの理髪師」の一節を口ずさんで通り過ぎるホームレスの顔を見て、16年前にナチに捕らえられ、そのまま行方不明になった夫アルベールだと確信する。テレーズは男に近づくが、男は過去の記憶を失っている。親戚を呼び寄せて男を確認させようとするが、親戚はその男がアルベールではないと考える。16年たって、人々の記憶は薄れている。テレーズは男をカフェに招き、ともに食事をし、ダンスをする。男の頭に大きな傷跡を見つける。男はおずおずしたまま、カフェを出る。その時、男は警官の制服を見て、あわてて逃げ出す。背後から名前を呼ばれ、まるで、強制収容所で兵に銃で狙われた時のように両手を挙げて一瞬、たちどまる。すぐに、男は逃げ出してトラックに轢かれる。

 男がアルベールだったのかどうか、最後までわからない。ただ、おずおずとした態度、頭の傷、そして最後の両手を挙げた姿勢から、男もアルベールと同じようにナチに捕らわれていたらしいことだけは明らかになる。

 古い教会やセーヌ川や野原の風景が美しい。デュラスの小説のような、けだるく虚無的な雰囲気が漂う。そこで、おぼろな過去をめぐって映画は展開する。何かにおびえて心を開かない男、必死に過去を思い出させようとする女。そのような靄の中から、ただ確かなものとしてかつてのナチスの残虐な行動が浮かび上がる。男に「セヴィリアの理髪師」を聴かせる場面、二人で踊る場面があまりに美しい。白黒の画面すべてが美術作品のようだ。

 

「愛人」  1992年 ジャン・ジャック・アノー監督

「かくも長き不在」をみて、デュラスつながりで、購入したきりになっていた「愛人」のDVDをみたくなった。

 デュラスの自伝小説に基づく映画。デュラス好きの私は、原作が話題になったとき、すぐにフランス語で読んだ。衝撃を受けた。

 デュラスがベトナムに暮らす貧しいフランス家庭で育ったことは、彼女のほかの作品によって知っていたが、中国人青年の愛人として過ごしていたことは、もちろん知らなかった。15歳の白人の少女でありながら、中国人の妾のような存在になり、プライドを傷つけられながらも、性愛に溺れていくデュラスの心が特有の乾いた詩情で語られる。

 映画が封切られて、すぐにみにいった。とても良い映画だったという記憶はあるのだが、ほとんど忘れていた。比較的最近の映画のような気がしていたが、もうあれから30年近くたつわけだ。

 改めてみて、アノー監督が見事にデュラスの世界を映像化しているのを感じた。デュラスを演じるジェーン・マーチも中国人青年を演じるレオン・カーフェイも原作を読んでイメージしたそのもの。サイゴンの雰囲気に至っては、小説を読んだだけではこのようなイメージを持つことはできなかった。が、考えてみれば、そのような雰囲気だっただろう。しかも、デュラスの持つエロスと乾いた詩情を描き出している。

 デュラスの文体は省略が多いので、ある種の感情移入によって補わなければならない。だが、そこには情緒に流される要素はなく、人を拒むような雰囲気がある。読み手は宙に放り出された感覚を味わう。それが映像から見えてくる。サイゴンの美しい自然が見える。だが、観客はそれにべったりと感情移入しない。あくまでも、人の心の具象化ではない形としてそこに自然が存在する。

 とてもいい映画だと改めて思った。

 

「至福のとき」 2002年 チャン・イーモウ監督

「あの子を探して」「初恋のきた道」に次ぐ三部作であり、イーモウ監督の傑作の一つだということなので、みてみた。が、私はこの映画をまったくおもしろいと思わなかった。途中から、みつづけるのがつらくなった。

 中年男チャオ(チャオ・ベンシャン)は結婚したいと考え、実際は無職なのに、社長と偽ってある女性にアプローチする。女性の家には、借金を作って失踪した元夫の連れ子で盲目の少女(ドン・ジエ)がおり、女性とその息子に壮絶ないじめを受けている。少女を厄介払いしたい女性に少女の世話を頼まれたチャオは、少女に同情し、偽りのマッサージの仕事を与え、盲目なのを利用して、仲間たちとともに顧客のふりをして少女を手助けする。だが、少女はチャオと仲間たちが善意でだましていたことに気づき、いつまでも世話になっていられないと考え、感謝しつつ、みんなのもとを去る。ところがそのとき、チャオは交通事故にあって意識不明になって生死をさまよう。

 私はすべてにリアリティを感じなかった。まったく魅力的でなく、お金持ちでもなく、底意地の悪い女性と、なぜ結婚しようと躍起になるのか、なぜそのために自分が社長だという説得力のない嘘をつく必要があるのか、そもそも、いじめられている少女がなぜ盲目でなけければならないのか、なぜわざわざ廃工場に偽のマッサージ室を作らなければならないのか、なぜ偽のお金を作って少女をだまそうとする必要があるのか。なぜ、よりによって都合よくその日にチャオは交通事故にあうのか。

「あの子を探して」の主人公の女の子も愚かなことばかりしていたが、あれは女の子だから気にならなかった。だが、いい中年男やその貧しい仲間たちが見え見えのあまりに愚かな行動ばかりすると、むしろそれはお涙頂戴のための仕掛けに見えてくる。ありそうもない設定が続き、ありそうもない展開になり、最後にお涙頂戴になって終わった、というのが私の印象だった。私の最も嫌いなタイプの映画といって間違いない。

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コメント

私も「かくも長き不在」をテレビで見ました。たぶん同じ放映だったのではないかと思います。路上で両手を挙げて立ちすくむアルベールの姿が目に焼き付いています。深い衝撃を受けました。デュラスの台本だとは知りませんでした。

投稿: Eno | 2020年4月14日 (火) 14時09分

Eno 様
コメント、ありがとうございます。
きっと同じ放映だったのでしょう。NHKに、きっとこの映画に感動した人がいたんでしょうね。当時、週末の午後に「劇映画」というタイトルで不定期に欧米の映画が放送されていました。その影響で映画に関心を持った人も多かっただろうと思います。私はとても楽しみにしていました。

投稿: 樋口裕一 | 2020年4月15日 (水) 21時50分

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