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ヴァルダの映画「ポワント・クールト」、クレマンの映画「生きる歓び」

「ポワント・クールト」 1954年 アニェス・ヴァルダ監督 

 ヴァルダの映画を数本立て続けに岩波ホールでみたが、「ポワント・クールト」がDVDで発売されたので、早速購入した。素晴らしい映画だと思った。ポワント・クールトとは狭い岬のこと。舞台となっている南仏の町セット(ポール・ヴァレリーの故郷。40年近く前、私はこの土地を通り過ぎた記憶がある)の海辺を指す。

 ヌーヴェル・ヴァーグはここから始まったといわれるだけあって、ゴダールやアラン・レネをほうふつとさせる作風。

 夫の故郷であるセットの浜辺にやってきた夫婦(フィリップ・ノワレとシルヴィア・モンフォール)を縦軸に、海辺の人々の生活が描かれる。夫婦は、レネの「去年、マリエンバードで」の中の男女のように観念的な言葉をぼそぼそと話しながら海辺を歩き回る。妻は夫の浮気をきっかけに離婚を考えている。夫は静かに引き留める。最後には妻は復縁を決意する。海辺では、漁師たちが役人を出し抜いて禁漁地域で漁をし、若い男女が恋をし、小さな子どもが病死し、祭りが開かれている。まさに生と死が静かに渦巻いている。モノクロの詩的な映像が激しい怒りと悲しみと愛憎を抽象化し、純化する。きわめて抽象的だが、同時にきわめてリアル。そのような奇跡をこの映画はなしている。

 ヴァルダの猫好きは知っていたが、この映画には執拗なほどに猫が出てくる。ほとんどの場面に何らかの形で猫が姿を現しているのではないか。海の中に浮かぶ猫の死体も映る。猫。これほど生と死を強く感じさせる動物はいない。私は猫が大嫌いで、猫を見るだけ不快になる(私はヴァルダ・ファンなのだが、ヴァルダの映画を見るとしばしば猫が登場するので閉口している!)のだが、私が猫嫌いなのは、おそらく生と死を目の前に突き付けられるような気がするからだ。この映画は、静かに、しかし強烈に生と死を突き付けてくる。

 フィリップ・ノワレは好きな俳優だが、これがデビュー作だという。若い! 女優さんもとても魅力的な顔つき。そのほかの人々は本職の役者ではなく、土地の人だろう。どの顔もその人の生きてきた姿をしっかりと描き出している。一つ一つの映像、一人一人の顔がそれだけで芸術だと感じる。

 久しぶりの心の奥から感動する映画をみた。

 

「オペラ・ムッフ」 1958年 アニェス・ヴァルダ監督

 17分の短編映画。ムッフというのは、パリのムフタール通りのことらしい。男女のヌードやムフタール通りの市場や商店などが映し出される。脈絡のない映像詩とでも呼ぶべきもの。音楽と字幕だけでつづられる。「ダゲール街の人々」と同じように、町に対する、そしてそこを行きかう人々に対するオマージュと呼べるような映画だ。ここでも人々の顔がとても魅力的だ。もちろん、美男美女ばかりではない。老若男女の様々な顔が映し出される。17分を超すと、これだけでは退屈するが、この時間であれば、一つ一つの顔の中に人生を感じて過ごすことができる。顔はそれだけで芸術である、と強く思う。

 

「生きる歓び」 1960年 ルネ・クレマン監督

 これまでこのブログで、古い映画の感想を書く際、しばしば「以前みたつもりだったが、どうやら今回初めて」といった文を加えてきた気がする。今、それについて自信がなくなっている。

 というのは、「生きる歓び」は絶対に間違いなく、1970年代にみた。かなり期待してみたが、まったくおもしろくないと思ったのをよく覚えている。で、今みたらどうだろうと思って、50年ぶりくらいにみた。ところが、まったく覚えていなかった! 1秒たりと記憶のある場面がなかった。してみると、私はこれまで、「みたつもりだったが、今回初めて」というのは、実は私が単に映画の内容を完璧に忘れているだけなのかもしれない。

 で、今回みたが、やはりつまらなかった。1920年代が舞台になっている。ユリウス(アラン・ドロン)は孤児として育ち、兵役を終えて仕事がなく、食べるために黒シャツ隊に入隊する。反体制的なビラを作った印刷所に調べに行くが、そこの娘に恋をして、そのまま印刷所で勤め始める。印刷所は経営者一家や従業員がみんなアナキストで、ユリウスはなりゆきから正体を偽って潜入しているアナキストの大物を装う。あれこれあって、ともあれ平和にすべてが収まる。コメディだとのこと。ただ、別に笑うところはなかった。

 警官とアナキストたちが和気あいあいとやっていたり、国家的な行事のたびにアナキストたちはお決まりで牢獄に入り、しかも抜け道があって、何人もがそこから一時的に脱獄したり・・・といった牧歌的なストーリー。ただ、そこにあまりリアリティを感じないし、おかしみも感じない。

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