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新作映画「ルース・エドガー」 ファノンはアメリカでは危険思想家?

 緊急事態宣言も解除されて、映画館でも上映されるようになった。再開後の最初の映画として、アメリカ映画「ルース・エドガー」(ジュリアス・オナー監督)をみることにした。やはり、映画は映画館でみるのが一番。

 とても良い映画だった。サスペンスにあふれ、最後まで展開がわからず、しかもアメリカの黒人として生きることについて鋭く切り込み、政治や社会について重いテーマを投げかけている。

 黒人高校生のルース(ケルヴィン・ハリソン・ジュニア)は高校を代表する優等生だが、学校のレポートでフランツ・ファノンの立場に立ってて暴力革命を肯定する内容を書いてしまう。社会科の黒人女性教師ウィルソン(オクタヴィア・スペンサー)がルースの養母(ナオミ・ワッツ)を呼び、注意する。そのことから怒りを覚えたルースは策略を使ってウィルソンを追い込み学校を免職にさせる。

 ルースは7歳までエリトリアで暴力的な社会で暮らし、その後、アメリカの白人の両親の里子に引き取られたのだった。本当の名前は発音できないような音だったので、ルースと名前を変えられ、アフリカの暴力的な要素を両親に押し殺されて育つ。両親はできる限りの愛情を注ぐが、そうすればするほど、ルースは親の期待通りの人間になることにストレスを感じている。白人に対する怒りや社会の矛盾へのわだかまりを押さえつけ、両親を愛そうとしてきたが、乗り越えられない壁に気づいて、それが爆発する。ウィルソンを追い詰めるが、ウィルソンもまた同じように黒人として白人社会に適応しようとして生きてきたことをルースは知る。最後、ルースは母に縋り付いて、家族愛を認識するが、果たしてそれが本心なのかどうかはわからない。

 どうにも埋めようのない黒人と白人の壁。白人社会で迎合して生きていくのか、それともアフリカの血にアイデンティを見出すのか。アメリカの黒人の持つ生まれながらのジレンマが示される。

 この映画では、ルースはイスラム教原理主義ではなく、ファノンの思想に惹かれたことになっている。だが、実はこのファノンの思想はイスラム教原理主義の置き換えだろう。そう考えると、イスラム過激派に惹かれていくアフリカ系の人々の気持ちはこのようなものなのだろうと納得がゆく。

 とはいえ、ファノンの思想でさえもこのようにとらえられるのかと、私は少々意外だった。

 むかし、アフリカ文学に関心を持ってあれこれ読み漁っていたころ、ファノンの文章はいくつか読んだ記憶がある。むしろとても納得のゆく内容で、それほど危険視されているとは思わなかった。だが、確かにアメリカ社会では、(そして、おそらく西欧社会でも)、この映画のようにとらえられて当然だろう。アフリカの黒人は黒人の独立を主張し、1960年代に黒人国家を次々と誕生させていった。その背景にあるのはファノンの思想だった。まさにファノンの思想はアフリカの独立国家の基盤の思想ともいえるものだろう。ところが、アメリカや西欧は違った。アメリカや西欧でアフリカの国々の国民と同じ思想を持つことは過激分子ということになってしまう。

 最後になっても、ルースの心の底はわからない。解決を見ないままこの映画は終わる。観客としてはもう少し明確に示してほしいところが、そうすると映画のリアリティは失われたことだろう。これからも続く黒人の葛藤をこの映画の幕切れは暗示している。

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