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映画「イーダ」「雪の轍」「狂った夜」「グラディーヴァ マラケシュの裸婦」

 岡江久美子さんが亡くなって、とても残念な気持ちでいっぱいだ。好きな女優さんだった。合掌。いよいよ新型コロナウイルスの恐怖が近づいてきた気がする。

 そんな中で、なるべく外に出ず、自宅で何本か映画をみた。簡単な感想を記す。

 

「イーダ」 2013年 パヴェウ・パヴリコフスキ監督

 1962年のポーランドを舞台にしたモノクロ映画。しっとりとした美術品のような映像。説明のほとんどない映像によって静謐な中に悲劇が浮かび上がる。アカデミー賞外国語映画賞受賞作品。

 修道院で育てられた孤児の少女アンナは修道女になる前、唯一の肉親である叔母に会うことを勧められる。会ってみると、叔母はアンナが実はユダヤ人であり、ナチスの時代に虐殺された家族の生き残りだと伝える。二人はアンナの両親の住んでいた家や墓、虐殺の場所をめぐり始める。男あさりをし、酒やたばこに溺れる叔母に対してアンナは嫌悪を覚えているが、叔母の息子もアンナの両親らとともに殺されていたことを知る。そして、二人は家族を殺した男の証言をきく。耐えきれなくなった叔母は自殺をする。アンナは叔母の服を着て、いきずりの誠実な青年と体を重ね、酒とたばこをたしなむが、最後、修道女に戻るために確固として修道院に戻る。

 キリスト教の神を信じて育ってしまったユダヤの少女が、神なき残虐な行為と、その残虐行為の犠牲になって苦しむ人間の状況を知るが、信仰の中に踏みとどまる。そんな風にまとめられるだろう。揺らぎながら神を信じようとするがゆえに、強い信仰を持つことができる。現代に生きるまだ若い監督パヴリコフスキのメッセージなのだろう。

 とても良い映画だったが、ちょっと気真面目過ぎて、私としては息苦しかった。

 

「雪の轍」 2014年 ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督

「読まれなかった小説」などで知られるトルコの巨匠ジェイランの3時間を超す大作。カッパドキアでホテルを営むアイドゥンは元俳優で地元新聞にコラムを書いている。本人はまっとうに正しく生きているつもりだが、妻とも妹とも地域の人々ともうまくいかない。傲慢で押しつけがましいとみなされている。逃げるようにして家を出て近くの村の友人の家で夜を過ごす。そこで本音で語り合い、翌日、雪の中で狩りをしてウサギを撃つ。新たな考えを見つけて家に帰る。

 大きな出来事はない。アイドゥンと妹、妻、友人たちとの間で長い議論がなされる。リアルで、いかにもありそうな議論。少し前まで、私もこんな議論を友人や家族としていた気がする。アイドゥンの語るのは正論だが、人の痛み、弱さを十分に考慮していない。だからといって、妹や妻が正しいかというと、この人たちもまたあまりに無邪気だったり、自分で気づかずに他人を傷つけていたり。誰もが悪くない。誰もがそれなりに正しい。しかし、みんなが少しずつ他人への理解を欠いているために不調和が生じる。なるほど、これが人生。

 カッパドキアの圧倒的な風景の中で等身大の人間ドラマがリアルにさらされる。映像の存在感、役者たちの存在感によって、まったく退屈せずにみることができた。シューベルトのピアノ・ソナタ第20番の第2楽章がしばしば聞こえてくる。アイドゥンの寂寞が伝わってくる。カンヌ映画祭のパルム・ドール受賞作。とても良い映画だと思うが、とびきりの名作かというと、それほどとは思わなかった。

 

「狂った夜」 1959年 マウロ・ボロニーニ監督

 パゾリーニ原作の中編小説をボロニーニが映画化したもの。パゾリーニがシナリオを書いている。こののち、パゾリーニは映画の世界に本格的に入っていく。学生時代、大のパゾリーニ・ファンだった私は米川良夫先生の訳された原作を読んでいたく感動した覚えがある。ただ、この映画をみたことがあるつもりでいたが、どうも初めてのような気がする。原作を読んで、勝手に映画もみたと思い込んでいたようだ。

 ローマの下町に暮らす二人のチンピラ、ルッジェーロ(ローラン・テルズィエフ)とシンチローネ(ジャン・クロード・ブリアリ)は盗んだライフルを売りさばいた後、金持ちの家に流れ込むが、そこで仲間の一人が大金を盗んでしまう。金持ちの家の娘(ミレーヌ・ドモンジョ)と親しくなったルッジェーロは金を返そうとするが、シンチローネがその金を奪って勝手に使ってしまう。ルッジェーロはそれを追いかけ、取り戻すが、もはや金を返す気はなくして、別の女性とともに意味のない食事や酒に浪費して、一日で使い切ってしまう。

 まさしく初期パゾリーニの世界。純情なところがあるが、平気で人を裏切り、暴力をふるい、他人をくいものにする若者たち。それを感傷もなく、荒々しくクールに描く。空回りする生。無軌道で目的がなく、刹那的に暴力的に生きる若者の性の爆発。だが、そこに生きるものへの賛歌があり、貧しくも底辺で生きる人たちへの愛情がある。この映画はそれを見事に描いている。

 ただ、のちにパゾリーニ自身が映画化した「アッカットーネ」などと違って、俳優のすべてが美男美女。こんな美男美女なら、貧しい生活から抜け出す方法はいくらでもあるだろうと、やはり思ってしまう。リアリティを感じない。きっと、そんなことがあって、パゾリーニも自分で映画を作り始めたのだろう。

 とはいえ、とてもいい映画だと思った。

 

「グラディーヴァ マラケシュの裸婦」 2006年 アラン・ロブ=グリエ監督

 学生のころ、ロブ=グリエの小説をたくさん読んだ。1970年代後半だったと思うが、日仏会館だったかアテネ・フランセだったかで特集が組まれて、ロブ=グリエの監督した映画を数本みた記憶がある(もしかしたら、字幕なしだったかもしれない)。面白い映画も含まれていた。

 ただ、実はロブ=グリエの小説や映画が好きというわけではなかった。小説では、「消しゴム」と「覗く人」と「迷路の中で」はおもしろいと思ったが。「快楽の館」以降の作品はそうは思わなかった。

 そして、そのまま45年ほどが過ぎ、ロブ=グリエにはほとんど触れずに現在になった。今回、この映画を見て、なるほどこれが「快楽の館」の世界だったのか!と45年ぶりに腑に落ちる気がした。いや、「消しゴム」や「覗く人」や「迷路の中で」も、実はこのような世界を描いていたのかもしれないと思った。

 ドラクロワ研究者ジョン・ロック(ジェームス・ウィルビー)はモロッコのマラケシュで現地の女性(ダニーヴェリッシモ)を性奴隷のようにして暮らしているが、ある日、ブロンドの美女(アリエル・ドンバール)を見かけ、あとを追って不思議な館に入り込み、現実と虚構、現在と過去の入り混じった世界を体験する。その美女はドラクロワの愛人だったとされるグラディーヴァの幻影のようでもあり、それを演じる女優のようでもあり、その双子のようでもある。想像が想像を呼び、エロスと拷問の世界に入り込む。最後、「蝶々夫人」のオペラをかけて現地女性はピストル自殺をする。現地妻でいることへの悲しみということか。

 ストーリーを追うことに意味があるとは思えない。様々な仕掛けがあるにせよ、基本的には世界が不確定になり、脳内のエロティックなイメージが展開していくことそのものを味わえばよいのだと思う。確かに、私の頭の中もこのようなエロティックで残虐で意味不明のイメージがうごめいている。このような世界を小説で読むと、意味を追うことができないので、退屈し、先に進むのがつらくなるが、映画だと退屈せずに見てしまう。男の私としては、たくさんの女性の裸身はとても魅力的でもある。

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