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オペラ映像「猟銃」「春の嵐」「ラ・ドーリ」

 東京は今月いっぱい、3回目の緊急事態宣言が延長されることになった。宣言発出後も感染者は減らず、連休前後の人出も思うほど減らず、ワクチン接種も進まない。政府のとった施策はことごとく失敗だったのは明らかだろう。私自身や家族、友人たちの命がかかっているので、とても暗い気持ちになるが、ともあれ、私としては感染が拡大されないことを祈って、できるだけステイホームを続け、自宅でオペラをみたり音楽を聴いたりするしかない。

 私の得意分野ではないが、現代オペラとバロックオペラのBDをみたので、簡単な感想を記す。

 

ラルヒャー 「猟銃」 2018年 ブレゲンツ音楽祭

 井上靖の小説「猟銃」に基づく。トーマス・ラルヒャーはオーストリアの現代作曲家だというが、私にはまったく知識はない。登場人物は5人だけ。凝縮され、緻密に構成されて、とても魅力的だ。ドイツ語歌唱。

 戦後。友人の夫と不倫関係を続け、それを友人にずっと前から気づかれながら、だまし、だまされていたことを知らされて自ら命を絶つ女性の物語。原作は作者に送られてきた複数の手紙から成っているが、オペラでは舞台上に劇中劇のようなステージが作られて重層的になっており、登場人物がかわるがわる語る形がとられている。

 研ぎ澄まされた音によって心理の奥をえぐるような音楽。それぞれの人物の悲しみとそれぞれの心の中に持つ「蛇」が描かれる。前もって原作を読んだ段階では、「人間は心の中に蛇を持っている」というのは、かなり図式的でありきたりの表現であり、それを猟銃と重ね合わせるのも安易なテーマに思えた。だが、音楽によって昇華され、純化された形でそうしたテーマが現れると、それはもっと実体をもって浮かび上がってくる。人を殺傷でき、自分をも殺すことができ、じっと心の奥にしまい、何とか暴発を抑えているもの。暴発の危険があるからこそ、手放さすことができないもの。そのようなものとしてありありと見えてくる。

 井上靖の小説はこれまで数本しか読んだことがない。あまりおもしろいと思わなかった。だからよく知らない。今回、ざっと「猟銃」を読んでみたが、小説とオペラの印象はかなり異なる。原作には私はこれほどの鋭利さは感じなかった。もしかしたら、私の読みが浅かったのか。オペラを観て、実はとても魅力的な作家なのではないかと思った。

 歌手陣は充実している。ただ、日本人が西洋人を演じるオペラは見慣れているが、西洋人が日本人を演じるのは見慣れていないので妙な感じがする。

 作家を演じるロビン・トリットシューラーは知的な歌いぶりがとてもいいし、三杉穣介役のアンドレ・シュエン、彩子役のオリビア・バーミューレン、みどり役のジュリア・ペリ、薔子役のサラ・アリスティドはいずれも、この役を西洋人がイメージしたらこうなるだろうというまさに適役。音程がよく、みんな知的で声もしっかりしている。

 演出はカール・マルコヴィクス、指揮はミヒャエル・ボーダー。舞台と音楽がぴたりとかみ合っているのを感じる。日本を舞台にしたオペラが世界で上演されるのはとてもうれしいことだ。

 

ヴァインベルガー オペレッタ「春の嵐」(ノーベルト・ビアマンによる再構成&編曲版) 2020年 ベルリン・コーミッシェ・オーパー

 もう一本、日本がらみのオペレッタ。ヒトラー政権下の1933年にチェコ生まれのヤロミール・ヴァインベルガーによって作曲された作品だという。初演後、再上演が禁止になってスコアも失われたものを、近年になって再構成されて再上演。私の知っているオペレッタでいえば、「メリー・ウィドウ」に雰囲気が似ているが、それ以上にアメリカのミュージカルに近い。ジャズっぽいリズムも出てきて、ミュージカル風のダンスもふんだんに入る。

 舞台は日露戦争の時代のロシアの占領下にある満州地域。ペテルブルク社交界の華だった未亡人リディアは、中国人になりすましてスパイ活動するかつて恋人である日本人将校イトウと再会する。イトウはスパイ活動が発覚してカチャーロフ将軍に捕らわれるが、リディアは将軍と逢引の約束をして、代償としてイトウを逃亡させる。それから数年。戦争は終わり、イトウは和平交渉の責任者としてやってくる。リディアに裏切られたと信じているイトウは傷心のあまりサユリと結婚しているが、ホテルでリディアと顔を合わせて、かつての誤解が解け、恋が再燃する。だが、リディアはサユリの存在を知り、自ら身を引いて将軍と生きることにする。

 そうした大人の恋の物語を中心に、将軍の娘と新聞記者の恋を織り交ぜ、深刻になりすぎず、ユーモラスに東アジアの紛争地の社会を描く。ストーリーもハラハラドキドキしてとてもおもしろい。音楽も楽しめる。

 何よりもバリー・コスキーの演出の見事さに舌を巻く。異国情緒にあふれた踊りがふんだんにあり、ユーモアにあふれ、静かな大人の恋と騒々しい若者の恋がうまく対比され、楽しくて華やかな舞台を作り出している。楽しく、おもしろく、場面展開に目が離せなくなる。

 歌手の一人一人もとてもいい。リディア役のヴェラ=ロッテ・ベッカーが色気のある美しい未亡人を見事に演じる。イトウ役のタンゼル・アクゼイベックも切れの良いしっかりした歌がとてもいい。カチャーロフ将軍を演じるのは役者のシュテファン・クルト。軽妙な動きでしばしば笑いを誘う。素晴らしい役者だ。オリジナルのオペレッタに含まれているのだろうか、「エフゲニー・オネーギン」のレンスキーの決闘前のアリアを歌う場面がある。将軍の娘役のアルマ・サデーと新聞記者役のドミニク・ケーニンガーも見事。

 ジョーダン・デ・スーザの指揮するベルリン・コーミッシェ・オーパー管弦楽団もきりりと引き締まって飽きさせることがない。

 今、私たちは満州と聞くと、日本軍の中国侵略、傀儡国家である満州国建設、その後の日本人入植者の苦難を思い浮かべるが、当時、ドイツでこのようなオペレッタが作られていたことが興味深い。ドイツから見たロシア、日本、満州がどのようなものだったのか、そもそも日露戦争がヨーロッパにどう見えていたのか、このオペレッタに手掛かりがいろいろありそうだ。ただ、残念ながら、それを真正面から研究する意欲は今の私にはない。ごく身近に満州問題に詳しい人間がいるので、そのうち話を聞いてみたいと思っている。

 

チェスティ 「ラ・ドーリ」2019年 インスブルック古楽音楽祭

 17世紀イタリアの作曲家アントニオ・チェスティの代表作だという。とてもレベルの高い上演だと思う。このオペラを観る前に、メラーニの「罰せられた悪党」(2019年 レアーテ音楽祭)のBDを観たが、そちらは録音のバランスが悪く、チェンバロと歌があっていないために聴き続けることが苦痛になって途中で忍耐を放棄したが、それに比べると、こちらは見事。歌手陣はそろっているし、ダントーネの指揮についても文句なし。現代のオペラに慣れた耳からすると、バロックオペラらしい同じような曲想の歌が続いて少々退屈だが、心地よく楽しめた。

 ただ、登場人物があまりに多く、人間関係が入り組んでおり、しかもほかの人に成り代わったり男装したりするうえ、そもそも女性が男性役を歌っていたり、逆に男性が女性役を歌っていたりして、ストーリーについていけなくなった。ネットで探して、あらすじを確認したが、それでも見ている途中で誰が誰やらわからなくなった(歌手陣の顔も似ている!)。私の知能程度ではこれは理解するのは難しいと判断して、途中からあまりストーリーは気にせずに見た。もう一度きちんと予習をして初めから見直すと理解できるかとも思ったが、残念ながらそれほどの気力を持つことはできなかった。私以外の人はこれを問題なく理解できるのだろうか??

 関係者には申し訳ないが、私としては、よくわからないままそれなりに心地よい音楽だったという印象でおしまいだった。

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コメント

満州を舞台にした「春の嵐」というオペレッタの存在に驚きました。そんなオペレッタがあったんですね。1933年の作品ということですが、1933年というとヒトラーが政権をとった年ですし、満州国はすでに成立していました。ものすごく微妙な年に(たぶん世界情勢は緊張していたと思います)、時代設定が日露戦争の前後とはいえ、ずいぶん呑気なオペレッタが作られていたんですね。むしろ緊迫した状況だったからこそ、人々の緊張を解く作品が求められていたのかもしれません。

投稿: Eno | 2021年5月10日 (月) 08時21分

Eno 様
コメント、ありがとうございます。
「春の嵐」、今でいえば、シリヤか新疆ウイグル自治区を舞台にしているようなものですからね。私も大いに驚いたのでした。西欧から遠いだけに、異国情緒があってちょっと刺激的なフィクションにしやすかったのかな?とも思いますが、それにしても不思議です。
しばしばブログを読ませていただいています。関心を広げておられる様子に感服しています。

投稿: 樋口裕一 | 2021年5月11日 (火) 15時38分

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