高橋悠治作曲の山本幡男の俳句「黒い河」に感動
2020年11月3日、三軒茶屋のサロン・テッセラで、「新しい耳 第27回テッセラ音楽祭 高橋悠治の耳 vol.13」を聴いた。出演は、高橋悠治(ピアノ・作曲)、工藤あかね(ソプラノ)。
「現代音楽」に疎い私は、高橋悠治の音楽は昔々1970年代だったか80年代だったか、サティの演奏を小さな会場で何度か聴いた程度。作曲した作品は、もちろん実演でもFM放送やテレビでもたびたび耳にしたが、これまでそれを目的にコンサートに行ったことはなかった。今回は、曲目の中に、山本幡男の俳句に高橋悠治が作曲した「黒い河」初演が含まれると知って、ぜひ聴きたいと思ったのだった。
山本幡男は辺見じゅんのあまりに感動的なノンフィクション「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」で知られている。満鉄で働いていたため、戦後、シベリアに抑留され、その中で文化活動を行ったのち、帰国できずにその地で病死した人物だ。故国の家族への思いをつづる遺書を残して亡くなるが、文書の持ちだしが許されなかったため、山本を慕う友人たちが遺書を分担して暗唱し、帰国を許された者たちがそれを母国に残る妻子に伝えたことは辺見の著書に詳しく記されている。私は大学院時代の恩師である山本顕一先生のお父上が山本幡男だと知り、辺見の著書を読んで心から感動。山本先生の不肖の弟子のひとりとしてイベントなどがあると参加させてもらっている。
そのような事情で、今回のリサイタルに足を運んだのだったが、それ以外の曲も素晴らしかった。
今回の隠れテーマは、おそらくは「死」だっただろう。
最初に演奏されたピアノソロの現代作曲家チャボー・ジュラの「オルフェイド」は、黄泉の国にいくオルフェウスにかかわる音楽(ただ、私にはこの曲はさっぱりわからなかった)。次に、高橋悠治作曲、木村迪夫の詩による「祖母のうた」。祖母が戦地に行った子どもたちを思いながら語った言葉から成る(工藤さんはとても明瞭に歌ったのだったが、山形弁のためによく聞き取れなかったのが残念)。そして、バロック時代の作曲家ヨハン・ヤーコブ・フローベルガーがリュート奏者である友人ブランロシェの事故死に際して墓碑として作曲されたもの。そのあとに戸島美喜夫が作曲した「ヴェトナムの子守唄」が演奏されたが、戸島は今年亡くなった作曲家だ。
まさしく老齢を迎えた高橋悠治の死についての音楽エッセイとでもいうべきリサイタルだ。曲の合間に高橋悠治の解説が入るが、静かでシャイで、はったりも気負いもない雰囲気が伝わってくる。静かに、ありのままに死を見つめようとしている。しかも、このリサイタルのテーマが「死」であることも明言されない。静かに、かすかに、死が語られる。自作においても、ほかの方の作曲した曲でも、静かに死が語られる。
後半にいよいよ山本幡男の俳句による「黒い河」。「黒い河」とはアムール河を指す。幡男は収容所で「アムール句会」を主宰していた。その8つの俳句を、一部の言葉を繰り返したりしての夏から新年を経て春に至るまでの光景を描くが、高橋の音楽にも死が感じられるのは、私が幡男の悲劇を知っているためばかりではないだろう。諦観と万物への思い。最後に歌われた「小さきをば子供と思う軒氷柱」の句には涙が出た。
後で山本先生に楽譜を見せていただいたが、拍子もなく、小節線もなく♭やら♮やらが山のようについた音符に驚嘆。このとんでもなく難しい歌をヴィブラートの少ないきれいな声で明晰に、しかも豊かな感受性をもって歌った工藤さんに感服。
その後、フェルッチョ・ブゾーニの子守歌。ただしこれは、亡き母の棺のための子守歌だという。最後に藤井貞和の詩による高橋悠治作曲「修羅の子供たち」。いじめによって自殺した少年の霊が風になって校庭をめぐる様子が語られる。いじめへの告発というだけではなく、人間の生をいとおしみ、死を見つめる音楽が聞こえてくる。
繰り返すが、私は「現代音楽」に疎いので、その語法をよく知らない。聴き方もよくわからない。高橋悠治の音楽そのものについても何かを語る資格はない。ただ、これが死を身近に感じている高橋の偽らざる心境なのだろうと思った。それはそれは尊い音楽であると思った。虚飾を排し、思いだけを残そうとした音楽。
コンサートの後、山本先生に誘われ、高橋悠治さん(皆さんは悠治さんと呼んでいたが、私は恐れ多くてそのような呼び方はできない)、工藤あかねさんが参加されている飲食の場に、私も加わらせていただいた。皆さんのお人柄に接することができた。
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コメント
そのような演奏会があることも、山本幡男の名も知りませんでした。ブログを読んで、その演奏会を聴いたような感動を覚えました。
投稿: Eno | 2020年11月 4日 (水) 12時19分
Eno様
コメント、ありがとうございます。
サロン・テッセラは、コロナのせいもあると思いますが、客席を30~40くらいの限定した狭い会場でした。そうであるだけにいっそう親密感を覚えました。素晴らしいコンサートだったと思います。
山本幡男のシベリアでの最期を思うたびに、私は涙が出そうになってしまいます。
ブログは時々読ませていただいています。時間を作って、「異端の鳥」をみたいと思っています。
投稿: 樋口裕一 | 2020年11月 4日 (水) 23時10分
テッセラ音楽祭「新しい耳」主宰の廻 由美子(めぐり ゆみこ)と申します。
突然コメントを差し上げる失礼をお許し下さいませ。
この度は第27回の第3夜にいらしてくださりありがとうございました。
また、素晴らしいブログを読ませていただき、胸が熱くなりました。
私も「収容所からの遺書」を読み、芸術文化の意味を改めて感じました。
小さな音楽祭ですが、こうして真剣にお聴きくださる方がいらっしゃること、とても嬉しいです。本当にありがとうございました。
廻 由美子
投稿: 廻由美子 | 2020年11月 6日 (金) 12時56分
廻由美子様
コメントありがとうございます。
お名前はかねがね伺っております。私はもっぱら弦楽器、声楽、オーケストラを聴きますので、残念ですが、リサイタルにお邪魔する機会はほとんどなかったかもしれません。
実は私は山本顕一先生に教えていただくまで、テッセラ音楽祭について、まったく知りませんでした。WEB版ぴあの「水先案内人」の一人としてコンサート紹介の記事を書いているというのに、こんな歴史のあるすばらしい音楽祭を知らなかったことを恥じています。ネットを見てみますと、これまでにも素晴らしい企画をなさってこられたのですね。これからは、最重要のイベントとしてチェックさせていただくつもりでいます。
本当に素晴らしいコンサートでした。来年からのコンサートも楽しみにしております。
投稿: 樋口裕一 | 2020年11月 6日 (金) 22時06分