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神尾真由子&田村響 ひまわりの郷 とてつもないテクニックと豊かな抒情

 2021530日、横浜市港南区のひまわりの郷で、神尾真由子ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。ピアノ伴奏は田村響。素晴らしかった。

 曲目は、前半にベートーヴェンのロマンス第2番とヴァイオリン・ソナタ第5番「春」。後半にクライスラーの「愛の喜び」「愛の悲しみ」「美しきロスマリン」「中国の太鼓」、最後にサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第1番。

 ロマンス第2番の冒頭から、音程の良い研ぎ澄まされた音。冴え冴えとしてゆるぎない。ロマンティック過ぎなくて、とても清潔だが、深い抒情を感じる。音楽が自然に流れていく。「春」もとても美しかった。第一楽章はさわやかで美しく、楽章が進むにつれて音楽が深まっていく。終楽章は心の奥から盛り上がっていく。ピアノの音もとてもヴァイオリンにぴたりと合っている。研ぎ澄まされていて、しかも十分に抒情的。

 休憩後のクライスラーの小曲も実に爽快。二人のテクニックの確かさを感じる。音がもつれず、どこまでものびやか。全体の構成感もしっかりしている。

 サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第1番もあまりに見事なヴァイオリンのテクニックに驚嘆。しかも、サン=サーンスらしいしっかりとした構成感に基づく濃厚なロマン主義もしっかりと聞きとれる。あれよあれよという間に音楽が進み、大きく盛り上がった。

 アンコールはバッツィーニ作曲の「妖精の踊り」。ヴァイオリンの超絶技巧の曲だが、いったい何が起こっているのかわからないような音の曲芸に驚嘆。少し時間を前に巻き戻して、スローモーションにして指の動きと音を確かめたくなるほどの、目にもとまらぬ速さ。しかも、音楽的にも盛り上がっていく。

 とても楽しいコンサートだった。興奮した。実は、ずっと気になりながらこれまで神尾さんの実演を聴く機会がなかった。初めて聴いて、これまで聴かずにいたことを後悔。聞いていた通りの凄いヴァイオリニストだ!

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新国立劇場「ドン・カルロ」 コロナ禍の素晴らしい上演

 2021526日、新国立劇場で「ドン・カルロ」をみた。素晴らしい上演。コロナ禍でこれだけのものがみられるとは!

 歌手陣はとても充実していた。私が何よりもうれしい驚きを覚えたのはロドリーゴの髙田智宏だった。世界一流のロドリーゴ歌手にまったく劣らない。気品のある堂々たる声とそれにふさわしい演技だと思う。ドン・カルロ役のジュゼッペ・ジパリを食っていたといっても言い過ぎではないだろう。死の場面など感動的だった。

 エリザベッタの小林厚子も素晴らしかった。私はこれまで何度かこの人の実演に接して、その実力のほどは知っているつもりだったが、エリザベッタはこれまで以上に適役だった。澄んだ声だが、会場中にビンビンと響き渡る。エリザベッタのふさわしく立ち居振る舞いも気品としとやかさにあふれている。第四幕のアリアはまさに絶唱。

 エボリ公女のアンナ・マリア・キウリもみごとな公女ぶり。凄味のある声で音程もいいし、情熱的な歌いぶりもいい。容姿も美貌を誇るこの役にふさわしい。

 ドン・カルロのジュゼッペ・ジパリももちろん悪くはなかった。きれいな伸びのある声は見事だった。ただ、風采や歌いぶりに若々しさがなく、くたびれたドン・カルロになっていたのが残念。意図的にそのような演技をしていたのではないと思うのだが。フィリッポ二世の妻屋秀和と宗教裁判長のマルコ・スポッティもしっかりと歌ってドラマを盛り上げた。「天よりの声」の光岡暁恵もとてもきれいな声、テバルドの松浦麗も好演。三澤洋史合唱指揮による新国立劇場合唱団もいつも通り見事な声と動き。

 マルコ・アルトゥーロ・マレッリの演出は灰色の巨大な壁を動かして舞台を作っていた。壁と壁の隙間によって十字架を作り出し、このオペラの背景にあるゆがんだキリスト教を浮き彫りにしていた。第2幕の火刑の場面では、合唱団を含む登場人物たちが薪を手に手に火刑台に運ぶ様子が描かれ、これが日常的なものであることをほのめかしていた。壁の動きによって人間関係や心理を表現して、とてもおもしろいと思った。

 指揮はパオロ・カリニャーニ。冒頭部分では、少し東フィルを掌握しきれていない感じで、もたついていたが、すぐに立て直し、後半は見事に音楽を推し進めていった。フィリッポ二世の嘆きのアリアの部分はチェロとヴァイオリンの音が実に美しく、第三幕以降はドラマティックな盛り上がりも見事だった。素晴らしい指揮者だと思う。東フィルも大健闘。

 コロナ禍の中なので、練習不足などで密度の低い上演になるのではないかと懸念していたが、とんでもない。これまでの新国立の歴史の中でも有数の見事な上演になっていると思った。私は何度か感動に震えた。来日できない外国人歌手を日本人歌手が十分にカバーしている。いや、それどころかコロナ禍を日本人歌手のアピールのチャンスにしている。うれしいことだ。

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ロベール・ブレッソンの映画「ブローニュの森の貴婦人たち」「田舎司祭の日記」「バルタザール、どこへ行く」

 3回目の緊急事態宣言も間違いなく延長されるだろう。先日、私の住む地区でも65歳以上の高齢者(私も含まれる)のワクチン接種予約が開始され、私も参戦した。開始時間と同時にネットにつないだために、アクセスできないということにはならなかったが、指示に従って、かなり面倒な書き込みをしなければならず、しかも、手続きをしている最中に何度も「予期しないエラーが発生しました」という表示が出て少々焦った。無事に予約は取れたようだ。ひとまず安心。だが、これだと80歳過ぎの人は対応が難しいだろう。

 そんななか、先日購入した10枚組DVD2000円以下で売られているフランス映画特集を引っ張り出し、ブレッソンの映画を久しぶりにみようと思いついた。NHKBSでかつて放送された「バルタザール、どこへ行く」を録画したものも探し当てた。簡単な感想を書く。

 

「ブローニュの森の貴婦人たち」1945年 ロベール・ブレッソン

 実はブレッソンは苦手な監督だ。好きな映画もあるので、あえて「嫌い」とは言えないが、この人の監督した映画の多くについていけない。

 この人の映画では、神経質で生真面目そうなやせ細った男たちが黙って何かをもくもくとおこなう様子がしばしば克明に描かれる。私はそのような映像をみていると、こんな生真面目な精神にはついていけない!と強く感じる。きっとブレッソンがそんな生真面目な人なのだろうが、そのような人ばかり登場する映画は息が詰まる。

 幸い、この「ブローニュの森の貴婦人たち」にはそのような場面は少なかった。

 恋人ジャン(ポール・ベルナール)につれなくされたエレーヌ(マリア・カザレス)は、腹いせに昔なじみで、今はキャバレーの踊り子になり、娼婦まがいのこともしているアニエスをジャンに近づけ、二人が結婚するようにしむけ、その後になって、ジャンに真実を告げて傷つけようとする。だが、アニエスを愛するジャンは真実を聴いた後もアニエスを愛そうとする。

 恋にとりつかれるジャン、人の心を操ろうとするエレーヌ、自分の過去を悔い真実をジャンに告げようとして苦しむアニエス。それぞれの心理が丁寧に描かれる。

 もともとマリア・カザレスは鋭い眼光を持つ、意志の強い顔をした女優さんだが、とりわけプライドを傷つけられた腹いせに人の心を操る女性を激しく演じている。だが、カザレスの演技も含めて、私はブレッソンの息苦しいまでの生真面目な演出に辟易する。やはり、ブレッソンは好きな監督ではないなとつくづく思う。

 

「田舎司祭の日記」 1951

 その昔、ベルナノスの原作は恩師である渡辺一民先生の訳で読んだ。引きつけられた記憶があるが、ブレッソンの監督した映画は、私にはかなり退屈だった。いや、それ以前に、これこそ、やせ細った人間が真面目に行動する場面がずっと続く映画だった。

 田舎に赴任することになった若い司祭(クロード・レデュ)。教区の人々の苦悩を自らも受け入れて信仰とともに生きようとするが、教区の人々からは遠ざけられ誤解を受ける。それでも苦しみながら神への愛を全うしようとし、最後には、すべてが神の思し召しだと考えて病死する。そうした様子をブレッソンの映像は克明に追いかける。

 エンターテインメント映画のように、司祭の苦悩が具体的な事件や大きな身振りで示されるわけではない。悩む教区の人や先輩の宗教者との教理問答のような問答や、苦しみを語る言葉、ちょっとしたしぐさでそれを読み取らなければならない。

 それにしても、なんという生真面目な人たちなのだろう。司祭だけではない。教区の人々も必死にあがき、顔をゆがめ、生きることに葛藤している。

 小説であれば、司祭の苦しみを描く言葉に共感できる。信仰への迷い、神の言葉を素直に受け入れられない自分を責める気持ちも理解できる。だが、映像によってそれを見せられると、私はこの司祭に無理解な教区の人々と同じように、息苦しくなって、この映画を拒否したくなる。私の考える「真」とはもっと動的でもっと不条理でもっと人知を超えたものだ。ブレッソンの映画を観ていると、この人は、「真」を静的で知的なものと捉え、まじめに生きることによってそれを得られると考えているのを感じる。私はどうやらそれにいら立つようだ。

 その意味で最もブレッソンらしい映画と言えるかもしれない。私には最も苦手な映画だ。

 

「バルタザール、どこへ行く」 1964

 1970年、日本での封切時にこの映画をみた。初めてみたブレッソンの映画だった。静謐で、説明があまりに少なくて何が起こっているのかよくわからない作風に戸惑いながらも、深く感動したのを覚えている。今回改めて観たが、やはりこれはとても良い映画だと思った。私の好きな唯一のブレッソンの作品だ。

 バルタザールと名付けられたロバの眼を通して、1960年代のフランスの農村の悲しい人々の姿が描かれる。バルタザールの飼い主はプライドを守るために周囲の人々から孤立し、財産を失う。その娘マリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)は村のならず者ジェラールと恋仲になり、自堕落になっていく。バルタザールは、時代遅れの家畜として売られて様々な苦役につき、その時々でマリーやマリーの家族の悲劇に立ち会う。最後、バルタザールはジェラールの闇商売に使われ、流れ弾に当たって死んでゆく。

 ブレッソンの映画らしく宗教的な雰囲気が強い。バルタザール、マリーという名前も新約聖書を思い出さないわけにはいかない。実直で誠実な人々が試練を受け、多くの人が悪を行い、愚かで寡黙なバルタザールがそのような人間の性をみている。バルタザールこそはイエス・キリストのイメージなのかもしれない。最後、死んだバルタザールの周囲に羊たちが群がる。十字架の中で死んだイエス・キリストを迷える羊である人間たちが慕ったように。しばしば聞こえてくるシューベルトのピアノ・ソナタ第20番も生きることの悲しみをしみじみと感じさせて効果的だ。

 説明が省かれているためにわかりにくいストーリーも、生真面目な表情の人間たちの静かな営みも、ロバのバルタザールを通してみた世界であるために、私はほかのブレッソンの映画のように違和感を覚えない。バルタザールという存在のゆえに、この映画は名作になっていると思った。

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二期会ニューウェーブ・オペラ劇場「セルセ」 期待していたが、楽しめなかった

 2021522日、めぐろパーシモンホールで二期会ニューウェーブ・オペラ劇場「セルセ」をみた。期待していたのだったが、残念ながら期待ほどではなかった。

 私が最も問題に感じたのは中村蓉の演出だった。一人の歌手にほぼ三人のダンサーがはりついて、歌手が歌っている間、横で手足を動かし、心情を表現したりパントマイムをしたりしてリズミカルに踊る。ダンス好きにはよいのかもしれないが、私のようにダンスに興味のない人間には、これらは邪魔に思えて仕方がなかった。

 しっとりした歌の場合、じっくりと耳を傾けたいのに、バタバタと踊っている。しかも足音が聞こえて音楽の邪魔をする。15年ほど前にシャトレ座で上演されたラモー作曲の「レ・パラダン」のダンスがふんだんに入った演出は衝撃的だった(私はDVDでみた)。今回の上演もその系譜に属するものだろう。だが、こう言ってはナンだが、ダンスも「レ・パラダン」ほどには上手でないような気がするし、オペラそのものの性格が異なる。ヘンデルの「セルセ」でこのようなバタバタしたダンスでは音楽を壊すだけだ。

 また、喜劇仕立てにして、笑わせようとしていたり、ポップにしようとしていたりするのも私にはあまり効果的と思えなかった。素人漫才を見るような痛々しさを感じた。センスの良い笑いをもたらすのがいかに難しいかを改めて痛感した。

 声楽面もあまり高レベルではなかった。多くの歌手の音程が不安定で、安心して聴いていられなかった。その中では、ロミルダの牧野元美とアタランタの雨笠佳奈が音程がしっかりしており、声が伸びていると思った。

 歌手たちもダンサーに交じって踊っていた。素人が見ても、かなりどたどたした踊りなのだから、私は歌手陣に踊らせることにも問題を感じた。もしかしたら、踊りのできる歌手を今回の役に抜擢したのだろうか。そうだとすると、本末転倒だと思った。踊りに力を入れるよりは、音程よくしっかりと歌ってほしい。

 唯一すばらしいと思ったのは、鈴木秀美の指揮するニューウェーブ・バロック・オーケストラ・トウキョウ(NBO)だった。これは文句なし。美しい音で、バロックの世界を作り出したい。来たかいがあったと思った。

 このところの二期会の充実ぶりはよく知っている。世界レベルの公演を続けている。だが、もちろんコロナのための練習不足、準備不足もあったのだろうが、若手中心の今回の上演については、私は納得できなかった。

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グラインドボーン音楽祭のボックス「カルメン」「ジャンニ・スキッキ」「けちな騎士」「愛の妙薬」「ファルスタッフ」

 私の住む地域でも高齢者である私にワクチン接種券が届いた。近々、ネットと電話による予約争奪戦に参戦することになる。これまで数々のチケット争奪戦に敗北してきた記憶があるので、今回も早く引き当てる自信がない。

 そんな中、先日購入したグラインドボーン音楽祭の5作のオペラのDVDボックスを見始めた。2002年から2009年までの上演を記録したものだが、なんと1590円だった。1作あたり318円ではないか。ドイツ系のオペラばかりに接してきた私にしてみると、あまり好きなオペラは含まれていないが、これほどの安売りをみつけると心が動いてしまって買わずにはいられない。簡単な感想を記す。

 

ビゼー 「カルメン」2002817

 初めてこの映像をみたが、とてもレベルの高い上演だと思う。カルメンをアンネ・ゾフィー・フォン・オッターが歌っている。私の考えるカルメン像とはかなり違って、知的で繊細だが、さすがにフォン・オッターだけあって、演技で我の強い性悪女を作り出している。それはそれでカルメンらしいし、もちろん歌唱は素晴らしい。

 ドン・ジョゼはマーカス・ハドック。ドミンゴやカウフマンのドン・ジョゼが有名だが、それらのあまりに立派すぎるドン・ジョゼと違って、こちらのほうはもっとずっと情けないドン・ジョゼ。ドン・ジョゼはこの方がリアリティがある。エスカミーリョのロラン・ナウリは堂々たる闘牛士を歌いながらも、どこか陰がありそうで魅力的だ。リザ・ミルンの清純でありながら芯の強いミカエラもなかなかいい。全体的にレベルがそろっている。

 ロンドン・フィルを指揮するのはフィリップ・ジョルダン。20年前の若々しいフィリップ! 力感あふれる演奏だが、十分にフランス的なニュアンスもあって、とても良い。

 演出はデイヴィッド・マクヴィカー。この人らしく映画のようにリアルで緻密な演出で、ドラマを高める。特に目立った解釈はないと思うが、まさにカルメンが生きた時代の世界を再現しているかのようだ。

 

プッチーニ 「ジャンニ・スキッキ」 2004711

 プッチーニ嫌いの私が唯一、不快を感じないオペラがこの「ジャンニ・スキッキ」だ。プッチーニ特有の甘ったるい情緒的なオーケストラが聞こえてくると拒絶反応が身体を走るのだが、集団喜劇であるせいか、幸い、このオペラにはそのようなところがない。

 演出はアナベル・アーデン。歌手全員に演技力があり、動きもしなやかで、顔の表情もおもしろく、集団の動きも躍動的。映画のようにリアルな舞台で、老人の臨終の場を作り出し、遺産を巡る老若男女の動きを面白く描き出す。プッチーニの時代の庶民を描いている。

 歌手陣は充実している。大スターとは言えないまでも、世界で活躍した名歌手たちだ。その中でもジャンニ役のアレッサンドロ・コルベッリがやはりうまい。ジャンニはきっとこんな人物なのだろうと思わせるだけの説得力がある。ラウレッタのサリー・マシューズもいかにもラウレッタでアリアを歌う声も美しい。マッシモ・ジョルダーノも若い恋人を歌って見事。そのほか、フェリシティ・パーマー、マリー・マクローリンもさすが。

 ヴラディーミル・ユロフスキの指揮にも不満はない。躍動して、もとてもいい。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団も美しい。プッチーニ嫌いの私でも十分に楽しめた。

 

ラフマニノフ 「けちな騎士」 2004711

「ジャンニ・スキッキ」と2本立ての公演。こちらは文句なくすばらしい。

 とりわけ男爵役のセルゲイ・レイフェルクスの存在感が圧倒的。第二幕の狂気じみた独白の場面はその凄味に鳥肌が立ってくるほどだ。単に、途方もなくケチな貴族の話なのだが、その不思議な情念が見事に描かれる。この歌手と演出によって吝嗇の話が哲学的な深みを帯びる。アルベルトのリチャード・バークリー=スティールも不気味さを持っていてとてもいい。

 演出は、これもアナベル・アーデンだが、黙役の女性ダンサーが心に住み着く魔物のように男爵の部屋で不気味な動きをする。とても説得力がある。映画のようにリアルな舞台だが、このダンサーによってラフマニノフの不思議な世界になる。

 ヴラディーミル・ユロフスキの指揮も鋭くて、しかも不気味で、鋭利で得体のしれない雰囲気を作り出していて、実に素晴らしい。この短いオペラが実は大変な傑作であることをこの上演は教えてくれる。今回購入した5作のオペラの中で、私はこれに最も感動した。

 

ドニゼッティ 「愛の妙薬」2009

 声楽的には、ネモリーノのピーター・オーティとバルコーレのアルフレード・ダーザは物足りないかもしれない。もちろんけっして悪くはないのだが、拍手喝采したくなるような名唱というほどではない。だが、外見も含めて考えれば、演劇としてとてもいい。オーティは純真でお人よしのネモリーノにぴったり。ダーザもちょっと意地悪で根は悪人ではないこの役をうまく演じている。

 アディーナのエカテリーナ・シウリーナは、ヴィブラートの少ない澄んだ声が素晴らしい。外見的にも美しい村娘に見える。ドゥルカマーレのルチアーノ・ディ・パスクァーレは声が伸び、芸達者を存分に発揮している。この二人は声楽的にも私は満足。

 演出はアナベル・アーデン。20世紀初めのころの服装や生活を再現しているようだ。ネモリーノは電柱の修理を担当する作業員という設定に見える。演出によっては、第一、二幕でアディーナがネモリーノをどう思っていることが伝わらないことがあるが、今回の演出は、憎からず思っていながらもあえて邪険にしている様子をうまく描いている。

 マウリツィオ・ベニーニの指揮によるロンドン・フィルハーモニー管弦楽団も生き生きとした音楽を作り出していて、とても満足。全体的に、オーケストラ、声楽ともにアンサンブルが素晴らしく、突出した歌手はいないものの総合的には最高レベルのオペラに仕上がっていると思う。

 

ヴェルディ 「ファルスタッフ」20096

 さすがグラインドボーンというべきか、とても楽しくて充実した舞台。声楽的には世界最高とは言い難いかもしれないが、演劇としても音楽として両面でみた場合、最高度の充実している。

 演出はリチャード・ジョーンズ。第二次大戦前後(?)の服装のようだ。クイックリー夫人は軍服を着ている! 私は刑事ドラマが好きでBSNHKで放送されていた「刑事フォイル」を欠かさず見ていた(シナリオ担当だったホロヴィッツの小説「カササギ殺人事件」や「メインテーマは殺人」は大傑作!)が、オペラの登場人物たちの服装や髪形は、この大戦中から大戦後の英国の犯罪を描いたドラマの時代のものにとても良く似ている。確かに、シェークスピアの時代を舞台にすると、現代性がなくなる。だからと言って、21世紀の現代にしてしまうと違和感を覚えるだろう。だが、20世紀中葉に設定すると、現代の世相をみるのと同じような気持ちでファルスタッフの行動を見ることができる。絶妙の時代設定と言えそうだ。

 ファルスタッフのクリストファー・パーヴィズは憎たらしくも愛嬌のある老人を好演。アリーチェのディナ・クズネツォワはチャーミングな女性、フォード氏のタシス・クリストヤニスもユーモラス。このオペラを見るとき、最終幕の仮装が日本人の私にはあまりに不自然に思えるのだが、この上演は、さすがこのオペラの原作者シェークスピアの国のものだけあって、違和感なく受け取ることができる。

 ロンドン・フィルを指揮するのはヴラディーミル・ユロフスキ。なんだか神経質そうで妙に力んでいるような気がするのは、この指揮者の風貌による私の先入観だろうか。あっけらかんとした雰囲気にならないのを感じた。

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オペラ映像「猟銃」「春の嵐」「ラ・ドーリ」

 東京は今月いっぱい、3回目の緊急事態宣言が延長されることになった。宣言発出後も感染者は減らず、連休前後の人出も思うほど減らず、ワクチン接種も進まない。政府のとった施策はことごとく失敗だったのは明らかだろう。私自身や家族、友人たちの命がかかっているので、とても暗い気持ちになるが、ともあれ、私としては感染が拡大されないことを祈って、できるだけステイホームを続け、自宅でオペラをみたり音楽を聴いたりするしかない。

 私の得意分野ではないが、現代オペラとバロックオペラのBDをみたので、簡単な感想を記す。

 

ラルヒャー 「猟銃」 2018年 ブレゲンツ音楽祭

 井上靖の小説「猟銃」に基づく。トーマス・ラルヒャーはオーストリアの現代作曲家だというが、私にはまったく知識はない。登場人物は5人だけ。凝縮され、緻密に構成されて、とても魅力的だ。ドイツ語歌唱。

 戦後。友人の夫と不倫関係を続け、それを友人にずっと前から気づかれながら、だまし、だまされていたことを知らされて自ら命を絶つ女性の物語。原作は作者に送られてきた複数の手紙から成っているが、オペラでは舞台上に劇中劇のようなステージが作られて重層的になっており、登場人物がかわるがわる語る形がとられている。

 研ぎ澄まされた音によって心理の奥をえぐるような音楽。それぞれの人物の悲しみとそれぞれの心の中に持つ「蛇」が描かれる。前もって原作を読んだ段階では、「人間は心の中に蛇を持っている」というのは、かなり図式的でありきたりの表現であり、それを猟銃と重ね合わせるのも安易なテーマに思えた。だが、音楽によって昇華され、純化された形でそうしたテーマが現れると、それはもっと実体をもって浮かび上がってくる。人を殺傷でき、自分をも殺すことができ、じっと心の奥にしまい、何とか暴発を抑えているもの。暴発の危険があるからこそ、手放さすことができないもの。そのようなものとしてありありと見えてくる。

 井上靖の小説はこれまで数本しか読んだことがない。あまりおもしろいと思わなかった。だからよく知らない。今回、ざっと「猟銃」を読んでみたが、小説とオペラの印象はかなり異なる。原作には私はこれほどの鋭利さは感じなかった。もしかしたら、私の読みが浅かったのか。オペラを観て、実はとても魅力的な作家なのではないかと思った。

 歌手陣は充実している。ただ、日本人が西洋人を演じるオペラは見慣れているが、西洋人が日本人を演じるのは見慣れていないので妙な感じがする。

 作家を演じるロビン・トリットシューラーは知的な歌いぶりがとてもいいし、三杉穣介役のアンドレ・シュエン、彩子役のオリビア・バーミューレン、みどり役のジュリア・ペリ、薔子役のサラ・アリスティドはいずれも、この役を西洋人がイメージしたらこうなるだろうというまさに適役。音程がよく、みんな知的で声もしっかりしている。

 演出はカール・マルコヴィクス、指揮はミヒャエル・ボーダー。舞台と音楽がぴたりとかみ合っているのを感じる。日本を舞台にしたオペラが世界で上演されるのはとてもうれしいことだ。

 

ヴァインベルガー オペレッタ「春の嵐」(ノーベルト・ビアマンによる再構成&編曲版) 2020年 ベルリン・コーミッシェ・オーパー

 もう一本、日本がらみのオペレッタ。ヒトラー政権下の1933年にチェコ生まれのヤロミール・ヴァインベルガーによって作曲された作品だという。初演後、再上演が禁止になってスコアも失われたものを、近年になって再構成されて再上演。私の知っているオペレッタでいえば、「メリー・ウィドウ」に雰囲気が似ているが、それ以上にアメリカのミュージカルに近い。ジャズっぽいリズムも出てきて、ミュージカル風のダンスもふんだんに入る。

 舞台は日露戦争の時代のロシアの占領下にある満州地域。ペテルブルク社交界の華だった未亡人リディアは、中国人になりすましてスパイ活動するかつて恋人である日本人将校イトウと再会する。イトウはスパイ活動が発覚してカチャーロフ将軍に捕らわれるが、リディアは将軍と逢引の約束をして、代償としてイトウを逃亡させる。それから数年。戦争は終わり、イトウは和平交渉の責任者としてやってくる。リディアに裏切られたと信じているイトウは傷心のあまりサユリと結婚しているが、ホテルでリディアと顔を合わせて、かつての誤解が解け、恋が再燃する。だが、リディアはサユリの存在を知り、自ら身を引いて将軍と生きることにする。

 そうした大人の恋の物語を中心に、将軍の娘と新聞記者の恋を織り交ぜ、深刻になりすぎず、ユーモラスに東アジアの紛争地の社会を描く。ストーリーもハラハラドキドキしてとてもおもしろい。音楽も楽しめる。

 何よりもバリー・コスキーの演出の見事さに舌を巻く。異国情緒にあふれた踊りがふんだんにあり、ユーモアにあふれ、静かな大人の恋と騒々しい若者の恋がうまく対比され、楽しくて華やかな舞台を作り出している。楽しく、おもしろく、場面展開に目が離せなくなる。

 歌手の一人一人もとてもいい。リディア役のヴェラ=ロッテ・ベッカーが色気のある美しい未亡人を見事に演じる。イトウ役のタンゼル・アクゼイベックも切れの良いしっかりした歌がとてもいい。カチャーロフ将軍を演じるのは役者のシュテファン・クルト。軽妙な動きでしばしば笑いを誘う。素晴らしい役者だ。オリジナルのオペレッタに含まれているのだろうか、「エフゲニー・オネーギン」のレンスキーの決闘前のアリアを歌う場面がある。将軍の娘役のアルマ・サデーと新聞記者役のドミニク・ケーニンガーも見事。

 ジョーダン・デ・スーザの指揮するベルリン・コーミッシェ・オーパー管弦楽団もきりりと引き締まって飽きさせることがない。

 今、私たちは満州と聞くと、日本軍の中国侵略、傀儡国家である満州国建設、その後の日本人入植者の苦難を思い浮かべるが、当時、ドイツでこのようなオペレッタが作られていたことが興味深い。ドイツから見たロシア、日本、満州がどのようなものだったのか、そもそも日露戦争がヨーロッパにどう見えていたのか、このオペレッタに手掛かりがいろいろありそうだ。ただ、残念ながら、それを真正面から研究する意欲は今の私にはない。ごく身近に満州問題に詳しい人間がいるので、そのうち話を聞いてみたいと思っている。

 

チェスティ 「ラ・ドーリ」2019年 インスブルック古楽音楽祭

 17世紀イタリアの作曲家アントニオ・チェスティの代表作だという。とてもレベルの高い上演だと思う。このオペラを観る前に、メラーニの「罰せられた悪党」(2019年 レアーテ音楽祭)のBDを観たが、そちらは録音のバランスが悪く、チェンバロと歌があっていないために聴き続けることが苦痛になって途中で忍耐を放棄したが、それに比べると、こちらは見事。歌手陣はそろっているし、ダントーネの指揮についても文句なし。現代のオペラに慣れた耳からすると、バロックオペラらしい同じような曲想の歌が続いて少々退屈だが、心地よく楽しめた。

 ただ、登場人物があまりに多く、人間関係が入り組んでおり、しかもほかの人に成り代わったり男装したりするうえ、そもそも女性が男性役を歌っていたり、逆に男性が女性役を歌っていたりして、ストーリーについていけなくなった。ネットで探して、あらすじを確認したが、それでも見ている途中で誰が誰やらわからなくなった(歌手陣の顔も似ている!)。私の知能程度ではこれは理解するのは難しいと判断して、途中からあまりストーリーは気にせずに見た。もう一度きちんと予習をして初めから見直すと理解できるかとも思ったが、残念ながらそれほどの気力を持つことはできなかった。私以外の人はこれを問題なく理解できるのだろうか??

 関係者には申し訳ないが、私としては、よくわからないままそれなりに心地よい音楽だったという印象でおしまいだった。

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オペラ映像「ラインの黄金」「フィデリオ」「リゴレット」「ルクレツィア・ボルジア」

 ゴールデンウイーク。一昨年まではラ・フォル・ジュルネに通っていた。昨年に続いて、今年もラ・フォル・ジュルネは開催されない。自宅で音楽を聴き、オペラ映像をみて一人で楽しむしかない。オペラ映像を4本みたので感想を記す。

 

ワーグナー 「ラインの黄金」 2010年 ブルガリア、ソフィア国立歌劇場

 ソフィア国陸歌劇場は歴史のある劇場だ。私は昔、この劇場のメンバーによる「エフゲニー・オネーギン」のレコードを愛聴していた。この歌劇場の実演もみたことがある。そんなわけで、ソフィア国立歌劇場による「リング」がBDで発売されるというので期待していた。

 だが、正直に言ってあまりよい上演ではなかった。まず、録音に問題を感じた。昔、観客がこっそり録音した非正規盤のレコードが出回っていたが、それと同じような音質だ。こもり気味で、オーケストラも声も鮮明に聞こえない。

 そして、これも録音の仕方にもよるのかもしれないが、オーケストラと声のバランスが良くない。タイミングもしばしばずれる。オーケストラ自体も時々情けない音を出すし、歌手陣も決して高レベルではない。私が思うに、エルダ役のブラゴヴェスタ・メッキ=ツヴェトコヴァだけが世界レベルで、ほかの歌手たちはきっと世界で活躍している人ではないだろう。指揮はパヴェル・バレフというが、特にタクトの冴えは感じなかった。

 プラメン・カルタロフによる演出についてはおもしろいと言えばおもしろい。ラインの乙女たちはトランポリンではねながら歌う。よくぞこれほど上手にトランポリン運動ができるものだと感心はするが、そんなことをしながらしっかりとワーグナーを歌えるはずがない。私としては声楽面を重視してほしい。そのほか、漫画的なキャラクターと機械仕掛けの様々な道具が登場するが、だからと言って斬新な解釈があるとは思えなかった。

 結局、奇をてらった演出とかなり雑な演奏によるワーグナーになってしまっていた。

 

ベートーヴェン 「フィデリオ」2008年 チューリヒ歌劇場

 私はHMVオンラインで買い物をすることが多い。HPをみていて、オペラBDDVDの安売りを見つけた。なんと1290円でハイティンク指揮の「フィデリオ」のBDが入手できるなんて! 「フィデリオ」はいくつもの映像を持っているが、この映像はみたことがなさそうなので購入してみた。

 私の耳のせいだろうか、第一幕前半で、ハイティンクの指揮が少し前のめりになっているのを感じた。歌手とうまくかみ合っていない。が、すぐに修正された。例によって、一歩一歩かみしめて歩を進めるような味のある堅実な音楽。

 歌手陣はそろっている。とりわけロッコを歌うアルフレート・ムフが素晴らしい。さすがというべきか、ゆとりのある落ち着いた美声。ドン・ピツァロのルチオ・ガッロも迫力ある声。マルツェリーネのサンドラ・トラットニッグ、ヤキーノのクリストフ・シュトレールもとてもいい。

 だが、肝心のレオノーレ役のメラニー・ディーナーがかなり不安定。第二幕では少し持ち直したように思えたが、第一幕では音程外れるし、声は出ていなかった。私はこの歌手をよく知らないのだが、不調だったのだろうか。フロレスタンのロベルト・サッカも好調とは言い難い。きれいな声だが、この歌手、よいときにはもっと素晴らしく伸びる声だったように思う。

 演出はカタリーナ・タールバッハ。「ブリキの太鼓」などに出演している女優さん(「ブリキの太鼓」の少女の役はよく憶えている!)で、舞台演出もしているという。そのせいかもしれないが、とても映画的。登場人物は20世紀後半の服装で、ドン・ピツァロは白いスーツに白いコートを着て、まるでシルヴェスタ・スタローンがマフィアの親分を演じた雰囲気。フロレスタンはやせこけ、ホームレスのように汚れている。細かな動きにも気を配って音楽にぴたりと合っている。とてもリアルだ。

 第二幕のフィナーレの前に例によってレオノーレ第3番が演奏されるが、これは驚異的な名演奏だった。これぞハイティンク。細部に至るまで音がコントロールされ、一つ一つの音に揺るぎがなく、まったく誇張することなく内面からのエネルギーにあふれている。

 

ヴェルディ 「リゴレット」2019年 ブレゲンツ音楽祭、ボーデン湖上舞台

 ブレゲンツ音楽祭の映像は何本かみたことがある。湖上に舞台を作ってのオペラであるため、しばしばオーケストラは雑になり、歌手たちはおそらくは寒さのために声が震え、ちょっと大味になるものが多かった。ところが、この「リゴレット」は一味違う。

 まず、フィリップ・シュテルツルによる演出に驚く。湖上に木製の大きな人間の顔と2本の手をした巨大模型が作られている。人力とコンピュータ制御によってそれらは動かされ、巨大な顔は道化師のふざけた顔になったり、悲しい顔になったり、女性の柔和な顔になったりといった具合に表情を変える。手も指が動いてまるで生きているよう。そうした中で、鮮やかな色彩の服装をしたまるでグロテスクな人形芝居のような登場人物たちが動き回る。渦海に飛び込んだり、ワイヤにつるされて宙に浮かんだり。フランスのギニョール劇のような趣がある。役者たちは大変だろうが、グロテスクでとてもおもしろい。しかも、このようにすると、リアルに演じると無理を感じるストーリーも違和感がなくなる。

 全員が小型マイクをつけての歌唱だが、野外オペラではやむを得ないだろう。リゴレットのウラディーミル・ストヤノフが凄味のある圧倒的な歌唱を聴かせる。声もしっかりしていてとてもいい。ジルダのメリッサ・プティも澄んだ声で素晴らしい。容姿もフランス人形のようで可愛らしい。マントヴァ公爵のスティーヴン・コステロは時々声が上ずるのを感じたが、全体的には美しい声で見事に歌う。外見上も十分にアポロのような公爵に見える。ほかの歌手たちもとてもいい。

 エンリケ・マッツォーラ指揮によるウィーン交響楽団については、最初は野外演奏であるがゆえの違和感を覚えたが、ドラマが高まっていくうちに気にならなくなった。少し大味ではあるが、野外上演としては最高レベルだと思った。

 

ドニゼッティ 「ルクレツィア・ボルジア」(比較校訂版)2019年 ドニゼッティ音楽祭

 すばらしい上演だと思う。歌手陣は最高レベルにそろっている。中でも、ルクレツィアを歌うカルメラ・レミージョがやはり圧倒的。声は美しく、声の演技も見事。息子への愛で揺れ動く残酷な女の心を歌い上げる。ジェンナーロ役のシャビエル・アンドゥアーガも伸びのある美声がとてもいい。二重唱は聞きごたえがある。そのほか、ズボン役のオルシーニを歌うヴァルドゥイ・アブラハミヤンもいい。アンドレア・ベルナールの演出によってジェンナーロと同性愛的な関係があるという設定になっている(と言っても女性が歌っているわけだが)が、アンドゥアーガとぴしりと歌う。そのほかの歌手たちもきわめて充実。

 舞台は簡素だが、そうであるだけに、人間の情愛がむき出しに表れる。ジェンナーロが毒を飲まされたことを知って母と知らずにルクレツィアを凌辱しようとする。ありがちな演出だと思うが、レミージョの演技によって真に迫っている。

 リッカルド・フリッツァの指揮するルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団も特に不満はない。きびきびした指揮。ドニゼッティのオペラの魅力を引き出していると思う。

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