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オペラ映像「真夏の夜の夢」「シモン・ボッカネグラ」「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」「ボリス・ゴドノフ」

 やっと秋らしい天気になった。今日(2020918日)は33℃を超す暑さが予報されているが、真夏ほどの酷暑の朝ではない。数本のオペラ映像をみたので簡単な感想を記す。

 

ブリテン「真夏の夜の夢」 2005年 バルセロナ、リセウ劇場

 シェークスピア原作によるオペラ。これまでみたブリテンのいくつかのオペラと違って喜劇なので、私がブリテンの魅力と思っていたもの、すなわち抜き差しならない差し迫った感情が前面に現れない。その点、少々不満だった。だが、シェークスピアの時代の音楽といわれても納得するような、つまり「現代音楽」的な要素が強くない、普遍的な音楽はとても魅力的だ。「前衛音楽」が全盛だった1960年代に、このような新古典主義的な音楽を書いて、しかも完璧な説得力を持たせるのは奇跡的だと思う。「現代音楽」の臭みもなく、もちろんロマン主義的な大時代的な要素もない。ドラマに寄り添い、無駄なく、誇張なく、登場人物の心を歌にしている。何よりブリテンのその手腕に驚く。

 私はカウンターテナーのオベロン役、デイヴィッド・ダニエルズに少し不満を覚えた。声が伸びないし、少々音程が不安定。カウンターテナーが登場するタイプの音楽に疎い私でも知っている名前なので、有名な歌手だと思うが、少し不調だったのか。

 それ以外の歌手たちについては、とても満足。タイタニアのオフェリア・サラ、ライサンダーのゴードン・ギーツ、ハーミアのディアンヌ・ミークなど、まさに適役。パック役のエミル・ワークもまさにこの役にふさわしい不気味さと愛嬌を兼ね備えている。

 演出はロバート・カーセン。イギリス人にはなじみのストーリーとはいえ、取り違え劇なので下手をすると、登場人物が混乱してしまう。それをこの演出はうまく処理をし、時代を超越した芝居に創り上げている。ハリー・ビケット指揮のバルセロナ・リセウ大劇場交響楽団については、ブリテン初心者の私には特に不満はない。

 私としては十分に楽しんだが、私はほかにこのオペラの実演も映像をみたことがないので、よくわからない。もしかしたら、別の上演であったら、もっと楽しいものであるかもしれないとは思う。10月にこのオペラが新国立劇場で上演されるのが楽しみだ。

 

ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 2010年 パルマ

 レオ・ヌッチのタイトルロールがやはり素晴らしい。声と仕草の演技力に感服。決して心から善良な人間ではない。だが、心からマリアを愛し、その死後、娘を愛している。敵対に苦悩し決断を迫られる。そのような役をやらせると、これほど見事な歌でリアルに演じられる人は少ない。フィエスコのロベルト・スカンディウッツィも素晴らしい。この二人のやり取りはまさに絶品。

 ガブリエーレのフランチェスコ・メーリも強靭な美しいテノール、アメーリアのタマール・イヴェーリも率直で清純な声。二人の若い恋人の歌はとても気持ちがいい。ただ、パオロ役のシモーネ・ピアッツォラの声があまり出ていないようで、悪役としての存在感が弱かったのは残念。

 ダニエレ・カッレガーリの指揮もドラマティック(ただ、ちょっとドラマティックすぎる気がしないでもない)、ジョルジョ・ガッリョーネの演出もわかりやすく、簡素ながらも十分に総督府の豪華さを感じさせる。とても良い上演だと思う。感動しながらみた。

 

モーツァルト 「フィガロの結婚」 2006年 ロイヤル・オペラ・ハウス

 安売りしていたので、OPUS ARTEのコヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスで上演されたモーツァルトのオペラ3本の5枚組BDを購入。まず「フィガロ」をみた。とても楽しい上演。ウキウキして最後までみることができる。アントニオ・パッパーノの指揮も躍動している。かなりドラマティックな演奏。デイヴィッド・マクヴィカーの演出も楽しい。身振りが大きく、伯爵の悪漢ぶりを強調する。しかし、それが不自然ではなく、笑いが自然と沸き起こる。歌手陣も最高度に充実している。

 アーウィン・シュロットは大柄で精悍な野性的なフィガロを演じる。スザンナのミア・パーションはとてもチャーミング。アルマヴィーヴァ伯爵のジェラルド・フィンリーは憎々しさを全開。伯爵夫人のドロテア・レッシュマンもしとやかに歌う。隅から隅まで完璧にそろっている。躍動的に人物の動く活発なオペラになっている。

 文句なしに楽しく、最高の舞台と最高の音楽が楽しめる。モーツァルトはやっぱり素晴らしい!

 

 モーツァルト 「ドン・ジョヴァンニ」2008年 ロイヤル・オペラ・ハウス

「フィガロの結婚」をみて、あまりに素晴らしかったので期待したのだったが、それほどの感銘は受けなかった。もちろん、きわめて高いレベルのとても良い上演だと思う。

 サー・チャールズ・マッケラスの指揮に、私が乗れない原因があるのかもしれない。好きな指揮者なのだが、このオペラ演奏については、私には神経質で痩せた音楽に聞こえる。しかも、フランチェスカ・ザンベロの演出を含めてとてもリアルな造りになっているため、神話性を感じない。このオペラはドン・ジョヴァンニという人並外れた人物が主人公であり、亡霊が出るなどして、私には神話的なオペラに思われる。それがリアルに演じられると、違和感を覚えてしまう。

 サイモン・キーンリサイドのドン・ジョヴァンニは容姿も見事、声もよいのだが、これまたリアルすぎて神秘性がない。だから、悪の凄味も感じない。ドンナ・アンナのマリーナ・ポフラフスカヤ、ドン・オッターヴィオのラモン・ヴァルガスも、もちろん悪くないのだが、ちょっと魅力に乏しい。レポレッロのカイル・ケテルセンも道化としての役割を果たしていない気がする。

 ただジョイス・ディドナートは凄味のあるドンナ・エルヴィーラを聞かせてくれ、ミア・パーションは可愛らしいツェルリーナを歌ってくれた。また、ロバート・グリアドウのまマゼットも初々しい。この3人にとても感銘を受けた。

 

 モーツァルト 「魔笛」 2003年 ロイヤル・オペラ・ハウス

 この映像はかつてみたことがある。テレビだったか、DVDだったか。その時も思ったが、改めてとても充実した上演だと思う。すべての配役が理想的といってよいだろう。

 タミーノのヴィル・ハルトマン、パミーナのドロテア・レシュマン、ザラストロのフランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ、パパゲーノのサイモン・キーンリサイドはとても素晴らしい。ハルトマンは高貴な声、レシュマンもとても魅力的な歌唱で、後半ますます声の美しさに磨きがかかっていく。ゼーリヒは深みのある美声。ドン・ジョヴァンニで惹かれることのなかったキーンリサイドもこの役ではみごとに愉快で人間的なパパゲーノを作り出している。

 しかし、そうしたベテランたちを押しのけて圧倒的な存在感を見せるのが、夜の女王のディアナ・ダムラウだ。私は初めてこの映像をみた時、ダムラウの歌に驚き、ものすごい新人が出てきたと感嘆したのだった。かつてグルベローヴァの夜の女王にも圧倒されたが、ダムラウはもっと勢いがあり、激しさがある。まさにこの役にふさわしい。

 サー・コリン・デイヴィスの指揮も素晴らしい。抑えるところは抑えて、勢いのある音楽を作り出している。デイヴィッド・マクヴィカーの演出は、夜の女王と三人の侍女をはじめから悪辣な扮装にして、弁者やザラストロを啓蒙主義時代の哲人に見立てているようだ。モノスタトスはまるで啓蒙主義や民主革命に歯向かう悪徳貴族を思わせる。旧来の価値観による夜の女王の世界をザラストロが改革し、民衆がザラストロを支持しているという構図が示される。「魔笛」のストーリーの持つ矛盾をこの解釈によってすべて解決できるだけではないが、それはそれで説得力のある解釈とはいえるだろう。とてもおもしろく感じた。

 

ムソルグスキー 「ボリス・ゴドノフ」 2019年 ボリショイ劇場 (NHKBS放送)

 楽しみにして、NHKの放送をみた。上演のレベルの高さに驚く。歌手陣全員が最高レベル。ボリスを歌うミハエル・カザコフもしっかりとして深い声、グリゴリーのティモフェイ・デュボヴィツキーは十分に王子を騙る美男の曲者に見え、しかも若々しい美声。マリーナのアグンダ・クラエワは絶世の美女に見えるうえ、声も美しい。シュイスキー公爵のマクスム・パスターも嫌味な役を見事に歌う。まさに全員が容貌も含めてまさにその役にしか見えない。

 ただそのわりに私はさほどの深い感銘は受けなかった。「散文的すぎる」という印象を抱いた。トゥガン・ソヒエフの指揮はきわめて輪郭のはっきりしたキレの良い音で論理的に音楽を展開していく。だが、その分、この難渋なオペラの不可解な部分が少なくなり、スラブ的な得体のしれない魅力が薄れている気がしてしまう。むしろ、イタリア・オペラなどとはまったく違った作劇法に基づく台本のわかりにくさ、まとまりのなさが前面に出てしまう気がする。イーゴリ・ウシャコフの演出についても、同じような印象を受けた。

 もちろん私はこのオペラに詳しいわけではないが、映像は何本かみて、素晴らしいオペラだと思っていた。これまでにみたものは、論理を超越した得体のしれない魅力があったような気がする。

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コメント

樋口先生、ご無沙汰しています。
ボリスについて、私も見ました。ソフィエフの指揮にしては少し感動が薄かったので、私の聞き方が悪かったかと思っていましたが、先生のいう得体の知れなさが稀薄とのご指摘に納得です。
驚いたのはその演出です。これは大阪万博に合わせてボリショイが初来日したときの演出とまったく同じです。それからNHKホールでもう一度ボリショイのボリスを観ましたが、そのときも同じ演出でした。つまりボリショイではこの演出を50年以上も続けているらしいです。それはもう驚異的です。いかに読み替え演出嫌いでも、モスクワではボリスを観るたびに同じ演出で、ロシアの観客は飽きないのだろうかと、妙な心配をしてしまいました。

投稿: ル・コンシェ | 2020年9月19日 (土) 18時45分

ル・コンシェ 様
コメント、ありがとうございます。
演出、なんとなく覚えがあると思ったのですが、そうでしたか。私は実演は多分見たことがないと思うのですが、映像は何本かみています。きっと同じ演出もみていることでしょう。それにしても、良くも悪くも、さすがロシアというべきでしょうね。
演奏に関しては、私も正直に言うと、「なぜかわからないけれど、感銘を受けない」という印象でした。決して悪くない演奏だと思うのですが、ちょっと魅力に欠けますね。

投稿: 樋口裕一 | 2020年9月20日 (日) 20時14分

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