映画「チャタレイ夫人の恋人」「パリジェンヌ」「激しい季節」「憂国」
39県で緊急事態宣言の解除がなされたが、もちろん私の暮らす東京都はまだ自粛が続いている。典型的な室内型人間であって、部屋にこもることにさほどの苦痛を感じない私も、さすがにストレスを感じ始めている。が、あと少しの我慢。
DVDを購入して数本の映画をみたので、簡単な感想を書く。
「チャタレイ夫人の恋人」 1995年 ケン・ラッセル監督
高校生のころ、サド裁判が話題になったとき、「美徳の不幸」(澁澤龍彦訳)を読んで、衝撃を受け、「確かにこれは凄まじい!」と思った。大学生になってからだったと思うが、チャタレイ裁判が話題になったので、同じような衝撃を味わえるかと思ってドキドキしながら、D.H.ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」(伊藤整訳)を読んでみた。これが何で裁判になるのかよくわからなかった。原作については、そんなことくらいしか覚えていない。
BBCのテレビドラマを劇場公開用にまとめたものだという。とてもきれいな映画。ケン・ラッセル監督の映画は何本か見ているので、もっと過激かと思ったら、意外とおとなしい。チャタレイ夫人役のジョエリー・リチャードソンがあまりに美しい。メラーズ役のショーン・ビーンも野性的な門番を見事に演じている。美しい森の中でのおおらかなセックス、がんじがらめの上流社会の対比もとても分かりやすい。
原作についてはまったくといってよいほど覚えていないので、何とも言えないが、映画としてとてもおもしろかった。途中、チャタレイ夫妻がプルーストについて語り合う場面がある。文体に凝り、人間性を分析し、知的に世界を見つめるプルーストをチャタレイ夫人は批判する。チャタレイ夫人はまさしくプルースト的な書斎的で知的な世界へのアンチだったのだろう。その意味では、私も素直に感動することができた。
「パリジェンヌ」 1961年 オムニバス映画
4人の監督によるモノクロのオムニバス映画。パリの女性をヒロインにした軽いタッチのストーリー。今でいう「ラノベ」のようなものだ。みたことがあるような気がしていたが、たぶん初めて。ただ、もちろん、1970年代前半には私は年に300本以上映画をみていたので、忘れているのかもしれない。
陽気で気のいい踊り子(ダニー・サヴァル)がたまたま男性と交流をもって大きな役を射止めるポワトルノー監督による第一話、きれいな人妻(ダニー・ロバン)が、かつての恋人に出会い、床下手だったといわれて腹を立てて誘惑し、男の心を惑わすミシェル・ボワロン監督の第二話、ニューヨークに住んでいた女性(フランソワーズ・アルヌール)が友人の恋人を誘惑するクロード・バルマ監督の第三話、少女(カトリーヌ・ドヌーヴ)が母の受け取った濃厚な愛の手紙を自分宛と偽って友達を騙そうとするうちに本当の恋に出会うマルク・アレグレ監督による第四話。いずれも肩の力を抜いて、パリに住む女性の生活や心理を軽いタッチで描いた作品に仕上がっていて、なかなか楽しい。
フランソワーズ・アルヌールは好きな女優さんだった。懐かしい。が、なんといってもカトリーヌ・ドヌーヴのあまりの美しさ、あまりの初々しさにアッと驚く。大好きだった「シェルブールの雨傘」と同じような表情、同じような仕草。このブログでは軽い感想ばかり書いてはいるが本気になればかなりレベルの高い映画評論も書けると自負している私なのだが、この若いドヌーヴを前にすると、単に鼻の下を伸ばしたジイさんになってうっとりするしかない。
「激しい季節」 1959年 ヴァレリオ・ズルリーニ監督
学生時代にイタリア映画はかなりみたが、ズルリーニの映画はあまりみていない。「激しい季節」は初めてみた。感動した。凄い映画だと思った。
ファシストの大物を父に持つ青年(ジャン=ルイ・トランティニャン)には恋人(ジャクリーヌ・ササール)がいるが、海岸で小さな子供を手助けしたことから戦争未亡人であるロベルタ(エレオノラ・ロッシ=ドラゴ)と知り合い、激しい恋にのめりこんでいく。ロベルタは何度も青年から身を離そうとするが、それができない。ファシスト政権が崩壊し、バドリオ政権が成立。青年は特権をはく奪され、新たな身分証をもらいに行く途中、空襲に出会って二人は別れ別れになる。
激しく恋する二人の気持ちが痛いほどに伝わってくる。トランティニャンの冷めた目で父親を見ながらも特権に甘んじている真面目な青年ぶりもとてもいい。が、やはりロッシ=ドラゴの気品ある女性の魅力が素晴らしい。家族からも若者グループからも冷たい目で見られながら惹かれあい、愛を深めあう二人が濃密に描かれる。白黒の画面の細部に至るまで激しい情念があふれているかのよう。第二次世界大戦下の曲折する状況の中で真実の愛を見つけてのめりこみ、別れざるを得なかった二人がとても悲しい。名作だと思う。
「憂国」 1966年 三島由紀夫 原作・監督・脚本・主演
三島由紀夫は私の最も好きな日本人作家だ。好きな小説はたくさんあるが、実はその中でも最も好きなのが「憂国」だ。私はいわゆる「右翼」ではないのだが、政治的立場は別にして、これはとびぬけた傑作だと思っている。三島自身が監督・主演した映画「憂国」については、封切時は大分に住んでいたのでみられなかった。1970年代、三島自決事件ののちに、どこかの大学の上映会で初めてみた。映画としても大傑作だと思った。そして、それから50年近くがたって、ふたたびみた。やはり奇跡的な名作だと思った。
新婚であるがゆえに、2・26事件の蜂起に誘われなかった陸軍中尉が同志を罰する立場になって自決を決意する。30分に満たない白黒の、しかも一切セリフなしの短編映画。全体にわたってオーケストラによる「トリスタンとイゾルデ」の音楽が鳴らされる。
息をのむような、まさに「愛の死」の世界。能舞台を意識した簡素な舞台になっており、「至誠」と書かれた掛け軸の前の白で統一された世界で夫婦が愛を交わし、その後、夫は切腹、妻は喉を刃でついて自害する。白の中に黒い血が流れていく。純粋なる生と死と愛と聖なるものが交合する様がもっとも純粋に抽象化された形で描かれる。一部の隙も無く、完璧に構成され、純粋な世界に到達する。「トリスタンとイゾルデ」に酔うように、私はこの映画に酔った。これは「トリスタンとイゾルデ」の精神そのものだと思った。
特典ディスクには、この映画の撮影にかかわった人々の座談会が収められている。三島が周到に準備し、細かいコマ割り、その秒数まで考え、「至誠」の文字はもちろん、配役表やストーリーの説明文(英語・仏語版も含めて)を三島が自分で書いたことが語られる。
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コメント
樋口先生、ご無沙汰いたしております。お元気でしょうか。シベリアでご一緒させていただいた住矢です。久しぶりに先生のブログを拝見させていただいたところ「憂国」に触れられていたので思わずコメントを書いてしまいました。
私は学生時代に三島由紀夫にハマってほぼ全作品を読破しましたが、この「憂国」と最晩年の「豊饒の海」だけは読む機会を逸してしまっていました。ちょうど今年が50年目の憂国忌に当たりますが、45年目にあたる5年前、初めて「憂国」を読み、あまりの興奮で夜も眠れなかったことを思い出しました。三島の文章はどれも惚れ惚れとする名文ですが、この「憂国」のなんと表現してよいか、深遠な静謐な透明な文章に陶酔してしまったのです。もちろん私も右翼ではありませんが、この時代を生きた男子として、このような愛の結末を迎えることは一種の誉れのような気がいたしました。憧憬を覚えました。素晴らしい小説でした。久しぶりにその興奮を思い出しました。
今、もう一つの未読作品である「豊饒の海」を読み始めています。これも今まで読まなかったことを悔いるくらいの名作だと思います。1頁1頁を大事に読み進めたいと思っています。
ときどきまた、こちらに立ち寄らせていただきます。先生の投稿を楽しみにしております。大変な時季ですが、くれぐれもご自愛ください。
投稿: 住矢 行夫 | 2020年5月26日 (火) 23時02分
住矢 行夫 様
ご無沙汰しています。
そうでした。住矢さんがFacebookに「憂国」について書かれていたのを読んで、私もとてもうれしく思ったのを覚えています。「金閣寺」も「午後の曳航」も「鏡子の部屋」もいいが、なんといっても「憂国」だとずっと思っていました。三島の言葉に酔いますね。
ハバロフスク、ウラジオストクをまた訪れたいと思い、友人とシベリア旅行を企画していた矢先の新型コロナウイルス流行でした。初めの予定では、ちょうど今頃、シベリアで遊んでいる予定だったのですが! ご自愛ください。
投稿: 樋口裕一 | 2020年5月27日 (水) 20時42分