2021年最初のコンサート 辻彩奈リサイタル
2021年になった。新型コロナウイルスが蔓延した中での年の初め。
1月5日、日経ホールで辻彩奈ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。私にとって今年最初のコンサート。ピアノは佐藤卓史。とてもよかった。
たぶん、私の気分の問題だろう。最初の曲、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」では私は音楽に乗れなかった。気が重いままだった。が、次の第8番から、溌溂として、鋭く、しかもときにユーモラスな表現を楽しめた。
ヴァイオリンが音程の良い鋭めの音で、ためらいなく、ずばりと音楽の本質に迫っていく。余計なものがなく、こけおどしも誇張も無駄な装飾もない。だが、十分に豊かな音が広がる。ピアノの音も同じタイプだと思う。ピアノとヴァイオリンがぴたりとかみ合って、音楽を進めていく。
後半はフランス音楽。最初はショーソンの「詩曲」だった。私が聴きなれた「詩曲」ではなかった。フランス的な持って回ったような表現をしない。退廃的なロマン主義もあまり感じない。もっと直接的でもっと刺激的。ちょっと表現主義的な感じさえする。これはこれでとても魅力的だと思った。
ラヴェルの「ツィガーヌ」がとりわけ素晴らしかった。印象派的な雰囲気はなく、鋭い音で音楽を展開していく。小気味がよく、ダイナミック。音楽がまるで生き物のように、襲い掛かったりじゃれたり遊んだりする。まさに鮮明にして鮮烈。
最後の曲ラヴェルのヴァイオリン・ソナタ第2番も同じような雰囲気だった。ただ、これも私の聴きなれた、そして私が好んできたタイプの演奏ではない。私はこの曲にはラヴェルの諧謔があり、皮肉があり、大人の遊びがあると思うのだが、そのような雰囲気は今回の演奏からは聞き取れない。ユーモアやエスプリではなく、真正面から挑んでいく。冗談を真に受けて真面目に演奏しているとでもいうか。しかし、このようなアプローチが見事に決まっている。ぐいぐいと正攻法で音楽を進める。
アンコールはラヴェルのハバネラ形式の小品。ラヴェルの諧謔は聞き取れなかったが、ラヴェルの鋭い感受性は聞き取れた。
実は、コンサートに出かける前、少し気が沈んでいた。熱があるわけではないが、倦怠感というか脱力感を覚える。まあ、怠け者の私はほとんどいつも倦怠感と脱力感を覚えているのだが、もしかしたら新型コロナにでも感染したのではなかろうか?と思うほどに体が重い。テレビをみると、ウイルス感染拡大と緊急事態宣言の話ばかり。年始を機会に数人の同世代の友人と連絡を取ったところ、一人は転倒して骨折し、ひと月ほど部屋にこもっているといい、一人は5年生存率50パーセントの手術を受けて、ひやひやしながら生きているといい、そしてもう一人は要介護4になって介護施設に入っているという。元気な話はまったく聞こえてこない。ますます気が沈んできた。そんな中で今回のリサイタルを聴いたのだった。
聴き終えて、やっと元気が出てきた。若い二人の演奏家の溌溂とした音楽が気分を変えてくれた。
早くコロナが収束して、明るい年になってほしい。
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