« イタリア映画「雲の中の散歩」「警官と泥棒」「パンと恋と夢」「われら女性」 | トップページ | 緊急事態宣言 そしてオペラ映像「ワルキューレ」「オイリアンテ」 »

ロッセリーニの映画「アモーレ」「神の道化師」「ストロンボリ」「殺人カメラ」「ヨーロッパ1951年」

 私が学生生活を送った1970年代、ロッセリーニの映画は、一般の映画館では取り上げられることはめったになかったものの、大学祭などでしばしば上映会も行われていた。私も、「戦火のかなた」や「無防備都市」は何度もみた。

 ところが、それ以降の作品は、当時、ほとんどがみるべき価値のないものとみなされていた。「ロベレ将軍」はよいほうだが、とりわけイングリット・バーグマンと知り合い、その虜になってからは、かつての理念を忘れてしまって、商業映画、しかも質の高くない商業映画ばかりを撮り始めたといわれていた。そして、事実、それらの映画は日本ではみる機会がなかった。私は、それらについては一度もみたことがないままだった。

 それから40年以上たって、DVDでロッセリーニの代表作以外の作品もみられるようになっているのに、久しぶりに気づいた。きっとつまらないのだろうが、ともあれみてみようと思って、みはじめた。ところが、何本かはとてもおもしろかった。

 新型コロナウイルスの非常事態宣言が出される直前なのかもしれない。簡単に感想を書く。

 

「アモーレ」 1948

 同じアンナ・マニャーニが主演を演じる二つのエピソードからなる。第一部は、コクトーの「人の声」に基づく。私には、プーランクのモノオペラとして昔からなじみの物語だ。

 登場人物は一人だけ。女性が電話を待ち、電話がかかるとそれにかじりついて必死の形相で話をする。徐々に、電話の相手が別れを切り出されてしまった愛人であり、何とか引き留めようと必死になっていることがわかってくる。プライドを保とうとしながら、あるいはプライドを捨て、うそをついたり。その心の動きを名女優マニャーニが見事に演じる。

 オペラではこの物語を何度かみたことがあるが、やはり歌でなくリアルなセリフで語られると、まさにリアルになる。映画では愛犬が登場する。それもとてもリアル。

 第二部は、農婦が聖人(なんと、フェデリコ・フェリーニが演じている!)の幻想を見て、その子供を宿し、村の人々から迫害される物語。すべてが幻想なのか、それとも村にやってきた放浪者を聖者と思いこんだのかは定かではない。最後には村を出て人里離れた山の上の無人の教会にたどり着く。

 無垢な信仰を描いている。必死の信仰が胸を打つ。愚かといえば、まさに愚かだが、うむを言わせない生きる力を持っている。山があり、谷があり、そこに山羊たちが人々と暮らしている。最後、山羊たちが女を教会に導く。まさしく信仰の世界が現出する。見事な映像世界。

 それにしても、マニャーニの圧倒的な演技力に驚嘆。それをみられるだけでもうれしくなる。そして、若いころのフェリーニが「イケメン」であることにもびっくり。

 とてもいい映画だと思う。「無防備都市」や「戦火のかなた」に匹敵する名作だと思う。

 

「神の道化師、フランチェスコ」 1950

 初めてのつもりでみはじめたが、どうも以前に一度みたようだ。

 聖フランチェスコとその弟子たちの行動を描く。徹底的に自己犠牲を行い、他者に尽くし、自己の欲望を否定して、何よりも完全な神への帰依を求める。全員が大変生真面目だが、あまりの徹底ぶりに呆れるし、愚かで無邪気に見えるし、現代人の目から見ると、むしろ混乱を起こすだけに見える。

 戦後さほどの時間がたっていない時期にロッセリーニはどのような意図でこの映画を作ったのだろう。おそらく、戦後の生きるためにがむしゃらら欲望をかなえようとする社会へのアンチテーゼとして示したのだろう。ただ、映画としては、少なくとも今みると、あまり面白いとは思えない。

 

「ストロンボリ 神の土地」 1950

 ロッセリーニが大スター、イングリット・バーグマンを主役にして初めて撮った映画。この後、二人は不倫関係に陥り、その後、結婚をすることになる。

 ともあれ、映画としてとてもおもしろかった。それどころか、大いに驚き、大いに感動した。「戦火のかなた」や「無防備都市」に劣らぬ名作だと思った。

 カリン(バーグマン)はドイツ兵と関係を持ったためにリトアニアで暮らせなくなってイタリアに入り、難民収容所で暮らしていたが、捕虜キャンプにいるアントニオに言い寄られ、その気になって結婚。アントニオの故郷で暮らし始める。ところが、アントニオの故郷ストロンボリ島の村は、公共の交通手段もない文明の果てにある活火山の島だった。しかも、島民たちは閉鎖的で、アントニオは暴力的。カリンは監視され、島の灯台守と少し親しくすると不倫を決めつけられる。夫の子どもを宿すが、それでも島の生活に我慢できなくなったカリンは、灯台守の助けを得て島から脱出することを考え、ひとり火山を超えて島を横断しようとする。火山付近を通りかかって、有毒ガスを浴び、自分の力に絶望し山の中で一晩をあかす。朝、火山を前にして、自然の偉大さに目ざめ、神にすがろうとする。そこで映画は終わる。

 火山の噴火の場面、マグロの大漁の場面など自然の猛威や人と自然の営みを描くドキュメンタリー的な場面が圧倒的だ。映像はとても美しい。そのような自然の営みとは隔絶したおしゃれで華やかなバーグマンも目を見張る美しさ。(ただ、ほかのイタリア女たちと比べてのバーグマンの「がたい」の良さに驚く!)。

 最後、カリンは島の残ることにしたのか、それとも一人で生きることにしたのか、定かではない。ただ、自然の猛威を知り、それとは対極の文明を求めて生きてきた自分をゼロに戻そうとしたことだけが示される。

 公開当時、この映画は不評だったという。そして、最後の曖昧な場面もその原因だったようだ。だが、今、みると、この結末は見事としかいいようがない。島に残るにせよ、離れるにせよ、カレンのこれから先の人生はつらいものになるだろう。だが、ともあれ、ここでカレンは神に目覚める。神父を誘惑するなど不敬な気持ちを抱いていたカレンが人間の無力を知り神にすべてをゆだねる。そのことのほうが問題だったのだろう。

 ロッセリーニは凄い監督だったと改めて思った。 

 

「殺人カメラ」 1952

 喜劇、あるいは寓話といってよいだろう。

 海辺にある美しい村。写真店を営むカメラマンの前に、守護聖人らしい老人が現れ、あるカメラで人物を撮影すると、その人を死なせられることを教える。善良なカメラマンは、それを正義と信じて、不正をしようとする人々を死なせていく。カメラマンは自分が行き過ぎてしまったことに気づき、自分自身を撮影して死なせようとする。そこで、守護聖人だと思った老人が実は悪魔だったと気づき、自分の行動を悔いて、悪魔に頼んで死なせた人々を生き返らせる。

 何が正義かわからない、状況によって多くの人が正義にも悪にもなってしまう。そのことを喜劇として描いている。

 村の墓場を壊して、観光施設を作ろうとするアメリカ人が登場。外国資本による伝統的な村の破壊というテーマがこの時代にすでに起こっており、それをロッセリーニが題材にしていたことに驚く。権力者も権力を持っていることによって堕落し、貧しい人々も自分の利益しか考えていない。だが、それ以上に、正義を行使するほうが悪だ。そのようなことを寓話として語っている。

 ただ、あまりに教訓がありきたりで、しかもディテールについてもそれほど面白いわけではないので、特に優れた映画だとは思わなかった。

 

「ヨーロッパ1951年」 1952

 これも名作だと思った。

 上流夫人イレーネ(イングリッド・バーグマン)は、息子の自殺を契機にそれまでの自分たちの階級の恵まれた生活に疑問を持ち、社会矛盾に目をやるようになる。そして、貧しい人、苦しんでいる人に愛を注ぐ。だが、強盗の逃亡を助けることになってしまって警察沙汰になり、スキャンダルを恐れた夫に精神病院に入れられてしまう。イレーネは元に戻ってかつての上流の生活を送るよりは、精神病院で生きることを選ぶ。

 イレーネはまさに聖女になる。だが、現代社会での聖人は狂人とみなされるしかない。すべての人に愛を注ぐというキリスト教の理想は、最も人類に必要なことなのだが、社会を混乱させてしまう。そのことがリアルに伝わる。

 息子に十分の愛をかけなかった自分を嫌悪するあまり、他者にできるだけの愛を注ごうという心理はとてもよく理解できる。バーグマンは演技派女優というわけではないが、そのようなけなげな女性を見事に演じている。

 1951年。私の生まれた年だ。戦後の混乱がひとまず収まり、新たな階層が生まれ、それが徐々に固定化していく。資本主義がますます拡大し、キリスト教の精神から外れていく。そうした時代の始まりの時期だったのだろう。

|

« イタリア映画「雲の中の散歩」「警官と泥棒」「パンと恋と夢」「われら女性」 | トップページ | 緊急事態宣言 そしてオペラ映像「ワルキューレ」「オイリアンテ」 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« イタリア映画「雲の中の散歩」「警官と泥棒」「パンと恋と夢」「われら女性」 | トップページ | 緊急事態宣言 そしてオペラ映像「ワルキューレ」「オイリアンテ」 »