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オペラ映像「イル・トロヴァトーレ」「シモン・ボッカネグラ」「サンドリヨン」

 ウナギが好きだ。そのほかの魚料理も大好きだ。友人とウナギやら魚料理やらの店に行こうと約束をしていたのだが、いずれも感染者増加のために二の足を踏んでいる。私はかろうじて70歳以上ではないので、致死率が高いといわれる年齢に含まれていないが、危険であることに変わりはない。

 そんななか、オペラ映像を数本見たので感想を書く。

 

ヴェルディ 「イル・トロヴァトーレ」 2019年 アレーナ・ディ・ヴェローナ

 レオノーラを歌うアンナ・ネトレプコを目当てに購入。で、予想通り、ネトレプコが圧倒的に素晴らしい。高音の響きの美しさ、全体の声のコントロール、けなげで気高いレオノーラの造形、すべてにおいて完成度が高い。容姿も含めてほれぼれし、感情移入できる。マンリーコを歌うユシフ・エイヴァゾフ(確か、現在のネトレプコの結婚相手)も、ルーナ伯爵のルカ・サルシもフェルランドのリッカルド・ファッシもとてもいいが、コントロールの完璧さという点では、やはりネトレプコには及ばない。アズチェーナのドローラ・ザジックは少し年齢を重ねすぎて声が伸びず、イネス役のエリザベッタ・ツィッツォは若すぎて声が硬い。

 アレーナでの上演なので、オーケストラの精度はあまり高くないが、ピエル・ジョルジョ・モランディの指揮するアレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団は、なかなかにドラマティック。演出はなんとフランコ・ゼフィレッリの古いもの。しかし、さすがに定番というか、豪華にして絢爛。リアリティもある。動きの一つ一つも音楽にぴたりと合っている。

 ただこのオペラを見るたびに思うのだが、私はやはりこの荒唐無稽さについていけない。設定の不自然さはまだ許容できるのだが、アズチェーナが取り違えて実の息子を殺してしまい、敵の子供を育ててしまったと、当の息子であるマンリーコに語って聞かせるあたりから、私の心はドラマから離れる。そのあとは音楽の迫力も空虚に感じられる。「物語は荒唐無稽だけど、音楽が素晴らしい」と多くの人が言うので、私もたびたび挑んでみるのだが、結局は自分が音楽人間ではなく、やはり根っこのところで文学人間なのだと納得して終わる。

 

ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 2019年 ザルツブルク祝祭大劇場

 大変な名演だと思う。すべてが充実している。

 シモンを歌うルカ・サルシがまず素晴らしい。観たばかりの「トロヴァトーレ」でルーナ伯爵を歌って、ところどころ声をコントロールできていないところを感じたが、もしかしたらそれは野外劇場だったせいかもしれない。こちらでは安定した見事な歌いっぷり。そして、フィエスコのルネ・パーペがまさに圧倒的。凄味がある。サルシとパーペの場面は凄さにぞくぞくしてくる。悪役パオロを歌うアンドレ・エイボエールもまったく引けを取らない。このオペラはバス・バリトンの低音の凄味が魅力だが、それを最高レベルで作り出している。

 テノールのガブリエーレ役を歌うチャールズ・カストロノヴォも素晴らしい。見事な美声でコントロールもしっかりされており、容姿もいい。これからの時代を作る「イケメン」テノールの代表だろう。アメーリアのマリーナ・レベカもこれらの名だたる男たちに交じって紅一点。清澄で高貴で強い声。物語の中心になる女性を見事に演じている。

 ウィーン・フィルを指揮するのはワレリー・ゲルギエフ。さすがの指揮ぶり。緊迫感にあふれ、どす黒い欲望と清らかな愛と人間と愛憎の世界を緻密に描く。

 演出はアンドレアス・クリーゲンブルク。現代の服装で、無機的な総督の館を中心に舞台が作られている。民衆はスマホばかりをみて政治にかかわろうとせず、一体感を作ろうとしない。そうした民衆の中で政治に携わる権力者たちの血なまぐさい闘争が行われている。現代を風刺しているのだろう。

 このオペラは物語としても面白く、私はヴェルディの大傑作の一つだと思う。私はイタリアオペラを聴くようになって日が浅いので、まったくもって素人の好みでしかないのだが、愛するものを思おうとする男たちの物語に心が熱くなる。私はヴェルディの作品の中で、「ドン・カルロ」「椿姫」「ファルスタッフ」と並んで、このオペラが好きだ。

 

マスネ 「サンドリヨン」 (1899) 全曲 2019年 グラインドボーン音楽祭

 マスネの「サンドリヨン」は、ディズニーなどの「シンデレラ」と異なって、孤独なサンドリヨンを名付け親の妖精が救い、悩める王子をサンドリヨンが救うという要素が強調され、夢の中のようなファンタジックな愛の世界が展開される。王子を歌うのがメゾ・ソプラノなので、聞こえてくる声のほとんどが女声。すべてが不確定で、曖昧で、まさに夢の中。そんなオペラだ。

 この映像をみると、このオペラがこのような夢の中の世界を描くものだったことに改めて気づく。

 三人の女性歌手が本当に素晴らしい。サンドリヨンのダニエル・ドゥ・ニースはしっかりした声で美しく歌う。シャルマン王子役のケイト・リンジーは、悩める王子をしなやかに繊細に歌う。音程のしっかりした清澄な美声。それにも増して、驚くほどの美声なのが、名付け親の妖精を歌うニーナ・ミナシヤンだ。妖精にぴったり。神々しいまでに澄み切っている。

 そのほか、頼りない父親パンドロフを歌うライオネル・ロートも、憎々しい継母を歌うアグネス・ツヴィエルコも芸達者でしっかりと歌って見事。二人の姉も含めて穴がない。

 ジョン・ウィルソンの指揮するロンドン・フィルハーモニー管弦楽団も、豊饒で繊細な音。マスネの求めていたのもこのような音なのだろう。

 オリジナル演出はフィオナ・ショウ、再演新演出はフィオナ・ダンという。ローラン・ペリーの演出として私たちが知っているような雰囲気。舞台全体にしなやかな躍動があり、奇抜な動きがある。フランス的なエスプリにあふれ、おしゃれでファンタジックな世界が展開される。

 かなり女性的な世界だと思う。実をいうと私の趣味ではないが、それはそれで素晴らしい上演だと思った。

 

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