浅野真弓&クァルテット・エクセルシオのブラームス 抑制しすぎなのか?
2021年3月18日、王子ホールで浅野真弓(ピアノ)とクァルテット・エクセルシオによるコンサートを聴いた。
曲目は前半に、ピアノソロによるショパンのノクターン 第20番「遺作」、第2番変ホ長調、エチュード「別れの曲」、エチュード「革命」。そして、西野ゆかと大友肇が加わってハイドンのピアノ三重奏曲 ト長調 HobXV:25「ジプシー風」。後半にクァルテット・エクセルシオの全員が加わってブラームスのピアノ五重奏曲。
基本的にピアノソロをほとんど聴かない私の目当てはもちろん後半のブラームスだ。クァルテット・エクセルシオの実演は、たぶん一度か二度しか聴いていないが、テレビなどでよく聴いている。とても良い弦楽四重奏団だと認識している。楽しみにして出かけた。
ピアノソロについては、私は魅力を感じなかった。もともとショパンは好きな作曲家ではないので、何とも言えないが、ショパンの想いをピアノから感じ取ることができなかった。また、リズムがしっかりと安定していないように感じた。
ハイドンの「ジプシー風」は初めて聴いた。ハイドンの曲を聴くといつも思うが、どれも本当に名曲だ。第2楽章など、実に美しい。第3楽章のジプシー風の楽想も魅力的だ。ただ、もっともっとこの曲の魅力を引き出せると思うのに、演奏者たちはかなり抑制的だった。第二楽章ではヴァイオリンの響きを浮き立たせるようにすれば、いっそう魅力的になるだろう。第三楽章はもっとジプシー風にメリハリをつければ、もっとワクワクするだろう。やりすぎると、もちろん下品になって音楽が壊れるが、ハイドンはもう少し起伏をつけるように作っているような気がした。なぜ、こんなに抑制的なのか、私は不思議に思った。
ブラームスについても同じ印象を持った。この曲にはあちこちに聴かせどころがある。私がこれまで聴いてきた録音や実演では、聴かせどころを強調していた。弦が徐々に徐々に静まって、その中からおもむろにピアノが立ち上がって、明るく響き渡ったり、もやもやとした中から突然第一ヴァイオリンが抜け出し、それが第二ヴァイオリンに受け継がれて激しく躍動していったり・・・。そんな「音の物語」があちこちにあるはずだった。ところが、今日の演奏はそれらの聴かせどころのほとんどを素通りしていった。そして、ときどきピアノと弦楽器のバランスが崩れるのを感じた。強弱の差も少なくて、なんだかずっとシャカリキになっているようにも感じた。
あえてメリハリをつけずに抑制したのだろうか。どういう意図があるのだろう。私にはよくわからなかった。よくわからずに困惑しているうちに音楽は終わった。
アンコールにドヴォルザークのピアノ五重奏曲第2番の第三楽章が演奏された。これが一番良かった。わかりやすくメリハリがつき、聴かせどころが強調されていた。プログラム内の曲もこのように演奏してくれたら、私はもっと感動できたのに!と思ったのだった。
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