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緊急事態宣言 そしてオペラ映像「ワルキューレ」「オイリアンテ」

 新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が出された。

 東京の多摩地区に暮らす私は今回の宣言の影響をまともに受ける。このような経験は初めてなので、さて、これからどうなるのか。自分がどうすればよいのかも判断に迷う。

 ともあれ、自分が感染しないように、人に感染させないように最大限の注意をしようと思っている。

 誰もが思っていることだと思うが、新型コロナウイルスについて、私が考えていることをいくつか記す。私はややリベラル寄りの、つまりは反自民の人間なのだが、今回は挙国一致でのウイルスとの戦いなので、安倍政権のウイルス対策をことさら否定しようとは思わない。だが、いくつかの点ではどうにも納得できない。

・ 最も納得できないのは、PCR検査をなぜもっとしないのかということだ。色々と理由を聞かされてきたが、どれも納得できない。私は毎日でも検査したい。陰性だったら、安心して活動したい。そうでなかったら、すぐに最もふさわしい行動をとりたい。検査をすれば。それが判断できる。先進国日本でなぜそれができないのか。

・ 現在言われている「世帯に30万円現金給付」という案は愚策だと思う。手間ばかりかかって、今、お金を必要としている人にすぐに届かない。基準がわかりにくく、判断に困る人、クレームを言う人が殺到するだろう。全国民に10万円というのが、ともあれ最も現実的だと思う。本当に困っている人はそれを生活費にして何とか食いつなぐだろう。余裕のある層は、それを消費に回すので、経済活性化にいくらか役立つだろう。「アベノマスク」の費用もこの費用にあててほしい。そのあとに、所得制限付きの給付を考えてほしい。そうしないと、生活破綻する人が大勢出てしまうだろう。

 

 緊急事態宣言が出されようとしている中、オペラ映像をみた。簡単に感想を書く。

 

ワーグナー 「ワルキューレ」2018年 ロイヤル・オペラ・ハウス

 素晴らしい上演だ。すべてがそろっている。

 まず何といっても、パッパーノの指揮に圧倒される。起伏の大きなダイナミックな演奏。しかもまったく不自然なところはなく、ぐいぐいとワーグナーの世界に引き込む。第三幕の高揚感もすさまじい。

 2000年前後にはかなり硬い歌いまわしだったスチュアート・スケルトンも随分とこなれてきた。とても魅力的なジークムント。エミリー・マギーのジークリンデもしなやかで魅力的。そして、アイン・アンガーのフンディンク、ジョン・ランドグレンのヴォータン、ニーナ・シュテンメのブリュンヒルデが言葉をなくす凄さ。ランドグレンの名前は初めて知ったが、ヴォータンにふさわしい余裕のある歌いっぷり。シュテンメとの第三幕後半は聴きごたえがあった。フリッカを歌ったサラ・コノリーも、ちょっと妖艶で貫禄があって、説得力がある。第二幕で、ヴォータンがフリッカの体を愛撫しようとするが、確かにそんな気にさせるフリッカではある。

 演出はキース・ウォーナー。第三幕でヴォータンがブリュンヒルデに対して女性としての愛情を抱いていることがほのめかされ、ブリュンヒルデはそれを知って驚きながら受け入れる・・・というパントマイムがなされる。確かにワーグナーの中にそのような要素があるとは思うが、わざわざそれを強調する必要があるのか、少々疑問に思う。全体的にはそれほど新しい解釈はない。

 

ウェーバー  「オイリアンテ」 2018年 アン・デア・ウィーン劇場

 大型の若い歌手たちが中心ののびやかなとても良い上演だと思う。

 歌手たちはきわめて高いレベルでそろっている。オイリアンテのジャクリーン・ワーグナーはヴィブラートの少ないきれいな声。清純でさわやでありながら、強靭さも持っている。アドラールのノルマン・ラインハルトも同じような印象。素晴らしい。この二人には、ジークリンデとジークムントを歌ってほしいと強く思った。二人とも見栄えもする。

 エグランティーネのテレサ・クロンターラーも芯の強い声で素晴らしい。悪役なので憎々しい表情をしているが、驚くほどの美貌だ。リジアルトのアンドリュー・フォスター=ウィリアムズも神経質で根性の良くない男を力演。そして、ルートヴィヒ六世のシュテファン・ツェルニーは素晴らしい美声で安定している。

 コンスタンティン・トリンクスの指揮するウィーン放送交響楽団も明晰でありながら、躍動し、生き生きとしており、とてもいい。

 演出はクリストフ・ロイ。最初から最後まで、遠近法のきいた室内で演じられる。登場人物は全員現代の夜会服を着ている。嫉妬が渦巻き、亡霊が登場し、一方的な情報をうのみにする愚かな思い込みがなされるこのオペラをあえて現代的に描こうという意図だろう。そして、それに成功している。とてもおもしろかった。

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音楽」カテゴリの記事

コメント

私も検査をなぜもっとしないのかと、疑問を持っています。その理由の説明を政府から聞いた覚えがありません。オリンピックの延期が決まった途端に危機感を煽るような発言が飛び交うようになったのも釈然としません。そんなモヤモヤ状態が国民の一体感を阻害すると思います。

投稿: Eno | 2020年4月 8日 (水) 09時24分

Eno 様
コメント、ありがとうございます。
これほど少ない検査では、どう考えても、正確な感染者数を反映していないでしょうね。熱が続いて感染を疑いながら、検査してもらえずにいる人がいる人がたくさんいると聞きます。実は、すでに首都圏に数万、数十万の感染者がいるのではないかと誰もが疑念を抱いていると思います。検査をしないできたことが日本の感染爆発につながらないことを祈るばかりです。

投稿: 樋口裕一 | 2020年4月 9日 (木) 11時13分

>陰性だったら、安心して活動したい。そうでなかったら、すぐに最もふさわしい行動をとりたい。検査をすれば。それが判断できる。先進国日本でなぜそれができないのか。

世の中には先生のような分別を弁えた人間だけでなく、陽性になったら自暴自棄になって他人に移そうと思うけしからん輩も確実にいます。
実際に陽性判定が出た後、風俗店に行って故意に女性に移した男も居ました。
それと「陰性だったら安心」とおっしゃいますが、本当にそうでしょうか?
たとえ検査で陰性になっても、その後で新型コロナに感染する可能性はあるわけです。
となると、人によっては毎週一回でも繰り返し検査しないと、本当に安心する事は出来ないでしょう。
そうなると検査数が激増する事になり、日本の病院や保健所は機能不全になりかねません。

僕も今の日本の検査が完ぺきとは全く思いませんが、医者や検査技師も医療施設も有限である以上、検査の前に選別するのも致し方ないのかな?と思います。
もしコロナウイルスをすぐに駆逐できるような特効薬でも出来れば話は別ですが、現状はワクチンも特効薬も無く、検査しても軽症者は自分で治す以外に手だてがない状況ですしね。

投稿: | 2020年4月10日 (金) 03時52分

2020年4月10日にコメントくださった方へ
コメント、ありがとうございます。
おっしゃることはよくわかります。そのようなことをテレビでもしばしば聞いてきました。
しかし、そのようなことよりも、自分の感染に気付かず、きっとちょっとした風邪だろうと思って外出して人に感染させている人のほうがずっと多いのではないでしょうか。その人たちが感染拡大したのではないでしょうか。そして、日本政府も、今までのやり方が間違いだったと気づいて、検査を増やす方向に、現在、改めているのではないでしょうか。
もちろん、私も日本政府の対応が正しかったと信じたいのですが、そうでない方向に進んでいるようですので、恐怖を抱いています。

投稿: 樋口裕一 | 2020年4月12日 (日) 10時54分

樋口裕一さん、こんばんは。


>最も納得できないのは、PCR検査をなぜもっとしないのかということだ。色々と理由を聞かされてきたが、どれも納得できない。私は毎日でも検査したい。陰性だったら、安心して活動したい。そうでなかったら、すぐに最もふさわしい行動をとりたい。検査をすれば。それが判断できる。先進国日本でなぜそれができないのか。

PCR検査は、その時点までの「陰性」と「陽性」を示しているだけで、今後の感染する可能性を示すには、「抗体検査」をしなければなりません。それと今後の感染者数を抑えるには、「抗体がなければ」徹底的に行動しないことです。

今まで、別の場所で「『新型コロナ・ウイルス』と『ファシズム』の関連」について述べさせてもらいましたが、ジル・ドゥルーズについても、彼の警戒する『左右の両権力とファシズムとの関連』について使用しました。

只でさえ、テレビを見てばかりなのに『無自覚なファシズム』に巻き込まれたら嫌ではないですか?

僕は今回『コロナ改憲を赦すな』と言う人々にもファシズムを感じます。

投稿: kum | 2020年4月12日 (日) 20時28分

kum 様
コメント、ありがとうございます。
今、私がコロナ問題に関して、ファシズムを感じるのは、「日本人は、命令されなくても、自粛を呼びかけられただけでこれほど外出をしなくなるほど、優れた国民だ」という言説です。これこそパノプティコンだと思います。
「権力は命令するべきではない。あくまでも国民の自主性に任せるべきだ。緊急事態宣言下においても、権力の命令ではなく、国民の自主性を重視するべきだ」という意見がありますが、私はそれを欺瞞だと思います。そこでは、自主性は抑圧になり、ポピュリズムに陥ります。
民主主義というのは、むしろ民衆の総意によって選ばれた代表者が権力を任せられて、有事の場合には権力を行使し、絶対的に命令することだと思います。ただし、もちろん基本的には情報を公開し、常に異論に対して開かれ、民衆の支持を失ったときには速やかに権力は移動されるものでなければなりません。
私は安倍政権を信じることができずにいますが、政権が権力を行使して有事にあたること自体に対しては、当然のことと思っています。
ただ、現在の状況で、私は政治的な主張をしたいとは思いません。ウイルスについて知識がなく、判断材料がないからです。今の私は、できる限りの用心をしつつ、日本が、そして私の家族や友人、そして私自身が無事でいることを祈るばかりです。
たぶん、コメントに対する答えにはなっていないと思いますが、私としましては、このように書くしかありません。

投稿: 樋口裕一 | 2020年4月13日 (月) 21時37分

樋口裕一さん、こんばんは

>今、私がコロナ問題に関して、ファシズムを感じるのは、「日本人は、命令されなくても、自粛を呼びかけられただけでこれほど外出をしなくなるほど、優れた国民だ」という言説です。これこそパノプティコンだと思います。
>「権力は命令するべきではない。あくまでも国民の自主性に任せるべきだ。緊急事態宣言下においても、権力の命令ではなく、国民の自主性を重視するべきだ」という意見がありますが、私はそれを欺瞞だと思います。

監獄監視装置=パノプティコンのことは、まさに「生権力」そのもの、ファシズムであると思います。しかし、冷静になって
「ミシェル・フーコー」(ちくま新書922)
の著者・重田園江さんの考えを参考にすると彼女は、
「『非常時』から政治を考える幼稚さ」
を繰り返し述べています。

僕は昨年、断捨離するに当たり売れる本やレコードをかなり売ってしまいましたので、フーコーの著作も現存するのは『監獄の誕生』のみです。(レコードの方はロックのレコードはそこそこの値段で売れた物もありましたが、クラシックは値段が付きませんでした。残念です。)その「監獄の誕生」はミシェル・フーコーの最高傑作とも言うべきテキストですが、「監獄監視装置」は、『規律=管理権力』の代表的なもので、それを言説(ディスクール)のレベルで管理するのが、『自粛』の権力です。

その点で僕の考えは樋口裕一さんとほとんど差異がありません。でも、樋口さんや重田園江さんと違って多くの日本人は日常で「政治の問題」
をなかなか考えてくれません。

その面では、日本はアメリカやイギリス、フランス、ドイツはもちろん香港や台湾にも劣ると思いますね。「生権力の行使」や「自粛」、「ポピュリズム」は、フーコーやドゥルーズの警戒するファシズムそのものであり、僕はそれを回避する方法は日本人の更なる政治参加とタブーを作らない姿勢であると思います。

投稿: kum | 2020年4月13日 (月) 22時54分

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