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オペラ映像「ナクソス島のアリアドネ」「さまよえるオランダ人」「二人のフォスカリ」「ファルスタッフ」

 緊急事態宣言が全国で解除され、私の仕事もかなり日常に戻りつつある。今日も、午前中は日本語学校、午後は大学で仕事をした。明日以降も、外に出ての仕事になる。感染の第二波が心配だし、それ以上にコロナ禍後の社会のあり方が不安だが、ともあれ、仕事をこなしていくしかない。

 この間に見たオペラ映像についての感想を簡単に記す。

 

リヒャルト・シュトラウス 「ナクソス島のアリアドネ」2014年 ウィーン国立歌劇場

 見覚えがあるので、NHKBSで放映されたものだろうかと思っていたが、どうやら2016年のウィーン国立歌劇場日本公演と同じ演出のようだ。そのとき、あまりに残念なことに、バッカス役のボータが急死して代役が立ったことを思い出した。この映像はボータが歌っている。

 素晴らしい上演。時代を代表するこの役の最高のキャスティングだと思う。序幕の作曲家のソフィー・コッシュはまさに適役。声は伸びているし、初々しいし、姿かたちも作曲家にぴったり。音楽教師のマルクス・アイヒェも見事。

 オペラの部分では、私はアリアドネのソイレ・イソコスキの歌に感動した。完璧にコントロールされた声。表現力も豊か。清澄でしかも奥深い歌を聞かせてくれる。バッカスのヨハン・ボータも、これ以上ないほどの美声と声のコントロール。この二人が視覚的にアリアドネとバッカスに見えないのが残念だが、歌唱の見事さは欠点を補ってあまりある。イソコスキは現代最高のシュトラウス歌いだと思う。

 ツェルビネッタのダニエラ・ファリーも華やかで躍動的でとてもいい。容姿の面でも説得力がある。ただ声の輝きという面では、アリアドネとバッカスの充実には少し劣ると思う。 ニンフたちも道化の面々も見事な歌と演技で申し分ない。

 指揮のティーレマンはさすがに自在な棒さばきというべきか。以前、CDだったかDVDだったかでティーレマンの指揮するこのオペラを聴いたとき、ユーモアのセンスがなく生真面目過ぎるという印象を受けたのを覚えているが、今回はそのようなことはあまり感じない。ユーモモラスな演奏ではないが、繊細で緻密で躍動するので、何かの不足があるとはまったく思わない。しなやかさが増して、音の一つ一つ、響きの一つ一つに力がある。

 スヴェン=エリック・ベヒトルフの演出については、最後に作曲家とツェルビネッタが抱き合うことを除けば、特に新しい解釈はない。人物の動きが音楽にぴたりと合っているので、歌手たちは歌いやすいだろうし、自然に感じるが、ちょっと物足りない。

 

 

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 2019年 フィレンツェ五月音楽祭劇場

 なんといっても、ファビオ・ルイージの指揮が素晴らしい。切っ先鋭く、しかも大きくうねり、ドラマティックで疾風怒濤。このオペラにふさわしい。息つく暇もないほどに緻密に構成され、次々と音が挑みかかってくる。緊張感とドラマに酔う。

 歌手陣もそろっている。オランダ人を歌うトーマス・ガゼリはドスのきいた深い声で、この役にふさわしい。ダーラントを歌うミハイル・ペトレンコも深く歌う。ただ、ゼンタ役の マージョリー・オーウェンズについては、私はヴィブラートが気になった。それに悪く言えば、ちょっと間延びした歌唱に思える。バラードはあまりにゆっくり。これは本人の意思なのかルイージの指示なのか。きれいな声で歌おうとして、ドラマ性が失われているように思えた。合唱もそろっていないように思えた。

 ポール・カランによる演出については、特に新しい解釈はないが、おどろおどろしさを前面に出しており、なかなかの迫力。コンピュータマッピングによって荒れた海や幽霊船を作り出し、おぞましいといえるような薄汚れた空間を作り出している。第二幕は、薄汚れたミシンの並ぶ工場という設定。第三幕の最後でオランダ人は救済されるが、(こう言っては大変失礼だが、)オランダ人もゼンタも美男美女ではなく、うらぶれた感じが漂う。そうであるがゆえに、リアルであり、ハードボイルド的な凄味がある。

 

 

ヴェルディ 「二人のフォスカリ」2019年  パルマ、レッジョ劇場 ヴェルディ音楽祭

 イタリア・オペラにはあまりなじんでおらず、しかもヴェルディの初期作品となると、数えるほどしか聴いたことがないのだが、どういうわけか私は「二人のフォスカリ」がかなり好きだ。「アイーダ」や「オテロ」よりも実はずっと感動する。

 フランチェスコ・フォスカリを歌うウラディーミル・ストヤノフが圧倒的に素晴らしい。最後の歌には胸を打たれる。まさに、息子を失い、地位を失って絶望する老人の呪いと悲しみにあふれている。気品ある容姿もこの役にふさわしい。ヤコポ・フォスカリを歌うステファン・ポップも伸びのある美声。ルクレツィアを歌うマリア・カツァラヴァは、声楽面ではとても見事。張りのあるしっかりした声。

 パオロ・アリヴァベーニという指揮者を私は知らなかった(たぶん、一度も演奏を聴いたことがないと思う)が、切れが良く、しっかりと鳴らして、とてもいい指揮者だと思った。アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団にも文句はない。レオ・ムスカートの演出については、とりわけ何かが起こるわけではないが、音楽を邪魔しないので、私としては好感を持った。全体的に、しっかりとまとまっており、とても良い上演だと思った。

 

ヴェルディ 「ファルスタッフ」2019年 マドリード王立歌劇場

 ダニエーレ・ルスティオーニの指揮が恐ろしく元気。ドラマティックでメリハリがあり、激しい。まるでヴェルディの「リゴレット」や「運命の力」のよう。しかも、歌手たちも元気いっぱいに激しく、怒りや悲しみを込めて歌う。このような演奏を好む人も多いのかもしれないが、私としては、もう少しこのオペラはおとなしくていいのではないかと思う。もっと、ニンマリして、「こいつ、しょうがねえなあ」と思ってファルスタッフの人間臭さを笑いたい。ところが、この演奏では、ファルスタッフはエネルギーにあふれたかなりの悪漢。

 歌手たちのほとんどを私は知らない。が、とても充実している。ファルスタッフのロベルト・デ・カンディアは、たぶん自前の巨大な腹なのだと思う。見事な声。アリーチェ・フォード夫人のレベッカ・エヴァンス、メグ・ペイジ夫人のマイテ・ボーモンともに、とても魅力的な中年女性で歌もそろっている。フォードのシモーネ・ピアッツォラも芸達者でしっかりした声。クイックリー夫人がやけに大柄だと思ったら、なんとダニエラ・バルチェッローナではないか! さすがの歌唱と演技。今回のキャストの中で唯一のよく知る歌手だった。

 演出はロラン・ペリー。ペリーにしては、コミカルさがあまりない。全員が現代の服装で街の居酒屋めいた場所で始まる。ファルスタッフは街にたむろする少し下層の太った爺さんといったところ。だが、こうすると、妙にリアルになってしまって、騎士のプライドを持って自分がモテると信じているファルスタッフの滑稽さが現れない気がする。私はペリー・ファンなのだが、今回はいつもほどには感心しなかった。

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映画「チャタレイ夫人の恋人」「パリジェンヌ」「激しい季節」「憂国」

 39県で緊急事態宣言の解除がなされたが、もちろん私の暮らす東京都はまだ自粛が続いている。典型的な室内型人間であって、部屋にこもることにさほどの苦痛を感じない私も、さすがにストレスを感じ始めている。が、あと少しの我慢。

 DVDを購入して数本の映画をみたので、簡単な感想を書く。

 

「チャタレイ夫人の恋人」 1995年 ケン・ラッセル監督

 高校生のころ、サド裁判が話題になったとき、「美徳の不幸」(澁澤龍彦訳)を読んで、衝撃を受け、「確かにこれは凄まじい!」と思った。大学生になってからだったと思うが、チャタレイ裁判が話題になったので、同じような衝撃を味わえるかと思ってドキドキしながら、D.H.ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」(伊藤整訳)を読んでみた。これが何で裁判になるのかよくわからなかった。原作については、そんなことくらいしか覚えていない。

 BBCのテレビドラマを劇場公開用にまとめたものだという。とてもきれいな映画。ケン・ラッセル監督の映画は何本か見ているので、もっと過激かと思ったら、意外とおとなしい。チャタレイ夫人役のジョエリー・リチャードソンがあまりに美しい。メラーズ役のショーン・ビーンも野性的な門番を見事に演じている。美しい森の中でのおおらかなセックス、がんじがらめの上流社会の対比もとても分かりやすい。

 原作についてはまったくといってよいほど覚えていないので、何とも言えないが、映画としてとてもおもしろかった。途中、チャタレイ夫妻がプルーストについて語り合う場面がある。文体に凝り、人間性を分析し、知的に世界を見つめるプルーストをチャタレイ夫人は批判する。チャタレイ夫人はまさしくプルースト的な書斎的で知的な世界へのアンチだったのだろう。その意味では、私も素直に感動することができた。

 

「パリジェンヌ」 1961年 オムニバス映画

 4人の監督によるモノクロのオムニバス映画。パリの女性をヒロインにした軽いタッチのストーリー。今でいう「ラノベ」のようなものだ。みたことがあるような気がしていたが、たぶん初めて。ただ、もちろん、1970年代前半には私は年に300本以上映画をみていたので、忘れているのかもしれない。

 陽気で気のいい踊り子(ダニー・サヴァル)がたまたま男性と交流をもって大きな役を射止めるポワトルノー監督による第一話、きれいな人妻(ダニー・ロバン)が、かつての恋人に出会い、床下手だったといわれて腹を立てて誘惑し、男の心を惑わすミシェル・ボワロン監督の第二話、ニューヨークに住んでいた女性(フランソワーズ・アルヌール)が友人の恋人を誘惑するクロード・バルマ監督の第三話、少女(カトリーヌ・ドヌーヴ)が母の受け取った濃厚な愛の手紙を自分宛と偽って友達を騙そうとするうちに本当の恋に出会うマルク・アレグレ監督による第四話。いずれも肩の力を抜いて、パリに住む女性の生活や心理を軽いタッチで描いた作品に仕上がっていて、なかなか楽しい。

 フランソワーズ・アルヌールは好きな女優さんだった。懐かしい。が、なんといってもカトリーヌ・ドヌーヴのあまりの美しさ、あまりの初々しさにアッと驚く。大好きだった「シェルブールの雨傘」と同じような表情、同じような仕草。このブログでは軽い感想ばかり書いてはいるが本気になればかなりレベルの高い映画評論も書けると自負している私なのだが、この若いドヌーヴを前にすると、単に鼻の下を伸ばしたジイさんになってうっとりするしかない。

 

「激しい季節」 1959年 ヴァレリオ・ズルリーニ監督

 学生時代にイタリア映画はかなりみたが、ズルリーニの映画はあまりみていない。「激しい季節」は初めてみた。感動した。凄い映画だと思った。

 ファシストの大物を父に持つ青年(ジャン=ルイ・トランティニャン)には恋人(ジャクリーヌ・ササール)がいるが、海岸で小さな子供を手助けしたことから戦争未亡人であるロベルタ(エレオノラ・ロッシ=ドラゴ)と知り合い、激しい恋にのめりこんでいく。ロベルタは何度も青年から身を離そうとするが、それができない。ファシスト政権が崩壊し、バドリオ政権が成立。青年は特権をはく奪され、新たな身分証をもらいに行く途中、空襲に出会って二人は別れ別れになる。

 激しく恋する二人の気持ちが痛いほどに伝わってくる。トランティニャンの冷めた目で父親を見ながらも特権に甘んじている真面目な青年ぶりもとてもいい。が、やはりロッシ=ドラゴの気品ある女性の魅力が素晴らしい。家族からも若者グループからも冷たい目で見られながら惹かれあい、愛を深めあう二人が濃密に描かれる。白黒の画面の細部に至るまで激しい情念があふれているかのよう。第二次世界大戦下の曲折する状況の中で真実の愛を見つけてのめりこみ、別れざるを得なかった二人がとても悲しい。名作だと思う。

 

「憂国」 1966年 三島由紀夫 原作・監督・脚本・主演

 三島由紀夫は私の最も好きな日本人作家だ。好きな小説はたくさんあるが、実はその中でも最も好きなのが「憂国」だ。私はいわゆる「右翼」ではないのだが、政治的立場は別にして、これはとびぬけた傑作だと思っている。三島自身が監督・主演した映画「憂国」については、封切時は大分に住んでいたのでみられなかった。1970年代、三島自決事件ののちに、どこかの大学の上映会で初めてみた。映画としても大傑作だと思った。そして、それから50年近くがたって、ふたたびみた。やはり奇跡的な名作だと思った。

 新婚であるがゆえに、226事件の蜂起に誘われなかった陸軍中尉が同志を罰する立場になって自決を決意する。30分に満たない白黒の、しかも一切セリフなしの短編映画。全体にわたってオーケストラによる「トリスタンとイゾルデ」の音楽が鳴らされる。

 息をのむような、まさに「愛の死」の世界。能舞台を意識した簡素な舞台になっており、「至誠」と書かれた掛け軸の前の白で統一された世界で夫婦が愛を交わし、その後、夫は切腹、妻は喉を刃でついて自害する。白の中に黒い血が流れていく。純粋なる生と死と愛と聖なるものが交合する様がもっとも純粋に抽象化された形で描かれる。一部の隙も無く、完璧に構成され、純粋な世界に到達する。「トリスタンとイゾルデ」に酔うように、私はこの映画に酔った。これは「トリスタンとイゾルデ」の精神そのものだと思った。

 特典ディスクには、この映画の撮影にかかわった人々の座談会が収められている。三島が周到に準備し、細かいコマ割り、その秒数まで考え、「至誠」の文字はもちろん、配役表やストーリーの説明文(英語・仏語版も含めて)を三島が自分で書いたことが語られる。

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オペラ映像「ホフマン物語」「修道院での結婚」

 検査数が少ないので実数はわからないとはいえ、新型コロナウイルスの感染者数がかなり減ってきた。外出自粛の効果が出てきたのだろう。

 少し前まで、我が家に赤ん坊の声が聞こえていたが、赤ん坊はもう若夫婦の暮らすマンションに移った。今、家族のことで気になるのは、母だ。新型コロナウイルス感染拡大のために、母のいる老人ホームはもう3か月近く面会禁止になっている。今年93歳になる母は認知症が進みつつあった。家族と会えなくて寂し上がっているのかもしれない。認知症が進んでいるのかもしれない。だが、会うことができない。私と同じような状況にいる人は大勢いるだろう。もっと深刻な人も大勢いるだろう。早く収束に向かってほしい。

 そんななか、家ではオペラ映像を見たり、映画を見たり。オペラ映像を数本見たので、簡単な感想を書く。

 

「ホフマン物語」2018年 オランダ国立歌劇場

 あまりに斬新なバイロイトの「タンホイザー」演出で名をはせたトビアス・クラッツァーの演出による「ホフマン物語」。読み替え演出に好意的でない私は、今回の演出も不快になった。

 舞台上にいくつもの区画が作られ、3つ以上の小舞台に分けられている。それぞれで演技が行われる。ホフマンとミューズは同棲する若い芸術家の男女とされているようだ。全員が現代の服装をしている。ホフマンが過去に関係を持った女たちの話をするということなのだろう。だが、オランピアは機械人形ではなさそうだし、アントニアは喉を自分で切って自殺する。私にはそのような行為にどんな意味があるのか、よくわからなかった。わざわざこんなに複雑な舞台にして、意味ありげな行為を取る意味があるのだろうか。

 演奏的にはかなり良いと思う。ジョン・オズボーンのホフマンは、声に威力は見事。ただ、フランス的な雰囲気がなく、いかにもアングロ・サクソン的。アイリーン・ロバーツのミューズは声も美しく、しっかりと演じていた。ニーナ・ミナシャンのオランピアは個性的な声だが、頭抜けてはいない。アントニアを歌ったエルモネラ・ヤオ(名前に覚えがあったので確かめてみたら、2010年に神奈川県民ホールで「椿姫」のヴィオレッタを第一幕まで歌って、声が出なくなって途中交代したソプラノだった!)は素晴らしい。ジュリエッタのクリスティーヌ・ライスも蠱惑的でなかなかいい。

 ただ、リンドルフやコッペリウスなどを歌うアーウィン・シュロットがめちゃくちゃなフランス語で歌うのが興ざめ。また、フランツなどを歌うサニーボーイ・ドラドラ(南アフリカ出身の黒人歌手。それにしてもSunnyboy Dladlaという名前にどのような由来があるのだろう?)も音程が不安定で、私は聴くのがつらかった。

 カルロ・リッツィ指揮のロッテルダム・フィルは勢いはあるのだが少し直情的すぎてガサツな気がした。もっとしなやかなほうがこの複雑なオペラにふさわしいと思うのだが。

 

 

オッフェンバック 「ホフマン物語」1981年 ロイヤル・オペラ・ハウス

 読み替え演出の「ホフマン物語」に辟易したので、古いDVDをひっぱりだして古典的な上演をみた。ジョン・シュレシンジャー演出の名演として知られるもの。指揮はジョルジュ・プレートル。しなやかでフランス的エスプリがある。

 すべての役が素晴らしいが、その中でもホフマン役のプラシド・ドミンゴが圧倒的。このころのドミンゴの声の威力たるやすさまじい。オランピアのルチアーナ・セッラも美しい声。アントニアのイレアナ・コトルバスも薄幸の女性を美しく歌って素晴らしい。ただ、ジュリエッタ役のアグネス・バルツァは声は魅力的だが、めちゃくちゃなフランス語の発音にびっくり。シュロットのフランス語よりももっとすさまじい。その昔、ドイツ語の達者な知人がバルツァのドイツ語の歌(何の曲だったか忘れた)を聴いて、発音があいまいで聞き取れなかったと語っているのを思い出した。プレートルがよくもこのようなフランス語を許したと思う。

 それを除けば、本当に時代を代表する名演奏だと思った。

 

プロコフィエフ 「修道院での婚約」1997年 マリインスキー劇場

 NHKの放送だったか、あるいは別の機会だったか、この映像を、昔、一度みたことがあるような気がする。

 有名になる前のネトレプコがルイザを歌っている。とびぬけて綺麗でほれぼれする。古今東西歴代のオペラ歌手の中で第一位の美貌だと思う。ただ、歌のほうはまだ硬く、声も伸びていない。この少し後に大化けするとは思えないほど。

 とはいえ、全体的には素晴らしい上演だと思う。指揮はヴァレリー・ゲルギエフ。ゲルギエフらしく切れが良く、色彩的で、魂をざわざわさせる力を持っている。歌手もそろっている。クララ役のマリアンナ・タラーソワも容姿が美しく、声もしっかりしていて清純。付添人のラリッサ・ディアドコヴァも凄味があり、おかしみもある。いい味を出している。そして何よりも、ドン・ジェローム役のアレクサンダー・ゲルガロフが自由自在な歌いっぷりと見事な演技。このころからゲルギエフ率いるマリインスキー劇場の声望が世界中に響くようになったが、その力量がよくわかる。演出も、愉快で豪華で色彩的。

 嫌な相手と結婚させられそうになった娘が計略を用いて愛する男性と結ばれ、そのさなかにあれこれの誤解やごたごたが起こって、別の男女も結ばれる・・・というまるでドニゼッティの喜歌劇のような内容。だが、プロコフィエフだけあって、聞こえてくる音楽は斬新でクールでしかもとぼけていて、なかなかおもしろい。

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映画「エマ」「プライドと偏見」「嵐が丘」「ジェーン・エア」

 緊急事態宣言は期限をひと月ほど延長するという。予想されたことだが、日本の文化は取り返しのつかない痛手をこうむることになりそうだ。ともあれ、私にできることは、引き続き、なるべく外に出ないで、家で本を読んだり、BDDVDでオペラや映画をみたりすることしかない。

 ただ、先日まで私の家にいた妊婦が、幸い、妊婦でなくなり、その代わりに親族が一人増えた。我が家では数日前から幼い泣き声が聞こえている。それもあって、家にいても、それほどつらい思いはしないで済んでいる。

 そんな中、自宅で古い映画を数本みた。いずれも英国の女流作家の小説が映画化されたものだ。私は英米の女流文学は苦手で、数えるほどしか読んでいない。高校生のころ、「嵐が丘」を読んで、これをおもしろいと思う人間がいるなんて信じられん!と思ったし、大学に入ってから、「自負と偏見」を読み始めて、あまりにつまらないので、途中で放棄した。

 たぶんこれからもイギリスの女流作家の小説を読むことはなさそうなので、せめてそれらを原作とする映画だけでもみようと思った。

 

「エマ」 1996年 ダグラス・マクグラス監督

 ジェーン・オースティン原作。田舎の上流階級の娘エマが周囲の男女を取り持とうとするが、人の心の機微もわからず、人の品格を見抜く力もないエマは善意が空回りするばかりで、むしろ人を傷つけ、邪魔してしまう。が、エマも失敗するごとに、人々の繊細な心を理解するようになり、ともあれ、エマの活躍によって最後には丸く収まってエマ自身も恋を成就する。

 エマを演じているのはグィネス・バルトロー。明るくて美しくてとてもチャーミング。嫌味なく人々の心を描き、社会を描く。私は原作を読んでいないので、原作と比べることはできないが、とても魅力的なヒロインだと思う。そのほかの俳優たちも存在感がある。楽しい映画だった。ただ、それ以上のことを、この映画からくみ取ることはできなかった。

 

「プライドと偏見」 2005年 ジョー・ライト監督

 かつて、「自負と偏見」というタイトルで読み始めて、途中で挫折したオースティンの小説の映画化。恋愛映画としてはとてもよくできていると思った。

 農村のベネット家の美人五人姉妹。次女のエリザベス(キーラ・ナイトレイ)は上流階級のダーシー(マシュー・マクファディン)に強い印象を受ける。二人ともプライドが強く、自分とは別の階級への偏見があってなかなか素直になれないが、二人は惹かれあい愛し合うようになる。そのようなありがちな恋の物語が生き生きと描かれる。

 娘を金持ちと結婚したがっている善良だが、計算高い母親(ブレンダ・ブレッシン)、物静かにエリザベスを愛す父親(ドナルド・サザーランド)、恋に悩む長女ジェーン(ロザムンド・パイク)などとても魅力的に人物が描かれる。18世紀末の階級社会に生きる男女の気持ち、社会のありかたがリアルに描かれていて説得力がある。

 シューベルのソナタのようなピアノ曲が流れる。ジャン・イヴ・ティボーデのピアノだという。彼のオリジナルの曲だろうか。きれいな映像にマッチしている。

 とても楽しめたが、大学生の私がこの原作を途中で放棄したのも当然だと思った。当時私は、ドストエフスキーやらカフカやらサルトルやらに夢中だった。そんななまいきな大学生は、こんなもの読むにたえんと思うに違いない。

 

「嵐が丘」 1992年 ピーター・コズミンスキー監督

 50年以上前にエミリー・ブロンテの原作を読んで、確かにこのような光景を思い描いていたのを思い出した。ヒースクリフもこんな雰囲気だったし、キャシーもイメージ通り。ストーリーもわかりやすく、とてもよくできた映画だと思う。キャシーを演じるジュリエット・ビノシュはとても魅力的で、芯の強い女性を見事に演じていると思う。ヒースクリフのレイフ・ファインズもぴったりだと思う。

 ただ、映画としてあまり説得力を感じない。原作がどうだったかよく覚えていないのだが、これではヒースクリフは単なるストーカー気質のDV男でしかない。粗野な魅力が描かれていない。映像も少しきれいすぎる気がする。

 原作によるのかこの映画化によるのかよくわからないが、やはり私は、この生真面目で深刻な激情の物語にはついていけない。鬱陶しくて仕方がない。後半、神という言葉は現れるが、そこに深い形而上学が示されるわけでもない。一言で言って、私の好みの映画ではなかった。

 

「ジェイン・エア」 1995年 フランコ・ゼフィレッリ監督

 いわずと知れたシャーロット・ブロンテ原作の小説に基づく映画。高校生の頃、「嵐が丘」を読んで、ブロンテ姉妹に対する偏見を抱いたために、この原作は読んでいない。ストーリーさえもこれまでまったく知らなかった。

 原作も映画と同じような雰囲気だとすれば、「嵐が丘」に比べてずっと鬱陶しくない。ただ、徹底的に恋愛物語であって、私はそれ以上のものをここからくみ取ることはできない。

 さすがゼフィレッリというべきか、わかりやすく、しかも素直に感情移入でき、登場人物のみんながとても生き生きとしてリアリティがある。シャルロット・ゲンズブール(彼女の衝撃の初主演作「なまいきシャルロット」を封切時にみた記憶がある)がとても魅力的。ウィリアム・ハートのロチェスターもいい。不幸な過去を持つ二人の心の絆が見事に描かれている。

 ただ、少女時代の親戚からのいじめ体験や、理不尽な寄宿舎での仕打ちは、あまりにありきたりでリアリティを感じなかった。もう少し、時代性と絡めて、偽善的なキリスト教社会をえぐってくれれば、もっとリアリティが増したのではないかと思った。

 英国女流文学作品の映画化を4本みたことになるが、やはり私の好みではないと改めて思った。60年近く前から私はこれらとは異なる教養を求めてきたのだと痛感した。

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