« 2020年12月 | トップページ | 2021年2月 »

オペラ映像「エルナーニ」「二人のフォスカリ」「ジョヴァンナ・ダルコ」「アルツィーラ」

 二度目の緊急事態宣言が出て3週間。果たして、宣言の効果は出ているのかどうか。大いに気になるが、ともあれ、私としては政府・東京都の呼びかけに応じて、不要不急の外出はしないようにしている。仕事も半分はテレワークにして、コンサートも減らし、自宅で仕事をし、疲れたら、オペラ映像をみたり、CDを聴いたり。

 トゥット・ヴェルディの続きをみたので、簡単な感想を書く。

 

「エルナーニ」2005年 パルマ・レッジョ劇場

 このオペラの映像はニューヨーク・メトロポリタン・オペラのライブビューイングで一度だけみた記憶がある。その時も思ったが、私はストーリーについていけない。登場人物の言動にことごとく納得できない。オペラにおいて、登場人物に感情移入できないと、歌がかくも空々しく聞こえてくるものかと改めて痛感する。

 歌手陣は健闘している。エルナーニのマルコ・ベルティは輝かしい声、ドン・カルロのカルロ・グエルフィも気品ある声、シルヴァのジャコモ・プレスティアも威厳がある。エルヴィーラのスーザン・ネヴィスもしっかりした声。しかし、図抜けたすばらしさではなく、とりわけ恋人二人が外見的にも感情移入できないので、私は白々として画面を見ることしかできなかった。

 アントネッロ・アッレマンディの指揮によるパルマ・レッジョ劇場管弦楽団は少々もたつき気味だと思う。音楽が盛り上がっていかない。単調で切れ切れに感じる。ピエラッリによる演出に特に新たらしい解釈はないと思う。照明の暗い場面が多いのは致し方ないのかもしれないが、単調さを感じた。

 

「二人のフォスカリ」200910月パルマ・レッジョ劇場 

 簡素な筋書きながら、オペラ自体とてもおもしろいし、上演も素晴らしい。

 なんといってもレオ・ヌッチのフランチェスコ・フォスカリの歌唱と演技に圧倒される。息子を思いながらも何もできず、自らも力を奪われてしまう老人を痛々しく、しかも強い声で歌う。ヤコポ・フォスカリを歌うロベルト・デ・ビアージョも高貴な声で見事。ただ、メイクのせいか、顔の造作のせいか、悪役にしか見えないのが残念。タチアナ・セルジャンは澄んだ強い声でけなげな妻を歌う。容姿もこの役にふさわしくて素晴らしい。ロレンダーノを歌うロベルト・タリアヴィーニもいかにも悪漢の冷淡な役を見事に演じている。

 ドナート・レンゼッティの指揮するパルマ・レッジョ劇場管弦楽団も不満には感じなかった。ドラマティックに悲劇を描き、全体を緊密にまとめている。演出はジョゼフ・フランコーニ・リー。簡素ながらわかりやすい演出だと思う。

 いやあ、このオペラ、本当におもしろい。もっと上演されていいと思うのだが。

 

「ジョヴァンナ・ダルコ」 2008年 パルマ・レッジョ劇場

 私の知っているジャンヌ・ダルクの物語とはかなり異なる。娘が悪魔に惑わされていると信じて疑わない父親とジャンヌの肉親の愛憎が物語の中心になっており、ジャンヌは火刑にならない。話があまりに安易に展開するので、歌に説得力を感じない。

 カルロ7世のエヴァン・ボウラーズは高貴な声で明瞭に歌う。とてもいい歌手だと思う。ジョヴァンナのスヴェトラ・ヴァシレヴァはきれいな声だが、ちょっと一本調子。もう少し歌唱にメリハリがほしい。父親ジャコモを歌うのはレナート・ブルゾン。往年の名歌手であって、演技や表現力は見事だが、残念ながら声が伸びずに音程が不安定になる。

 ブルーノ・バルトレッティの指揮するパルマ・レッジョ劇場管弦楽団はとてもドラマティックに音楽を盛り上げる。ガブリエーレ・ラヴィアの演出はわかりやすいが、特に感銘を受けなかった。

 

「アルツィーラ」(演奏会形式) 2012年 ドッビアーコ

 このオペラの存在そのものをこれまで知らなかった。しかも、演奏しているのが、ドッビアーコ専修管弦楽団・合唱団とボルツァーノ・トレント・ハイドン管弦楽団だという。私はまったくこれらのオーケストラを知らなかった。指揮をするのはグスタフ・クーン。クーンの功績なのかもしれないが、予想よりもずっと見事な演奏。まったく不満はない。

 歌手陣も悪くない。日本人が三人も歌っているのにびっくり。平野和がアタリバ、土崎 譲がオトゥンボを歌う。そして、なんと主役のアルツィーラを歌うのは齊藤純子。私はこの人の歌を一昨年、新国立劇場の「フィレンツェの悲劇」で初めて聴いて圧倒されたのだったが、この「アルツィーラ」も素晴らしい。無理のない自然な発声で強く美しく歌う。立ち居振る舞いも含めて、ほかの歌手たちにまったく聴き劣りも見劣りもしない。このような世界の最前線で通用する日本人歌手が日本国内であまり知られていないのはとても意外だ。日本が誇るべき歌手だと思う。

 といいつつ、演奏会形式であるため、ストーリーがあまり把握できなかった。だが、音楽を聴く限り、ヴェルディ特有の盛り上がりがあり、歯切れの良さがあって、とてもおもしろかった。十分に楽しめた。

| | コメント (0)

ファウスト&メルニコフのシューマン 知的で感受性豊か

 2021123日、川口リリア・音楽ホールで、イザベル・ファウスト&アレクサンドル・メルニコフのデュオ・リサイタルを聴いた。

 曲目は前半にシューマンのヴァイオリン・ソナタ第1番とウェーベルンのヴァイオリンとピアノのための4つの小品作品7、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ変ホ長調作品1202(クラリネット・ソナタ第2番のヴァイオリン版)、後半にシューマンのヴァイオリン・ソナタ第2番。

 ファウストとメルニコフのデュオはこれまで数回聴いている。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏も聴いた。聴くごとに感動してきた。今回も感動。

 ファウストの感情過多にならない、知的で高貴なロマンティズムが素晴らしい。メルニコフのピアノもしなやかで柔らかい音でありながら、強いところは強く、音の粒立ちが美しく、まさに感受性豊か。この二人の音楽は知的で感受性豊かになる。

 シューマンの1番のソナタの第1楽章の前半はちょっと足並みが乱れた感じだったが、だんだんと盛り上がった。第2楽章はとりわけ素晴らしかった。繊細でチャーミングでロマンティック。二人の掛け合いが絶妙。第3楽章も起伏がありリズムが躍動。

 ウェーベルンは切れの良いヴァイオリンの音でまさしく音の実験とでもいえるもの。ただ、音楽的教養がほとんどリヒャルト・シュトラウスの時代までで途切れている私にはこれ以上のことは言えない。

 ブラームスのソナタについては、この曲のヴァイオリン版は初めて聴いたので、クラリネットの音とヴァイオリンの音で、これほどまでに印象が異なるのかと驚いた。クラリネットではあれほど枯淡の境地に聞こえる音楽が、少なくともファウストのヴァイオリンでは、それほど年寄り臭くなく響く。ただ、ヴァイオリンの音による印象の違いに戸惑っているうちに音楽が終わった。

 最後のシューマンのヴァイオリン・ソナタ第2番は、実は私の苦手な曲だ。嫌いというのではないのだが、これを聴くとまさにシューマンの狂気の世界に誘い込まれる気がする。偏執狂的なこだわりというべきか、おなじ音形が執拗に繰り返されるので、聴いている私は耐えられなくなり、叫びだしたくなる。そのようなぎりぎりのところにあるロマン主義とでもいうか。

 ファウストとメルニコフは、この狂気の世界を真に受けて真正面から再現しようとしているのではないように私には思えた。きっと二人とも、この曲の中にどっぷりとは浸かっていない。客観的にそれを見ながら、シューマンの世界を再現していく。その意味で少し限界があるような気がする。時折、ファウストが音楽を持て余している様子が見て取れる。しかし、鋭利な音が知的なシューマンを作り出す。とてもおもしろかった。

 アンコールはシューマンの幻想小曲集作品73からの3曲。いずれも文句なしに素晴らしかった。知的で高貴な音でロマンティックで夢幻的な世界を描き出す。

 シューマンの2番のソナタを聴いた後はいつもそうなのだが、家に帰り着くまで1時間あまり、頭の中で第4楽章の執拗に繰り返されるメロディが鳴り続けていた。

| | コメント (0)

オペラ映像「ローエングリン」「オベルト」「一日だけの王様」「第一回十字軍のロンバルディア人たち」

 年末から小論文参考書の原稿を書いていたが、昨日、編集者に送った。今週いっぱいはのんびりしたい。とはいえ、緊急事態宣言下とあって、外に出て遊びまわるのはなるべく避けたい。テレビで放送されていたのを録画した映画をみたり、音楽を聴いたりして過ごすしかない。何本かオペラ映像をみたので簡単な感想を書く。

 

ワーグナー 「ローエングリン」2018年 シュトゥットガルト州立歌劇場

 演奏面ではすばらしいと思った。歌手陣は充実。私は特にエルザを歌うシモーネ・シュナイダーに惹かれた。清純な美声ながら声の強さもある。自信なげな表情をしっかりと歌の載せながらもビンビンと響く。エルザにぴったりだと思う。オルトルートのオッカ・フォン・デル・ダメラウも、強い声が素晴らしい。フリードリヒのマーティン・ガントナーも自分の正義を貫こうとする役を見事に歌う。ハインリヒ王のゴラン・ユーリッチもこの役にふさわしい深いバスの声。伝令を石野繁生が歌っている。一音だけ声が途切れるのが残念だが、見事な歌唱。ほかの歌手にまったく引けを取らない。

 ただ、私としては題名役のミヒャエル・ケーニヒは美声なのだが、声が出ていない気がした。演出によるのかもしれないが、自信なげな、ぱっとしないローエングリン。作業服で現れ、おどおどしている。演出には適合しているのかもしれないが、ペーター・ホフマンやフォークトやカウフマンの外見とは比較のしようがない。

 指揮はコルネリウス・マイスター。起伏の大きいドラマティックな演奏。それはそれで説得力があるのだが、このオペラに特有のぞくぞくするような官能性と夢幻性はあまり感じなかった。

 演出については、私はよくわからなかった。ローエングリンは行きがかり上仕方なくエルザを弁護することになったのだろうか? 最後、群衆はオルトルートの肩を持ち、みんなでエルザに非難のまなざしを向けて終幕になる。どういうことだろう?どこかで伏線を見落としてしまったために、私に理解できないのだろうか。

 オーケストラ、合唱団に不満はないが、指揮者の背後に見える壁があまりに粗末なのが気になった。老朽化しているのだろうか。シュツゥットガルト歌劇場の前を通ったことがあるが、たしかにかなり地味な建物だったことを思い出した。

 

「オベルト」2007年 パルマ

 ヴェルディのオペラ映像全集(トゥット・ヴェルディ)を入手。ヴェルディのオペラを初期のものから少しずつみていくことにした。私は特にヴェルディ好きというわけではないので、初期のオペラは初めてみるものが多い。初心者風の感想になるが、やむを得ない。

「オベルト」はヴェルディの最初のオペラ。初めてみた。確かに、かなりぎこちない。台本のせいもあるのかもしれないが、やはり音楽そのものがぎこちない。次々とでくの坊のように中身の薄い人物が登場して歌を歌って交代していくような印象を受ける。

 とりわけ、この上演は若手中心なのか、歌手陣による人物の造形にあまり説得力がない。レオノーラを歌うフランチェスカ・サッスが特に学芸会的。必死に演じようとしているが、歌唱力も演技力も付いて行っていない。クニーツァ役のマリアーナ・ペンチェヴァも力演のわりに訴える力は弱い。オベルト役のジョヴァンニ・バッティスタ・パローディとリッカルド役のファビオ・サルトーリは、図抜けているとは言えないが、しっかりした歌唱。

 アントネッロ・アッレマンディ指揮のパルマ・レッジョ劇場管弦楽団については健闘しているといったところだろう。素晴らしい演奏とは言えないような気がする。

 とはいえ、ヴェルディの最初のオペラをあまりに立派に演奏するよりも、このように若手が必死に歌っているほうが、それにふさわしいともいえるだろう。ぎこちないながらも、必死にオペラを作り上げている様子が伝わり、初々しい。のちのヴェルディのオペラを思わせるようなメロディがふんだんにある。歯切れのいいメロディ、美しいメロディもあり、オーケストレーションも工夫にあふれている。感動してみることはできないが、ヴェルディの最初のオペラとして大変興味深くみることのできる上演だといえるだろう。

 

「一日だけの王様」2010年 パルマ

 初めてみた。騎士ベルフィオーレが一日だけポーランド王の影武者になり、若い男女の恋を成就させ、自分の恋もかなえるという喜劇。とてもおもしろかった。まるでドニゼッティのよう。「ウィリアム・テル」序曲のあの有名な行進曲を思わせるリズムがたびたび現れるので、ロッシーニも思い出す。

 ベルフィオーレ役のグイド・ロコンソーロが声も容姿も立派で申し分ない。しかも自在に歌い、みるものを引きつける。ポッジョ侯爵夫人のアンナ・カテリーナ・アントナッチも本当に素晴らしい。伸びのある美しい声で清潔に歌うが、容姿に色気があるので、エロティックに響く。ジュリエッタのアレッサンドラ・マリアネッリも清純な容姿と声でこの役にぴったり。エドアルド役のイヴァン・マグリは、容姿はジュリエッタの恋人にぴったりで、高音は強くて美しいが、時々音程が怪しくなる。

 ドナート・レンゼッティという指揮者は初めて知った気がするが、生き生きしていてとてもいい。パルマ・レッジョ劇場管弦楽団も特に不満はない。ピエール・ルイージ・ピッツィの演出も、かなりオーソドックスだと思うが、わかりやすくてきびきびしていて、とても愉快。気楽にみられる喜劇として、よくできていると思う。

 

「第一回十字軍のロンバルディア人たち」2009年 パルマ

「ナブッコ」の後の作品。明らかにヴェルディの方向性がはっきりと示されているのが、私のような門外漢にもよくわかる。ストーリー的には、盛り込みすぎで不自然なところが多いが、それはそれでドラマティックとはいえる。

 ジゼルダのディミトラ・テオドッシュウがやはり圧倒的に素晴らしい。強靭な美しい声で技巧も確か。ドラマティックに、しかもしっとりと歌う。オロンテのフランチェスコ・メーリも高貴な美声がとてもいい。愛し合うこの二人の場面は息をのむ。パガーノのミケーレ・ペルトゥージ、アルヴィーノのロベルト・デ・ビアージョともにしっかりした歌唱だが、圧倒的とは言えない。

 ダニエレ・カッレガーリの指揮のパルマ・レッジョ劇場管弦楽団は、勢いがあり、メリハリがあってとてもいい。演出はランベルト・プッジェッリ。ピカソの「ゲルニカ」などの名作絵画(あるいは、それに似たもの?)を背景に出して、メッセージを伝える。ストーリー的にはイスラム教にそれなりの敬意を払うふりをして、その実、まったくもってキリスト教徒にとっても虫のいい話なのだが、ヴェルディの時代としては致し方ないだろう。演出では、それを少々ぼかして、最後、十字軍の戦いの中で死んでいた者たちがよみがえって未来への希望を示すが、それはキリスト教とイスラム教の融和する未来への希望でもあるだろう。

 全体的にはとてもおもしろかった。

| | コメント (0)

インバル&都響のブルックナー 都響サウンドに酔った

 2021年1月13日、サントリーホールで都響スペシャル2021を聴いた。指揮はエリアフ・インバル。曲目は、前半にワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死、後半にブルックナーの交響曲第3番初稿版。

 二度目の緊急事態宣言によって、20時以降の外出自粛が呼びかけられている。イベントは中止になっていないとはいえ、躊躇しないでもない。だが、かのインバルが2週間の待機を経て日本でコンサートを行う、しかも曲目がワーグナーとブルックナーとあっては足を運ばないわけにはいかない。それに、客席がガラガラだったら、インバルを悲しませることになってしまう。クラシック・ファンとして、それは避けたい。そう思って出かけたのだったが、客席は、3席のうち1席を空けてはいるものの、満席だった。

 のっけから圧倒的な音だった。これぞ東京都交響楽団! まさに都響サウンドというべきだろう。クリアで色彩的でちょっと硬質で強靭。そして、何よりきわめて精妙。「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲の音色の変化がとても美しく、しかも深い。ちょっと硬質な官能が押し寄せてくる。一つ一つの楽器の透明な音のまま重なっていく。

 ブルックナーの交響曲第3番はいっそう都響サウンド炸裂といってよいだろう。初稿版なので、ワーグナーからの引用のあるヴァージョン。昔から聴きなれたヴァージョンではない。CDでは何度か聴いているが、実演で聴くのは初めてだと思う。聴きなれない部分が出てきたり、聴きなれた展開にならなかったりで戸惑った。正直言うと、第1楽章では、私は音楽の中で迷子になり、途方に暮れた。だが、第3楽章以降は音の世界で心を躍らせ、感動し、ブルックナーの法悦にしびれた。

 インバルの指揮は実に緻密。完璧にオーケストラをコントロールしているようだ。すべての音が絶妙に絡み合っているのを感じる。金管楽器がとりわけ腹に響く音を出す。しかし、決して重くない。引き締まった華麗さとでもいうか。このような音でブルックナーの大伽藍とでもいうべき音の建築物が現れる。昔ながらの重量感あふれる男性的なブルックナーではない。ちょっとマーラーっぽさを感じないでもない。だが、これはこれで素晴らしい。何度も感動に震えた。

 国や都の呼びかけに反しての夜の外出だったが、実に満足。生の音楽は素晴らしい。インバルは素晴らしい。

| | コメント (0)

ヴァイグレ&読響の「新世界」 絶妙のバランス

2021110日、緊急事態宣言の二度目の発出のため、少しためらったが、東京芸術劇場で、読売日本交響楽団の演奏を聴いた(「日曜マチネーシリーズ」)。指揮はセバスティアン・ヴァイグレ。

 不要不急の外出は自粛するように求められているが、5000人以下のコンサートは開催されてもかまわないことになっている。チケットを購入しており、しかもヴァイグレは入国後、2週間の待機を経て日本で演奏してくれているのだから、これは聴きに行かないわけにはいかない。

 曲目は、前半にリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」とブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリンは金川真弓)、後半にドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。とても良い演奏だった。

「ドン・ファン」は華やかで濁りのない音が際立っていた。曲想の変化も鮮やかで、しなやかに、そしてくっきりと音楽が展開していく。しかし、けっしてあざとくない。シュトラウスの交響詩は一つ間違うと、あざとくなってしまうが、そうはならない。ヴァイグレの指揮はまさに正統派の音楽を目指すものだと思う。緻密に構成され、勢いがあり、しなやかな優美さがある。読響も実力を発揮してとても美しい音を出している。

 ブルッフについても、ロマンティックで美しかった。これも、行き過ぎると過度にロマンティックになり、形が崩れるのだが、そうはならない。金川のヴァイオリンの音もあざとさのない、抑制されたロマンティズムといえるようなもの。徐々に徐々にロマンティックに精神が広がりをもっていく。

「新世界より」も、同じ印象を抱いた。しなやかで優美でノスタルジックな部分と胸をかき乱すような激しい部分が魔法のように行ったり来たりする。絶妙のバランスをとりながら、勢いがあって調和の取れた音楽が進んでいく。そして、徐々に盛り上がり、高揚していく。

 とても良い演奏だったが、ただ、ちょっと物足りなさも感じないではなかった。見事な造形、素晴らしく自然な流れ。最後には高揚していく。私は何度も感動した。だが、爆発的な感動は覚えなかった。しかし、これがヴァイグレの音楽なのだろう。

 2度目の緊急事態宣言発出後、最初の日曜日だった。私自身がコンサートという不要不急の用件で都心に出ているわけだが、私と同じように都心に出ている人が意外に多いという印象を受けた。ごった返しているわけではなかったが、緊急事態宣言が出ているとは思えない人出だった。

| | コメント (0)

東京二期会「サムソンとデリラ」 歌手陣もパスカル指揮の東フィルも素晴らしかった

 20211月6日、オーチャードホールで東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ サン=サーンス「サムソンとデリラ」〈セミ・ステージ形式〉をみた。素晴らしかった。世界に通用するレベルだと思った。

 舞台構成は飯塚励生。背景にCGによる映像(という表現でいいのかな?)が映り、歌手たちはちょっとした小道具と演技を交える。それだけで十分に「サムソンとデリラ」の世界に導いてくれた。

 歌手陣は充実していた。とりわけ、デリラ(ダリラ)の池田香織、サムソン(サンソン)の福井敬がやはり素晴らしい。フランス語の発音もしっかりしているし、声が伸びている。魔性の女と純真な英雄を見事に歌っている。デリラは肉感的というよりも凄味のある女性、サムソンは豪傑というよりも律儀で一途な男という人物像だったが、これはこれで説得力がある。ダゴンの大司祭を歌う小森輝彦、アビメレクのジョン ハオ、老ヘブライ人の妻屋秀和もしっかりとわきを支えている。

 大島義彰の合唱指揮による二期会合唱団も見事にこのオペラの世界を作り出している。舞台奥で、しかも斜幕の後ろで歌いながら、しっかりと声が届いていた。

 私が最も感銘を受けたのは、マキシム・パスカルの指揮する東京フィルハーモニー交響楽団だった。昨年の公演予定ではジェレミー・ローレルの指揮とされていたが、コロナ禍のために延期され、パスカルに変更になったのだったが、スケールの大きなロマンティックな演奏で、蠱惑的で荘厳な雰囲気を見事に出している。東フィルは時々、信じられないほど雑な音を出すことがあるが、今回は精妙でしなやか。とりわけ第3幕のバッカナールの官能性は見事だった。

 第3幕終盤でガンジーやらアメリカのBLMの運動などの写真が映し出された。解放を叫ぶヘブライ人を現代の抑圧に苦しむ人々と重ね合わせたのだろうか。ただ、サン=サーンスの音楽はベートーヴェンのような解放の音楽ではないので、私は少々違和感を覚えた。私にはこのオペラは、サン=サーンス(一時期、交響曲やピアノ協奏曲を夢中で聴いていた)の異国趣味の表明、キリスト教社会の相対化に思えるのだが。

 とはいえ、全体的にはとても感動した。フランス・オペラがこれほどのレベルで演奏されたことは驚くべきことだと思った。

 帰り、渋谷の駅前を歩いたが、ふだんと同じように人でごった返しており、酔って大声で話す人も大勢目に入った。翌日に緊急事態宣言が発出されるので、今日のうちにと思って出かけたのかもしれないが、この様子では新型コロナウイルスが蔓延するのは当然だろうと思ったし、飲食店の時間制限もやむを得ないだろうと思った。危機感を抱いた。

| | コメント (2)

2021年最初のコンサート 辻彩奈リサイタル

 2021年になった。新型コロナウイルスが蔓延した中での年の初め。

 15日、日経ホールで辻彩奈ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。私にとって今年最初のコンサート。ピアノは佐藤卓史。とてもよかった。

 たぶん、私の気分の問題だろう。最初の曲、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」では私は音楽に乗れなかった。気が重いままだった。が、次の第8番から、溌溂として、鋭く、しかもときにユーモラスな表現を楽しめた。

 ヴァイオリンが音程の良い鋭めの音で、ためらいなく、ずばりと音楽の本質に迫っていく。余計なものがなく、こけおどしも誇張も無駄な装飾もない。だが、十分に豊かな音が広がる。ピアノの音も同じタイプだと思う。ピアノとヴァイオリンがぴたりとかみ合って、音楽を進めていく。

 後半はフランス音楽。最初はショーソンの「詩曲」だった。私が聴きなれた「詩曲」ではなかった。フランス的な持って回ったような表現をしない。退廃的なロマン主義もあまり感じない。もっと直接的でもっと刺激的。ちょっと表現主義的な感じさえする。これはこれでとても魅力的だと思った。

 ラヴェルの「ツィガーヌ」がとりわけ素晴らしかった。印象派的な雰囲気はなく、鋭い音で音楽を展開していく。小気味がよく、ダイナミック。音楽がまるで生き物のように、襲い掛かったりじゃれたり遊んだりする。まさに鮮明にして鮮烈。

 最後の曲ラヴェルのヴァイオリン・ソナタ第2番も同じような雰囲気だった。ただ、これも私の聴きなれた、そして私が好んできたタイプの演奏ではない。私はこの曲にはラヴェルの諧謔があり、皮肉があり、大人の遊びがあると思うのだが、そのような雰囲気は今回の演奏からは聞き取れない。ユーモアやエスプリではなく、真正面から挑んでいく。冗談を真に受けて真面目に演奏しているとでもいうか。しかし、このようなアプローチが見事に決まっている。ぐいぐいと正攻法で音楽を進める。

 アンコールはラヴェルのハバネラ形式の小品。ラヴェルの諧謔は聞き取れなかったが、ラヴェルの鋭い感受性は聞き取れた。

 実は、コンサートに出かける前、少し気が沈んでいた。熱があるわけではないが、倦怠感というか脱力感を覚える。まあ、怠け者の私はほとんどいつも倦怠感と脱力感を覚えているのだが、もしかしたら新型コロナにでも感染したのではなかろうか?と思うほどに体が重い。テレビをみると、ウイルス感染拡大と緊急事態宣言の話ばかり。年始を機会に数人の同世代の友人と連絡を取ったところ、一人は転倒して骨折し、ひと月ほど部屋にこもっているといい、一人は5年生存率50パーセントの手術を受けて、ひやひやしながら生きているといい、そしてもう一人は要介護4になって介護施設に入っているという。元気な話はまったく聞こえてこない。ますます気が沈んできた。そんな中で今回のリサイタルを聴いたのだった。

 聴き終えて、やっと元気が出てきた。若い二人の演奏家の溌溂とした音楽が気分を変えてくれた。

 早くコロナが収束して、明るい年になってほしい。

| | コメント (0)

« 2020年12月 | トップページ | 2021年2月 »