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萩小旅行

 2020911日ちょっとした萩観光ができた。

 10日の昼過ぎから大阪の堺市にある初芝立命館中学校で白藍塾塾長として小論文指導の研修があり、12日は午前中から山口県セミナーパークで開かれる「やまぐちで学ぶ! 高校教育魅力向上事業」における「ニューフロンティアセミナー」で小論文の特別授業をおこなうことになっていた。一度東京の自宅に戻って、翌日また山口に出かけるのもつらいので、大阪での初芝立命館中学校での仕事が終えた後、その日のうちに新山口駅付近のホテルに行き、そこで2泊し、11日は観光に時間を費やすことにしたのだった。

 まず、新山口に到着したが、あまり人気がない。駅の建物はそれなりに立派だが、人がいない。ホテルやレストランもほとんどない。東京の急行の停まらない私鉄駅周辺とさほど変わりのない光景だった。着いたのが21時過ぎだったせいか、あるいはコロナの影響なのか、まばらな人しかいない。

 山口県は何度か訪れたことがある。瀬戸内海側のいくつかの都市はこれまでに見物した。が、萩には行ったことがない。この際、萩に行ってみようと思いたった。ついでに津和野も考えたが、ちょっと遠すぎるので断念。列車があるのかと思っていたら、新山口からでは大変な遠回りになる。まず、そのことに驚いた。いや、そもそも新山口と山口の間もかなりの距離があるのにびっくり。レンタカーを予約しておいた。気ままな一人観光だ。

 そして、翌11日、10時に予約通りレンタカーを借りて、一人で出発。もちろん、ナビ頼り。松陰神社を目的地に設定して出発。高速道路は避けて、のんびり風景を見ながら一般道で行くことにした。1時間程度で到着すると思っていたら、ナビが12時近い到着予定時間を表示したのでびっくり。山口市をかすめて、すぐに車は山中に入った。雨がぱらつく天気。たまに信号はあるが、ほとんどひっかからない。山中ではほとんどノンストップ状態だった。

 ずっと山道。もちろん、きれいに舗装されており、運転するのは快適だが、見えるのは山や田畑ばかり。雨模様なので、雲が山々にかかっている。大分県の山間部、日田市で生まれ、母の実家が日田市のはずれの大鶴地区という山の中にあった私としては慣れた風景だ。大鶴や伏木峠の山道を走っているのと同じ気分。ある意味、とても懐かしい。子どものころは父の運転する車に乗ってこのような風景の中を走っていた。大人になってからは自分で運転して母の実家などを訪れていた。

 目当てのコンサートチケットが、その日の11時にネット発売開始されることになっていた。私は4枚購入予定だった。ポケットWi-Fiを持っているので、11時過ぎたらコンビニにでも車を停めて、ネットにつないで予約しようと甘く考えていた。

 ところが、11時になったが、コンビニなどあろうはずがない。ずっと山道だ。やむなく、側道に停められる場所を探してネットに接続しようとしたら、つながらない! このような山間部にはWi-Fiは通じていないのだろう。その後、2度ほど同じように車を停めて試すが、やはり接続できなかった。

 11時半近くになって平坦な土地になり、人家が増え、やっとコンビニを発見。車を停めてネットにつないだが、接続状態が良くないために苦労した。希望の席はすでに売り切れていたが、かなり時間をかけてともあれ4枚ゲット。安心して、コンビニで購入したコーヒーを飲んで一息いれた。いずれにせよ、山口県の南北をつなぐ交通網の弱さと、そこに横たわる山地の存在を、チケットのおかげではからずも実感した。

 

 そこから10分ほどで松陰神社に到着。雨模様のせいか、観光客はまばらだった。私が訪れている間に目に入った観光客は10人ほどだった。そのうち四人は中国人のようだった。

 吉田松陰を祀る神社が雨の中で落ち着いて見えた。松下村塾はその中にある。小さな掘立小屋としか思えない。日田市の誇る広瀬淡窓の咸宜園のようなものを想像していたが、それよりももっと小さく質素。8畳の間取りの部屋が二部屋あるだけのようだ。しかも、ここで松陰が指導にあたったのは2、3年だとのこと。80年間続いた咸宜園に比べてなんと短期間なのに、これほど知名度に差があるのか!と日田出身の私としては少々嫉妬心を抱かないでもないが、そこは歴史における役割の大きさの差だろうと納得する。

 雨の降る神社内を歩き、多くの人形で松陰の生涯を紹介する歴史館にも入って、時代の雰囲気を多少は感じた。客は私だけ。ただ、幕末の歴史に詳しくない私は、表面的にしか松陰の役割や思想を知らない。この歴史館は私の表面的な知識を確認するくらいのことしかできなかった。

 お昼になっていたので、海や川をのぞみながら車で道の駅・萩しーまーとに行って、ネットで評判の店に入って海鮮丼を食した。絶品だった。

 明倫学舎の横に車を停めて、次に学舎を見学。様々な展示があった。幕末から明治にかけての長州・山口の役割が語られている。いわば、「長州史観」とでもいうべき歴史観が示されている。長州が中心になって日本の産業革命が起こり、文化革命が起こり、その人脈が日本の近代を作ったことが分かる仕組みになっている。なるほど、確かにこのような見方に説得力がある。その方面に詳しくない私としては、そうかもしれないが、ほかの見方もあるだろうなという程度のことしかわからない。ただ、長州が日本の近代化にとても大きな役割を果たしたのは否定のしようのない事実であることは実感した。

 雨が止んだので、近くを散策。江戸屋横町、伊勢屋横町、菊屋横町など、江戸時代の雰囲気の残る道を歩いた。もっと広い道を想像していたら、車がすれ違えないような狭い道だった。暑すぎもせず、人通りもほとんどなく、静かに歩くことができた。白壁や土色の壁が続いていたり、生け垣が続いていたりの道にとても落ち着く。その中に、高杉晋作立志像があり、高杉晋作や田中義一の誕生地がある。子どものころ、高杉晋作のドラマを見た記憶がある。史実とは異なるのだろうが、なじみのある名前ばかりで、故郷を歩くような気持になった。

 もう少しゆっくりしようとも思ったが、何しろ一人旅で、話をする相手もいない。帰りの道も心配になるので、そのくらいにして、萩を後にして、新山口に戻った。

 

 12日のセミナーについても付け加えておく。県内の意欲ある高校12年生50名ほど集まってもらっての小論文講義だった。午前中に小論文の書き方を簡単に解説した後、やさしめの問題に取り組んでもらい、午後には2020年度の慶應文学部の小論文入試問題に挑戦してもらった。こちらは超難問といってよかろう。みんなてこずっていたようだが、少し解説すると、すぐに小論文を書き始めた。

 あまりに優秀な生徒さんたちばかりなので驚いた。みんなが積極的に授業に参加してくれ、鋭い意見が次々と出してくれ、しかも超難問についても、しっかりと取り組んでくれた。きっと生徒さんたちも小論文とは何かがわかり、超難問であってもどうすれば手掛かりがつかめるかをわかってもらえたと思う。

 私自身もとても楽しく充実した時間を過ごすことができた。が、1時間の昼休みを含めて5時間半の講義だったので、私は大いに疲れた。セミナー終了後、新山口までタクシーで出て、広島まで「こだま」号、そこからは「のぞみ」号に乗り継いで、東京に戻った。ますます疲れた!

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