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ブリテンのオペラ映像「ピーター・グライムズ」「ルクレツィアの凌辱」「ビリー・バッド」「グロリアーナ」「ヴェニスに死す」

 もちろん、ブリテンがたくさんのオペラを書いていることは知っていた。「ピーター・グライムズ」と「ねじの回転」は映像でもみたことがあり、なかなかいいオペラだと思っていた。が、もともと私は英米の音楽をあまりおもしろいと思わない。エルガーもディーリアスも退屈で仕方がない。バーンスタインもみんなが言うほどおもしろいとは思えない(演奏についても作品についても)。だから、これまでブリテンにも積極的には触れずにいた。

 しばらく前にDVD7枚組のオペラ作品集購入していたものの、我が家の装置との相性が悪く、どのDVDもなぜか大きな雑音が混じってかけることができなかった。残念だったが、ブリテンだったら、みられなくてもまあいいかと考えていた。先日、装置を買いなおしてやっとみることがでた。そして、あまりのすばらしさに驚嘆。いやあ、すごい作曲家だ。20世紀中期以降にオペラを作曲した最大の作曲家だと確信した。これまで軽んじていたことを恥じる。

 そんなわけで、5本のオペラについて、簡単な感想を記す。

 

「ピーター・グライムズ」 2012年 ミラノ・スカラ座

 まず何よりも若き俊英ロビン・ティチアーティのあまりに切れの良い指揮ぶりに驚嘆する。ドラマティックで鋭く、スピード感にあふれている。人の心の奥底を刺激して、人間の孤独と絶望をえぐるこのオペラを存分に描き切っている。戦慄的な和音、むずむずするような音が腹の底に響く。

 歌手陣も充実している。ピーター・グライムズを歌うのはジョン・グレアム=ホール。否応なく虐待してしまう中年男の孤独と意地を見事に歌う。顔の演技力もなかなか。エレン役のスーザン・グリットンも、地味な色気が漂う誠実な女性をうまく演じている。そのほかの歌手陣はみんながそろっている。ミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団も文句なし。

 演出はリチャード・ジョーンズ。現代の服装をして、色鮮やかな服を着た人々の群集劇として描いている。色鮮やかな群衆を出すことによって、いっそうピーターの孤独が浮き彫りになる。ピーター自身を筆頭に、善良な市民でありながらも底意地の悪い人々が浮き彫りにされる。作品として実に充実している。まさに現代の古典というべき作品。

 

「ルクレツィアの陵辱」 2001年 オールドバラ音楽祭

 実演はもちろん、映像でも、これまでこのオペラをみたことがなかった。これは「ペーター・グライムズ」以上の名作だと思った。「凌辱」などというちょっとぼかした和訳になっているが、英語タイトルは「ザ・レイプ・オブ・ルクレツィア」。まさしくレイプシーンがあり、そのすさまじさには言葉もない。

 男女の語り手が登場し、登場人物と観客の間の心のやり取りを歌う。ギリシャ悲劇のコロスの役割だ。確かに、この二人の語り手によって、古代の凄惨なドラマが現代の普遍的な物語になり、同時にレイプというあまりに直接的な行為が抽象的になる。

 ルクレツィアを歌うサラ・コノリーはきれいで伸びのある声。ターキニアス役のクリストファー・マルトマンは、精悍でたくましく、情欲に駆られて人間の尊厳を踏みにじる男を実に見事に演じている。英国人歌手なのだと思うが、みんな実に演技力がある。二人の語り手も見事。脇役に至るまで声も完璧にコントロールしており、仕草や顔の表情など、神経が行き届いている。

 指揮はポール・ダニエル。私の知らない指揮者だが、腕は確か。イングリッシュ・ナショナル・オペラ管弦楽団もしなやかな音を出す。デイヴィッド・マクヴィカーの演出も、古代の威厳を保ちつつ、人物のキャラクターを明確に示し、悲劇を静かに盛り上げる。

 

「ビリー・バッド」  2010年 グラインドボーン音楽祭

 ブリテンのオペラ作曲家としての力量に圧倒される作品だ。これもまさに名作! 大いに感動した。女性が一切登場しない男だけのオペラ。知を代表する艦長ヴィア、善を代表するビリー・バッド、悪を代表するクラガードの三者の息もつかせないほどの葛藤とせめぎあいがオペラによって展開する。

 上演も素晴らしい。マーク・エルダーの指揮するロンドン・フィルが緊張感にあふれた美しい音で観客の心をつかむ。マイケル・グランデージの演出も圧倒的な推進力で物語を進める。歌手陣も文句の付け所がない。ヴィア艦長のジョン・マーク・エインズリーは、この役にふさわしい知的な歌唱で折り目正しく、実に美しい。ビリー・バッドのジャック・インブライロも善良で生真面目な役をしっかりと歌う。そして、クラガートのフィリップ・エンスは邪な悪の化身を説得力を持って演じている。いずれも音程がよく、しかも容貌も役にふさわしい。理想的な上演だと思う。

 これまで「ピーター・グライムズ」や「ねじの回転」のオペラ映像をみて、ブリテンというのはなかなかいいオペラ作曲家だという認識があったが、これをみて、そんなレベルではない、とてつもない大作曲家であることを強く認識した。

 

「グロリアーナ」 2013年 ロイヤルオペラ(コヴェント・ガーデン)

 英国史に疎い私は今回初めて知ったが、グロリアーナ(栄光ある女性)とはエリザベス1世を指すらしい。ロッシーニやドニゼッティに多い英国王族ものだが、さすが本場のものだけあってリアルでしっかりした台本に基づいており、音楽も構成的でくっきりしている。これまでみたブリテンのいくつかのオペラと同様、登場人物たちが抜き差しならぬ状況に陥り、それを音楽が鋭利に描く。ただ、これまでみたものと少し違って、女王が主人公であって、劇中劇やダンスなどの本筋とは関係のない場面が多く、緊迫感は薄い。とはいえ、演奏や演出のせいかもしれないが、音楽も、すべての役も、輪郭がはっきりしており、もやもやした部分がない。

 エリザベス1世を歌うのはスーザン・ブロック。何度か実演を聴いたことのある歌手だが、さすがの歌声。しかも、老いてなお若い男性に執着し、強い自尊心を持った複雑なキャラクターを見事に演じている。エセックス伯のトビー・スペンスも、傲慢でわがままな貴族を見事に歌って小気味いい。エセックス伯夫人のパトリシア・バードンもマウントジョイ卿のマーク・ストーンもまさに適役。すべての人物が、容姿を含めてまるで台本から飛び出してきたかのよう。

 ポール・ダニエルの指揮について、私は何やら言う資格を持たないが、楽しんで聞くことができた。リチャード・ジョーンズの演出についても、キャラクターがわかりやすく、豪華絢爛な色彩にあふれ、それぞれの人物の人間的な弱点と苦悩が伝わってくる。

 とてもいいオペラだと思ったが、「ピーター・グライムズ」「ルクレツィアの凌辱」「ビリー・バッド」に比べると、私にとっては少し魅力に欠けた。

 

「ヴェニスに死す」 2013年 イングリッシュ・ナショナル・オペラ

 ルキノ・ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」は封切りされたばかりのころから何度もみた。大好きな映画だ。私は当時から大のマーラー嫌いだったが、最も我慢できないのはマーラーの金管楽器の音なので、この映画で使われるアダージェット(弦楽合奏!)は気にならずにみることができた。ブリテンが映画に触発されてオペラを作ったことは知っていたが、特に関心を持たずにいた。だが、作品集に含まれるのでみてみた。いやはや、これは凄い。名作中の名作ではないか!

 執筆活動に行き詰ってヴェニスに逗留する作家アッシェンバッハは、家族とともに同じホテルに暮らすポーランド少年の美しさに惹かれ、その虜になっていく。ところが、ヴェニスでコレラが流行し、足止めを食らってしまう。アッシェンバッハは少年の気を引こうと、化粧をし、若作りをして、海辺で少年をながめながら死んでゆく。

 ブリテンらしい抜き差しならぬ状況が緊迫感あふれる音楽で作り出される。ちょっとヤナーチェクを思わせる音が時々聞こえる。神経質な作家(マーラーをモデルにしているといわれる)が少年の虜になり、初めての少年への愛に戸惑う様子がリアルに、しかも音楽によって抽象的に描かれる。そして、コレラ禍という極限状況の中で愛を全うしようとする感情も観客と共有できるように作られている。観客をぐいぐいと作品世界に引き込んでいく。私は同性愛ものをあまり好まない人間なのだが、これほど見事に描かれるとまったく違和感を覚えない。

 演奏も演出も見事。まずアッシェンバッハを歌ってほとんど出ずっぱりのジョン・グラハム=ハールにただただ驚嘆。伸びのある声、声の演技、そして動きによる演技。これ以上の歌唱は考えられない。アッシェンバッハ以外のほとんどの端役を一人でこなすアンドリュー・ショアも、その器用さに驚いてしまう。黙役の少年タジオを踊るサム・ツァルドヴァーも、ヴィスコンティの映画でタジオを演じた少年より私にはこちらの方が説得力がある。

 デボラ・ワーナーの演出も美しい。シルエットになって背景に海が映し出され、人々が動くが、少年たちのダンスを含めて、スタイリッシュで色彩豊かで、しかも清潔感にあふれている。エドワード・ガードナーの指揮も精緻で美しい。私には何の文句もない。ただただ引き込まれ、感動して最後までみた。

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コメント

私もブリテンのオペラは大好きです。ブリテンはほんとうに大作曲家だと思います。「音楽も、すべての役も、輪郭がはっきりしており、もやもやした部分がない」という言葉は、ブリテンのどのオペラにも当てはまるのではないでしょうか。オペラにかぎらず、ブリテンのどの作品にも当てはまると思います。

投稿: Eno | 2020年8月23日 (日) 09時07分

Eno 様
コメント、ありがとうございます。
英米音楽に深い関心を持っておられるEnoさんは、きっとずっと以前からブリテンのすばらしさをご存じだったのだと思います。私は早速CDを「大人買い」してしまいました。これから1枚1枚聴いていくのが楽しみです。
ブログをしばしば拝見しています。コンサートの感想を楽しみにしております。

投稿: 樋口裕一 | 2020年8月23日 (日) 21時13分

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