神フィル再開公演 「運命」の第4楽章に圧倒された
2020年7月23日みなとみらいホールで神奈川フィルハーモニー管弦楽団再開公演を聴いた。指揮は川瀬賢太郎。曲目は前半にリヒャルト・シュトラウスの13管楽器のためのセレナード作品7とチャイコフスキーの弦楽セレナードハ長調作品48。後半にベートーヴェンの交響曲第5番(運命)。
別の曲のつもりでチケットを購入したような気がする(ラヴェルやバルトークが予定されていたはず)が、新型コロナ対策のために、楽器が少なくて済むこれらの曲に変更になったようだ。神奈川フィルも4か月ぶりの公演だということ。隣の席を空けて、全席でせいぜい500名くらいの聴衆だっただろうか。帰りも、一斉に席を立つのではなく、エリアごとに順番に退席するように指示があった。
私自身も新型コロナウィルスのために3ヶ月ほどコンサートに足を運べなかった。3ヶ月もの間、なまの音楽を聴かないということは、おそらくこの20年くらいなかったと思う。コンサート禁断症状が出かかっていた。
ただ残念ながら、やはり演奏は精妙さに欠ける。リハーサル不足を感じないわけにはいかない。逆に言えばそれほどオーケストラは普段からの顔合わせても演奏が重要だということだろう。
もちろん、しっかりした音にはなっている。だがシュトラウスもチャイコフスキーも、きちんと音が合うだけでは、その魅力は立ち現れない。川瀬の指揮ぶりによってどういう音にしたいのか、オーケストラ団員がどのような音楽を目指しているのかが想像できるのだが、オーケストラからはしなやかにうねってロマンティックな香りのある精妙な音は出てこなかった。
ベートーヴェンの交響曲第5番も同じような雰囲気を感じた。もちろん盛り上がる。気迫が伝わってくる。だが、気迫が空回りしているところがある。
とはいえ、第4楽章になったら、もうそんなことは言っていられない事態になった。突如、団員たちの音楽を演奏したいという気持ちが爆発したかのように、音楽が生きてきた。ちょっと粗いところもあるし、音がずれている感じがしないでもないが、そんな小さなことはどうでもよくなる。
1947年のフルトヴェングラーのベルリンフィル復帰公演で演奏された第5を思い出した。ミスも多く、アンサンブルもめちゃくちゃ。しかし、ものすごい気迫で押しまくり、聴く者を圧倒させずにはいない。神奈川フィルの演奏にもそれと同じようなものを感じた。怒涛の音楽になって曲は終わった。
やっぱり音楽は素晴らしい。やっぱりベートーヴェンはすごい。やっぱり人間は音楽なしには生きていけない。聴きながらそう思った。
コンサートの後、拍手の中で川瀬さんがマイクを握って客席に向かって語り始めた。「音楽がなければ生きていけない」といいたかったようだ。が、言葉に詰まった。しばらく言葉が出てこなかった。私ももらい泣きしかけた。客席の多くがそうだっただろう。
完璧な演奏ではなかった。だが、何はともあれ、なまの音楽は人の心を高揚させる。生きる力を心の奥底から引きずり出してくれる。少々の欠点なんて、なまの音楽の圧倒的な力に比べたらたいしたことではない。そう思った。
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