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オペラ映像「ロシア皇帝と船大工」「道化師」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「魔笛」

 東京都に緊急事態宣言が発出され、いくつものコンサートが中止になり、予定していた仕事がなくなった。私の住む町のすぐ近くに感染が広まっていると聞いている。家族や私自身がいつ感染してもおかしくない状態になっているのをひしひしと感じる。そんな中、ともあれ、私としてはできる仕事をし、オペラ映像をみたり、DVDで映画をみたりして過ごしている。

 オペラ映像を数本みたので、感想を記す。

ロルツィング オペレッタ「ロシア皇帝と船大工」(映画版) 1967

 ドニゼッティの「ピエトロ大帝」をみて、同じピョートル大帝を題材にしたロルツィングの「ロシア皇帝と船大工」のDVDが発売されていることを思い出して、購入。

 50年近く前、この映像をみた記憶がある。1970年代前半のことだ。紀伊国屋ホールだったと思う。ハンブルク国立歌劇場で収録されたオペラ映画の上映会が行われた。ほかに「ヴォツェック」と「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が上映されたのを覚えている(「マイスタージンガー」は、確か休憩なしだった!)。

 これらのオペラの実演はもちろん、映像でも、日本ではほとんどみることのできない時代、レコードで聴いていた「ヴォツェック」と「マイスタージンガー」の映像をみられたことで興奮した。しかも私は少し前まで大分市の高校生だった。東京に出てくるとこんなものがみられるのか!と思ったのも覚えている。

 ロルツィングという作曲家の名前もこのオペレッタのタイトルも、この時初めて知った。とても楽しいストーリーと音楽だと思った。ロッシーニのドイツ版といったところ。クレンペラーの指揮する「魔笛」のレコードの夜の女王のあまりに美しい声に惹かれていたルチア・ポップがこんなにチャーミングな若い女性だとこの映像で知った。この後しばらくしてバイロイト音楽祭の常連になるハンス・ゾーティンの名前を知ったのも、このオペラ映画だった。今回、50年ぶりに見て、やはり楽しい。モノラルなので、音質はよくないが、それはやむを得ないだろう。

 ロシア皇帝ピョートルが船大工に身をやつしてオランダの港町で働いている。愚かで滑稽な市長が同じロシア人のピョートル・イワノフを皇帝と思い込んで混乱が起こるが、最後には、市長の姪のマリーとイワノフの恋も成就、めでたく皇帝は去っていく。

 やはり何よりもマリーを演じるポップの可憐さと、市長を歌うゾーティンの芸達者に惹かれる。皇帝役のレイモンド・ウォランスキー、イワノフ役のペーター・ハーゲもとてもいい。指揮はなんとチャールズ・マッケラス。モーツァルトやヤナーチェクで名演を聴かせてくれたマッケラスがこのようなオペレッタを指揮していたとは知らなかった。生き生きとしていてとてもいい。監督はヨアヒム・ヘス。現在からみると、クローズアップが多すぎて目が疲れるが、ともあれ、17世紀オランダの港町が再現され、登場人物が自由に動いて、とても楽しい。

 ドイツではロルツィングの人気は根強いと聞く。日本での上演はなかなか難しいにしても、せめて映像をみたいものだ。

 

レオンカヴァッロ 「道化師」 2019年 アムステルダム、オランダ国立歌劇場(

 演出はロバート・カーセン。「カヴァレリア・ルスティカーナ」とともに上演され、連続した演出になっている。最後までみてわかるのは、カーセンがこの2本のオペラを19世紀末のイタリアの田舎の物語ではなく、現代の私たちの事件として描こうとしていることだ。

 

 まず驚くのは、一般の観客かと思っていたら、幕が上がってすぐに、前の3列ほどの人々が立ち上がって動き始めることだ。どうやら合唱団だと、しばらくして気づいた。ただ、このオペラの合唱は、ふつうの上演では道化芝居を見に来た19世紀末の普段着のイタリアの田舎の人々を演じるのだが、このような演出にすると、合唱団はスーツを着た21世紀の都会人ということになる。したがって、地方色が薄れ、異様なまでに洗練されてしまっている。舞台として設定されているのも、地方回りの道化芝居一座ではなく、無機質な金属やライトに囲まれたスタジオの楽屋裏。そのため、うらぶれたドサまわりの道化芝居での刃傷沙汰という側面が薄れて、かなり品のいいものになっている。

 歌手はかなりのレベルだと思う。プロローグとトニオを歌うロマン・ブルデンコはしっかりした美声が素晴らしい。ただ、ちょっとのこの役には声が高貴すぎる。カニオはブランドン・ヨヴァノヴィッチ。迫力ある声でとてもリアルなのだが、ちょっと力任せな気がする。ネッダはアイリン・ペレス。かつて横浜でヴィオレッタを聴いた記憶がある。とてもいい歌手だと思うのだが、ちょっと一生懸命すぎて少し蓮っ葉な魅力に欠ける。

 指揮はロレンツォ・ヴィオッティ。ドラマティックで切れがいい。ただ、私としては、もっと小味でもっと凝縮されている演奏のほうが好みだ。演出も演奏も、現代的になりすぎて、道化役者の悲哀と欲望が伝わってこない。その点に不満を覚えた。

 

マスカーニ 「カヴァレリア・ルスティカーナ」

 これもカーセンの演出。「道化師」の舞台がそのまま使われ、台本では田舎の人々であるはずの合唱団は、(おそらくセミプロの)合唱団メンバーという設定になっている。したがって、復活祭の合唱部分は、メンバーが集まって歌の練習の場面とされている。サントゥッツァもローラもルチアも、そして、どうやらトゥリッドゥもアルフィオも合唱団のメンバーということらしい。つまりこれは、合唱団内部の男女関係のもつれによる刃傷沙汰ということになる。

 最後、トゥリッドゥが殺された後、幕の後ろに鏡が下りてくる。そこには観客席が映し出されている。「道化師」の劇中劇、そして「カヴァレリア・ルスティカーナ」が観客の世界を映したものであることを暗示している。

 ただ、そのようにした分、「道化師」と同じように、ローカルな社会の閉ざされた雰囲気や、その中での神への祈りというテーマが薄れてしまっている。もちろん、意識的にそのようなものを排除しようとしたのだろうが、それがなくなると、このオペラの大きな魅力がなくなると私は思う。

 歌手陣は、「道化師」よりも、こちらの方が一層レベルが高いかもしれない。サントゥッツァのアニタ・ラチヴェリシュヴィリはさすがの歌唱。太くて強い声なので、あまり健気な清純さは感じないが、見事な歌唱力には圧倒される。アルフィオのロマン・ブルデンコも見事。トゥリッドゥのブライアン・ジャッジも明確な声。そのほかの役も穴がない。

 ロレンツォ・ヴィオッティの指揮は、「道化師」よりも、こちらの方に私は説得力を感じた。間奏曲は強い音で歌わせて、とても素晴らしかった。

 

モーツァルト 「魔笛」 1974年 イングマール・ベルイマン監督のオペラ映画 (スウェーデン語歌唱)

 かつてベルイマンの映画はかなりみた。日本であまり知られていないものも含めて、ほとんどのベルイマン作品をみたのではないかと思う。公開当時、巨匠ベルイマンが「魔笛」を映画にしたということで話題になったので、このオペラ映画ももちろん見に行った。演出は意外とふつう、演奏は超一流ではないために、少し期待外れだったのを覚えている。今回、BDになって再発売されたので購入してみた。

 やはり印象は変わらない。音楽好きとしては、まず何よりも演奏に不満を覚える。パパゲーノを歌うホーカン・ハーゲゴードだけが世界レベル、ほかの歌手たちはかなり力量が劣るといえそうだ。タミーノのヨーゼフ・ケストリンガーと夜の女王のビルギット・ノールディンはかなり苦しい。聴くのがつらくなってしまう。エリック・エリクソン指揮のスウェーデン放送交響楽団はかなり健闘しているが、素晴らしい演奏というわけではない。

 演出に関しても、特に目立つことはないような気がする。映像には観客席がしばしば映し出され、舞台と客席が一体になり、観客席にも様々な人種の様々な年齢の人々がいることが強調されるが、それが演出とかかわっていることはなさそうだ。普遍性がうたわれるわけではない。フリーメーソン的な要素は薄れているが、この「魔笛」の台本のわかりにくさに何かの光を当てているわけでもない。

 私にはなぜベルイマンがこのオペラをわざわざ映画化しようとしたのかよくわからない。そして、なぜこの映画がかつて話題になったのかもよくわからない。ベルイマンの映画としてもあまりおもしろいとは思わないのだが・・・。

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