東響のロッシーニ序曲 指揮者なしでも見事な躍動
2021年2月11日、ミューザ川崎シンフォニーホールで東京交響楽団の名曲全集第164回を聴いた。ジャンルイ・ジェルメッティが指揮にあたる予定になっていたが、コロナ禍で来日できず、今回は指揮者なしでの演奏になった。コンサートマスターは水谷晃。指揮者なしでこれだけやれるとは信じられない。素晴らしい演奏だった。
曲目は前半にロッシーニの歌劇「泥棒かささぎ」、「セヴィリアの理髪師」、「チェネレントラ」、「セミラーミデ」の序曲。そして、メンデルスゾーンの交響曲 第4番「イタリア」。
特にロッシーニの序曲がいずれも素晴らしかった。指揮者なしのために、オーケストラ団員の自発性がいっそう発揮されているのだろうか。生き生きとした音。クレシェンドも実に自然。わくわくしてくる。東響の楽器の音も濁りがなく響く。コンサートマスターの水谷は体を大きく動かしてオーケストラに指示を与えているようだが、その指示によるのだろうか、音楽にメリハリもあり、音楽に表情がある。私は「チェネレントラ」と「セミラーミデ」のクレシェンドの部分でぞくぞくするような興奮を覚えた。
私が最初に好きになったクラシック音楽は、「ウィリアム・テル」序曲だ。そのせいもあって、ロッシーニの序曲には子どものころから親しんだ。一緒に音楽を好きになった友人と二人で、夢中になって「泥棒かささぎ」序曲を聴いたものだ。小学生だったので、レコードに書かれていた「鵲(かささぎ)」という漢字を読めず、何かで調べて「鵜(ウ)」だと思い込み、友人と二人でこの曲を「どろぼう・う」と呼んでいた。「泥棒かささぎ」もとてもいい曲だと改めて思う。
後半の「イタリア」も第1楽章は躍動感にあふれてすばらしかった。メンデルスゾーン特有の典雅で孤高で生き生きとした音楽があふれ出る。真っ青な空の下のイタリアの大地から音楽がこんこんと湧き出るかのように、自然に音楽が湧き出してくる。
ただ、実は第2楽章と第3楽章については、私は少しもたついているのを感じた。この二つの楽章については指揮者がいて、フレーズごとにニュアンスをもう少し整理してくれないと、退屈になってきそうだった。私の修行不足かもしれないが、実際、私は少し迷子になりかけた。だが、終楽章になって再び大きく躍動し、メンデルスゾーンの精神がよみがえった気がした。
ロッシーニの序曲も「イタリア」も、一気呵成といった雰囲気がある。フレーズの細かいニュアンスよりも、溌溂としたリズムと勢いが重視される。ロッシーニのほうはそこから生命力がほとばしり出る。「イタリア」はメンデルスゾーンの孤高の精神の見たイタリアの明るい風土が現れ出る。そのような曲は指揮者のいない演奏に向いているのかもしれない。見事な演奏だと思った。
新型コロナウイルスの感染者数も二度目の緊急事態宣言のおかげで減ってきた。このまま収束に向かってくれることを祈る。
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