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チベット映画「ラサへの歩き方」「チベットの女」「風の馬」

 三度目の緊急事態宣言が429日から発令されることが決まりそうだ。比較的家にいることが多いので、新型コロナ関係のテレビはよく見る。考えることはたくさんある。が、ここで私が言っても始まらない。

 先月だったか、岩波ホールでチベット映画祭が開かれた。すべての映画をみる予定を立てていたが、94歳の母の体調がすぐれなかった(現在は持ち直している)ため、1本もみられなかった。代わりというわけではないが、ネットでチベット映画のDVD3本を見つけて購入した。簡単に感想を記す。

「ラサへの歩き方」 2015年 チャン・ヤン監督

 チベットの小さな村の3家族、11人が五体投地をしながら1年間をかけて2400キロ歩いてラサ、そしてカイラス山への巡礼に出る。その様子をノンフィクション・タッチで描くだけの映画だが、その姿に圧倒される。

 五体投地というのは、地面に伏して祈ることをいう。巡礼の人々は、数歩歩いて身体を投げ出して五体投地を行い、それを繰り返しながら、2400キロ進む。トラクターに荷車をつけて、そこに荷物を入れて運ぶが、巡礼者はその前後を歩く。空き地を見つけて、テントを張って野営する。トラクターは車にぶつけられて動かなくなり、巡礼の後半では人々は荷車を押して動かす。雨が降り、山からの落石があり、雪山の恐怖がある。

 11人の中には妊婦がいる。10歳そこそこの女の子もいる。老人もいる。妊婦は子どもを産み、子どもをおぶりながら巡礼を続ける。老人はカイラス山で命を落とす。そのような行動が、圧倒的な存在感の寒々とした山や川の風景の中で映し出される。

 なぜこんな過酷なことを続けるのか。現代の日本に暮らす人間としては疑問に思わずにはいられない。映画の冒頭、老人が最初に巡礼を思い立ち、多くの人がそれに賛同し、自分も加わろうとする様子が描かれる。チベットの人々は、それほどまでに仏に対して深い信仰を持っているのだろうか。何か、激しい罪の意識にさいなまれているのか、人を死に追いやってしまったとかとんでもない裏切り行為をしてしまったといった過去があって、その贖罪の気持ちが巡礼に追い立てているのか、あるいはふだん社会的な圧力のために心の奥にある信仰を封じられているがゆえに、深い思いを巡礼という行為にぶつけているのか。

 映画の中でそのようなことは少しも説明はされない。そんなことまでも超越しているのかもしれない。ただただとてつもない信仰心を目の前に描かれる。そして、休憩しているときには笑い、踊り、明るく振る舞っている姿が描かれる。そこにチベットの人々の生のありかたが浮かび上がってくる。それがこの映画の凄味だろう。

 

「チベットの女」 2000年 謝飛(シェ・フェイ)監督

 謝飛(シェ・フェイ)監督は中国映画の巨匠だそうだ。その謝飛監督がチベットに魅せられ、チベットの俳優を使って撮影した映画だという。

 美しい歌声を持つ女性イシの数奇な生涯を描く。老年になったイシは夫とともに暮らしている。かつて乱暴者だった夫ギャツォは病のゆえに弱々しくなっている。そこに、かつてイシを囲い者にしようとした荘園の横暴な若旦那クンサンと再会。ところが、クンサンは、おそらくは中国共産党に財産を没収されて穏やかな旅行ガイドになっている。かつて対立していた二人が仲良く酒を酌み交わした後、夫ギャツォは死に、そこに幼いころ淡い恋の相手だったサムチュが高僧になって現れる。夫の亡骸の前でイシもまた寿命を迎える。

 イシの育った寒村、老年になったイシの暮らすラサ。壮麗な建造物、そびえたつ山々。チベットの雰囲気を味わうことができる。祈る人がいる。過酷な世界を懸命に生きる人々、荒々しい生。

 しかし、私は結局この映画が何を言おうとしているのか、よく理解できなかった。男たちに蹂躙されながらも、健気に、しかもしたたかに生きるチベットの女、というだけの映画ではあるまい。ただ、穏やかなチベットの人の心の奥にある実は恐るべき荒々しい生、そして荒々しい生を持つがゆえに深く穏やかになることのできる信仰の強さを感じることができた。もしかしたら、それがテーマなのかな?と思った。

 

「風の馬」 1998年 ポール・ワグナー監督

 実話をもとにして、チベットなどで隠し撮りされた劇映画だという。中国当局の横暴とチベットの人の抵抗を描く。

 ドルカはラサのクラブで歌う歌手だが、漢民族の恋人の誘いもあって、漢民族とチベットの融和の象徴として全国に売り出されそうになる。ところが、従姉の尼僧がチベット解放を叫んで逮捕され拷問を受けたのを知り、真実を世界に訴えようと、西洋人のジャーナリストの力を借りて映像を外の世界に持ち出そうとする。だが、映像は没収され、ドルカと兄のドルジェは逮捕を免れなくなって、ヒマラヤを歩いてネパールに逃亡する。ネパールで風の馬(祈りを書いた紙)を見つける。

 政治的立場は抜きにして、映画作品としてみた場合、私はこの映画を良い作品とは思わなかった。戦後、中国で作られてきた抗日映画と同じような趣がある。抗日映画で描かれてきた日本人と同じように、この映画では、漢民族の中国人やその手先のチベット人が全員、傲慢で不遜で残酷に描かれている。ストーリーもあまりに図式的で単純。

 状況が映し出され、チベットの人々の姿を描かれるが、じっくりと描く時間的余裕がなかったせいかもしれないが、このように描かれると、私は説得力を感じない。信仰心も伝わってこない。監督は西洋人のようだ。チベット人の本当の苦悩をきちんと知らないまま、外部からみた図式に当てはめただけに見える。最後の風の馬の描き方も、とってつけたように思える。

 私にはこの映画にチベットの人々の生活や本音、本当の苦悩が描かれているとは思えなかった。

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