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ロベール・ブレッソンの映画「ブローニュの森の貴婦人たち」「田舎司祭の日記」「バルタザール、どこへ行く」

 3回目の緊急事態宣言も間違いなく延長されるだろう。先日、私の住む地区でも65歳以上の高齢者(私も含まれる)のワクチン接種予約が開始され、私も参戦した。開始時間と同時にネットにつないだために、アクセスできないということにはならなかったが、指示に従って、かなり面倒な書き込みをしなければならず、しかも、手続きをしている最中に何度も「予期しないエラーが発生しました」という表示が出て少々焦った。無事に予約は取れたようだ。ひとまず安心。だが、これだと80歳過ぎの人は対応が難しいだろう。

 そんななか、先日購入した10枚組DVD2000円以下で売られているフランス映画特集を引っ張り出し、ブレッソンの映画を久しぶりにみようと思いついた。NHKBSでかつて放送された「バルタザール、どこへ行く」を録画したものも探し当てた。簡単な感想を書く。

 

「ブローニュの森の貴婦人たち」1945年 ロベール・ブレッソン

 実はブレッソンは苦手な監督だ。好きな映画もあるので、あえて「嫌い」とは言えないが、この人の監督した映画の多くについていけない。

 この人の映画では、神経質で生真面目そうなやせ細った男たちが黙って何かをもくもくとおこなう様子がしばしば克明に描かれる。私はそのような映像をみていると、こんな生真面目な精神にはついていけない!と強く感じる。きっとブレッソンがそんな生真面目な人なのだろうが、そのような人ばかり登場する映画は息が詰まる。

 幸い、この「ブローニュの森の貴婦人たち」にはそのような場面は少なかった。

 恋人ジャン(ポール・ベルナール)につれなくされたエレーヌ(マリア・カザレス)は、腹いせに昔なじみで、今はキャバレーの踊り子になり、娼婦まがいのこともしているアニエスをジャンに近づけ、二人が結婚するようにしむけ、その後になって、ジャンに真実を告げて傷つけようとする。だが、アニエスを愛するジャンは真実を聴いた後もアニエスを愛そうとする。

 恋にとりつかれるジャン、人の心を操ろうとするエレーヌ、自分の過去を悔い真実をジャンに告げようとして苦しむアニエス。それぞれの心理が丁寧に描かれる。

 もともとマリア・カザレスは鋭い眼光を持つ、意志の強い顔をした女優さんだが、とりわけプライドを傷つけられた腹いせに人の心を操る女性を激しく演じている。だが、カザレスの演技も含めて、私はブレッソンの息苦しいまでの生真面目な演出に辟易する。やはり、ブレッソンは好きな監督ではないなとつくづく思う。

 

「田舎司祭の日記」 1951

 その昔、ベルナノスの原作は恩師である渡辺一民先生の訳で読んだ。引きつけられた記憶があるが、ブレッソンの監督した映画は、私にはかなり退屈だった。いや、それ以前に、これこそ、やせ細った人間が真面目に行動する場面がずっと続く映画だった。

 田舎に赴任することになった若い司祭(クロード・レデュ)。教区の人々の苦悩を自らも受け入れて信仰とともに生きようとするが、教区の人々からは遠ざけられ誤解を受ける。それでも苦しみながら神への愛を全うしようとし、最後には、すべてが神の思し召しだと考えて病死する。そうした様子をブレッソンの映像は克明に追いかける。

 エンターテインメント映画のように、司祭の苦悩が具体的な事件や大きな身振りで示されるわけではない。悩む教区の人や先輩の宗教者との教理問答のような問答や、苦しみを語る言葉、ちょっとしたしぐさでそれを読み取らなければならない。

 それにしても、なんという生真面目な人たちなのだろう。司祭だけではない。教区の人々も必死にあがき、顔をゆがめ、生きることに葛藤している。

 小説であれば、司祭の苦しみを描く言葉に共感できる。信仰への迷い、神の言葉を素直に受け入れられない自分を責める気持ちも理解できる。だが、映像によってそれを見せられると、私はこの司祭に無理解な教区の人々と同じように、息苦しくなって、この映画を拒否したくなる。私の考える「真」とはもっと動的でもっと不条理でもっと人知を超えたものだ。ブレッソンの映画を観ていると、この人は、「真」を静的で知的なものと捉え、まじめに生きることによってそれを得られると考えているのを感じる。私はどうやらそれにいら立つようだ。

 その意味で最もブレッソンらしい映画と言えるかもしれない。私には最も苦手な映画だ。

 

「バルタザール、どこへ行く」 1964

 1970年、日本での封切時にこの映画をみた。初めてみたブレッソンの映画だった。静謐で、説明があまりに少なくて何が起こっているのかよくわからない作風に戸惑いながらも、深く感動したのを覚えている。今回改めて観たが、やはりこれはとても良い映画だと思った。私の好きな唯一のブレッソンの作品だ。

 バルタザールと名付けられたロバの眼を通して、1960年代のフランスの農村の悲しい人々の姿が描かれる。バルタザールの飼い主はプライドを守るために周囲の人々から孤立し、財産を失う。その娘マリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)は村のならず者ジェラールと恋仲になり、自堕落になっていく。バルタザールは、時代遅れの家畜として売られて様々な苦役につき、その時々でマリーやマリーの家族の悲劇に立ち会う。最後、バルタザールはジェラールの闇商売に使われ、流れ弾に当たって死んでゆく。

 ブレッソンの映画らしく宗教的な雰囲気が強い。バルタザール、マリーという名前も新約聖書を思い出さないわけにはいかない。実直で誠実な人々が試練を受け、多くの人が悪を行い、愚かで寡黙なバルタザールがそのような人間の性をみている。バルタザールこそはイエス・キリストのイメージなのかもしれない。最後、死んだバルタザールの周囲に羊たちが群がる。十字架の中で死んだイエス・キリストを迷える羊である人間たちが慕ったように。しばしば聞こえてくるシューベルトのピアノ・ソナタ第20番も生きることの悲しみをしみじみと感じさせて効果的だ。

 説明が省かれているためにわかりにくいストーリーも、生真面目な表情の人間たちの静かな営みも、ロバのバルタザールを通してみた世界であるために、私はほかのブレッソンの映画のように違和感を覚えない。バルタザールという存在のゆえに、この映画は名作になっていると思った。

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