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オペラ映像「マクベス」「イル・トロヴァトーレ」「椿姫」「皇帝ティートの慈悲」「ルサルカ」「ホフマン物語」

 9月・10月はずっと原稿を書いていた。ともあれ、編集者に原稿を送って、気が楽になった。気が付けば、秋も深まっている。オペラ映像を何本かみたので、簡単な感想を記す。

 

ヴェルディ 「マクベス」 2011年 ロイヤル・オペラ・ハウス

 英国ロイヤル・オペラ・ハウスのヴェルディのオペラのBD3枚セットが安売りされていたので購入。まずは、「マクベス」(きっとそのうち、「マクベット」と呼ばれるようになるだろう)をみた。

 マクベスのサイモン・キーンリーサイドはこの役にふさわしい性格俳優的な演技と明快な声。ためらいがちながら野望を抱き、しっぺ返しを受ける人間を等身大で歌う。マクベス夫人のリュドミラ・モナスティルスカも張りのある美声でみごと。バンクォーのライモンド・アチェト、マクダフのディミトリ・ピッタスともに素晴らしい美声で、この上演には難点がない。

 指揮はアントニオ・パッパーノ。ダイナミックな演奏で、観客をドラマのるつぼに投げ込む。フィリダ・ロイドの演出は大胆な解釈はないが、わかりやすい。映画的なリアリティにあふれ、マクベスがマクダフに倒される場面など息をのむ。舞台装置も質感にあふれている。いかにも英国ロイヤル・オペラにふさわしい上演だと思う。

 

ヴェルディ 「トロヴァトーレ」2002年 ロイヤル・オペラ・ハウス

 20年近く前の収録。歴史的な名演だと思う。マンリーコのホセ・クーラ、ルーナ伯爵のディミトリ・ホロストフスキー、レオノーラのヴェロニカ・ヴィッラロエル、アズチェーナのイヴォンヌ・ネフ。この四人ががっぷりよつに組んですさまじい。みんなが張りのある声で歌いまくり、それを導くカルロ・リッツィの指揮もドラマティックで引きつける。クーラとホロストフスキーのすばらしさは前からよく知っていたが、二人の女性は初めて知った。深みのある声に惹かれた。

 イライジャ・モシンスキーの演出も「マクベス」と同じような映画的リアリティにあふれている。

 

ヴェルディ 「椿姫」 2009年 ロイヤル・オペラ・ハウス

 ヴィオレッタをルネ・フレミングが歌い、アルフレードをジョセフ・カレヤ、ジョルジョ・ジェルモンをトーマス・ハンプソンが歌うとなったら、悪かろうはずがない。ちょっとハンプソンの歌が粗いが、これも持ち味だと思う。この中では、やはりカレヤが圧倒的にすごい。輝かしくて美しくてほれぼれする声。従来の二枚目のアルフレードではなく、田舎者の垢ぬけないうぶな若者と考えると、これはこれでぴったりの役だと思う。

 ただ、素晴らしい演奏であり、観客も大喝采していたし、きっと私も実演をみていたら涙を流して感動していたに違いないと思うのだが、この映像をみる限りでは、私はなぜかあまり感動できなかった。もしかしたら、パッパーノの指揮に私は違和感を覚えたのかもしれない。いかにもパッパーノらしい勢いのある演奏。だが、このオペラにそのようなイメージを抱いていない私は、こんなに勢いをつけて一体どこに行くんだ?と言いたくなってしまった。しんみりしたところがない。いや、時々しんみりするが、とってつけたようで、ニセモノ臭く感じる。ヴィオレッタまでもがいかにも演じているようで、病の苦しみの中で必死に愛に生きようとしているようには見えなかった。演出はリチャード・エア。私にはごくオーソドックスに思える演出だった。

 上手な歌手たちだなあと思っただけで終わってしまった。

 

モーツァルト 「皇帝ティートの慈悲」 2017年 グラインドボーン歌劇場

 このオペラを実演では一度もみたことがなく、映像でも数回しかみていない。かのモーツァルトが最晩年の「魔笛」とレクイエムの間に、なぜこんな魅力のないオペラを作ったのかとずっと疑問に思っていたが、今回みてみると、いやいやとてもいいオペラではないか! ちょっとあっさり気味なのは間違いないし、確かに「フィガロ」や「魔笛」などのような親しみやすいアリアが次々に出てくるわけではないが、心にしみる歌があり、ドラマティックな歌があり、感動的な結末があって、十分に楽しめる。刈り込んでエッセンスだけを残した魅力がある。

 ロビン・ティチアーティの指揮するエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団が素晴らしい。セストの苦悩を見事に描く。遊びの部分を排してエッセンスだけを際立たせている。

 歌手陣もそろっている。ティートを歌うリチャード・クロフトの歌に驚嘆した。見かけはセストの幼友達というよりも、若きセストの老いた父のように見えるが、声は美しい。余裕があってしなやかで高貴。セストを歌うアンナ・ステファニーも声に張りがあり、テクニックも見事。生真面目で一途な青年をしっかりと歌っている。ヴィッテリアのアリス・コートも、肉感的な悪女になりきれない悪女をうまく歌う。プブリオのクリーヴ・バーレイ、

 アンニオのミシェル・ロジエ、セルヴィリアのジョエル・ハーヴェイのいずれも、透明で音程の良い声で好感が持てる。

 演出はクラウス・グート。ローマ時代の物語を現代の物語にし、宮廷の手前にゴミ捨て場のようになった空き地を作り出して、殺伐とした心の一面を描く。この仕掛けによって、それぞれの人物の心の二面性が明らかになる。寛大で高潔なティートでさえも、残酷な一面を持ち、それをぐっと抑制する。二重のセットはそれを示しているのだろう。

 素晴らしい上演だと思う。

 

ドヴォルザーク 「ルサルカ」 2019年 グラインドボーン音楽祭

 このところのグラインドボーン音楽祭の上演にははずれがないといえるほどだが、その中でもこれは出色。ロビン・ティチアーティの指揮がまず凄い。このオペラはおとぎ話とみなすことも十分にできると思うのだが、今回の上演はそれよりも人間の性(さが)を描いたシリアスな人間ドラマになっている。愛情を強く感じてはいるものの、ルサルカと心を通わせることができず、つい情熱的で人間的な王女の誘惑に乗ってしまう王子、それを許せないルサルカ。それが水の精たちの非人間的な世界によって抉り出される。

 歌手陣も見事。とりわけルサルカのサリー・マシューズは清純な声と美しい肢体によってまさに水の精を演じる。いかにも人間的に無防備な王子を歌うエヴァン・リロイ・ジョンソンも魅力的。ヴォドニクのアレクサンドル・ロスラヴェッツ、イェジババのパトリシア・バードン、外国の王女のゾーヤ・ツェレリーナもとてもいい。全員がそろっている。

 演出はメリー・スティル。水底の雰囲気を出し、ある意味で冷酷なこのドラマを美しくも残酷に描く。さすがグラインドボーン!

 

オッフェンバック 「ホフマン物語」 2019年 モネ劇場 (NHK/BS放送)

 NHKで放送された映像。オランピア、アントニア、ジュリエッタ、ステルラの4役を歌うパトリシア・プティボンが素晴らしい。うまく演じ分ける見事な声と演技力。もちろんとてもチャーミング。ホフマンのエリック・カトラー、ニクラウスのミシェル・ロジェ、リンドルフのガーボル・ブレッツもとてもいい。

 指揮はアラン・アルティノグリュ。知らない指揮者だ。おとなしめの指揮に思えた。私にはあまり魅力的な指揮には思えなかった。

 演出はヴァルリコフスキ。ホフマンを映画女優ステルラの演じた三つの役に恋した映画監督にみたてている。元の台本にはない、何本かの映画のセリフを歌手たちに語らせたり、余計なパントマイムによる小芝居をしばしばさせる。演出に関して保守的な私には、これはかなり不愉快だ。自作の人物に恋したホフマンという設定そのものはとても妥当だと思う。それを過剰なセリフや仕草を加えずに表現してこそのオペラ演出だと私は思う。こういう演出をもてはやすべきではないと私は思うのだ。

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小泉+都響 ブラームス交響曲第3番の終わりは昇華だった!

 20201025日、サントリーホールで都響スペシャル2020を聴いた。指揮は小泉和裕。曲目は前半にベートーヴェンの交響曲第4番、後半にブラームスの交響曲第3番。

 ともに私の大好きな曲だ。ベートーヴェンの交響曲全集のCDを買う(もしかしたら100種類以上所有しているかも)と最初に第4番を聴く。ブラームスの全集を買うと第3番を最初に聴く。期待通りの素晴らしい演奏だった。

 マエストロ小泉らしい、誇張のない真摯な演奏。ちょっとした手の動きによって音楽のニュアンスをオーケストラに伝え、それを実現していく。それが手に取るようにわかる。淀みなく音楽が発展し、大きくなり、音調が変わり、徐々に堅実な世界が作られていく。音の重なりが美しく、構築性が明確。

 ベートーヴェンの第4番は、第3楽章スケルツォから終楽章にかけての盛り上がりが素晴らしかった。テンポを動かすわけでも力むわけでもないのに、音楽そのものが盛り上がっていく。理詰めの音楽が論理的に高揚していく。

 ブラームスの第3番も、第1楽章冒頭の音の輝きが見事だと思った。渋みがあり、明るさがあり、深みがある。そして、この曲でも第4楽章の盛り上がりが素晴らしい。音楽が高まり高揚していくが、ブラームスが高い境地に進んでいくのを感じる。

 これまで第4楽章最後の静かな終わり方に納得がいかずにいた。ある友人が「陰々滅滅たる終わり方」という言葉を使っていたが、そうではないと思う。が、いったいあれが何なのかずっと疑問に思っていた。今日、やっとわかった。あれは「昇華」なのだ。これまでの苦悩と悲しみと喜びがすべて昇華され、高みに上っていく。その音楽だと思った。今日の演奏はまさに昇華していく音楽だった!

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「隅田川」と「カーリュー・リヴァー」の連続上演 清澄で静謐な音

 20201018日、よこすか芸術劇場で、能「隅田川」とブリテンのオペラ「カーリュー・リヴァー」連続上演をみた。「カーリュー・リヴァー」は「隅田川」にヒントを得て作られたオペラであり、連続してみると、なるほどそっくりのストーリーと構造であることが確認できる。行方不明になった子供を探す狂女が隅田川(カーリュー・リヴァー)を渡る小舟に乗って話を聞くうち、息子がちょうど一年前のその日に、その地で死んだことを知り、涙を流し、供養をする。

 能は、狂女を観世喜正。ただし、私はこれまでの生涯、能をみたのはこれが二度目。しかも、私はふだんは居眠りしない人間(高校のころの授業中も、大学に勤めていたころの教授会の最中も居眠りしたことがない!)なのだが、最初にみたとき、不覚にも眠ってしまったのだった。そんなわけで、まったく能についての知識がないままにみたのだが、なかなかおもしろかった。能の決まりごとやら所作やら、わからないところだらけだが、ところどころ、鼓の音やら笛の音やら、地謡やらに感動を覚えたところがあった。ただ、所作についてはよくわからなかった。私が舞踊の類についてまったく関心が向かないということだろう。

 休憩後のブリテンの「カーリュー・リヴァー」は素晴らしいと思った。

 指揮とオルガンは鈴木優人、演出は観世喜正と彌勒忠史。

 全員がまるでイスラム教徒の女性のようにすっぽりと体中を覆った服。マスク代わりにしているという実際的な意味もあるのだろうが、これによって国籍不明の異空間での話ということになる。しかも、様式化されることにもなって、見事。

 狂女の鈴木准、渡し守の与那城敬をはじめとした歌手陣も最高度に充実している。まったく文句なし。みんな声もよく伸びているし、この様式化された芝居を見事にこなしている。オーケストラも見事。私は感動してみた。

 ブリテンのオペラの美しさについても改めて感銘を受けた。「隅田川」とは異なって、オペラではキリスト教信仰が強調される。狂女は祈り、子どもと自分の救いを求めるが、その清澄で静謐な音楽に圧倒された。息子の死を知るという極限状況を純粋な音楽で描く。多くの作曲家のようにドラマティックに騒ぎ立てるでもない。能の精神に倣っているとでもいうのか、ピンと切り詰めた音でそれを描く。先日、CDでこのオペラを聴いてみた際にはあまり面白くないと思ったのだったが、舞台で聴くと、この凄味に驚く。

 とても満足した。

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日本三大テノールを堪能した!

 20201013日、サントリーホールで「日本三大テノールの世界2020」を聴いた。出演は、日本三大テノールと呼ばれるにふさわしいジョン・健・ヌッツォ、樋口達哉、笛田博昭の三人。そして、六本木男声合唱団、東京フィルハーモニー交響楽団。指揮は園田隆一郎。とても楽しかった。

 曲目はヴェルディ、プッチーニ、ジョルダーノのオペラ・アリアが中心。かつてのパヴァロッティ、ドミンゴ、カレラスの世界の三大テノールと同じように、ソロあり、三人の共演あり。遊び心たっぷり。三人の美声がホール内に響き渡る。

 三人三様の歌いまわしだと思う。このような大きな会場で最もはえるのは笛田だ。声量があり、ドラマティック。ヌッツォが意外と軽い声質だということに笛田の声と比べてはじめて気づいた。強靭な軽い声というべきか。このような大きなホールでは、リリックに歌うタイプの樋口はちょっと分が悪い。タイプでいうと、ヌッツォがパヴァロッティ、笛田がドミンゴ、樋口がカレラスに近い。

 イタリアオペラのアリアに交じって、このコンサートの主催者である三枝成彰さんの「レクイエム」と「Jr.バタフライ」からの暗い曲が演奏されたが、悲しみを歌う曲の存在感が示されて、コンサートを深いものにしていた。また、前半の終わりに岩井美貴のピアノ伴奏で「早春賦」(樋口)と「村祭り」(笛田)と「からたちの花」(ヌッツォ)がうたわれた。いずれも三枝成彰編曲のジャズ風にアレンジされたヴァージョン。これがとてもおもしろかった。これらの曲が現代曲に生まれ変わり、しかも十分に原典の味わいを残している。ピアノの演奏も見事。相当に演奏が難しかっただろう! 三枝さん(前にお会いした時、半月板損傷だといわれていたが、まだ治っておられないようだ!)と三人の愉快な話も加わって、なかなか楽しかった。

「乾杯の歌」を三人で歌った後は、これまた三人で「フニクリ・フニクラ」、そしてアンコールは「オー・ソレ・ミーヨ」。もちろんドイツ・オペラ好きの私の好みの曲ではないが、そんなことを言っている場合ではない。これはこれで実に楽しい。声そのものの醍醐味が存分に味わえる。会場内は大盛り上がり。

 声楽に関しては、西洋と日本には少し前まで大きな差があった。日本の歌手のほとんどは世界では通用しなかった。だが、この三人が現れて(いや、この三人以外にも、何人かこのレベルの歌手がいる!)、間違いなく世界レベルになった。そのことを痛感できた。

 ただ欲を言うと、せっかくロッシーニを得意とする園田さんが指揮をしたのだから、ロッシーニも曲目に加えてほしかったなあ!!

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下野+神戸市室内管のベートーヴェンに感動した

 20201011日、紀尾井ホールで神戸市室内管弦楽団のコンサートを聴いた。指揮は 下野竜也。曲目は前半に清水和音が加わってのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、後半のベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。素晴らしい演奏だった。

 清水のピアノについて、第1楽章はちょっともたつき気味に聞こえたが、カデンツァのあたりからまさにベートーヴェンの世界に入っていった。芯の強い、しかしニュアンスにあふれる音でリズム感も見事。第2楽章はオーケストラとの掛け合いに引き込まれ、そのまま第3楽章に突入した。

 下野の指揮も清水のピアノも、これといって個性的な解釈をしているようには聞こえない。ごく当たり前のベートーヴェンの4番の協奏曲。どこかを強調することもなく、テンポを動かすこともない。だが、新鮮な音に聞こえる。音が生き生きとして若々しい。素晴らしいと思った。

 初めて聴くオーケストラだが、うわさに聞いていた通り、素晴らしい。弦楽器も木管楽器も美しい。弦楽器6台の小編成のベートーヴェンだったが、その力感は大オーケストラにまったく引けを取らない。むしろ、等身大のベートーヴェンが立ち現れた。アンサンブルがとても美しい。もしかしたら、室内オケのほうが大オーケストラよりもコロナ禍の中でアンサンブルを作りやすいのかもしれない。

「英雄」にいっそうそれを感じた。出だしからして、躍動感にあふれている。弦に厚みがあり、音と音の絡みがぴたりと決まる。迷っている様子がなく、確信にあふれている。まさに30代のベートーヴェンはこうだったのだろう。

 この曲の特に第1楽章に私はしばしば強い違和感を覚える。音楽が自然に進まず、統一の取れていない音楽を無理やり強引に張り合わされているような感じがする。そこが魅力だという人もいるが、私は気になってならない。が、今回の演奏はそのような不自然さを感じない。これが下野の魔法だろう。ふだん違和感を覚える部分も、少々力づくながら、十分に説得力をもって音楽が発展しているのを感じる。

 第3楽章、そしてとりわけ終楽章の盛り上がりが素晴らしかった。息をつかせないような音と音の積み重ね。うむ、マエストロ下野はすでに巨匠ではないか!と思った。私は何度か感動に身を震わせた。

 ブザンソンで優勝してすぐのころ、ナントのラ・フォル・ジュルネで下野さんの演奏を聴いて、正統派の素晴らしい演奏だと思った。あれから10年以上がたって、マエストロ下野の音楽はもっとスケールが大きくなり、もっと揺るぎのない音楽になっていた。

 これからまたマエストロ下野を追いかけたいと思った。

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新国立劇場「夏の夜の夢」 オール日本人歌手の素晴らしい演奏

 20201010日、新国立劇場で「夏の夜の夢」を見た。新国立劇場もやっと再開された。新型コロナウイルスの影響で外国人アーティストが来日できないため、すべてが日本人のメンバー(ただし、デイヴィッド・マクヴィカーの演出に基づいて、レア・ハウスマンの演出・ムーヴメントとのこと)。

 ちょっと心配していたが、歌手陣は極めて高いレベルで充実していた。まったく外国人勢に引けを取らないと思った。素晴らしい上演だった。

 私がもっとも驚嘆したのは、ヘレナを歌った大隅智佳子だった。以前から素晴らしい歌手だったが、声の響き、伸び、そして愛されないとわかっていながら男に付きまとう女性を演じる力に、私はほれぼれした。ハーミアの但馬由香も可憐で美しい声。そのほか、ライサンダーの村上公太、ディミートリアスの近藤圭、オーベロンの藤木大地、タイターニアの平井香織、パックの河野鉄平(難しい役を体当たりの演技!)、シーシアスの大塚博章、ヒポリタの小林由佳。どこにも穴がない。TOKYO FM少年合唱団による児童合唱も素晴らしかった。日本の声楽界がここまで上がったことをとてもうれしく思った。

 飯森範親の指揮する東京フィルハーモニーもとてもよかった。静謐にして妙なる音が続いた。静かに、ゆっくりと聴かせる。清潔で高貴で芯の強いブリテンらしい音を聴かせてくれた。

 私はブリテンのオペラについては最近知ったばかりで、「夏の夜の夢」も、つい先日初めてDVDをみたばかり。だから、実はほとんど知らないに等しい。DVDを見た時点で、「ピーター・グライムズ」や「ルクレツィアの凌辱」や「ビリー・バッド」や「ヴェニスに死す」と比べるとちょっと退屈だと思った。そして、今回実演を見て、やはり同じように思った。

 喜劇のわりにあまりに静謐。シェークスピアの時代と現代が入り混じり、まさに普遍的な音楽世界が展開する。時代を超えた音楽とでもいうか。それは素晴らしいのだが、起伏なく、並列的に音楽が展開するので、盛り上がりを感じない。もう少しドタバタ感がほしいのだが、それがない。おそらくブリテンは意図的にそうしているのだろうが、根が俗っぽい私としてはもう少し何とかしてほしいと思ってしまう。

 たぶん、これは私の修行が足りないせいだと思う。もう少しブリテンのオペラを聴くと、考えが変わるのかもしれない。現在、大量にブリテンのオペラのDVDを注文している(ただし、入荷が予定よりかなり遅れているので、果たして入手できるかどうか不安を覚えている)。これらを見終えてから、再びこのおぺらについて考えてみたい。

 とはいえ、新国立劇場の再開はめでたい。それにふさわしい素晴らしい上演だったことは間違いない。

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澤クヮルテットの「ラズモフスキー第3番」 繊細過ぎない率直な音楽

 2020105日、横浜市鶴見区民文化センター「サルビアホール」で澤クヮルテットの公演を聴いた。

 サルビアホールは定員100名程度のホールだ。そこを新柄コロナウイルス対策として隣の席を空けているので、50名。なんという贅沢。

 曲目はモーツァルトの弦楽四重奏曲第19番「不協和音」、ドビュッシーの弦楽四重奏曲、そしてベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3」。

 繊細すぎず、工夫をしすぎない率直な演奏というべきだろう。細かいところにはあまりこだわらずに、ともかくスケール大きく音楽をつくっていく演奏だと思う。だが、もちろん繊細さがないわけではない。それよりも音楽の勢いを重視し、神経質にならないところがいい。

 とりわけドビュッシーにそれを感じた。フランス的な繊細さを強調しないで、バンバンと音を鳴らす。だが、そこにまぎれもないドビュッシーの音響が聞こえてくる。無理やり繊細にして遠慮するのでなく、率直に音を出すからこそ、その音が明確に聞こえてくる。そういえば、このごろ、とりわけ日本の室内楽は女性的な演奏が多い(実際に女性の演奏家が多い!)。その中にあって、この澤クヮルテットの演奏はきわめて男性的といってよいのかもしれない。久しぶりのこのような演奏を聴いた気がする。

 ベートーヴェンの第9番の弦楽四重奏曲はとりわけ素晴らしかった。もともとスケールの大きな曲なので、それがこの団体にぴったり。ただ私はこの曲の第2楽章を、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」のようなロシア的憂愁を描く音楽だと思っているのだが、そのような情緒は欠けているように思った。が、第3楽章のメヌエットはとても美しく、終楽章の盛り上がりも見事。構築的でスケールが大きく、白熱した演奏だった。曲の全体像をがっちりとつかんで率直に魂を描いてくれた。感動した。

 このような白熱した音楽を50人だけで間近で聴けて本当に幸せだった。

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