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映画「ポルトガル、夏の終わり」「オフィシャル・シークレット」

 九州に台風が押し寄せている。九州出身で、その方面に知り合いの多い私としては大いに気になっている。大きな被害にならないことを祈る。

 昨日、京都シネマでみた「ポルトガル、夏の終わり」と「オフィシャル・シークレット」について、簡単な感想を記す。

 

「ポルトガル、夏の終わり」

 アイラ・サックス監督。しみじみとした良い映画。ただ何事かが起こるわけではない。エリック・ロメールの映画を思い出した。

 フランキーというあだ名で呼ばれる初老になった有名女優(イザベル・ユペール)はガンで死期を悟り、バカンスに関係者をポルトガルの名勝地シントラに集める。若い親友アイリーン(マリサ・トメイ)を頼りない息子ポールと結婚させたいと思うなど、自分の死後、残された家族を自分の思い通りに生活させたいと計画している。だが、フランキーの思い通りにはいかない。アイリーンはむしろフランキーの夫ジミーと心を通わせ始めている。フランキーは家族それぞれのそのような様子を、穏やかになって見つめる。ストーリーはそうまとめられるだろう。

 フランキーには最初の夫と現在の夫がおり、最初の夫との間に息子がいて、現在の夫に連れ子がいて、その家族ができている。初めのうち、その関係がつかめず、フランス語のほかに英語やポルトガル語が話される映画そのものが謎に思えるが、フランキーの病の状況とともに家族関係が徐々に明かされていく。そして、それと同時にさりげなく生活している人たちの心の奥が見えてくる。それぞれが不満を抱き、生活を変えようとし、それぞれに一応に解決策を考えているが、果たしてそれが長続きするかどうかはわからない。

 風光明媚なバカンス地でのそのような人々の生活が描かれる。最後、家族は全員が丘の頂に集まり、それをフランキーが見つめる。死にゆく人間が、自分の力で残された人々を動かそうという気持ちをなくして、半ばあきらめの気持ちでそれぞれの生を穏やかに見る。とても美しい場面だと思う。

 ああ、これが人生だよなあ……と思わされる。

 美しい風景、イザベル・ユペールをはじめとした俳優たちの見事な演技、そして徐々に心の奥が明かされていくシナリオ。情感をたたえながらも緻密に作られた映画だと思った。

 

映画「オフィシャル・シークレット」

 グアビン・フッド監督。エンターテインメント映画としてとてもおもしろかった。

 実話に基づく。アメリカのジョージ・ブッシュ大統領は、イラクが2001911日のニューヨーク同時多発テロ引き起こしたテロリストたちを支援し、大量破壊兵器を製造・所有しているとの理由で、国際連合安全保障会議によってイラク攻撃を呼びかけていた。実際にはそのような証拠は一切ないのに、強引に関係各国に呼びかけ、英国のブレア首相もそれに同調する。

 キャサリン(キーラ・ナイトレイ)はイギリス情報局に勤め、中国語関係の翻訳などをしているが、ある時、イラク対策を有利に進めるためにアメリカが違法工作をしていることを知る。ありもしない大量破壊兵器攻撃を目的として戦争が引き起こされ、大勢の人が死傷する恐れがあることに憤りをもって、キャサリンはこの情報をリークし、オブザーバー紙のブライト記者(マット・スミス)がそれを記事にする。キャサリンは国家機密漏洩の罪で逮捕され、夫がトルコ移民であるために政府から嫌がらせを受けるが、有能な弁護士エマーソン(レイフ・ファインズ)の手助けもあって、最終的には英国政府が事を荒立てるのを恐れて早々に幕引きを図り、キャサリンは無罪になる。

 イラク戦争はよく覚えている。私自身を含め、世界中の多くの人が、「イラクがテロリストを支援しているはずがない。大量破壊兵器など持っていないだろう」と思っていた。ところが、ブッシュ大統領が強引に戦争に突き進んだ。米国の最も愚かな行動の一つだ。結果的に戦争を食い止めることはできなかったが、リークすることによってそれをとどめようとした女性の詳細をこの映画によってはじめて知ることができた。小さな新聞記事で読んだ記憶はあったが、確かにこの女性はこのように苦しみ、このように迷い、しかしながらそれでも確固たる意志をもって戦ったのだろう。

 国家の理不尽、国家機密漏洩罪の矛盾、そしてそれを是正しようとしてキャサリンを支援する人々が存在する。そのような状況がリアルに、冷静に描かれる。強圧的で国家の論理を振り回す刑事たちも、それはそれで理性的であって、必ずしもキャサリンを全否定するわけではない。英国の民主主義国としての成熟を感じると同時に、感情的にならずに問題を取り上げようとする作り手たちの意識が見える。だからこそ、リアルで面白い映画に仕上がっている。

 ただちょっと思ったのは、もしこれが現在の日本であれば、キャサリンの名前も明かされ、素性もわかっているのだから、凄まじいマスコミ攻勢と、それ以上のネット攻撃にさらされ、通常の生活を維持することができなくなるだろう。時代が違うのか、それとも英国と日本の違いなのか。あるいは映画の中では詳しく描かれなかったが、キャサリンの個人攻撃に進まないような何らかの配慮が政府や警察などによってなされたのか。または単に、作劇上の都合によってそのような状況は映画から省かれたのか。

 ともあれ、権力側も含めて、現在の日本よりもずっと理性的に動く当時の英国のあり方に感銘を受けた。

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