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ノット&東響の第九 多面的で自由にあふれた第九

 20201228日、サントリーホールで東京交響楽団特別演奏会「第九」を聴いた。指揮はジョナサン・ノット。とても良い演奏だと思った。

 ノット&東響の第九は昨年に続いて、二度目。基本的には同じような演奏だと思う。速めのテンポでぐいぐいと音楽を推進していく。ティンパニが大活躍する。だが、決しておどろおどろしくはない。切れが良く、オーケストラが明晰に炸裂する。むしろ、きわめてスタイリッシュ。時々、テンポが微妙に変化する。しなやかになり、音楽に余裕ができる。生真面目にぎりぎりと推し進める音楽というわけではなく、激しく切り込みながらも、もっと自由でのびやかで、メリハリがあり、陰影がある。東響もノットの音楽づくりをよく知っているのだろう、明快でキレの良い音を出す。素晴らしい。

 私は昨日、パブロ・エラス・カサド指揮によるN響の第九に感動したのだったが、ノットを聞いてみると、カサドの指揮が若々しく生真面目に凝縮された音楽を作り出していたことに気づく。それに比べると、ノットの作り出す第九はもっと大人の音楽であり、様々な様相を持ち、多面性がある。自由さにあふれ、即興性のようなものを感じる。私はカサドの音楽に心の底から揺り動かされたのだったが、ノットの音楽もやはり素晴らしい。特に第2楽章に私は自由で即興的な魂の躍動を感じた。

 歌手陣も充実。バリトンのリアン・リの余裕のあるバリトンの深い声に圧倒された。テノールの笛田博昭も豊かな声量。ただ、いかにもイタリアオペラ風の歌いっぷりに私は少し違和感を覚えた。中島郁子もしっかり歌っているが、第九でのメゾソプラノはあまり目立たない。ソプラノのジャクリン・ワーグナーは素晴らしく豊かな美声。

 第九が終わった後、「蛍の光」がアンコールとして演奏された。大いに盛り上がったが、私個人としては、第九が終わった後はそのまま家に帰りたいと思った。

 今年は6つの第九講演を聴いた。「ちょっと飽きたな」と思いながら、聴き始めると、やはり夢中になる。散々なベートーヴェン・イヤーを6回の第九で取り返した気になった。

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パブロ・エラス・カサド&N響の第九に興奮した

 20201227日、サントリーホールでNHK交響楽団による第九スペシャルコンサートを聴いた。指揮はパブロ・エラス・カサド。

 第九の前に勝山雅世のオルガンによりバッハの「アリア」とコラール「主よ、人の望みの喜びよ」が演奏された。よい演奏かもしれないが、私としては第九だけのほうが嬉しい。主催者側にこのような曲目を置く理由があるのだろうか。

 第九は素晴らしかった。興奮した。あまりなじみのない指揮者だと思っていたが、会場で顔をみて思い出した。この人の指揮する第九のCDを聴いた覚えがある。演奏が始まって、確かにこのような演奏だったことも思い出した。

 古楽的な演奏だといってよいだろう。ヴィブラートが少なく、テンポが速い。昨日聴いた鈴木秀美の指揮と似たタイプだといってよいだろう。だが、もっと疾風怒濤。小気味よいほどに音が重層的に重なり合い、ぶつかり合って高まっていく。切れが良く、激しくうねる。だが、決して音が濁らない。N響は指揮者の指に応じて、瞬時に音楽の表情を変えて求心的に音楽を進めていく。

 第1楽章がことのほか素晴らしかった。こんなに魂をえぐる第1楽章を初めて聴いたと思った。ぐいぐいと音楽を推し進めていく。私は心を引き裂かれそうになりながら、音楽とともに生き、音楽空間の中に精神を没入させた。何度か身体の奥の方から感動が押し寄せてきた。

 第2楽章も大きく躍動した。神秘なものが跋扈する、そんな印象を受けた。清純そのものではない。魑魅魍魎とも言ってよいのかもしれない。だが聖なるもの。そのようなものが生命をもって音楽として躍動した。

 第3楽章も美しかった。じわじわと音楽が高みに向かっていく。第1楽章、第2楽章と、天を仰ぎながらも地面をはいつくばっていた魂が、ここにきて天上に向かっていく。その上昇の物語を聴いている気になった。

 そして第4楽章。レチタティーヴォ風の部分の手際もよく、歌の部分に突入。谷口伸の柔らかいバリトンの声に驚いた。まるでリートを歌うような語り掛ける歌。声も美しい。テノールの宮里直樹も張りのある美しい声でしっかりした音程で歌う。メゾ・ソプラノの加納悦子も明確な歌。そして、ソプラノの高橋絵理も美しくて伸びのある声が素晴らしい。三澤洋史合唱指揮の新国立劇場合唱団(40名ほどだった)も文句なし。

 ワクワクするような音楽の高揚だった。我をなくしたくなるほど、私は心の喜びを感じ、叫びだしたいほどの気持ちになった。魂の爆発。最後はまさに祝祭。

 これまで何度も第九の名演を聴いてきた。だが、今回は、これまでのすべての名演に決して劣らない超名演だと思った。少なくとも、私の大好きな演奏だった。感動のあまり涙が出てきた。スタンディングオベーションが起こった。私も立ち上がって拍手した。

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鈴木秀美&神奈川フィルの若々しい第九

 2020年12月26日、ミューザ川崎シンフォニーホールで、神奈川フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェンの第九演奏会を聴いた。指揮は鈴木秀美。

 弦のヴィブラートの少ない古楽的なアプローチの第九だ。巨匠としてのベートーヴェンというよりも若々しいベートーヴェンが浮かび上がる。きびきびした音楽で、理詰めに音楽が高揚していく。いたずらにドラマティックにすることはないし、どこかを無理やりに強調することもないのだが、必然的に音楽が高まっていく。構成感はしっかりしており、最後まで形が崩れない。オーケストラはしっかりとした音をす。潤いのある音ではないのだが、このような指揮ではこれはけっしてマイナスにはならない。てきぱきとした音が心地よかった。

 第2楽章が特に素晴らしかった。音が躍動し、オーケストラ全体が一つの生き物になったかのように生命力をもって動いていた。第3楽章は、ファンファーレのころから急に音楽がスピードを上げて高揚していった。このような解釈は初めて聴いたような気がする。ゆっくりゆっくりと高みへと進み、高みに達してからは急に饒舌になって音の動きを楽しみ始めたかのような雰囲気になった。

 第4楽章も若々しさが広がった。独唱陣も若いメンバーだったのだと思う。みんなが若々しい声を聞かせてくれた。バスの氷見健一郎も朗々たる声、テノールの中嶋克彦も、この難しい旋律を豊かに歌った。アルトの布施奈緒子も落ち着いた美声。だが、私がとりわけ惹かれたのはソプラノの中江早希だった。なんと美しい声。ふくよかな豊かさがありながらも澄み切っており、ホール内に大きく響き渡った。

 合唱はコーロ・リベロ・クラシコ・アウメンタート。30名ほどだったが、素晴らしい声だった。

 今年4回目の第九だ。散々なベートーヴェン・イヤーだったので、年の瀬くらいは盛大にベートーヴェンを味わいたいと思ったのだった。これで終わりではない。あと2回、今年中に第九を聴く予定だ。それぞれに味わいが異なるが、今日は若さにはち切れそうなベートーヴェンを聴かせてもらった。鈴木秀美さんは決して若者というわけではないが、何と若々しい感性を持っているのだろうと感嘆した。

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広上&新日フィルの第九  開放性に違和感を抱きながらも最後は感動

 20201220日、すみだトリフォニーホールで新日本フィルハーモニー「第九」特別演奏会を聴いた。観客は満員。空席を作らず、全席に客を入れていた。指揮は広上淳一。「第九」の前に、ベートーヴェンの交響曲第1番が演奏された。

 第1番については、かなりオーソドックスな演奏だと思う。ベートーヴェンは若いころから大作曲家だったのだなと納得させられるが、私はあまり感銘を受けなかった。第1番を加える意味は何だったのか疑問に思った。

 第九に関しては、メリハリのきいた明瞭な演奏といえるだろう。スケールが大きく、構成感がある。巨匠的な大きな造りでありながら、きびきびと音楽が進んでいく。

 ただ、私は第1楽章からかなり違和感を覚えた。もし私が指揮者だったら(もちろん、私の音楽的才能はゼロなので、夢想的な仮定でしかないのだが)、展開部の盛り上がりの部分で、顔をゆがめ、絶望の身振りをし、うつむいてタクトを下に向けて地を掘るようなそぶりを見せるだろう。言葉にならない鬱積した魂の絶望的な叫びを音にしようとするだろう。ところが、広上は顔を上げて両手を大きく広げる。オーケストラからは、その身振りにふさわしい開放的な音が聞こえてくる。このように全体的に、求心的というよりも拡散的な音楽になっている。マエストロはきっとそのような音楽を作りたいのだと思うが、私の好きな第九ではない。

 第2楽章も同じような雰囲気を感じた。第3楽章はとても美しかった。開放的な音が美しさを際立たせていた。ただ、私の好みからすると、やはりもっと求心的な昇華であってほしい。

 第4楽章が始まっても合唱団も独唱者たちも舞台に登場しなかった。バリトン独唱が入る少し前になって、音楽が演奏されているさなかに合唱団(といっても16人)とソリストが舞台上に静かに表れて、歌い始めた。コロナのせいで、合唱団を絞っているためにこのような登場になったのだろうが、楽章の途中で拍手が起こって中断されたりしないこの方法は理想だと思う。

 独唱者(小林沙羅、林美智子、西村悟、加耒徹)は健闘。そして、16人の合唱メンバーも大健闘。しっかりと声が届いていた。

 広上の指揮は第4楽章にこそふさわしいだろう。開放的な音によって祝祭的に音楽が展開されていった。

 ただ、16人の合唱なのだったら、オーケストラももう少し小編成でよかったのではないか。ところが、第一ヴァイオリン10人の編成で、しかも広上の指揮はスケールの大きな音楽を作り出していたので、そこに16人だけの合唱というのは、かなり無理がある。確かに合唱は健闘しているが、このオーケストラだったら、せめて50人くらいの合唱団がいないと釣り合わない。

 とはいえ、最後の数分間の高揚はすさまじかった。祝祭感にあふれ、歓びにあふれた。これがマエストロ広上の考える第九の高揚なのだろうと思った。

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オペラ彩 「カルメン」プレコンサート 来年が楽しみだ!

 2020年12月19日、和光市民文化センター サンアゼリア大ホールでオペラ彩37回定期公演 オペラ「カルメン」プレコンサートを聴いた。

 オペラ彩は1984設立の団体で、理事長の和田タカ子さんを中心に自主制作のグランドオペラを19年連続して上演してきた。今回は「カルメン」上演の予定だったが、コロナ禍のために断念。ダブル・キャストとして出演予定だった歌手たちが出演して、来年に延期された「カルメン」公演のための「プレ」として行われたのが、今回のコンサートだった。

 私は昨年、初めてこの団体による「ナブッコ」をみて、驚嘆。とてもレベルの高い、素晴らしい上演だった。涙を流してみた。このようなレベルの高い上演を長年続けているご苦労は並大抵ではないだろうと思った。今年も楽しみにしていた。プレコンサートになったのは残念だったが、ダブル・キャストの2公演分の歌手たちを一度に聴けるのもラッキーといえばラッキーだと思って出かけた。まさに、現在第一線で活躍中のオペラ歌手たちの競演。

 1席おきの座席。第一部はプッチーニ「ラ・ボエーム」より。第二部と第三部は「カルメン」からの抜粋。ピアノ伴奏による。指揮・ピアノは佐藤正浩、構成・演出は直井研二。

 歌手陣は充実していた。「ラ・ボエーム」の第一幕は特に充実。ロドルフォの布施雅也、マルチェッロの原田勇雅、ショナールの井上雅人、コッリーネの佐藤泰弘、いずれも声に張りがあり、音程もしっかりしていてとてもよかった。ムゼッタの鷲尾麻衣も、ちょっと緊張の見える出だしだったが、だんだんと華やかになって、外見の美しさとともに聴きごたえがあった。

「カルメン」では、私はやはりホセを歌う樋口達哉の美声に痺れた。観客をひきつける力を持っている。カルメンを歌う二人の歌手、鳥木弥生と丹呉由利子はともに妖艶さを感じなかったが、それは演出によるのだろうか。だが、鳥木はしっかりしたフランス語で陰影のある歌を聴かせてくれた。丹呉も魅力的な歌唱だと思う。そのほか、ミカエラを歌った鷲尾麻衣、もう一人のホセ、小野弘晴もよかった。

 とりわけ、樋口と鳥木による「カルメン」の最後の場面はドラマティックで聴き声堪えがあった。うーん、ただやはりオーケストラで聴きたい! ちゃんとした舞台公演として聴きたい! 二人のすばらしさを感じれば感じるほど、目の前のピアノ伴奏による抜粋では物足りなくなってくる!

 今回は来年の本公演のための「予告編」だったと思うしかないだろう。予告編としては、とても豪華で見ごたえがたっぷりだった。来年を楽しみにしたい。

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尾高&東フィルの第九 第2楽章まで魂を震わせた

 2020年12月18日、東京オペラシティコンサートホールで東京フィルハーモニー交響楽団のベートーヴェン「第九」特別演奏会を聴いた。指揮は尾高忠明。

 第2楽章までは素晴らしいと思った。ヴァイグレ&読響の第九を聴いたばかりだが、それと比べると、もっと日本人好みとでもいうか。私が60年近く前から繰り返し聴き、感動してきた第九演奏の延長線上にあるのを感じる。勢いのある演奏で、重心が低く、鋭く切り込む。60年前から私が感動してきたところで、期待通りの感動をさせてくれる。マエストロ尾高も私と同じところで第九に感動してきたのだろうとつくづく思う。ぐいぐいと心の奥底に食い込んできた。私にとって、さほど目新しくはない解釈だが、やはり感動に身を震わせた。造りが大きく、男性的にうねる。しかも、形が崩れず、構成がしっかりしている。

 ただ、第3楽章になって、オーケストラの精度が落ちてきた気がした。精妙な音の連なりにならない。天国的な響きにならない。音と音が美しく絡まって次のフレーズにつながっていかない。

 第4楽章は、やや力任せのようになった。とりわけ合唱が登場してからは、ますます精度が落ちたのではないか。感染対策なのだろう、合唱団(新国立歌劇場合唱団)が間隔を取りながら2階席に陣取って、オーケストラをコの字型にとりかこむようになっていた。そうなると、私の席(1回前方)では、音がまとまらず、散漫に聞こえた。

 四人の独唱者(吉田珠代・中島郁子・清水徹太郎・伊藤貴之)も、一人一人はしっかりと声を出しているのだが、四人がまとまりをもって聞こえない。ひとりひとりの独唱者も合唱の各パートもオーケストラも、ともあれ力一杯に演奏しているのだが、それがバラバラになっている気がした(もしかしたら、私の席のせいだったのかもしれない)。ただ、この曲はそれでも十分に音楽として成り立ち、祝祭的な雰囲気になる。そうやって曲は終わった。

 私としては、第2楽章までは心の底から感動して聴き、第3楽章以降はハラハラして聴き、最後は腹を決めて祝祭に加わった気持ちだった。

 そうはいいながら、素晴らしい箇所はいくつもある。しばしば感動し、「ベートーヴェンは凄い」としばしば思いながら聴いた。

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ヴァイグレ+読響の第九 ドイツ的だがしなやかな第九

 20201216日、東京芸術劇場で読売日本交響楽団「第九」特別演奏会を聴いた。私にとって今年最初の第九。指揮はセバスチャン・ヴァイグレ。コロナによる2週間の待機を終えて日本で演奏してくれるのは本当にありがたい。

 第九の前に、三原麻里のオルガンによるベートーヴェンの「笛時計のための5つの小品」からのスケルツォとアレグロ、そしてバッハ作曲とされるトッカータとフーガ ニ短調が演奏された。ベートーヴェンのほうは笛時計(当時はやっていた自動演奏装置らしい)のための、かなり他愛のない音楽だったが、十分に楽しめた。トッカータとフーガについては、改めて聴いて、よく言われる通り、きっとヨハン・セバスチャン・バッハの真作ではないだろうと素人ながら思った。どう考えても、このこけおどしは大バッハらしくないし、大バッハの深みがない。

 第九については、素晴らしかった。ヴァイグレの作りだしたのは、ドイツ正統派の第九といってよいだろう。小手先の小細工はまったくない。聞こえてくる音はまさしくドイツの音。深みがあり、落ち着きがある。だが、決して渋いわけではなく、しなやかで勢いもある。きっちりと構成を踏まえたうえで、しなやかに音を重ねていく。弦の音にとりわけ色気のようなものがあるのを感じる。ごつごつした男性的な第九ではなく、造形的な優美さのある第九といえるだろう。

 第一楽章も第二楽章も素晴らしかったが、私は何よりも第三楽章にうっとりした。それまでの二つの楽章はかなり速めだったが、この楽章は落ち着いたテンポだったと思う。コンサートマスターの長原幸太が美しい音を紡ぎ、しなやかに自然に天国的な音の響きを作っていく。鳥肌が立つほどの美しい箇所がいくつもあった。少しずつ盛り上がってファンファーレへとつながっていく。

 第四楽章も、形の崩れない音楽だった。知的にコントロールされているが、激しいところは激しいので、音楽が弛緩することがない。歌手陣は見事。とりわけ、バリトンの大沼徹は私がこれまで録音で聴いてきた名歌手たちに劣らぬ朗々たる声。ソプラノの森谷真理もとてもいいし、もちろん外国人勢(メゾ・ソプラノのターニャ・アリアーネ・バウムガルトナーも、テノールのAJ・グルッカート)も素晴らしい。新国立劇場合唱団もいい。コロナの精で人数を絞っていると思われるが、十分に声が出ていた。

 第四楽章後半はこのうえなく高揚した。しかし、そうであっても、我をなくすのではなく、あくまでも論理的だと思った。すっきりとまとまり、余計なものはなく、音楽の内部で高揚している。素晴らしい。私は大いに興奮した。

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「小荘厳ミサ曲」の最後のアルト・ソロに感動した

 2020126日、テアトロ・ジーリオ・ショウワでロッシーニの「小荘厳ミサ曲」を聴いた。これは、ベルカントオペラフェスティバル イン ジャパンの一環として行われたコンサートで、本来はニコラ・ヴァッカイ作曲の「ジュリエッタとロメオ」が上演される予定だったのがコロナの影響で変更になったもの。素晴らしい演奏だった。

 私はこれまでピアノとハルモニウムによるヴァージョンを聴いてきたが、オーケストラ版は初めて。ロッシーニ自身の編曲によるオーケストラ・ヴァージョン。かなり雰囲気が異なるので驚いた。

 演奏は園田隆一郎の指揮によるテアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ、藤原歌劇団合唱部。迫田美帆(ソプラノ)、松浦麗(アルト)、澤崎一了(テノール)、小野寺光(バス)。演奏はすべてがそろっていた。オーケストラも健闘。歌手陣は全員が素晴らしい。歌手陣は合唱も含めて全員がシールドをつけていた。少し音がこもって聞こえたが、実際には舞台の最前列で歌っているのが、少し後方で歌っている感じになるくらいで、慣れればそれほどの違和感は覚えなかった。

 それにしても不思議な曲だと思う。信仰心にあふれる曲想かと思うと、きわめて俗っぽくなる。聖と俗が入り混じっているとでもいうか。これが、37歳のころにオペラ作曲家を引退し、隠居して過ごしたロッシーニが70歳を過ぎた晩年の境地だったのだろうか。快楽を好み、物事をあまり深刻に考えずに楽天的に生きてきた男が老年に達し、多くの死をみて、自分の死も間近にした境地だとすると、納得できる気がする。決して重くはならない。だがしみじみとした味わいがある。肩の力を抜き、静かに人生や神を見つめている。

 最後の曲「神の子羊」のアルトのソロの深い思いには揺さぶられた。ロッシーニがどのような信仰を持っていたかはよく知らないが、この曲を聴くと、その深い信仰が理解できる気がする。感動した。

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南紫音・清水和音のベートーヴェン4・5・10 誇張のないくっきりとした名演

 2020125日、昨日に引き続いて、南紫音ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏を聴いた。ピアノ演奏は清水和音。曲目は前半に第4番と5番「春」、後半に第10番。昨日と同じようにとても良い演奏だった。

 誇張せず、我を忘れたりせず、冷静に知的に高貴に、しかし十分な情感と情熱をもってくっきりと演奏する。細かいニュアンスが豊かで、雑なところがない。音楽が淀みなく流れ、ヴァイオリンとピアノの掛け合いも素晴らしい。曖昧なところがなく、輪郭のはっきりした音が流れていく。

 特に第5番の冒頭のヴァイオリンのニュアンスの豊かさに息をのんだ。しなやかで深みのあるヴァイオリンの音。開放感にあふれ、幸せにあふれているのを感じる。くっきりとヴァイオリンとピアノの音が聞こえる。

 第10番も素晴らしかった。肩の力の抜けたベートーヴェンの晩年の心境を示す作品だと思うが、曲の特徴を明確に表現していると思った。一つ一つのヴァイオリンとピアノの音がしっかりと魂の奥にまで届く。こけおどしの音など一つもなく、すべての音が演奏者の内面を通っている。そのように感じさせる。とても説得力のある音楽になっていた。

 昨日は第7番という、ハ短調の魂をえぐるような音楽が演奏されたが、今日はそのような曲がなかったのがちょっと残念。しかし、心の底から満足できた。

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南紫音・清水和音のベートーヴェン3番、7番に感動

 2020年12月4日、サントリーホール ブルーローズで南紫音ベートーヴェン ヴァイオリンソナタ全曲演奏会第一日を聴いた。ピアノ演奏は清水和音。曲目は前半に第2番3番、後半に6番7番。

 第2番の初めは少しヴァイオリンが硬かったが、すぐに伸びやかな音になってきた。ヴァイオリンもさることながら、ピアノが美しい。二人とも細かい音の処理が清潔でとても美しい。真摯に音楽に向き合い、誇張せず、音楽そのものを自分のものにして表出しようとしていることがよくわかる。ヴァイオリンもピアノも美しい音だが、音に溺れる美しすぎる音を出すわけではない。清水のサポートによるところもあるのかもしれないが、南もきわめて知的で論理的で構成もしっかりしている。

 私には第3番の自由でのびのびした表現が魅力的だった。曲の違いをはっきりと打ち出し、この第3番では自由で楽しい雰囲気を前面に出していた。心の底から浮き上がるような喜びがヴァイオリンから湧き上がってきた。

 第7番も素晴らしかった。スケールが大きく、ベートーヴェン的な魂の躍動を見事に表現していた。若い女性がベートーヴェンを演奏すると、しばしば巫女が神がかりになるような雰囲気を感じるが、南紫音にはそのようなところはない。論理的に高揚していく。素晴らしい。大いに感動した。

 注目のコンサートのわりに空席が多いと思っていたが、どうやら2席分あけて2席を埋めるような配置になっていたようだ。新型コロナウイルス完成予防のために咳を空けているのだろうが、1席ごとにあけるよりは客数を増やせるために2席ごとにしているのだろうか。

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