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オペラ映像「レニャーノの戦い」「ルイザ・ミラー」「スティッフェリオ」「ファルスタッフ」

 だいぶ感染者数は減ってきたとはいえ、コロナ禍は続く。私は日本語学校の校長の職にあるので、この状況が続いて外国人が来日できないのは致命的なほどに痛手だ。それに、94歳の母が施設にいるが、面会は禁止。誰にも会えずにいるために母の認知症が進んでいるらしい上に、このたび体調を崩して入院した。施設を出て病院に入院する合間に久しぶりに寝ている母の顔を見ることができただけで、病院でも面会禁止。気になるが、どうにもならない。本当にどうにもならない。同じような思いをしている人が世界中に大勢いるのだろう。

 仕方がないので、自宅で原稿を書いている。原稿につかれたら、音楽を聴いたり、テレビをみたり、オペラ映像をみたり。

 トゥット・ヴェルディの残りと、NHKで放送されたヴェルディのオペラ映像をみたので、簡単に感想を書く。

 

「レニャーノの戦い」 2012年 トリエステ・ジュゼッペ・ヴェルディ歌劇場

 このオペラを初めてみた。オペラそのものは、魅力的なメロディもたくさん出てくるし、アリアも美しい。登場人物の心情もわかりやすく、ドラマティックでありながらも無理な展開もなく、とてもいいオペラだと思った。

 歌手陣ではやはりリーダを歌うディミトラ・テオドッシュウが図抜けている。声がかすれるなどちょっとした瑕は何か所かあるが、そんなことを忘れるほどの歌唱力。引き込む力が抜群。ロランドのレオナルド・ロペス・リナレスもしっかりとした歌唱で感情の動きを歌う。アリーゴのアンドルー・リチャーズはなかなかの二枚目ながら声のコントロールが少し甘い。ちょっと不満を感じた。

 しかし、それよりなにより、私はボリス・ブロットの指揮するトリエステ・ジュゼッペ・ヴェルディ歌劇場管弦楽団に問題を感じる。少々情けない音が出てくるし、音楽が引き締まらないし、躍動していかない。きっと良い演奏で聴くと、このオペラはこうではないのでは?と思える箇所がいくつもある。私はしばしば欲求不満を抱いた。

 

「ルイーザ・ミラー」2007年 パルマ・レッジョ劇場

 ヴェルディ好きとは言えない私にはあまりなじみのないオペラだが、数年前、メトロポリタン劇場のライブビューイングでこのオペラの映像をみたことがある。「リゴレット」以降の傑作群があるために、このオペラはあまり知られていないが、それらがなかったら、これは十分にイタリアオペラの傑作として歴史に残っていただろう。とても劇的でとてもおもしろい。今回の映像をみて、いっそうそう思った。

 ルイーザのフィオレンツァ・チェドリンスとロドルフォのマルセロ・アルバレス、ミラーのレオ・ヌッチの3人が圧倒的。超一流歌手が三人集まるとこんなにすごいのかとあらためて痛感。チェドリンスは声が美しくてドラマティックなだけでなく、容姿も美しく、悲劇のヒロインにぴったり。演技力もあって引き込まれる。アルバレスも豊かな美声による抒情的な歌いまわしが素晴らしい。ヌッチは心の奥深くにある感情を掻き立ててくれる。

 伯爵のジョルジョ・スルヤンもしっかりした声で見事。ただ、ヴルムのラファル・シヴェクが私には少々不安定に聞こえる。この二人の悪役の二重唱など、ヴルム役の歌手の声がどす黒かったら、もっとぞくぞくしただろう。

 ドナート・レンゼッティの指揮するパルマ・レッジョ劇場管弦楽団については、もう少し切れの良い音を出してほしいと思う場面がなくはなかったが、全体的には特に不満はない。デニス・クリーフによる演出も極めて妥当なものだと思う。

 ともあれ、ヴェルディの手腕と三人の歌手の歌声だけで満足。

 

「スティッフェリオ」 2012年 パルマ・レッジョ劇場

 このオペラは、一度だけ映像でみたことがあるが、あまりに斬新な演出だったためにストーリーをよく理解できなかった。今回初めて納得してみた。とてもいいオペラだと思う。ヴェルディのほかのオペラとかなり趣が異なって、妻の不倫に悩み、許すべきかどうかで煩悶する牧師の物語。プロテスタントとカトリックの違いはあるものの、まるでモーリアックやジュリアン・グリーンのフランス小説のようだ。信仰に基づいて最後に妻を許そうとする。なかなかに説得力がある。

 演奏も見事。スティッフェリオを歌うロベルト・アロニカは伸びのある声で苦悩を歌いきる。妻のリーナを歌うのは中国人ソプラノ于冠群(ユ・ガンクン)。澄んだ美声で音程の良い声。今まで聴いてきた東洋人の歌い方とずいぶん異なる。外見的にも欧米人にまったく引けを取らない。素晴らしい歌手だと思った。スタンカーのロベルト・フロンターリも張りのあるしっかりした声で、娘の不義を嘆く父親を歌う。

 パルマ・レッジョ劇場管弦楽団を指揮するのはアンドレア・バッティストーニ。若々しくドラマティックでとてもいい。

 床一面に聖書のページが映し出されており、信仰の世界が示される。信仰に篤く、他人を許そうとする牧師の生真面目な葛藤が伝わるような演出になっている。

 

「ファルスタッフ」(NHKBS放送)20201月 ハンブルク国立歌劇場

 NHKBSプレミアムシアターで放送されたもの。カリスト・ビエイトの演出は、舞台を現代にとり、ポップで楽しく色彩的。明るくて楽しい。ファルスタッフが現代に生きているのを感じる。音楽と登場人物の動きがぴたりと合っている。

 何といってもアンブロージョ・マエストリがまさに現代のファルスタッフを演じている。かっこ悪く、醜悪で、だらしなく、ふてぶてしいが、どこか憎めない人物をみごとに作り出している。うまいというより、まさにそのもの。

 そのほか、私はアリーチェのマイヤ・コヴァリェフスカに強く惹かれた。余裕のある美声で自在に歌いこなす。容姿も魅力的、身のこなしもしなやか。まだあまり知られていない歌手だと思うが、これからが楽しみだ。また、ナネッタのエルベニータ・カイタージも澄んだきれいな声。そのほか、フォードのマルクス・ブリュック、メグのイダ・アルドゥリアンもとてもよかった。ただ、クイックリ夫人のナデジュダ・カリャジナが私にはちょっと不安定に聞こえた。

 指揮はアクセル・コーバー。メリハリのしっかりした音楽だと思う。舞台の色彩感に私の印象が引きずられたのかもしれないが、音楽もかなり色彩的に感じた。

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東京二期会「タンホイザー」 感動した

 2021年2月20日、東京文化会館で東京二期会公演「タンホイザー」をみた。世界に通用する公演だと思った。

 フランス国立ラン劇場(アルザス地方の劇場らしい)との提携公演。アクセル・コーバーが指揮をするというので楽しみにしていたが、コロナで来日できず。がっかりしていたら、なんと来日中のヴァイグレが代役を引き受けてくれたのだった。

 何はともあれ、セバスティアン・ヴァイグレ指揮の読売日本交響楽団が素晴らしい。とりわけ弦の音の精妙さに圧倒された。もちろん管楽器もとてもよかった。びしりと決まって、しかもしなやか。少しのはったりもなく丁寧に音楽を進めていく。いたずらにドラマを盛り上げることもしない。だが、徐々に官能と宗教性の入り混じったワーグナーの世界が築き上げられる。室内楽的に美しい箇所も多く、精妙な楽器の絡み合いによって登場人物の心の奥の微妙な動きを描き出しているように思えた。またドラマティックな盛り上がりもある。緻密にして明瞭。

 歌手陣では、エリーザベトの田崎尚美が圧倒的だった。強靭だが清純な声で、エリーザベトにふさわしい。殿堂のアリアはビンビンとホール全体に響く。第三幕の祈りも歌もしみじみとして素晴らしかった。ヴォルフラムの大沼徹も見事な歌いっぷり。「夕星の歌」は、演出上でエリーザベトの自死を予感した歌になっていたが、哀しみの深い表現はとてもよかった。タンホイザー の片寄純也もしっかりした声でタンホイザーを歌う。「ローマ語り」の部分は圧巻。牧童の𠮷田桃子も音程の良いかわいらしい声が魅力的だった。ヘルマンの狩野賢一、ヴェヌスの 板波利加もしっかりと歌っていた。大きな穴もなく全体がそろっていた。三澤洋史の合唱指揮による二期会合唱団もよかった。

 キース・ウォーナーの演出についても、おもしろくみることができた。奥の壁に小さなステージがある。映像が映し出されているものとばかり思っていたら、登場人物やバレエの人たちがまるで絵画のような情景を作りだしていた。とても魅力的だと思ったが、それにどのような意味があるのか私にはよくわからなかった。

 わからないといえば、小さな子供の登場の意味もよくわからなかった。タンホイザーとヴェヌスの間に子どもがいたという設定なのだろうか? 肉欲と官能の結晶としての子ども。歌合戦で信仰に基づく愛についての空疎な歌が歌われている間も、ヴェヌスとともにこの子どもも現れて見え隠れしていたが、それはヴェヌスがタンホイザーの意識の中に現れて、現れてタンホイザーに二人の子どもを見せて、性愛こそが可愛い子どもを作りだせることを思い起こさせようとしているということか。

 第三幕で床の上に紙が散らばっている。この紙は日本で言えば七夕の短冊のようなものであって、人々が必死の願いを書きつけた跡ではないかと思った。あるいは、絵馬が地面に散らばっているといいかえることもできるだろう。第三幕は捨てられた希望の無残な空間ということなのだろう。そこでタンホイザーに裏切られて嘆くエリーザベトとエリーザベトへの思いがかなわないヴォルフラムがいる。

 私はこのオペラを初めて知った時以来、「エリーザベトがいつどのように死んだのか?」という疑問をずっといただいていたが、今回の演出でそれが初めて目の当たりにされてびっくり。ヴォルフラムが「夕星の歌」を歌う前に、エリーザベトがよろよろと立ち去って、縊死した姿が映し出される。あまりに直接的だが、なるほどそうかもしれないと思わせる演出ではある。

 最後、天井から降りてきた円柱をタンホイザーは昇っていく。その先に、縊死したエリーザベトの姿がある。エリーザベトの死による救済を視覚化している。これもきわめて直截的ながら、確かにタンホイザーの救済はこのようなものだと理解できる。

 演出については疑問に感じることは多々あったが、ともあれ深く感動した。日本の一つの団体がこれほどまでの公演ができることもうれしく思った。

 客数については制限がかかっているのだろう。半分くらいの入りだったが、大喝采だった。緊急事態制限の中、これほど高いレベルでワーグナーを見ることができて、本当に満足だった。

追記

 本ブログにもとてもありがたいコメントをしばしば寄せてくださるEnoさんのブログ「Enoの音楽日記」の「タンホイザー」公演についての文章(https://blog.goo.ne.jp/eno1102)を読ませていただいて、私の誤解に気づいた。Eno さんは、最後の場面を、「幕切れではタンホイザーが、天井から下がってくる螺旋状の筒を登り始め、そこに縊死したエリーザベトの無残な遺体が下りてくる。タンホイザーは手を伸ばして遺体に触れようとするが、手が届かないまま幕が下りる。救いは訪れない」と書かれておられた。

 なるほど! 私はタンホイザーが上昇していくことから、ともあれ救済は訪れたと考えていたのだが、確かにそれがなしえなかったと捉えるほうが的確な解釈だと思った。

 自殺がキリスト教で認められない行為であることから考えても、確かに、縊死したエリーザベトに向かっていくのが救済と考えるのは無理がある。Eno さんのおっしゃっていることに私も完全に同意する。Eno さん、教えてくださりありがとうございました。

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 オペラ映像 トゥット・ヴェルディ「アッティラ」「マクベス」「群盗」「海賊」

 一昨日だったか、久しぶりにコンサートに出かけたのだったが、歩く以外、特に何かをしたわけではないのに、足に筋肉痛を感じる。もともと極度の運動不足なのに、緊急事態宣言のせいでますます部屋にこもって巣ごもり状態。筋肉がふだん以上に衰えたらしい。反省して、今日、ちょっとだけ散歩に出た。

 トゥット・ヴェルディに含まれるヴェルディのオペラ映像を数本みたので感想を記す。ヴェルディを特に愛すわけではないので、初めてみるものがほとんどだった。

 

ヴェルディ 「アッティラ」2010年 パルマ・レッジョ劇場

 このオペラの映像を初めてみた。いや、それ以前に、ヴェルディについてまったく詳しくない私はこのオペラの存在を知らなかった。が、初めてみて、とてもおもしろかった。ヴェルディの音楽も躍動しているし、演奏も素晴らしかった。

 ジョヴァンニ・バッティスタ・パローディが、高潔で寛大でありながら、疑うことを知らぬゆえに裏切られていくフン族の王アッティラを見事に歌う。アッティラの信頼を得ながらも彼を殺害する女オダベッラを歌うスザンナ・ブランキーニも強い美声でこの気性の粗い女性を見事に造形する。容姿も含めてこの役にふさわしい。フォレストを歌うロベルト・デ・ビアージョは、初めのうち少し硬さを感じたが、高貴で凛とした声。エツィオのセバスティアン・カターナも張りのある美声。主役格の4人がびしりと決まって本当に素晴らしい。

 指揮はアンドレア・バッティストーニ。余計なことだが、2010年にはやせっぽちだったんだ!とびっくり。オーケストラをしっかりとコントロールしてドラマティックに歌う。

 ピエルフランチェスコ・マエストリーニによる演出は、背景に映像を映し出すだけのもので、少々安づくりな気がする。

 

「マクベス」20066月、パルマ・レッジョ劇場

 このオペラは何度かみているが、今回のような長いバレエの場面のあるヴァージョンをみたのは初めてだと思う。

 何はともあれ、やはりマクベスを歌うレオ・ヌッチが圧倒的。初めのうち、全盛期ほど声が出ないと思っていたが、そんなことはない。徐々に迫力を増していく。マクベスの迷いと覚悟を見事に歌う。マクベス夫人のシルヴィー・ヴァレルもとてもいい。容姿と演技はまさにマクベス夫人そのもの。それに比べるとちょっと声が弱い気がするが、それでも見事に歌いきる。マクドゥフのロベルト・イウリアーノ、マルコムのニコラ・パスコーリもとてもいいが、バンクォーのエンリーコ・イオーリは声が出ていない。

 演出はリリアーナ・カヴァーニ。確かに映画的なリアルな演出だが、特に新しい解釈はなさそう。ブルーノ・バルトレッティの指揮はとても躍動感があってよい。

 全体的にはとても良い上演だと思う。特に好きなオペラではないが、引きこまれてみた。

 

「群盗」2012年 ナポリ サン・カルロ歌劇場

 このオペラの存在は知っていたが、初めて映像をみた。音源を聴いたこともなかった。ヴェルディのオペラの中でもかなり存在感の薄い作品だと思うが、はじめてみて、なかなかおもしろいと思った。親しみやすく、感動的な歌がいくつもある。ストーリーも、もちろん突っ込みどころはあちこちにあるが、ともあれわかりやすい。

 カルロを歌うアキレス・マチャードは見た目では、群盗を率いる熱血漢には程遠いが、強い美声で音程もよく、歌唱も見事。そして、それよりもっと感銘を受けるのが、アマーリアのルクレシア・ガルシア。最初に登場した時には、役柄と容姿の距離を感じるが、澄んだ美声と見事なテクニックを聴くうち、この役柄に見えてくる。それだけの歌唱力といってよいだろう。悪役フランチェスコを歌うアルトゥール・ルチンスキもなかなかの美声で、なかなかの迫力。

 知らない曲なので何とも言えないが、ただニコラ・ルイゾッティ指揮のサン・カルロ歌劇場管弦楽団がちょっともたついている気がするのは気のせいか。演出についても、私には何も言う資格はない。フランチェスコが不具という設定になっていたが、それはシラーの原作によるのだろうか。私自身は少し違和感を抱いた。

 

「海賊」 2008年 ブッセート ヴェルディ劇場

 部分的にはアリアなどを聴いたことはあったが、このオペラ全体を通してみたのは初めて。2時間に満たないせいか、駆け足すぎて、やや説得力不足の気がする。グルナーラのコッラードへの恋心をもう少しリアルに描いてくれないと、私としてはストーリーについていけない。やや台本に難がある気がする。だが、音楽的には極めて充実。美しい音楽が次々と出てくる。

 今回の上演については、歌手陣は実に充実している。歌唱的にもとても良いが、外見的にも見事。こう言っては大変失礼かもしれないが、オペラ上演としては、これ以上は考えられないほど、美男美女たちが歌っている。コッラードのブルーノ・リベイロはよく響く美声だが、少し歌唱に切れの甘さを感じる。とはいえ、この役にふさわしい精悍な雰囲気の二枚目。メドーラのイリーナ・ルングはとてもきれいな声で清純に歌って素晴らしい。グルナーラのシルヴィア・ダッラ・ベネッタも軽めのとても美しい声で魅力的だ。セイドのルカ・サルシも見事な歌唱。ただ、トルコの強圧的で無慈悲な男という雰囲気が伝わらないので、なぜグルナーラがそれほど嫌うのか納得できない。演出(ランベルト・プッジェッリ)を含めて、その点をもう少し補強してほしかった。

 カルロ・モンタナーロの指揮するパルマ・レッジョ劇場管弦楽団はちょっと重ったるい気がした。もう少し切れ良くドラマティックに展開するほうが良いのではないかと思った。

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東響のロッシーニ序曲 指揮者なしでも見事な躍動

 2021211日、ミューザ川崎シンフォニーホールで東京交響楽団の名曲全集第164回を聴いた。ジャンルイ・ジェルメッティが指揮にあたる予定になっていたが、コロナ禍で来日できず、今回は指揮者なしでの演奏になった。コンサートマスターは水谷晃。指揮者なしでこれだけやれるとは信じられない。素晴らしい演奏だった。

 曲目は前半にロッシーニの歌劇「泥棒かささぎ」、「セヴィリアの理髪師」、「チェネレントラ」、「セミラーミデ」の序曲。そして、メンデルスゾーンの交響曲 第4番「イタリア」。

 特にロッシーニの序曲がいずれも素晴らしかった。指揮者なしのために、オーケストラ団員の自発性がいっそう発揮されているのだろうか。生き生きとした音。クレシェンドも実に自然。わくわくしてくる。東響の楽器の音も濁りがなく響く。コンサートマスターの水谷は体を大きく動かしてオーケストラに指示を与えているようだが、その指示によるのだろうか、音楽にメリハリもあり、音楽に表情がある。私は「チェネレントラ」と「セミラーミデ」のクレシェンドの部分でぞくぞくするような興奮を覚えた。

 私が最初に好きになったクラシック音楽は、「ウィリアム・テル」序曲だ。そのせいもあって、ロッシーニの序曲には子どものころから親しんだ。一緒に音楽を好きになった友人と二人で、夢中になって「泥棒かささぎ」序曲を聴いたものだ。小学生だったので、レコードに書かれていた「鵲(かささぎ)」という漢字を読めず、何かで調べて「鵜(ウ)」だと思い込み、友人と二人でこの曲を「どろぼう・う」と呼んでいた。「泥棒かささぎ」もとてもいい曲だと改めて思う。

 後半の「イタリア」も第1楽章は躍動感にあふれてすばらしかった。メンデルスゾーン特有の典雅で孤高で生き生きとした音楽があふれ出る。真っ青な空の下のイタリアの大地から音楽がこんこんと湧き出るかのように、自然に音楽が湧き出してくる。

 ただ、実は第2楽章と第3楽章については、私は少しもたついているのを感じた。この二つの楽章については指揮者がいて、フレーズごとにニュアンスをもう少し整理してくれないと、退屈になってきそうだった。私の修行不足かもしれないが、実際、私は少し迷子になりかけた。だが、終楽章になって再び大きく躍動し、メンデルスゾーンの精神がよみがえった気がした。

 ロッシーニの序曲も「イタリア」も、一気呵成といった雰囲気がある。フレーズの細かいニュアンスよりも、溌溂としたリズムと勢いが重視される。ロッシーニのほうはそこから生命力がほとばしり出る。「イタリア」はメンデルスゾーンの孤高の精神の見たイタリアの明るい風土が現れ出る。そのような曲は指揮者のいない演奏に向いているのかもしれない。見事な演奏だと思った。

 新型コロナウイルスの感染者数も二度目の緊急事態宣言のおかげで減ってきた。このまま収束に向かってくれることを祈る。

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拙著『「嫌い」の感情が人を成長させる』(さくら舎)発売

 拙著『「嫌い」の感情が人を成長させる』(さくら舎)が発売になった。

「嫌う」という感情は、「好き」という感情とともに人間にとって根本的なものだ。しかも、人は何かを嫌うことで自分を築き、成長してゆく。自分の「嫌い」を知ることは自己省察にもつながる。それなのに、この感情は現代社会では不当に軽視されているのではないか。「嫌い」という感情はあるべきではない感情として扱われている。社会全体が、「みんな仲良し」「みんながすべて好き」を推奨し、それを押し付け、それを嫌ってはみ出そうとする人を排除しようとしている。

 もちろん、何かを嫌い、それを表明することは、一つ間違えると、排除になりかねない。自分が逆に嫌われ、孤立することにもなる。だから、上手に嫌い、それが排除にならないように気を付ける必要がある。しかし、「嫌い」を大事にしてこそ、社会人として自分らしく生きていける。

 この本では、そのような問題意識に基づいて、「嫌い」の重要性、上手な嫌い方、嫌いを排除に結びつけない方法などを説明し、「嫌い」というキーワードに基づいて「みんな仲良し」という押し付ける抑圧の強い日本社会のあり方についての私の考えを記している。

 私が「嫌い」ということについて本を書きたいと思い始めたのは、10年ほど前のこのブログがきっかけだった。マーラーが大嫌いだということをこのブログに書いたところ、それをとがめるようなコメントをもらった。マーラーを理解しない私を批判するのならわかる。マーラー好きの人がマーラーの良さを教えてくれようとするのならわかる。だが、そのコメントは私がマーラー嫌いを公言したことを非難していた。私はその不寛容に驚いた。そのころから、「嫌い」ということ、「嫌い」を表明することについて、いつか考えをまとめたいと思っていた。この本を出して、10年来の宿題を果たした気分でいる。なお、ブログでの顛末についても本の中に書いている。

 関心がある方は読んでいただけると嬉しい。

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『週刊現代』の特集のこと、そしてオペラ映像「レオノーレ」「炎の天使」

 大学の授業期間も終わり、ほかの仕事もオンラインで行うことが増え、このところ、ほぼ巣ごもり状態だ。昼過ぎまで原稿を書いて、夕方から少し音楽を聴いたり、本を読んだり、テレビをみたり。

『週刊現代』の23日発売号の巻頭大特集「この世を去る前にあなたがやっておくこと」のインタビューに答えている。まあ要するに、一言でいえば、私も老い先短い高齢者として、自分の思いを語っている。

 オペラ映像を2本みたので、簡単な感想を書く。

 

ベートーヴェン 「レオノーレ」(1805年第1稿)20203月 オペラ・ラファイエット

 様々な事情のために初演が大失敗だったため、何度も書き直してやっと完成した「フィデリオ」の前身にあたる「レオノーレ」。その初校だという。つまり失敗に終わったヴァージョンということになる。

 名前に憶えのある歌手はいないし、指揮者もオペラ・ラファイエットという名称も初めて聞く。収録場所はニューヨーク市立大学ハンター校だという。私にしてみると、正体不明の団体による謎の上演。登場するのは、古楽器のオーケストラ。聴き進むうちに、実に素晴らしい演奏だと気づいた。調べてみたら、バロック・オペラなどを取り上げている団体のようだ。オペラ・ラファイエットという名称も含めて、出演者の多くがフランス系に思える名前なのだが、どんな人たちなのだろう。

 序曲はきっと「レオノーレ」第一番として知られているものだと思う。その後も、未知の重唱やアリアがいくつかある。よく知っているアリアも形が異なる。いや、そもそも「フィデリオ」では第1幕にまとめられているところが2幕になっている…など、様々な違いがある。ほとんど同じように進む部分もオーケストレーションが異なっていたり、カットされていたりもする。だが、大失敗作だったといわれる「レオノーレ」も、「フィデリオ」に劣らぬ傑作だったことがよくわかる。

 歌手陣はこれ以上は考えられないほどの充実ぶりだ。レオノーレのナタリー・ポランは芯の強い深めの声で豊かに歌う。フロレスタンのジャン=ミシェル・リシェル(もしかしたら、リシェと発音するのかも)は、まさにこの役にぴったり。語りかけるような歌唱で繊細な歌いまわし。ピツァロのマシュー・スコーリンは悪役にふさわしい。太い強い声。ロッコのスティーヴン・ヘゲダス、マルツェリーネのパスカル・ボーダン、ヤキーノのケヴェン・ゲデスもそろっている。ただ、ドン・フェルナンドのアレクサンドル・シルヴェストルだけが少し声の出ないところがあるが、さほど気にならない。ザルツブルクに登場する世界最高レベルの歌手たちにまったく引けを取らない人たちだと思う。

 ライアン・ブラウンの指揮も、一歩一歩足元を固めて進んでいくような遅めのテンポの明瞭な演奏だが、いかにも18世紀的な簡素な舞台とあいまって、ベートーヴェンの時代のオペラの雰囲気がよみがえる。はっきりした輪郭の上にドラマを作っていく。私は第3幕の、レオノーレが正体を明かしてフロレスタンを助ける部分では、久しぶりに強い感動を覚えた。

 好奇心を満たす珍しいヴァージョンでのオペラ上演というだけでなく、ベートーヴェンのオペラ上演として、これは最高のものの一つだと思う。

 

プロコフィエフ 「炎の天使」2019年 ローマ歌劇場

 このオペラの映像は以前、ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場のものをみたことがある。素晴らしい上演だったが、今回みたローマ歌劇場の映像もそれに劣らない。

 悪霊憑きの話なので黙役のダンサーが大活躍する。演出はエマ・ダンテ。部屋の中でうごめく悪霊の動きが不気味で、とても説得力がある。記憶によれば、ゲルギエフ指揮のものでは悪霊たちはぬめぬめした感じだったが、こちらはぎくしゃくして多動的。それはそれでとても説得力がある。

 このオペラに詳しいわけではない私には、この演出の解釈まではよくわからない。ただ、レナータにとっての天使とはリビドーのようなものであり、すなわち性的至高性であって、なおかつ聖性を持つものなのだろうと思った。プロコフィエフがそう思って創作したのか、あるいは演出家がそのような方向にしたのか、あるいはまた私が勝手にそう思っただけなのかははっきりしない。いずれにせよ、私には性的な聖なるものを求めるレナータがキリスト教によって断罪されながらも成就して聖なるものに自らなる物語に思えた。

 ルプレヒトを歌うリー・メルローズ、レナータのエヴァ・ヴェシンともに迫真の歌だと思う。ただ、ヴェシンが初めのうち、かなり「おばさん」っぽい恰好で登場するのに違和感を覚えた。きれいな若い女性という設定であり、ヴェシンも十分に美しい女性なのに、初めの部分でそのように見えない。意図的なのだろうか。

 よく知らない曲なので演奏について突っ込んだことは言えないが、アレホ・ペレスの指揮に私は完全に満足する。この複雑な音楽を明確に生き生きと描き出している。鮮烈にして幻想的で蠱惑的で不気味な世界が作られる。あっという間の2時間だった。

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