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古いイタリア映画「2ペンスの希望」「明日では遅すぎる」「街は自衛する」「アンナ」「椿なきシニョーラ」

 10枚組1800円の古いイタリア映画のセットが新たに販売されているのを知った。私は、学生時代、パゾリーニ、アントニオーニ、フェリーニ、ヴィスコンティに夢中だった。少し前の時代のロッセリーニ、デ・シーカ、ジェルミの映画も好きだった。今回購入したセットには、これまでみたことのない映画が収録されている。1950年前後の作品を数本みたので感想を記す。

 

2ペンスの希望」 1952年 レナート・カステラーニ監督

 復員してきたものの仕事がなく、母や妹たちを抱えて苦労する青年と、その青年と恋に落ちた花火師の娘の物語。二人して軽率な行為ばかりをして、すぐに青年の仕事はクビになり、少女は親の厄介者扱いされる。最後まで、二人の結婚は娘の頑固な父親に認められないが、町中の人々の後押しによって二人はしっかりと生きていこうとする。ストーリーはそうまとめられるだろう。

 戦後イタリアの田舎町の貧しい庶民の生活をにぎやかに、活気を持って描いている。登場人物のほとんど、特にヒロインの少女が常にがなり立て、がさがさと動き回っているので、私のような「静謐好き」の人間にはうるさく感じられるが、そうであるがゆえにガサツな人々の必死に生きる姿がリアルに感じられる。軽率な二人を呆れてみながらも応援したい気になる。貧しく、したたかで、根は善良な脇役たちもとても魅力的だ。

 とても良い映画だと思う。カンヌ映画祭のグランプリ作品だというが、納得できる。ただ、邦題はなぜ「2ペンス」なのか。「小銭」という意味で「2ペンス」なのだと思うが、イタリアなのだから、「リラ」だろうに。日本人にわかりやすく「ペンス」にしたのだろうか。

 

「明日では遅すぎる」 1950年 レオニード・モギー

「青い山脈」のイタリア版とでもいうべき映画。旧弊な学校に通うフランコ(ジーノ・レウリー二)とミレッラ(ピア・アンジェリ)は同じマンションに住み、淡い恋心を互いに抱いている。性に目覚め、互いを意識し始める。ところが、古い道徳の持ち主である校長は二人を理解せず抑圧する。若い女性教師アンナ(ロイス・マクスウェル)が校長にたてつきながら、二人を支える。ランディ先生(ヴィットリオ・デ・シーカ)もアンナを支持し、少年少女は抑圧から一歩踏み出す。

 この映画には大勢の生徒たちが登場するが、この映画でも「2ペンスの希望」と同じように大きな声でしゃべり、しじゅう走り回っている。ネオ・レアリスモの一つの表現法でもあり、猥雑な活気にあふれていた時代の反映でもあるだろう。それにしても、大勢の人間がワイワイと一緒に行動するイタリア映画をよく見るが、きっと現実世界でもイタリアはこうなのであろう。

 1950年代には鮮烈だっただろうが、今みると、少々薄っぺらさを感じざるをえない。

 

「街は自衛する」 1951年 ピエトロ・ジェルミ監督

 サッカー場を襲って売上金を奪った四人組の強盗が警察に追われて逃げ惑う。全員が自殺したり、つかまったりするまでを描く。

 ジェルミの監督作品だけあって、緊迫感に富み、人間観察も鋭い。脚本にフェリーニも加わっているらしい。とてもおもしろかった。

 見覚えのある俳優さんが何人か登場するが、名前と顔が一致するのは、ちょい役のジーナ・ロロブリジーダだけだった。中学生の私が彼女を知ったとき、すでに40歳くらいになっていたが、本当に美しかった。西洋女性というのはこんなに魅力的なのかと幻惑された。今見ても本当に美しい。身を転落させてこんな女性に捨てられたら、強盗してでもまた取り戻そうという気持ちになるのもわからないではない。強盗に至った四人の絶望感が簡潔な描写の中にひしひしと伝わる。

 強盗の中で最も若かったアルベルトは、刑事の張り込みを知って、4階?くらいのアパルトマンの壁伝いに外に逃げようとするが、母親の説得に応じて捕らわれる。説得する母の表情、そしてその横で黙ったままでいる父親の眼の演技に圧倒される。残酷な結末を迎える映画だが、この場面が救いになっている。そうした構成もまた見事。

 

「アンナ」 1951年 アルベルト・ラトゥアーダ監督

 高校生のころだったと思う。テレビの深夜枠で一度この映画をみた記憶がある。シルヴァーナ・マンガーノの尼僧姿が強く印象に残っている。今回みなおして、なかなかの佳作だと思った。ただ、感動するほどではない。

 当時、危険な男・ヴィットリオ・ガスマン、まじめな男・ラフ・ヴァローネというイメージがあったのだろうか。この二人がシルヴァーナ・マンガーノを奪い合うという、「にがい米」とそっくり同じような構図の映画だった。

 アンナ(マンガーノ)は病院の看護師として尼僧姿で働いている。ところがそこに、かつての婚約者アンドレア(ラフ・ヴァローネ)が交通事故を起こして運び込まれる。アンナは過去を思い出す。かつて、アンドレアと結婚しようとしたが、結婚式の当日、アンドレアはアンナと腐れ縁の切れないヴィットリオ(ヴィットリオ・ガスマン)ともみ合ううちに殺してしまったのだった。それを契機に、アンナは尼僧になることを決意し、そのまま病院で有能な看護師として働いていたのだった。

 アンドレアは無事退院を果たし、アンナとやり直そうと説得する。アンドレアの元に戻ろうと考えたちょうどその時、列車事故が起こり、アンナは看護師としての仕事に戻って、アンドレアのもとに走ることを断念する。尼僧姿の中のアンナの心の葛藤がよくわかる。

 妹役の女性がシルヴァーナ・マンガーノにとても良く似ていて、とても美しい。シルヴァーナ以上に美しい。実妹が出演しているというので、この少女なのだろう。ソフィア・ローレンが脇役で出ているという。それらしい女性がいたが、それがローレンだと断言する自信がない。

 

「椿なきシニョーラ」 1953年 ミケランジェロ・アントニオーニ監督

 ミケランジェロ・アントニオーニの初期の作品。私はアントニオーニ・ファンなのだが、この作品は初めて観た。少々だれるところはあるものの、さすがアントニオーニというべきか、深みがあり、女性の心の渇きを描いて、とてもいい。最後にはおおいに感動した。

 ミラノで店員だった娘クララ(ルチア・ボゼー)が、大物監督に見出されて映画女優になり、監督の妻になる。だが、容姿だけでちやほやされて言いなりになって人形のように生きるのに嫌気がさして、監督と別れて、言い寄る男と生きなおそうとするが、男は遊びを目的としていた。失意の後、演技派女優を目指そうとするが、周囲が求めているのはそれではない。使い捨てにされるとわかりながら、心ならずも笑顔を振りまくしかない。

「愛の不毛」を描いた後年のアントニオーニに通じるものがある。映像も実に美しい。人であふれる映画の撮影現場が殺伐として見える。

 ボゼーはとても美しく魅力的だが、私としては、つい、「こんなにウェストが細くて、人間、生きていられるんだろうか」というきわめて卑近で生物学的な心配をしてしまった。

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